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インタビュー

すりかえられた「復帰」を取り戻すために

安里英子さん

  • 2012.08.15
  • 文 安里英子

安里英子

自然・人・自治の未来

 沖縄にとって日本「復帰」とは何だったのか、と絶えず自問する沖縄がある。だが、これを日本やアメリカにとって、沖縄を日本に「復帰」させることとは何だったのかと置き換えてみる。すると自閉していた私の思考に少し風が吹く。  さらに、さかのぼって考えてみると米軍は、沖縄占領直後には「沖縄マイノリティー」を強調し、さかんに沖縄文化の固有性をたたえた。つまり、沖縄は日本ではないというわけだ。そしてサンフランシスコ講和条約で、沖縄は日本から切り離され、米軍の占領地となった。しかし、24年後、アメリカは沖縄政策を転換させる。ベトナム戦争で疲弊し、軍事予算を日本政府に肩代わりしてもらうためだ。こうして沖縄は、日本に「復帰」させられた。内発的「復帰運動」は、完全に日米の政府によってすりかえられたのである。   1972年、日本政府は沖縄開発庁を設置し、「沖縄振興開発計画(1次から3次計画)」を策定した。同計画は本土と沖縄の経済格差を是正することに大きな目的があった。その結果、あらゆる公共事業がひしめき、土地改良事業、湾港整備、護岸工事など島々の隅々まで開発がなされた。2001年には開発庁は廃止されたが、新たな振興計画が策定された。  だがそれで失われたものは何か。島の豊かな自然であり、自治であり、土着の信仰である。今、沖縄に自然海岸は少なくなってしまった。珊瑚礁の海岸は埋め立てられ、人工ビーチが造営されている。私の暮らす中城湾内には数カ所の人工ビーチが出現したが、どれだけの費用が投じられているか気にする人は少ない。  かつて珊瑚礁の海は食料の宝庫であった。海さえあれば飢えることはなかった。名護市の辺野古の近くに、嘉陽という部落がある。そこで聞いた話は、まるで夢のような話だった。部落には「サグン神」という女神(カミンチュ)がいた。サグン神は、夜に浅瀬の海に入る。眠っている魚を手探りで捕るのである。珊瑚礁の海では、女たちが漁具なしで魚を捕まえることができた。  そのような自然の豊かさに支えられた暮らしの指標を打ち出したのが、復帰直後の73年に策定された「名護市総合計画・基本構想」だった。それは政府の「沖縄振興開発計画」に対抗する形で、「逆格差論」として提案されたものだった。真の豊かさとは、自然の豊かさとムラ(部落)の自治・相互扶助に支えられたものであると宣言している。 続きは本誌で...


あさとえいこ

ライター。沖縄大学非常勤講師。著書に『琉球弧の精神世界』(御茶ノ水書房)など。朝鮮人軍夫問題を考える「沖縄恨之碑会」代表もつとめる

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