高らかに笑い飛ばして 知りたがりの、怒りんぼに
マコ 芸人になったきっかけは阪神淡路大震災。その時私は鳥取大学医学部生命科学科1年生やったんです。生家が神戸にあって、避難所に親戚や知り合いがいたので行きました。避難所にいる人はケガも病気もないのに、死にたい、死にたいと言う。その時「健康ってなんだろう」ってむちゃむちゃ考えたんですよ。どうやら健康は笑って明るく暮らせることだなと。人を笑かすほうが面白そうだと、優秀な成績で3年で中退し、芸人になりました。最初チンドン屋の親方のところにいてアコーディオン弾きの流しをしていたんですよ。ある日、駅前でやってたら、横山ホットブラザーズ(吉本興業)の師匠がスカウトしてくれはって。今どき駅前でスカウトなんて相撲部屋みたい。
ケン 僕はずっとパントマイムをやってたんです。しゃべらないで表現できることがあるんだ!ってどんどんはまっていきました。しゃべりは今も苦手やね。
マコ コンビ組んだ当時はひどかったね。「てにをは」が言えない。「ヨコハマ、たそがれ」みたいに単語並べて、あとは相手にくみ取ってもらうみたいな。
国のためにしゃべるな
マコ 師匠は高齢だし、私たちはしばらく喜味こいし師匠(兄の夢路いとし〈2003年没〉と共に戦前から活躍する吉本興業の漫才師。11年没)の所に預けられてたこともあって、いいよって勧められる漫才の台本が古くて、戦中の国策漫才もあったんです。「奥さん、お国のために節約して貯金しましょ」って。私ね、こいし師匠に、国策漫才は本気でやってたんですか?それともやらされてたんですか?って聞いてみたんです。そしたら師匠は、芸人は国のためにしゃべったらあかん、目の前のお客さんのためにしゃべれ、そこを間違えたらあかんって。いとしこいしのネタに「我が家の湾岸戦争」っていうのがあるんです。「イクラの取り合いで、お椀がガーン」って。漫才に反戦を込めたっておっしゃってたので、そうか!と。それで作ったネタが、自衛隊イラク派遣の時の「自衛隊はいけーん」。
ケン NHKの漫才コンクールでね、そら落とされるわね、注意されたわね。
続きは本紙で...
おしどりマコ・ケン
吉本クリエイティブ・エイジェンシー所属の夫婦音曲漫才コンビ。おしどりマコ(兵庫県神戸市出身)はアコーディオン、おしどりケン(大阪府出身)はパントマイムとワイヤーアートを担当。漫才協会会員、自由報道協会理事。ウェブマガジン・マガジン9に「脱ってみる?」、Daily NOBORDERに連載中。2人へのご祝儀はこちら。郵便振替10160‐14850881 おしどり