照屋秀傅さん(反戦地主会会長)

 わたしは嘉手納基地内に土地を持っている、照屋秀傅です。今日は第一回の公開審理ですから、自己紹介をし、さらに、なぜ自分の土地を軍用地に提供してこなかったのかということの話をしていきたいと思います。

 わたしが持っているこの土地は、明治のころ、私の祖父がご飯も食べれないほど貧乏であったためにハワイに出稼ぎにいきまして、さとうきび労働者として額に汗し爪に火をともす思いで貯めたお金でつくった土地です。この土地をどう大切に使うのか。それこそ、あの苦しみにどう応えていくような方法で使うのか。これが所有者のわたしとしての自由です。
 しかし、戦後51年、半世紀以上も地主の承諾も得ずに強権的にとりあげられているこの実態をいったい許していいのかなあ、ということであります。

 先ほど防衛施設局の方は、われわれの土地は強制使用のなかでは1%に満たないと。毎回のことですね。そういう言い方があるわけですが。しかし、多くの契約をしている方々は、契約書をほんとに見ていません。わたしの周囲の契約地主のほとんどが、ある時どこそこの公民館に印鑑をもってきなさい、ということで、B5の紙、――委任状かもしれませんが――、印鑑をおして出すわけです。その印鑑は普通の印鑑だったら、印鑑証明をして、実印というのが本当です。しかし、いま契約をしている多くのかたが、印鑑証明ももっていかなければ、文房具屋にあるあの三文印をですね、持っていけば契約されると、こういう状態です。仮にだれかが照屋という印鑑を、300円か400円くらいの印鑑を買って、そこにサインすれば照屋秀傅が契約をしてるから、と。そういう非常に不合理な形でですね、非民主的な形で契約を強要するのが現状です。

 さきほど、有銘さんが地図を出してらした。嘉手納飛行場の難民は、大きなホールにミニチュアの昔の村を回復しようとやっている。これは数年前のテレビで放送されたもので、ずいぶん気の毒だという記憶もあるわけですが……。なぜ、契約をしている60代70代の方がああいう地図をつくっているのか。こういう風なミニチュアをつくっているのか。そういう方は契約はあったけれども、自分たちが生きている間に昔の村へ行ってみたいな、そして孫たちや曾孫たちに昔の思い出の場所を見せてあげたいと。その心からの願いなんですよ。それを地図に表現し、ミニチュアの村に表現しているのが現状です。喜んで基地に土地を貸している人たちは、ぼくが思うには一人もいないだろうと思うんです。

 わたしたちは戦前、丘の上にのぼって読谷や北谷の海を見たら、アメリカの軍艦があって海がみえないくらいだった。それですぐやんばるに逃げていきました。あれからしばらくして帰ってきましたら、わたしたちの村はもう入れない。村の70%が、バラセンで囲まれていて、中に入れなかった。

 わたしは時間もありませんから、えー、なぜ、まあ、自分が反戦地主になったのかなあと考えますと、とにかくわたしたちの土地がかつての戦争、朝鮮戦争、直接、ベトナム戦争、ベトナム戦争は10年間直接飛びましね。それから湾岸戦争。わたしたちの土地から飛び立った爆撃機がアジアの人びとを殺戮していく。アジアの人びとの人権を蹂躙していく。生命、財産を焼き尽くす。と同時に、わたしたちの土地からでていく。演習、米兵、それが沖縄の人たちの人権、生命、財産、誇りを奪っていく。

 もっとも大きいのが去った50年前の戦争です。わたしはあの時、国民学校の1年生でした。先生方や兵隊たちから、――学校の一部は日本軍の兵舎になっていますから――、話はよく聞いた。「戦争になったら、兵隊さん、友軍のところに逃げなさい」と。「そうすると、友軍の兵隊があなたがたを守ってくれる」と、こういってるわけです。しかしどうですか。やんばるに逃げたひとたちは、戦死した人は少なかった。実は、おふくろが、名護のほうで、えー、雨ふれば濡れるし、かぶるものもない。そういう状況の中に親子でいましたが……。しかし、南のほうに逃げていった人たちは、あの凄惨な状況を押しつけられた。

 沖縄人の教訓からすれば、軍隊は人民を守らない。そのことをわたしたちは確信をもって、言えるんではないか。

 わたしはこのおじいちゃんから受け継いだ、この土地を、もとのままにして、豊かなものにし、豊かなみどりに、ゆたかな町をつくって……。

 軍事基地は、軍隊は、民主主義は教えないです。人権は教えないです。平等も教えない。なぜか。平等を教えると、人権を教えると、これは、戦争をきらいになります。なにを教えるか。差別と偏見、そして人命軽視。これを教える。軍隊はどこの軍隊でもそうなんです。

 だから僕は自分の土地は自分で活用し、そして周囲のしあわせのために使いたい。だからわたしの土地は一日も早く返して貰いたいというような思いです。

 劣化ウランの問題、特別立法の問題。これを押しつけられて、がまんできますか。わたしは日本国民と思ったこともあるけれど、多くの時間はそう思えません。沖縄は日本とアメリカの軍事植民地なんだなあ。そしてこの沖縄の軍事植民地になっている基地が全国に分散されていく。「沖縄のうらみを全国民に。」「沖縄のいたみ、全国に。」これ、わけられますか。いたみはひどくなるまえに直さないといけない。だから、全国に分散されていく沖縄の軍事基地は沖縄でなくさないといけない。

 今日はここで終わりにいたしまして、次回はとことんとお話をしたいと思います。えー、収用委員会のみなさん、大変ありがとうございました。

会長:ごくろうさまでございました。次に新崎盛暉さんに陳述をお願いしたいと思います。


 出典:第一回公開審理の録音から(文書おこしは比嘉、編集は丸山

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