燃えるような魂がある限り
昨年9月、『若人よ』(1987年)『老親』(2000年)等々、性教育や介護などをテーマに制作し、人々を勇気づけてきた映画監督の槙坪夛鶴子さんが亡くなった。享年71歳。リウマチを患ってはいたが、精力的に映画を撮り、上映会や講演など、車椅子で全国を飛び回っていた中での訃報。多くの人がその突然の死を悼んだ。
今年8月、槙坪さんが温めていた企画と彼女の子ども時代が投影された、映画『少女の夢 いのちつないで』(以下、『少女の夢』)が完成した。槙坪さんの遺志を引き継き、監督の一人を務めたのは、彼女の下で2年間、助監督をしていた中平悠里さん。『少女の夢』は9月1日、「あいち国際女性映画祭」のオープニングを飾った。
槙坪さんは、「原爆」をテーマにした作品の構想を持っていた。3・11後、自作品の上映会のために何度も福島の被災地を訪れていた。亡くなった日も福島行きの直前だった。いつも同行していた中平さんは「被ばく体験を持つ監督は、原発の問題は原爆からつながっていると痛切に感じていたはずだ」と話す。
『少女の夢』は、7歳のたづを中心に、戦争や原爆の影響が残る広島の村の日常を描写した作品。槙坪さんが講演会で語っていた話を元に、彼女の公私ともにパートナーであった、この作品の共同監督である光永憲之さんと一緒に脚本を書いた。
平和や命の大切さ、差別や偏見と、それを乗り越える人々の支え合いなどを描き、震災や原発の問題を抱える私たちに、「どう生きるか」を問いかけた。
映画祭で、槙坪さんのファンや親交のあった人から「(〝命、愛、共生〟がコンセプトだった)槙坪監督が撮った映画のよう」という声を聞いて中平さんは安堵し、また槙坪監督の存在の大きさを改めて感じたという。
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なかだいら ゆうり
1984年、青森県生まれ。英国の大学で映画を学び、卒業制作の短編『ハンセルと月の街』で、東京ビデオフェスティバル2008年優秀作品賞などを受賞。11年短編『海のみる夢』を制作。『少女の夢』や、槙坪監督作品の上映情報はパオまで
http://www.pao-jp.com