海女たち 愛を抱かずしてどうして海に入られようか
ホ・ヨンソン 著 姜信子、趙倫子 訳
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海女たち 愛を抱かずしてどうして海に入られようか
- ホ・ヨンソン 著 姜信子、趙倫子 訳
- 新泉社2000円
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済州島は韓国本土の南西90㌔沖に浮かぶ火山島で、海女漁が伝統的だ。本書は済州島生まれの著者ホ・ヨンソンが海女たちの人生を綴った詩集。
ひとり海に潜り漁をする海女の仕事は過酷だ。その上、済州島の歴史は苦難の連続である。日本統治下で、海女たちは、朝鮮全土・日本・中国・ロシアへ出稼ぎ・徴用され、1930年代には、延べ1万7130人が参加した抗日海女闘争があった。また解放後の島民蜂起の弾圧「四・三事件」では島民の9人に1人が虐殺された。
四・三事件を追い続けるジャーナリスト出身の著者は、海女たちの胸の奥にある記憶を掘り起こし、詩として結実させた。海女たちが海面に浮かび上がる時に、たまりにたまった息を吐く磯笛のような、水の詩に耳をすます。それは絶望の歌でなく、生に続く希望の歌だ。
「あの海 あの水音がやってくる あふれる音 そして おまえはわたしだけのこの歌を聞いておくれ」(「海女キム・スンドク」より)(晶)
新敬語「マジヤバイっす」 社会言語学の視点から
中村桃子 著
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- 新敬語「マジヤバイっす」 社会言語学の視点から
- 中村桃子 著
- 現代書館2200円
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「マジっすか」のような「ス体」会話を、みなさんはどこで聞いたり読んだりしただろうか。著者は「女ことば」の成立や分析を専門とする社会言語学者。ス体は、主に若い男性が使う敬語や丁寧語だが、だからといって特定のことば遣いを特定の集団が使うと決めつけるのはことばによる集団のステレオタイプ化にならないか、と著者は言う。日々接する学生たちの会話を量的分析し、ス体が使われる場面、範囲、社会的意味付けをジェンダー視点で解く。そしてス体は敬語でありつつ、相手への親しみを含むと見る。
また、世の中的にはCMでス体を使わせ、伝統的な男らしさに茶々を入れたり、女性にもス体を使わせ新しい女性性が広がるのかも、と思わせる。
ことばはホントに動いている。今や「新敬語」のス体は、堅固な社会人男性社会に風穴を開けるのか? ジェンダー横断的なことば遣いは社会も変えうるのか。ことば遣いから社会を見るのって、超面白い。(三)
まつろわぬ者たちの祭り 日本型祝賀資本主義批判
鵜飼哲 著
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- まつろわぬ者たちの祭り 日本型祝賀資本主義批判
- 鵜飼哲 著
- インパクト出版会2500円
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「復興五輪」を掲げた東京オリ・パラに対する「祝賀資本主義」批判がテーマだ。収束不能の原発事故の渦中に、あろうことか五輪を招致。TOKYOは「フクイチ」からわずか200㌔のメガロポリスだ。著者は「東京へゆくな(谷川雁)2020」とした序文で、1964年五輪を批判した谷川に応答し、「力をつくして未来の前に立ちはだかること」が「未来に対する唯一の正当な儀礼」と決意表明する。文章は、研究者の枠を超え積極的に社会運動と関わる著者の、強い怒りに満ちている。
批判的五輪研究のジュールズ・ボイコフは、ハレの場を利用した搾取の強化を「祝賀資本主義」と命名したが、この国の五輪批判は抗い難い祝賀の宗教性=天皇制抜きには成立しないと著者は言う。1998年国旗国歌法反対運動の仲間と開催した「まつろわぬ者たちの祭り」を書名とし、この3月の五輪半年前セレモニーへの抗議の写真が裏表紙だ。闘う仲間としての著者の矜恃を感じた。(の)