WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

在日1世、2世とともに

村木美都子さん

  • 2013.05.05
  • 聞き手・撮影…川田文子

村木美都子さん

住民が勝ち取った団地で生活支援

 お嬢さん育ちだった。体調を崩して転職し、自分の価値観を問い直していた25歳のころ、教会に行き、社会的問題に鋭敏なスペイン人の司祭に触発された。「東九条キリスト者地域活動協議会」に加わり、京都駅南側の地域で子どもたちと高齢者の交流事業などに関わった。現在は鴨川沿いに建つ東松ノ木市営住宅の管理と生活支援を担う。  戦前から京都駅に近い被差別部落に在日コリアンが住み始めた。戦後は疎開で空地になった駅周辺にバラックが立ち並んだ。この地域に在日や日本人の低所得層が集まったのは地価や家賃が安く、日雇いをはじめ似通った仕事をしていて暮らしやすかったからだ。京都市は1953年に「疎開跡買収整備事業」、59年には「国鉄沿線南部バラック地区整備事業」に着手、バラックを撤去した。市営住宅が建設され、立ち退きになった一部の在日は入居したが、多くは南部の東九条に移転した。他の地域に転居しようとした人も多いが、入居差別もあり住環境のひどいところしかなかった。  60年代から、さらに南側の鴨川と高瀬川の堤防上にバラックが急増した。「不法占拠」として番地がないことから、住民は自ら「40番地」と呼んだが、心ない人からは「0番地」「堤防」と蔑称された。小さな家々がひしめき消防車が入れず度々大火になった。住民と支援者らの行政への働きかけで河川敷に生活道路が通った。水道も電気も関係当局と交渉を重ね獲得した。そうした住民運動の成果として、宅地化されたその場所に東松ノ木市営住宅が建った。  村木さんはパート・スタッフ5人と集会所での週2回の集い、住民の安否確認、関係機関や家族との連絡、その他、住宅や生活上のこまごまとした相談に応じる。エアコンのリモコンの使い方が分からない、冷房だと思ったら暖房だった、留守番電話の操作が分からない、また、急に動けなくなったと買い物を頼まれたり、救急搬送し医者とやりとりすることもある。介護や医療サービスの狭間の援助が多い。 続きは本誌で...


むらき みとこ

1963年滋賀県生まれ。キリスト者として地域支援に関わり、現在「NPO法人東九条まちづくりサポートセンター(通称・まめもやし)」事務局長。京都外国人高齢者・障害者生活支援ネットワーク・モア事務局。夫と11~18歳の4人の子と暮らす。

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