一坪反戦通信 Vol.81 一坪反戦通信 82(1997.3.6)

軍用地を生活と生産の場に!
No. 82
1997年3月6日
東京都千代田区三崎町
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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック


◆本号の主な記事 ◆


ついに始まった公開審理

圧倒的だった前日の集会

 「NTT会館プラザ・でいご」は那覇消防署からクレームがつくのではないかと思われるくらい人が集まり、「そちらの窓を開けて、この熱気を外に伝えましょう!」と声がかかるほど。――こんな中で違憲共闘主催の公開審理闘争勝利決起集会は第一回公開審理前日の97年2月20日18時に始まった。

 発言はいずれも力強い闘いの幕開けを訴えるものだった。

 有銘議長:大田知事の「公告・縦覧代行」応諾までは行政主導の闘い。公開審理では地主が主役!(猛烈な拍手)

 反戦地主会・照屋会長:本土の各地からこんなに仲間が集まった。5年・10年前とは大違い。「象のオリ」の知花さんは、ひとりで政府をテンテコマイさせている。いま、土地を貸さないという地主は、その3000倍!沖縄から出発して日本を変え、アジアの人々と共に喜怒哀楽を分かち合えるようになるまで、確信をもってやっていこう。(強烈な拍手)

 弁護団・阿波根代表:明日の発言時間は二時間しかない。でも明日は闘いの始まりだ。

 集会アピール

 怒りをもって冷静に 私たちは標的にされている/銃弾が私たちの/体を射抜いていく/それでも私たちは立っている(中略)/倒れないように/私たちは支えあっている/支え合いながら私たちは怒っている/百姓一揆もなかった沖縄の/私たちは怒っている/穴だらけにされては/台風に平然とした石垣の石も怒るだろう(中略)/私たちは命に満ちた/島々と海浜を取戻すため/(中略)頭は冷静を保って/熱い戦術を上げよう/巨大な相手とわたり合うために。(高教組の青年が朗読)

 当日=2月21日正午。沖縄の青い空を背にしたモダンな鐘楼(しょうろう)に吊された沖縄の平和外交のシンボルとも言うべき「万国津梁(しんりょう)の鐘(レプリカ=複製)」の下で事前集会。

 「舟楫を以て万国の津梁となし」(舟をもつてあらゆる国々への懸け橋となる)と刻まれている。


 「人殺しのための基地に土地を貸すことはできない!51年間の米軍・日本政府による沖縄差別と抑圧を糾弾する!」と力強く訴える崎原盛秀さん(一坪反戦地主会・代表世話人)らの熱気に、会場に到着した那覇防衛施設局・施設部長らは30分以上立ち往生。
 “先手必勝”の勢いで、会場に入る。全国からつめかけた仲間は1000人余り。会場の最前列に並んだ反戦地主たちは、開会直前に「米軍居らん時や平和やたん 安保ん押しぬきて我だ沖縄取戻さな!」と大きく書いた横断幕を広げる。
 審理の冒頭、兼城・県収用委員会会長は「県収用委員はいずれの立場にも偏らず、独立し公正・中立な実質審理を行う」と明言。
 意見陳述の最初は、那覇防衛施設局の坂本施設部長。名乗り終わると、「局長はどうした!」と声が飛ぶ。強制使用の責任者の欠席は、自らの非を認めたのも同然な行為。
 「とても人間の陳述とは思えない、強制使用マシン」(阿波根昌秀弁護士)の坂本施設部長。その陳述は、憲法違反の安保賛美論に基づく盗人たけだけしいものなので、ここでは省略。

 その後の陳述がすばらしかった。会場からは割れんばかりの拍手。

嘉手納の地主・有銘

 過去三回の審理は安保優先の強行審理。今回は平和を決意した憲法前文、戦争を放棄した第九条、財産権を侵してはならないと規定した第29条に基づいて、収用委員会の名誉にかけて公正な審理を!戦後51年たっても自分の土地に帰れない我々は、今も戦争難民。これらのことを解明する実質審理をお願いする。

