米軍用地強制使用裁決申請事件

同  明渡裁決申請事件

  意見書(一)


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 四 地籍明確化作業とその法的性格  1 位置境界明確化法の構造 (一) 地籍調査は、本来国土調査法に基づき実施されることになっている。しかし、 沖縄においては、沖縄戦の戦禍により公図・公簿が消失し、現況のほとんどが変形し たことから国土調査法に基づき地籍調査を実施することが極めて困難であった。それ は、同法に基づく地籍調査が土地登記簿、公図の存在を前提として、地籍調査資料に 基づき「現地において関係土地所有者らの立会いのもとに、各筆の土地につきその土 地の所有者、地番、地目及び境界に関する調査を行う」ことを基本としていたからで ある。ところが、沖縄では右事情からこの「現地における調査・確認」という手法で は土地の位置・境界の調査・確認が行えなかったからである。そのために、特別の地 籍調査手法を採用した特別立法たる「位置境界明確化法」が制定されるに至ったもの である。 (二) 位置境界明確化法は、沖縄の右特殊事情を踏まえて「現地における調査・確 認」という手法によらずに「土地所有者の集団合意」による地籍確定という手法を採 用した。すなわち、(1)土地所有者の総会で協力委員を選出して、基礎図の作成に協 力させて基礎図を作成し(令第三条)、(2)所有者全員の合意により対象区域の基礎 図を区分して一定の数の区域に分けた上で(法第八条一項、令第四条)、(3)所有者 に対し区分された基礎図に基づき図上で自己の土地の位置・形状を確認することを義 務づける(法第一〇条一項)、(4)所有者は同義務に基づき協議しながら、先ず土地 の配列図を作成し、次に配列図を小さなブロックに区分し、区分された小ブロックの 中で各土地の面積・形状を考慮しながら各土地を割り付けて「地図編纂図」と称する 図面を作成し(領第一六条、一七条、一八条、法第一〇条二項、領第一九条)、(5) 所有者が地図編纂図に基づいて図上で各自の土地を確認させる(法第一〇条二項)、 (6)そして、確認された地図編纂図に基づいて現地に土地の位置境界を示す杭を打ち、 所有者に現地確認を行わせ(法第一二条三項)、(7)現地で立会し納得した所有者に ついて現地確認の署名・押印を得る(法第一二条四項)、(8)これにより、調査図が 作成されることとなる(領第二一条)。  右調査図作成に至る手続きで明らかなように、位置境界明確化法の地籍明確化作業 は、国土調査法に基づく地籍調査と全く手法を異にするものである。本件審理におい ては、この点を正確に認識することが重要である。  位置境界明確化法においては、右(1)ないし(8)の手続きを経ないと、地籍調査の基 礎となる調査図が完成しないのである。従って、(1)ないし(7)のうちの一つでも欠け ると調査図が作成されないこととなる。 (三) 位置境界明確化法は、右手続きで作成された調査図を国土調査法の調査図に 準ずる図面として取り扱い、同調査図に基づき(1)所有者、地番、地目の調査、一筆 地測量、面積測定を行って地籍簿案を作成し(法第一四条一項)、地籍簿案及び地籍 原図の閲覧を経て「地籍簿」及び「地籍図」ができ、それが「認証された国土調査成 果と同一の効果があるものとしての総理大臣の指定」を受けて初めて「地籍簿」及び 「地籍図」となるものである。  従って、調査図が作成されないと、右手続きが進められず結局「地籍簿」及び「地 籍図」が誕生しないこととなるものである。  2 地籍明確化手続きの法的性格 (一) 右指摘で明らかなように、所有者の集団的合意は「調査図」を作成するため のものであり、決して「地籍簿」及び「地籍図」を確定するためのものではない。  「地籍」は総理大臣の指定(認証された国土調査成果と同一の効果を付与する)によ り公権的に確定されるものであり、決して、所有者の集団的合意により確定(又は効 果を付与)されるものではない。世上、「位置境界明確化法は土地所有者の集団的合 意により『地籍』を確定するものである」と評されることがあるが正確ではない。あ くまで「地籍」は公権的に確定されるものであり、私人の意思により確定されるもの ではないことに留意すべきである。土地所有者の集団的合意は、地籍を確定する手続 きの前提・基礎となる「調査図」を作成するための手続きに過ぎない。 (二) 従って、調査図作成の前提となる土地所有者の集団的合意を取り付ける手続 きにおいて、一人A地主が同意せず、隣接のBCDEの各地主が全員同意している場 合にあってもBCDEの同意が地籍を確定する上で法的に何らかの意味を持つことは あり得ない。