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インタビュー

フィリピン人「慰安婦」を映画にした

竹見智恵子さん

  • 2011.11.15
  • 聞き手…室田元美
  • 撮影…飯田典子

竹見智恵子

男性も性暴力を考えるきっかけに

今年5月、ジャーナリストの竹見智恵子さん初監督の映画が封切られた。『カタロゥガン!ロラたちに正義を!』。フィリピンでロラとは、おばあさんの愛称。ここでは元日本軍「慰安婦」にされ、勇気を持って名乗り出た女性たちを指している。 映画で竹見さんは彼女たちが集うマニラの「ロラズ・センター」をたずね、レイテ島では性暴力の現場となった小学校(日本軍の駐屯地)やベッドまでもが地元で人知れず今も残っていることに驚く。  「フィリピンでは、土足で踏み込んできた日本軍に地元の人々の抗日運動も激しかった。そのため『慰安婦』にされた女性は、ゲリラ討伐作戦で親兄弟を目の前で虐殺されるなど、二重三重の苦しみを受けた人も少なくありません」と語る竹見さんは、レイテ島に通い始めて25年になる。  きっかけはレイテ島に日本のODA(政府開発援助)がらみで銅の精錬所ができたことだった。足尾鉱毒事件の再来がアジアの他国であってはならないと1987年、竹見さんは現地へ取材に行った。そこで20万人の米軍、8万人の日本軍がぶつかったレイテ戦の「実態」を知る。もっとも大きな被害を受けたのが「二頭のあばれ象の間で逃げ惑う蟻」、つまり島の住民だった。まだ生々しく残る、戦争の跡。現地の人が荒れ果てた農地を耕す水牛を必要としているのを知り、支援グループ「水牛家族」を立ち上げた。会員を募り、これまでに70~80頭の水牛を贈っている。  9・11の後、フィリピンでは国軍による反テロ戦争で1000人以上もの人が殺された。そのことを広く世界に伝えなくてはとカメラを持つようになった。従来は文字の人。不登校の問題や靖国合祀問題など「自分が内側から憤りを感じること」について、本も書き続けてきた。70歳を過ぎたいま、映画にチャレンジしてまで、何を伝えたかったのだろうか?
続きは本誌で...


たけみ ちえこ

1939年東京都生まれ。コピーライターを経てジャーナリストに。教育や環境などの市民運動に携わり、87年よりフィリピン・レイテ島の農村支援を行う。著書に『登校拒否はとまらない』(三一書房)、『アボジが帰るその日まで』(共著・梨の木舎)他多数。

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