那親軍港の地主・親泊

 那覇軍港内に市有地を所有する地権者として、30万那覇市民を代表して発言する。ウチナーンチュにとって沖縄戦の体験は忘れることができない。軍は住民を守らなかった。軍は住民にとって危険である。市有地を米軍に提供しない理由はここにある(那覇軍港は返還合意されてから8423日たっている)。

那覇市代理人・金城

 財産権の保障される今日の世の中で、安保条約に基づく強制便用は公共性に基づかない。沖縄の50年は、基地あるがゆえに正義を踏みにじられてきた。沖縄の解放をめざし、世界の平和をめざして、歴史に残る審判を!

嘉手納の地主・照屋

 私の土地は明治の頃、祖父が砂糖黍労働者として貯めた金で手に入れたもの。この苦しみにどう応えて、この土地を使うのかが私の責任。沖縄はアメリカと日本の軍事植民地。沖縄の痛みを全国に散らさずに、沖縄で痛みを治すべきだ。

普天間の地主・新崎

 防衛庁長宮は「20坪に600人。一坪などととは言えない」と言った。不法な手続きで士地を使用している政府こそ、盗人たけだけしい。普天間の土地を返せば、この一坪地主はいなくなる。早く返しなさい。まともに審理をすれば期限切れになるのはあたりまえ。その審理を無視して、特措法の改悪を狙う政府は、自ら法治国家であることを放棄するもの。

 ここで一坪関東ブロックの上原・関西ブロックの阪根両人が、新崎さんの持ち時間を譲られて、飛び入りで「関東や関西でも審理を開いて」と訴え、ステージに登って収用委員会会長に直接要望書を手渡し、ここで両者が堅い握手。

阿波根昌秀弁護士

 収用委員会の公正と中立は、憲法や土地収用法の要求する大前提。公開審理は、単に当事者の意見を聞くだけでなく、証拠調べ・参考人の意見聴取等もしっかりやってほしい。

河内謙策弁護士

 海兵隊には日本防衛の任務はない。安保を仮に合憲としても、海兵隊は安保条約第六条違反。重大かつ明白な暇疵(傷、法律的な不備のこと)があるため、申請は却下すべきである。

池宮城紀夫弁護士

 普天間基地返還は東海岸へのタライ回し。殺され続けた沖縄の海をさらに広げようとするもの。公開審理中は使えるように法を変えるというのは、泥棒に入った者が「出ていくまでは入ってもいいという法律を作っていますから、待っていて下さい」というのと同じ。とんでもないことだ。

 これらの批判や主張に、那覇防衛施設局は果たしてまともに答えられるのだろうか?次回が楽しみ。第一回に参加できなかった方、ヤマトでの開催を待ちきれない方、次回第二回は3月12日午後1時30分から沖縄市民会館で行われる


公開審理ツアーに参加して

気負いなかつた現地の運動 Y・W(会員)

 東京で生まれ育った在日二世の私は、六年半ぶりの沖縄訪間であった。公開審理を控えて演習を自粛しているらしく、平穏な観光地としか感じられない(数日後には県道104号線越え演習開始の報)。

 しかし、基地がこの島の中心を占領している状況には、いささかの変化もない。普天間基地にしても、遠望しただけで施設の老朽化がうかがえ、新しいものに換えるだけという返還の実相がみてとれる。それでも明るく気負いのない自然体での現地の運動には、こちらが励まされる思いが強い。特に訪問地の一つである本部町豊原地区においては、不慣れな援農に出かけた我々に対して迷惑がらずに歓待して頂いた。怠け者の私としても、また手伝いにこなければと感じた。 このような心優しき住民が大多数を占める沖縄には、いかなる軍隊や基地も不要との意思を再確認できた、有意義な旅となった。とにかく序盤戦に突入したばかり。粘り強く頑張らねばと自戒を新たにして。

だれのための“平和”か? F・T(会員)