調査図そのものは何ら法的効果を有するものではなく、従って調査図作 成の前提となる土地所有者の合意も法的効果を有するものではないからである。(前 述のように、地籍は公的性格のものであり、私的性格を有するものでないことを考え るとこのことは明らかである。)  これまでの国の主張の中に、隣接地主が全員合意していること、同意しないのが反戦 地主一人であることを強調して、このことを理由に「地籍が特定している」かのよう に主張する説明・記述が見られたが、それは誤ったものである。  五 本件審理における地籍不明地の具体的態様  1 キヤンプ・シ−ルズ内に所在する島袋善祐所有の地籍不明地について (一) 「裁決申請土地は特定されている」との主張は、地図編纂図に基づくもの (1) 島袋善祐氏は、キヤンプ・シ−ルズ内に沖縄市字知花曲茶原二二九一番の土 地一筆を所有するものである。  右二二九一番の土地は、戦前からお茶を栽培していた地域に所在していた土地であり、 島袋氏の親も同土地でお茶栽培をしていた。沖縄戦でほとんどの土地が現況を変えた 中で、右土地は幸いにも戦後も現況を残し島袋氏の家族は何年か戦後も右土地でお茶 を栽培していた。そのため、一九四六年頃の当時、比較的に土地の形状・位置を確認 し易すい状況にあった。島袋氏は、一九四六年当時始まった土地所有権申告作業の中 で右二二九一番の土地についての土地所有権申告をなし、部落で選任された土地委員 の調査・立会いの下で土地所有権の認定を受けたものである。当時は、部落民が自由 に土地内に立ち入り耕作を行える状況にあったものであり、右調査・確認は十分信頼 できるものであった。ただ、所有権認定がなされた当時は測量器具、測量技術が十分 でなかったことから、当時作成された図面は復元力を有せずその意味では不正確なも のとなったが、土地の形状と土地の配列(隣接知主が誰であるか)は右器具、技術不 足に左右されないものであり極めて高い信頼性を有するものであった。 (2) 那覇防衛施設局は、一九七七年五月一五日に島袋氏を基地内に立ち入らせ、 同局が作成した「地籍照合図」に基づき右二二九一番の土地を復元して現地に杭を打 ち、島袋氏に対し同人の土地を指示して示した。右立ち入りについては、新聞記者及 び同人の代理人弁護士新垣勉も同行し右土地を確認しており、その際の写真も残され ている。しかし、現在那覇防衛施設局が今回裁決申請用土地として示している本件土 地は、右土地から十数メ−トル離れた所にある全く別な土地である。那覇防衛施設局 長は、一九七七年五月一五日に島袋氏に対して示した土地と今回の裁決申請土地が異 なるという島袋氏の主張に対して一切答弁していない。これは、一九七七年五月一五 日当時那覇防衛施設局長が調査して島袋氏の土地と特定した土地は、本件裁決申請土 地と異なるものであることから、自己に都合の悪い事実について無視しようとするも のであり、公益の代表者たる国として許されない不誠実な態度である。思うに、那覇 防衛施設局長が一九七七年当時調査して特定した土地は、今回の裁決申請土地と異な ったものであったが、地籍明確化作業の中で関係地主が「地図編纂図」を作成する際、 島袋氏の二二九一番の土地を今回の裁決申請土地に割り付けたことから「地図編纂図」 を根拠に「地図編纂図」上の「二二九一番」の土地を島袋氏の所有地と主張するに至 っているものと推測される。これは「地図編纂図」が図上での関係地主の協議により 編纂されることから生ずるものであり、右島袋氏の土地の特定の変遷は、地籍明確化 作業の「地図編纂図」の恣意的(又は談合的)性格を如実に示すものである。 (二) 島袋氏は「地図編纂図」を確認したことはない。  本件土地は、位置境界明確化法に基づき作成された「地図編纂図」に基づき那覇防 衛施設局が「二二九一番」の土地と主張している土地であり、二二九一番の土地とし て地籍が確定されている土地ではない。  しかし、島袋氏は右「地図編纂図」を確認(又は同意)したことはない。位置境界 明確化法は、地主の過半数により選ばれた「代表者」の関与の下に那覇防衛施設局が 作成した「地図編纂図」に基づき土地所有者が図面上でその内容の確認を行うことに なっているが、島袋氏は同図を確認したことはない。那覇防衛施設局長は「地図編纂 図確認書」に「島袋善裕」との署名が存することから、島袋氏が同図の確認をなして いる旨主張しているものと推測されるが同署名は島袋氏の署名ではない。