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インタビュー

沖縄・辺野古の抗議船船長

相馬由里さん

  • 2014.11.25
  • 聞き手…清水さつき
  • 撮影…石田貴美恵

相馬由里さん

「平和丸」が遊覧船になる日まで

 米軍の新基地建設が進められようとしている沖縄・辺野古に、抗議船を操縦する女船長がいる? 現地を取材するならぜひ会いたいと、今年10月に辺野古へ向かった。  座り込みのテントで会った相馬由里さんは、名護市のヘリ基地反対協議会が所有する「平和丸」の4代目船長だ。辺野古の見学者を乗せて大浦湾を巡り、大きなサンゴやジュゴンの食み跡、埋め立て予定地の浜などを案内し、大浦湾の豊かな自然の大切さを訴えている。  「8月に船舶免許を取ったばかりなんですよ」と、由里さんは日に焼けた顔をほころばせた。まだ、2カ月。平和丸は定員13人。乗船する人の命を守るのは自分の責任だ。最初の数週間は全く眠れなかったという。  「中学の時、体験ボランティアで行った老人施設で、お年寄りと一緒にいるのが楽しかった」と言う由里さん。幼い頃、両親が管理人をしていた箱根町にある企業の保養所に、西表島に近い鳩間島出身の老夫妻が働いていて、多忙な両親に代わり実の祖父母のように由里さんを育ててくれた。  成人し、千葉県船橋市の病院で介護職として働いている時に始めたダイビングにはまって、毎月沖縄に通っていた。それなら沖縄に移ってしまったほうがいいと、2000年、22歳で西表島に移住しようと決意。「鳩間のじいちゃんが理事をしている西表の施設に勤めることになって」、実現した。ここで、ダイビングだけでなく、月明かりの下での潮干狩りの楽しさも覚えた。「辺野古の闘いが終わったら、鳩間のばあちゃんのところに行きたいですねー」  西表の施設では、入所しているお年寄りから「もう戦はならぬ」と聞いた。入浴介助をしていると、膿んでいる傷が「沖縄戦のときのものなんだよ」と教えられ、戦争が80歳、90歳の人生の中でまだ終わっていないことを実感した。彼らが“復帰”の時にデモや座り込みをして非暴力の運動を貫いてきたから、今の沖縄がある。  続きは本紙で...


そうま ゆり

1978年、神奈川県箱根町生まれ。家族みんなが海好き。母親からすすめられてダイビングを始めた。介護福祉士として、千葉県船橋市、沖縄・西表島と那覇市で働き、現在は名護市在住。「平和丸」の乗船希望は、ヘリ基地反対協議会 TEL 0980(53)6992へ。

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