 公開審理は、安保が一体だれのためのものかを鮮やかに示してくれた。あたりまえに平和に暮らしたい人々の思いを踏みにじる安保って一体何なのか!今、全国至る所で〃国策〃の名のもとに、その土地の人々が被害と犠牲を揮しつけられている。基地もその一つ。地域振興と言いくるめて金を使って黙らせ、迷惑施設を押しつける。

 歴史に耐えうる審理=実質審理という合意をもって今回は始まった。それはきちんと相手と反論し合い、議論を重ねることだ。何なら総理が出席して反論すればいい。ところが起業者=那覇防衛施設局・施設部長は審理中、目をつぶって硬くなり、終わると逃げるように帰った。 理に適った反論を国はできるのか、全国で注目しよう。もし反論もできず、言わせっ放しのまま収用委員会が国寄りの結論を出すとすれば、国からの不当な圧力があった証拠だ。だって収用委負会は県が人選したのだから。これは、あたりまえに平和に暮らしたいすべての人々にとって重大な問題になるのだ。

自分の目で確かめた沖縄の闘い S・T(埼玉新聞労組)

 昨年九月の大田知事による公告・縦覧応諾以降、大手マスコミは「沖縄問題は終わった」とのスタンスとなり、沖縄関連の記事は、減少した。しかし沖縄側の当事者の発言や雑誌などに寄せられた文章などを、聞いたり読んだりすれば、沖縄問題が終わっていないことは、私でもわかった。それを頭で理解するだけでなく、自分の目で確かめたいとの理由から、このツァーに参加した。結果は終わっていないどころか、新たな闘いが熱く始まろうとしていた。さまざま情報が入り乱れる社会で、自分で、世の中の動きを確かめ実感することの大切さを、ツァーで改めて学んだ。また、誇りと自信をもって行動している沖縄の人達に接することができ、自分の生き方そのものを考える機会にもなった。

 このツァーを企画された関東ブロックに感謝したい。

50年の生活の重みある声 I・M(南部連絡会)

 今回のツァーに私が参加できたのは、昨年来私の住む大田区でとりくまれてきた「反戦地主の呼びかけに応える南部連絡会」の活動があったからです。昨年九月頃、沖縄から反戦地主や違憲共闘のメンバーが東京にやってきた時、交流母体として出発した「南部連絡会」ですが、年明けから沖縄に仲間を送り出すカンパを呼ぴかけてきました。去る2月10日の「沖縄軍用地の強制使用を許さない! 南部の思いを公開審理に 2・10集会」と銘打った激励集会までに集まったカンパで、労働組合の南部全労協から二名、市民運動から私と大田福祉工場のSさんの二名がツァー参加費の援助を受けました。私は障害者・高齢者への在宅生活サポートの活動を地域でやっており、取り組の始まった時ははとんど参加はあきらめていて、“私には関係ない”〃と思っていました。具体的にに“行ったら?”と声がかかったのが2月8日。「サポートぱんぷきん」の仲間に翌日、“私が抜けて大丈夫?”と体制を確認して、スタッフの仲間達からポン!と背中を押されて、2月10日の集会に臨みました。ツァーを準備されてきた関東ブロックの事務局の方には、飛び込み参加で迷惑をかけてしまいました。南部からの二人はツァーにギリギリ押し込んでもらった形でしたから。私は今回初めての沖縄です。沖縄返還時の72年以降、沖縄への思いは持ち続けてきました。5月14日にやってくる米軍用地特別措置法による土地強制使用期間の終了に向けて防衛庁は、さらに強制便用を続けようと手続を進めてきました。その国側の申請を大田知事が任命した県収用委貴会が裁決することになっています。そのための意見聴取の手続が今回の公開審理でした。

 昨年来の沖縄での基地撤去の闘いの盛り上がりと県民投票で意思が明確になったこともあり、収用委員会の立場は民主的、中立的な司法のものでした。

 1000名を越える参加者・反戦地主の声は、防衛施設庁役人の「安保により沖縄の基地はこれからも末長く使用されるべきもの」等の事業説明の卑小さを浮き立たせていました。

