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インタビュー

映画『3・11その時、保育園は』監修者

天野珠路さん

  • 2012.07.15
  • 聞き手…大橋由香子
  • 撮影…飯田典子

天野珠路

保育は、終わりのない旅

津波から逃れるため、裏山に必死で登った子どもと保育者。クッキーを4つに割り、水は「ゴックンゴックンじゃなくて、ゴックン、だけね」と分け合った。福島では放射線量が高いので外で遊べず室内でからだを動かす遊びを工夫する保育者の苦悩…貴重な証言を集めた映画『3・11その時、保育園は』(岩波映像)が、第53回科学技術映像祭の特別奨励賞を受賞した。  去年5月から8月の週末ごとに、プロデューサー、撮影者と3人で東北の保育園をまわり、編集にも携わったのが天野珠路さんだ。  「被災地に足を踏み入れるのも、撮影するのもどうなのかなと迷いつつ、そおっと、そおっと、だいじょうぶですか、と訪ねていきました」  映画には、天野さんの軌跡が凝縮している。「友だちには『棚からぼた餅人生』って言われるのよね」と笑う転職歴とは?  学生結婚ののち、ラマーズ法で出産。民俗学を専攻し、卒論は「出産の風景」。国家試験で保育士免許をとりつつ出版社への就職活動もしていた。自分の子を預けるために見学してみると「しっくりくる」保育園が見つからない。そこで、母親たちと共同保育所を作り専従保育士として働き始める。  「楽しかったですね。遊具も手作り、地元の農家で栗拾いさせてもらったり、カマドを作って魚を焼いたり、美術館に出かけたり。思いついたことは、みんなでやっちゃおうというノリでした。親も必ず保育に参加して、預ける側・預けられる側の垣根を低くしてね」  その後、知人に誘われて資格をとり、幼稚園教諭に。新鮮だったが、「公立に勤めれば経済的に安定する」という同僚の言葉で、公務員試験を受験する。  「年齢制限で、受けられるのは八丈島、三宅島と横浜市だけ。島暮らしを覚悟しながら33歳で横浜市に応募し、2次のスポーツテストまでこぎつけようと、猛勉強しました」 続きは本誌で...


あまの たまじ

1958年京都生まれ横浜育ち。19年間の保育者生活のあと、横浜市保育課、国学院大学幼児教育専門学校、厚生労働省保育指導専門官を経て日本女子体育大学教員。「保育な映画講座」を「幼児と保育」に連載中。著書『保育が織りなす豊かな世界』(ひかりのくに)ほか。

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