WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

被爆者に寄り添う女優

斉藤とも子さん

  • 2012.09.25
  • 聞き手…岡田真紀
  • 撮影…落合由利子

斉藤とも子

燈燈無尽 語り継ぐ広島

 2011年8月6日、被爆ピアノが奏でる「イマジン」の調べに乗せて、斉藤とも子さんの透明で力のこもった声が広島の野球スタジアムに響き渡った。原爆によって亡くなった人々の鎮魂と、二度と起こってはいけないという願いを込めた、髙木いさおさんの詩「8月6日」を朗読したのである。  斉藤さんは、「亡くなった人も含めて、自分のなかでは広島への感謝という想いで読ませていただいた」と言う。    斉藤さんは小学6年生の時、母親をがんで失った。同じような境遇の家族が力を合わせるドラマに励まされた経験から、中学2年生の時、女優を志し、NHKドラマ「明日への追跡」でデビュー。青春ドラマや映画『ひめゆりの塔』などに出演し、仕事は順調だった。  斉藤さんに転機が訪れたのは1995年、阪神淡路大震災の年だった。当時、夫と2人の子どもとともに神戸に住んでいた。震災直後、ドキュメンタリー番組の仕事でタイに行った。「私たちは震災でパニックになっていたけど、山岳地帯では水道も電気もガスもない貧しい所で火を起こして、川の水をひいて、お米を作り、鶏を飼って暮らしていた。こっちのほうがうんと豊かだと思ったんですね」。「生きる」とはどういうことか、自分は芸能界で過ごすうちに大事な経験をしそびれたのではないか。いったん大学に入り、学び直そうと思った。高校2年生で中退していたのでまず当時の大検を取り、独力で受験勉強をし、3年浪人してようやく大学の社会福祉学科に合格したのは38歳の時だった。  同じころ、井上ひさし作「父と暮せば」の舞台の仕事が入った。原爆で被爆した23歳の美津江の役だった。美津江が暮らした街を歩き、広島の言葉に耳を澄ませ、比治山を吹きわたる風を感じたいという思いで、広島を訪れた斉藤さんは、偶然、被爆者の女性たちと知り合う。 続きは本誌で...


さいとう ともこ

1961年兵庫県生まれ。99年東洋大学入学、2003年社会福祉士資格取得。著作により、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、日本ジャーナリスト会議市民メディア賞。「かもめ来るころ 松下竜一と洋子」は10月10日より上演。詳しくは http://www.tomproject.com

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