みんな福島を離れたくないんだよ
人口約116万人の山形県に、1万3000人以上の避難者が暮らしている。その9割はいわゆる〝自主〟避難であり、1万人以上が母子避難だ。
中村美紀さんが、福島県郡山市の自宅に夫を残し、当時9歳、5歳、2歳の3人の娘を連れて、山形県の借り上げ住宅に入居したのは、昨年8月中旬だった。
避難を決めたのは6月上旬。「それまでは絶対残ろうと決めてました」と話す中村さんに理由を聞くと、「失ってみて初めて、自分の故郷がどれだけ愛おしいものかはっきり分かったから」と即答。そこでの暮らしを続けたいと思うことに何か特別な理由が必要なのか―、そう厳しく問い返された気がした。
地震では食器類やテレビが壊れたが、一戸建ての家自体は無事だった。3月15日、夫の会社が用意した茨城県南部の避難施設に娘3人と避難したが、3月末、新学期が始まるという学校からの連絡に「すごく違和感」を感じながらも戻る。
4月末「とにかく除染して福島を何とかしよう」と、表土除去を始めた小学校周辺を一人で測定した。下校路のアスファルト表面は8・7マイクロシーベルト(sv)/時(以下同)だった。
1・5マイクロsv/時前後だった自宅は、高圧洗浄機を買って除染した。「必死でやったけど、ほとんど下がらなかった」。水が流れて行った先の庭の木の根元は、3・8マイクロsv/時あった。
中村さんが避難を決めた理由は2つ。
まず、子どもたちの体調だ。目の下のクマ、口内炎、喉の痛み、アトピーの悪化、鼻血など「チェルノブイリ症候群」と同様の症状がみられ始めた。「普通の鼻血とはレベルが違う。実際に子どもを世話している者にしか、この恐ろしさは分からない」
もう一つは、小佐古敏荘・元内閣官房参与の辞任会見を見た夫が「やっぱり逃げなさい」と言ったことだ。
続きは本誌で...
なかむら みき
1975年、福島市生まれ。栄養士。自宅での料理教室のほか、カルチャーセンターなどでも講座を担当。今も「放射能と食」などをテーマに講座を続ける。避難者交流と情報提供の場「NPOりとる福島避難者支援ネットワーク」理事。