WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

『シモーヌ・ヴェーユ回想録』翻訳者

石田久仁子さん

  • 2011.10.15
  • 聞き手…鈴木京子
  • 撮影…常見藤代

石田久仁子

比較できる政治家はいない

フランスの政治家シモーヌ・ヴェーユを、ほとんどの日本人は知らない。  68年前に亡くなった日本語表記では同名の哲学者に関する書籍や評論は数多あるのに、ボーヴォワールらと並び、率直な物言いやその生き方によってフランス国民から敬愛されるこの女性については、あまりにも情報が少ない。  本書でその人生を初めて知り、私たちの生きる「情報社会」のいびつさを思い知らされた。  「日本ではフェミニストの間でも一般に『中絶法をつくった人』としてしか知られていないけれど、彼女はフランスにとって、そして欧州にとって非常に重要な存在。回想録はどうしても日本に紹介したかった」。日本語出版の動機を聞くと、石田さんはそう答えた。  1927年、フランスのニースに生まれたヴェーユは16歳でゲシュタポに逮捕され、姉、母とともにアウシュビッツ・ビルケナウ収容所に強制移送される。約1年間の地獄を生き抜いて45年に姉と帰国したが、両親と兄はホロコーストによって奪われた。19歳で結婚し自らの新しい家族をつくり上げた後、戦後新たに女性にも開かれた司法官養成制度を利用して、27歳で社会へ出る。  法務官僚としての最初の7年間、彼女は徒刑囚、とくに女性服役者の尊厳回復と日常生活の改善に情熱的に取り組む。独立戦争が激化するアルジェリアにも乗り込み、フランス秘密警察が暗躍する中で命の危険にさらされていた拘禁中のテロリストをフランス本土へ送還させ、現地刑務所を改善させるための報告書を作成した。  「現在に至るまで、彼女が一貫して、人間の尊厳と人権、特に弱い立場におかれた人の人権に敏感に反応し、その回復と尊重のために立ち向かってきたのは、ホロコーストの体験と直接に結びついている。強制収容所から生還したレジスタンス活動家が英雄として迎えられたのに対し、ユダヤ人生還者はフランス社会でのいわれない差別に苦しめられ、時に支援者からも尊厳を傷つけられた。弱い立場の被害者がくり返し被害を受ける構造と苦しみを、体験的に知っているからだと思う」
続きは本誌で...


いしだ くにこ

1951年、東京都生まれ。演劇を志していた20歳の時初めてフランスに半年間滞在する。その後、82年から5年、97年から1年、フランスで暮らす。パリ政治学院卒。日仏女性研究学会事務局代表。訳書に『シモーヌ・ヴェーユ回想録』(パド・ウィメンズ・オフィス)ほか。

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