 反戦地主の一人一人が、50年の重みをもって沖縄で生活している中からの声をあげました。嘉手納基地内にあった村の復元図を示して、奪われた軍用地がかつて生産・生活の場であって、「不当に侵され続けている土地・ふるさとを返せ!」と、静かに力強く訴えられ、心に響きました。

 沖縄の反戦地主の声は非戦を誓った現憲法の原点であり、安保の違憲性をみごとに映し出していました。

 「第一回収用委員会公開審理は、導入のための立場表明・実質審理はこれからと反戦地主の方々が語っておられたように、地主の声を対等・公正に判断するための実質審理は始まったばかりです。ぜひ次回3月12日の審理にも多くの昔さんが参加するよう、呼びかけたいと思います。現地に行って感じる“沖縄の心”はおおらかでした。


公開審理を終えて

島袋善裕(反戦地主) 東京でも反安保を

・あなたの出番は次回以降ですが、今回聞いていてどうでしたか?

 島袋 やるしかないよ。

・次回からはどういう意見を述べようと思っていますか?

 島袋 特別考えていない。状況見てね、しやべろうと思ってる……。

・あと東京の人たちに訴えることは?

 島袋 沖縄の応援だけでなく、東京でも問題は安保だから、安保をなくすようにがんばってはしいよ。

・ではまた、次回以降に。


施設局を厳しく追及した?

模擬審理に参加者が注目

 関東ブロック主催の「公開審理とはこんなもの・模擬公開審理つき」集会は、第一回公開審理を一週間後に控えた2月13日に豊島区民センターで開催され、340人が参加した。五年前の審理のビデオ上映後、運営委員扮する反戦地主がニセ那覇防衛施設局を追及する模擬審理に会場は沸いた。また沖縄から駆けつけた宣保幸男さん(違憲共闘・前議長)の熱の入った講演に熱心に聞き入った。

 集会はまず五年前=91年8月当時の公開審理のビデオ上映。当時、収用委員会の「受理権限」不存在論をめぐって、審理の「入口の入口」で大もめにもめ、審理といっても違う意見のぶつかり合いの連続。参加した関東ブロックの上原成信さんは「ウチナーンチュ同士でこんなにも争わねばならないようなこと(強制使用)自体やめるべきだ…」と嘆いたほど。大もめのビデオに会場は静まりかえった。

 次に模擬審理。その上原成信さんが那覇防衛施設局の施設部長に扮すると紹介されて、会場は爆笑。関東ブロックの運営委員が扮する反戦地主をものともせずになぎ倒し、追及する側も目を白黒。

 「基地内への立ち入り要求」に対してこのニセ施設部長、「立ち会いは実施しております。立ち入りは収用委員会が行うものです」。安保条約の「アジア・大平洋への拡大適用」は不当という批判には「昨年四月に日米間で合意しています」ときた!一坪地主に「初めから強制使用手続き」とはひどいじやないかと迫ると、「一坪の会則では『軍用地を生活と生産の場に!』となっているので、合意契約は得られないと判断しました」と逃げた。しまいには「あなた方は政治というものを知らない。政治というものはその時その時でいろいろ変わるもの……」だと反論。

 ただし、税理土の加藤会員が反戦地主への重課税批判を、具体的税に即して数字を挙げ「反戦地主であるために、その思想・信条が理由になっての倍近い課税」は不当と追及すると、この時ばかりはさすがにタジタジ。

 次に宣保幸男さんは、この模擬審理がよく再現できていて「ほんとうは怒りが沸かなくてはならないところだが、楽しくてしかたがなかった」と述ベ、「政府・防衛施設局がメチャクチャなことを続けるのなら私たちには基本的人権に基づく抵抗権を行使するだけだ」と、これまでの強制使用批判の講演。SAC0(日米特別行動委員会)最終報告での普天間移転をめぐる経過についても報告した。


第13回関東ブロック総会・記念講演

自らの責任で安保に立ち向かう行動を

崎原盛秀(さきはらせいしゅう)さん
(沖縄一坪反戦地主会・代表世話人)

