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インタビュー

福島県浪江町から埼玉県へ避難した

篠原美陽子さん

  • 2017.4.5
  • 聞き手…清水さつき
  • 撮影…宇井眞紀子

 篠原美陽子さん

帰りたい気持ちと次世代のことと

 

福島県浪江町の海側3分の1は、この3月31日に原発事故による避難指示が解除された。  2月に東京で町主催の避難指示解除に向けた住民と関連省庁・町との懇談会が開かれた。会場で原子力災害対策担当者らに積極的に質問をし、意見を発していた女性が印象に残った。それが篠原美陽子さん。埼玉県鴻巣市に家族と避難している。

浪江町は海山に囲まれた自然が豊かな土地だった。篠原さんは浪江町出身の板前の男性と結婚して、浪江で「日本料理しのはら」を開店し、22歳で女将になった。季節の移り変わりを感じられる仕事をしたかったと、篠原さんは言う。

 

「彼が浪江に帰って店を開くと言うので、じゃあ手伝ってもいいよ、という軽いノリで答えたんです」。店は2011年に15周年を迎えた。「接待や法事等で使われることが多く、旬の素材にこだわる料理を出していました」。取材の時に見せてもらった写真には、髪を結い着物姿の篠原さんがいた。笑顔に女将の意気が溢れていた。  店は土地柄、東電やその関連会社がたびたび利用していた。「事故前は、店で東電の人たちの話を聞いて、こういう人たちだったら原発の運転を任せて大丈夫だと信じていました」

だが原発事故は起きてしまった。3月12日、原発20㌔圏内に避難指示が出された。「もう戻れないかもしれないという嫌な予感もしました」。13日から川俣町、福島市を経由して、出身地の埼玉県へ避難した。4月から中学3年生になる受験生の娘と、小学校の入学を控えた息子のことが心配だったので、3月末に夫婦と子ども2人、夫の両親と6人で鴻巣市の団地に入居し、現在に至る。  店は海側の避難指示解除地区に建つ。しかし、店から車で20分の自宅と夫の両親が営んでいた旅館がある場所は帰還困難区域だ。そこは渓谷沿いの景勝地で、四季折々に多くの観光客が訪れた土地だった。

        続きは本紙で...


しのはら みよこ

1974年、埼玉県生まれ。両親は浪江町出身。夫とは、短大時代に飲食店のアルバイトで知り合った。娘は大学で音楽を学び、息子はこの春中学1年生に。夫と共に、たびたび浪江町に通っている。自宅は福島第一原発から12㌔、店は6㌔の距離にある。

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