会いたい気持ちは止められない。
「そうねぇ、私も94ですから、もう『アゴ李』と別れてから60年近く経ってしまって」
東京・世田谷の自宅の居間で、過ぎた時間をなぞるように山本方子さんは話す。アゴ李=夫のイ・ジュンソプさんは、韓国でもっとも愛されている画家と言われる。39歳で亡くなった後、『黄牛』など数々の作品で才能が高く評価され、済州島には美術館もできている。
日本でジュンソプさんが知られるきっかけになったのは、現在上映中のドキュメンタリー映画『ふたつの祖国、ひとつの愛 イ・ジュンソプの妻』。これは、二つの戦争を生き抜いた山本さんを描いた作品でもある。
1941年、二人は東京にある美術学校の筆の洗い場で言葉を交わしたのをきっかけに、交際を始めた。
「李という人が3人いてね、彼はアゴが長かったから『アゴ李』って呼ばれていたの。2年先輩で、ハンサムでアリランを歌う声がまたよくってね。女学生には人気があったのよ。デートは神田の名曲喫茶で、コーヒー飲みながら他愛ない話をしていましたね」
クリスチャンで「どの国の人とも仲よく」と教えていた山本さんの両親も見守ってくれた。
ところが、展覧会のためソウルに一時帰国したジュンソプさんは、戦況の悪化で日本に戻って来られなくなった。
海には多くの機雷が撒かれており、沈められた船もあったが、山本さんの会いたい気持ちは止められない。「関釜連絡船」はもう運航を取りやめていたので福岡・博多の旅館で数日間、機雷の撤去を待ち、ようやく釜山行きの船に乗り込むことができた。その連絡船も、海峡を渡る最後の便だったそうだ。
「ソウルまで、アゴ李がリンゴとゆで卵をいっぱい持って迎えに来てくれました」
再会の時を思い出す山本さんの?に、赤みがさす。ジュンソプさんの故郷、元山(北朝鮮の東南部)で挙式。最初に生まれた子どもを、病気で亡くす不幸もあった。それでも二人の男の子に恵まれ、家を建て、平穏な日々が続くかのように思われたが…。元山にも朝鮮戦争の足音が近づいていた。
続きは本紙で...
やまもと まさこ
1921年神戸市生まれ。45年に現在の北朝鮮・元山で画家イ・ジュンソプさんと結婚。「ふたつの祖国、ひとつの愛 イ・ジュンソプの妻」(監督・酒井充子、配給・太秦)は、全国ロードショー中。http://u-picc.com/Joongseopswife/index.html