 みなさん、こんにちわ。

 昨年秋に大田知事が米軍用地強制使用のための公告ご縦覧代行を応諾してから、沖縄はチルダイ(弓の弦がピンと張らずダラーとしているようす)しているのではないかと言われていたようです。しかしそんなヒマもありません。行政と一緒にやる運動はひとまず区切りをつけて、われわれは大衆運動の立場から反安保の闘いをやっていきます。

 基地を抱える全国の市町村で運動する人達のネットワークができつつあります。韓国では反米軍基地の闘いを進めてきた人達が、沖縄と連帯してアメリカを包囲しようとする動きもあります。彼等は2月21日の公開審理には50人が参加します。

 (昨年)12月に示されたSAC0(日米特別行動委員会)報告の中身はどうでしょうか?北部訓練場を初めとして対象の施設は、すべて県内移設を条件としています。日米政府が一年かけて検討した結果がこれです!これは、米国が軍の機能をこれまでどおり維持することに加えて、戦力強化をはかろうとしているものです。そして日本政府がはっきりとそれを支えていこうとしていることを示しています。

 安保が強化されればされるほど、犠牲になるのは沖縄です。なぜなら沖縄は安保の要だからです。

 政府は、普天間飛行場の代替ヘリポートをキャンプ・シュワブ沖にもっていこうと、振興策を抱かせることで地元の同意を取りつけようとしています。しかし名護市では市民や労紐が市長に反対を追り、旧久志村や東村では住民が次々と反対の声をあげています。

 一方、基地の縮小がなかなか進まない中で、ヤマトヘ持っていくべきだという言い方もされています。しかしそれは基地を拡散するだけで、解決にはならない。やはり全面撤去しかないと思います。

 いま、ひとりひとりがその責任において、安保に立ち向かう時ではないかと思います。労働者であれば職場で、たとえ30分でもストを打てるような行動を。民衆は民衆の立場で。

 そして象のオリが昨年の四月からずっと不法占拠されつづけていることを、常にアピールしていかねばならないと思います。そうでないと、国家は何でもできるということになって、そして現実にやっています。これを見逃しているといつかは必ず自分の問題になっていきます。

 苦しい時もありますが、みなさん希望をもって楽しく闘い続けましょう!

(文責野口)  


九七年の抱負★★つづき

今年も演(や)ります憲法ミュージカル

 老人福祉施設の汚職事件で、全国の注目をあびている彩(さい)の国。その埼玉で、まともな市民たちが「アイ・ラブ・憲法」というミュージカルを行っています。憲法を身近な間題として、ミュージカルで表現し、市民レベルで浸透させようという考えで、93年に開始した一般市民(素人)中心[監督・音楽・振付などはプロ]の活動です。96年は4500の観客の絶賛を博しました。テーマは阪神大震災と沖縄でした。

 新憲法制定以来50年、庶民に対する人権無視はいつまで続くのか。私たちは今年も憲法の理念を実現するべく、現実に切り込みます。(浦和・O・K=会員)

 中学校以来の友人であるKは、琉球色の一杯の泡盛を飲み干すと「土地を耕し作物をつくるという事ほど楽しいものはない」と嬉しそうに言った。

 Kは那覇軍港に隣接する那覇市垣花で運良く米軍による強奪を免れた猫の額ばかりの土地で父親と共に汗を流した幼少の頃を語り始めた。

 Kの話は続く。父親は土地が米軍によって接収されたため、農業を諦め、米兵相手のバーを経営する。しかし、ある重大な事件が起こる。深夜、女を探す酒に酔った米兵にピストルで撃たれ、命を奪われそうになったこともある。

 Kは契約地主関係者である。しかし軍事基地の固定化には否定的である。朝日が窓を射した頃、Kは目を覚まし突然踊り始めた。

 今年も荒れる年になると思うが、Kと共にディスコで流行っているらしい踊りを、奪い返した土地の上で踊ってみようと考えている。

(一坪地主・『ひめゆりの怨念火』著者=知念功)


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