WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

原爆・原発を体験した詩人

堀場清子さん

  • 2014.07.25
  • 聞き手…岡田真紀
  • 撮影…落合由利子

堀場清子さん

核と生命は共存しえない

 目には見えない 声もしない 匂いもない 放射能という名 の 毒  この海は 帰る沖をもたない  ひとびとの やすらかな眠り にも 忍び入り  いのちの芯まで しみとおる  ひとが放射能を忘れて暮らし ても  放射能はひとを 忘れない  (『忘れない』)  2011年3月11日、詩人堀場清子さんは福島第1原発事故を体験。1945年8月6日、疎開していた広島の青空に閃光を見、爆風が身体の上を吹き荒れた。爆心から9キロ離れた祖父の病院には、次から次へと瀕死の重傷を負った人たちが運ばれてきた。そのむごいありさまは堀場さんの脳裏から決して消えることなく、詩を詠む源となってきた。  「14歳で原爆にあったことで決定づけられたような気がします。言葉で形容できないほどの本当の地獄を私は見た。だけど多くの人は見てない。その見てない人にこんなにひどいんですよ、ということを伝えたい気持ちが強くありましたね」。そして今、堀場さんのなかで原爆と原発が一筋に繋がる。  堀場さんは昨年末、『堀場清子全詩集』(ドメス出版)を出版した。600ページを超える大部の詩集を貫く一つの柱が、男の下に置かれてきた者としての女の視点だ。「弟と二人きょうだいでしたが、弟は跡継ぎだというので待遇が違う。男は命をかけて国を守らなきゃいけないから大事、女は役に立たないという扱い」。軍人だった父親は徹底した男尊女卑で、早稲田大学に行きたいと言えば、「男の大学に行ったような者をわしなら嫁にもらわん」。「あたしだって、お父さんのとこなんかにお嫁に行かない」と初めての口答えをした。敗戦がもたらした戦後民主主義の中で、反骨精神は伸びやかに育っていった。 続きは本紙で...


ほりば きよこ

1930年広島県生まれ、東京で育つ。早稲田大学国文科卒業後、共同通信社で文化部記者。退社後、詩と女性学の接点として『いしゅたる』誌主宰。詩集『空』『延年』『首里』のほか、『青鞜の女たち』など著書多数。第5回女性史青山なを賞、第11回現代詩人賞を受賞。

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