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インタビュー

難民高校生のリアルを発信する

仁藤夢乃さん

  • 2013.11.05
  • 聞き手…赤石千衣子
  • 撮影…落合由利子

仁藤夢乃さん

あきらめないで子どものこと

 高校生の頃、(東京)渋谷をさまよっていた。家にも学校にも居場所がなくて渋谷の街でプリクラを撮ったりカラオケボックスで仲間と過ごしたり。その夢乃さんが今年本を書いた。『難民高校生 絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル』(英治出版)。女子高校生が抱えているつらさを等身大で伝えていた。      夢乃さんは貧困や虐待のある家庭に育ったわけではない。でもわずかなボタンの掛け違いから、家にも学校にもいられなくなった。  中高一貫校の女子校に通う真面目な中学生だった。学校で上履きのかかとを踏むささやかな反抗から派手めのグループと付き合い始めた。先生からは何か問題があるたびに疑われるようになっていった。中学3年生のときに父親が単身赴任して、母と妹と3人の生活に。母も傍で支えてくれる人がいなくて、うつっぽくなっていた。父がたまに帰ってくると夢乃さんは厳しく叱られた。夢乃さんは両親とけんかし、母が寝込むようになったがそれもウザかった。  夢乃さんは学校に遅刻していくようになり毎日渋谷に通った。ますます「ダメな子」のレッテルが貼られた。家に帰らずに、ご飯を食べたり、夜まで外で過ごすためのお金を求めて、高校1年生の終わりには「メイドカフェ」で働くようになった。  「見守ってくれる大人がいない子は、援助交際や夜の世界に誘われるようになるんですよね」  街でスカウトに声を掛けられて働き始めたメイドカフェの経営者はキャバクラも風俗も経営していた。時給は1500円で、夜中まで働けば、キャバクラの女の子と一緒に家まで車で送ってもらえるので「ラッキー」と思っていた。夜ストーカーに遭うこともレイプされそうになることもあった。  母親は心配して無理やりカウンセラーのところに行かせようとして関係はもっと悪化。親しい友だちにも本心は話せない。夢乃さんは学校をやめたい、もう自分はダメな人間だし、ひとりぼっちだ、死にたいと思っていた。飛び降りるビルを探していたこともあったという。 続きは本紙で...


にとう ゆめの

1989年東京都生まれ。中学生の頃から「渋谷ギャル」生活。高校2年で中退。その後大学に進学。東日本大震災後、活動団体「Colabo」を立ち上げ支援金付き大福を高校生と開発。現在は難民高校生の問題を社会に発信する活動を続ける。

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