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インタビュー

南三陸町・「かもめの虹色会議」の

工藤真弓さん

  • 2014.04.05
  • 聞き手…柏原登希子
  • 撮影…清水さつき

工藤真弓さん

かもめの視点で町づくり

 車を山の中腹に止め、階段を上る。少し息が上がった頃、鳥居が見えた。と同時に、目に入ったのは鳥居近くの真新しい「波来の塔」。東日本大震災の津波は、こんなところまで来たのだ。振り向けば、眼下には広がる更地。ここは宮城県南三陸町志津川。南三陸町は人口約1万8000人のうち、死者・行方不明者が836人に上る。  鳥居をくぐると上山八幡宮がある。笑顔で迎えてくれた工藤真弓さんは、そこの禰宜だ。鎌倉時代から続くこの神社の25代目。「昔、神社は低地にあって、チリ地震津波(1960年)の被災で、丸太の上に載せてこの山の上まで一晩で神社を移築したと、おじいちゃんから繰り返し聞いていたのに…」。  社務所の壁一面にはカラフルでほっこりするイラストの数々が。実はここで30代の若い人たちを中心に町づくりの会合を開いており、イラストには町への思いや希望が描かれている。「緑の防潮堤がいい」「鮭が獲れる堤防沿い」…。会の名前は「かもめの虹色会議」。「かもめって南三陸では家族みたいなものなんで。かもめみたいに俯瞰して町を考えたいのと、7人で始めたので虹のように色とりどりの意見が出るねって」  ここ志津川には高さ8・7メートル(盛り土4~10メートル)、底幅40メートルのコンクリートの防潮堤と堤防が張り巡らされる計画がある。  3番目の娘だったため、跡を継ぐことを期待されていなかったが、東京に出た後にふるさとに戻り、「作務衣とか袴を着てみたい」と軽い気持ちで、神職の研修に参加してみると、面白く、神社を継ぐことにした。結婚し、由祐くんも生まれた。  3月11日、買い物先で大地震に遭った。急いで家に戻り、4歳の由祐くんを抱き「ここは津波は来ない」と言う母を「カブト虫のように家からはがす」ようにして(由祐くん談)、さらに高台へ。「やめて!って津波に叫びながら逃げたけど、やめてくれないのが自然。悲しいとか悔しいとかなくて、人間って小さいなって」。家族は全員無事だったが、家は津波の終着点となり、物干し場やら家が突っ込んでいた。5カ月間避難所で暮らした後、今は登米市南方の仮設住宅で暮らす。 続きは本紙で...


くどう まゆみ

1973年宮城県南三陸町生まれ。高校卒業後東京へ。3年間都内で高齢者福祉の仕事に携わる。98年神職免許取得。五行歌歌人。南三陸町復興計画推進会議委員。著書に『つなみのえほん ぼくのふるさと』、五行歌集『神さまも ひと休み』(いずれも市井社)

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