(C) 落合由利子
太平洋戦争中、19万人以上の戦死者を出した戦場ビルマ(現・ミャンマー)には60以上の地域に慰安所があったという。「慰安婦」として連れ回された多くの女性たちの一人、文玉珠さんの足跡を綴り、山川菊栄賞、詩人の高良留美子さん主宰の女性文化賞を受賞したのが森川万智子さんだ。
文さんに出会ったのは、1992年のこと。森川さんは山口県下関市で郵便局に勤めている時に労働運動に関わり、在日韓国・朝鮮人の指紋押捺拒否運動にも参加。「慰安婦は民間業者が連れ歩いたもの」という当時の日本政府に対して金学順さんが名乗りをあげ、森川さんたちも事実を市民に語ってもらおうと、サバイバーを韓国から福岡市や北九州市などに招くことに。来日したのが当時67歳、日本語を話せる文さんだった。
「文さんがビルマで軍事郵便貯金をしていたこと、その貯金の本社は下関郵便局だと語っていることを知って、思わず声をあげてしまいました。私が長く働いていた所でしたから」。なんとか貯金を返してあげたいと奔走し、当時の郵政省とも交渉。日韓条約で解決済みとの日本政府の壁は崩せなかったが、文さんと一緒に行動するうちに「この人の記憶力はなんて素晴らしいんだろう」と感心する。通帳をなくして再発行してもらったこともすぐ確認できた。慰安婦の日常も詳しく聞かせてもらい、これを記録して本にしたいと申し出ると、「森川さんの好きなように書きなさい」と文さん。
続きは本紙で...