米兵や防衛局員の心も動かしたい
毎年初夏に東京で開かれる「ゆんたく高江」は、ゆるいトークとライブで、沖縄の北部に位置する東村高江の住人がヘリパッド建設を止めようとしている運動を紹介している。8回目の今年は、高江から反対運動の中心メンバーの一人、伊佐育子さんがやってきた。
海が大好きな育子さんは、21歳の時、友人と沖縄へ観光に行った。戦争や米軍基地には関心もなかった。旅行中に知り合い、米兵の行くコザのライブハウスに連れて行ってくれた伊佐真次さんと、1986年に結婚。沖縄市泡瀬に移住した。
初めは〝平和ぼけ〟だった。「城を見に行こうと誘われ、京都生まれだから立派な城を想像してたら、沖縄戦でかろうじて残った石畳と石垣だけ。やっぱり戦争って大変なこと」
「夫の家族が営む木工所が手狭になった頃、人口増で地元小学校が荒れ始め、いじめが起きていたことから、知人のつてで89年、豊かな森に囲まれた東村高江に木工所を移転した。住まいは車で30分ほど北上した国頭村安田という海辺の集落へ。2人目の子どもの出産前後を過ごし、隣近所との関係もよかった。「朝玄関を開けるとキャベツの山! それも誰が置いてったか分からないの」。大家さんも、自分の畑の作物を勝手に持っていきなさいと言う。のんびりした安田が好きだったが、請われて翌年住居も高江へ移した。
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いさ いくこ
1960年、京都府生まれ。「『ヘリパッドいらない』住民の会」(http://takae.ti-da.net/)で共に活動する、後で移住してきた子育て家族の生活全般を手伝っている。沖縄の漆塗りを学んだが、活動が多忙で手につかない状態…。20代半ばの子どもが2人。