子どもとおとなの地域の居場所
橋下徹市長率いる大阪市が、独自事業として行っていた「子どもの家事業」を廃止しようとしている。大阪市西成区、日雇い労働者たちが集まる町、通称・釜ヶ崎にある「こどもの里」も、「子どもの家」の一つ。こどもの里では、事業存続を求める署名活動を行い、4万3千筆が集まった。しかし、大阪市の意向は変わりそうにない。ここは、子どもたちはもちろんのこと、地域のおとなたちにとっても、かけがえのない居場所である。
「こどもの里」の館長である荘保共子さんに初めてお会いした時、正直ちょっと怖そうな人だと思ったのだけれど、少しお話しすると実はすごくシャイな人だとすぐに分かった。なんといっても、その視点はつねに子どもたちに、弱っている人に、社会の中でつらい状態にいる人に、必ず向いている。
兵庫県宝塚市で育った荘保さんは、大学卒業後、教会のボランティアで西成にやってきた。そこで、自分がそれまで知っていた近所の子どもたちと釜ヶ崎の子どもたちとの違いに大きなショックを受けた。「今まで自分が知っていた子どもたちは、親が子育てしていて、お行儀がいい。釜ヶ崎の子どもたちは、言葉や振る舞いは乱暴なんだけど、目がキラキラと輝いていた。これは何や、と驚いた」。実は、荘保さんはそれまで、日雇い労働者のことも、そんな町があることも何も知らなかった。だから怖いともなんとも思わず、ただただ子どもたちの瞳の輝きに魅せられていた。1977年、それまで子どもの遊び場がまったくなかった釜ヶ崎に子どもたちの遊び場を作りたいと考え、フランシスコ会「ふるさとの家」の2階で、学童保育所「子どもの広場」を無料でオープンしたのが始まりだった。最初、ゲームセンターに直接出かけて行って、そこにいる子どもたちに声をかけたら、60人ほどがあっという間に集まった。
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