そうはいくかよ、負けてたまるか
「釈放まではにっこり笑えるってことがなかったね。釈放の日は支援者は泣いてるのに、私だけ、アハハハって笑ってた。よくぞ生きて帰ってきたと思って」。そう豪快に笑う袴田秀子さんは、1966年静岡県清水市(現静岡市)で起こった強盗殺人放火事件で死刑が確定し、2014年3月に再審開始決定で48年ぶりに釈放された袴田巌さんの姉。塀の中の巌さんを物心共に支え続け、現在は静岡県浜松市の秀子さん宅で巌さんと共に暮らしている。しかし巌さんは、無実の訴えと処刑の恐怖の日々の中、精神を蝕まれた。「死刑確定まではものすごくしっかりしていたんだけどねえ。40年以上あんな所に入ってたらこうなって当たり前だよ」
ところが、好きな時に好きなものを食べ、行きたい所に行き、うたた寝し、日の光を浴び、親戚の子と戯れる…何気ない暮らしの中で巌さんに変化が訪れた。 「出てきたばっかりの時は無表情でね。それがだんだん笑ったり、話したり…。歩き方もね、チョコチョコ歩いてたのが、スッスとね、足を高く上げて歩けるようになったね」
6人きょうだいの中で、巌さんは末っ子、秀子さんは3つ違いのすぐ上の姉。母はどこへ行くにも2人を連れて行った。「巌とは一緒によく遊んで、近しく過ごしてたの。おとなしい優しい子でね」。一方の秀子さんは、親に叱られたら「何も悪いことしとりゃせん」と親に向かっていくくらい、「小さい時からいつもキャンキャラキャンキャラ言ってたですね」。
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