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インタビュー

関東大震災で虐殺された朝鮮人を記憶する

矢野恭子さん

  • 2014.09.15
  • 聞き手…栗原順子
  • 撮影…落合由利子

矢野恭子さん

虐殺の河川敷で風の音を聞いて

   91年前(1923年)の9月1日、関東大震災が発生。この日は「防災の日」となるも、関東大震災への言及は「3・11」にかき消され、この時に起きた朝鮮人へのジェノサイド(虐殺)は抹殺されようとしている。この事実と記憶を消すまいと、30年以上前から地道に活動を続けている女性がいる。「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会(以下、追悼する会)」代表、「ほうせんか」理事の矢野恭子さんだ。  追悼(当初は慰霊)する会は、1982年に東京・荒川河川敷の試掘を機に結成された。小学校教員だった故・絹田幸恵さんが、「虐殺の犠牲者の遺骨が、まだ埋まったままかもしれない」とお年寄りたちから話を聞いたのがきっかけだった。  矢野さんは大学3年生の時、知り合いの先輩からこの会の活動に誘われた。今も一緒に活動し、さまざまな取材に応じている西崎雅夫さんだ。  結成したばかりの会の手伝いや、〝虐殺〟を研究する山田昭次さんの下で文献資料班の一員として活動した。83年、証言などをおさめたドキュメンタリー映画『隠された爪跡』呉充功監督)が完成すると、上映会の手伝いもするようになった。  「当時から今もずっと〝関東大震災業界〟の末っ子の存在だから何でもやりました(笑)」  〝若かった末っ子〟は、絹田さんたちと共に、〝聞き書き班〟が残したものをまとめたり、韓国でも体験者・遺族らの聞き書きをし、92年、『風よ 鳳仙花の歌をはこべ』を出版した。「市民が掘り起こした延べ150人の証言」として今も貴重な資料となっている。その後も掘り起こしは続けられた。2000年、矢野さんは病気の絹田さんに代わり〝代表〟となった。 続きは本紙で...


やの きょうこ

1960年、東京都生まれ。「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」代表、「ほうせんか」理事、「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」事務局。共著に『風よ 鳳仙花の歌をはこべ』(教育史料出版会)。請願署名の連絡先は、TEL080(4333)1923

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