島袋氏の名 は「善祐」であり、「善裕」ではない。本人であれば自己の名を書き間違えることは あり得ないものであり、同署名が偽造されたものであることは明らかである。那覇防 衛施設局長は、右「署名」以外に島袋氏が「地図編纂図」を確認していたとする何ら の証拠も提出していない。よって、島袋氏所有の裁決申請土地の「特定」がなされて いるとの那覇防衛施設局長の主張は、その前提事実を欠くものである。 (三) 地籍明確化作業は未了であり、裁決申請は不適法  又、右二二九一番の土地については、位置境界明確化法に基づく「調査図」が作成 されておらず、従って、総理大臣により指定された「地籍簿」及び「地籍図」が存在 しないものである。  従って、那覇防衛施設局が実則図面に基づき特定した本件土地については、未だ地 籍が確定しておらず、何番の土地で、同地番の土地の位置・境界がどこで、その土地 の所有者が誰であるか全く不明の土地である。  このような地籍不明地については、前述したとおり、本来強制使用手続きが予定し ていないものであり強制使用手続きを行いえないものである。  又、百歩譲って仮に強制使用の手続きを行いうるとしても、その場合は、所有者不 明地、又は、境界不明地の場合と同様の申請手続きを取るべきものである。本件申請 はいずれの点からしても、不適法なものであり、米軍用地特措法土地収用法第四〇 条一項二号イ、ニに反するものとして同法第四七条本文の「この法律の規定に違反す るとき」に該当するので、申請を却下すべきものである。 (四) 那覇防衛施設局長の主張に対する反論 (1) ちなみに、那覇防衛施設局長は、一九九七年一二月一日意見書添付別紙5に おいて、アからオまでの五つの理由を挙げて島袋氏の土地が現地において特定できる と主張する(二頁)。「ア」の字界が確定していることは認めるが、「イ」の主張の ように島袋氏を除く地主が「現地確認書」に押印しているとしてもそれは法的には全 く意味のないものである。「現地確認書」というのは前述のとおり、「地図編纂図」 に基づいて現地に杭を打ちそれを確認するものであり、「地図編纂図」の作成が完了 していることを前提にしたものである。ところで、すでに詳述したとおり、曲茶原に ついては島袋氏が「二二九一番」の土地について「地図編纂図」を確認しておらず同 図の作成は完了していないものである。  よって、島袋氏以外の他の地主が「地図編纂図」に基づいて現地に復元された杭を 確認しても、それは「地図編纂図」上の自己の土地の位置・境界を確認したと言うに 止まり、その者の真実の土地の位置・境界を確認したことを示すものではない。この ことは、地籍明確化の法的意味を理解している者にとっては自明のことである。例え ば、曲茶原には六四名の者が所有する一二九筆の土地が存するとのことであるが、こ の場合、六三名の地主が「地図編纂図」を確認しておらず、一名の地主のみが確認し ている場合でもその一名の地主について現地確認が可能である。その場合、一名の地 主が現地確認をしていることを理由に、他の地主の土地が確定していると言えるであ ろうか。それが言えないことは言うまでもない。同様の理は、六三名中過半数の三二 名の地主が現地確認書に押印している場合においても同様である。那覇防衛施設局長 は、六三名中の六二名の地主が現地確認書に押印していることから、この場合には、 「特別に」島袋氏所有地が特定すると主張するもののようである。しかし、この主張 が成立するためには、「地図編纂図」は関係地主の全員の同意を要するものではなく、 多数決の地主の同意があれば足りるとの前提がなければならない。しかし、再三指摘 してきたように、位置境界明確化法は「地図編纂図」についても関係地主全員の同意 を必要とするものであり、多数の関係地主の同意で足りるとするものではない。従っ て、六二名の地主が「地図編纂図」を確認し、現地確認書に押印していてもそれで他 の地主(島袋氏)の土地の位置・境界を確定するものではない。それは、土地の位置 ・境界は土地所有者の利害に直結するものであり、多数決により他人に対し「お前の 土地の位置・境界はあそこだ」としてそれを強制しえないからである。那覇防衛施設 局長の主張は、この点についての理解を欠くものであり、位置境界明確化法を無視し た独自のものであり、誤ったものと強く批判せざるをえない。 (2) 又、那覇防衛施設局長は、意見書別紙5の二頁の「ウ」において、島袋氏が 「返還の時期を明示すれば、何時でも押印する」と述べたとする言葉尻を捕らえて、 それは「当該土地の位置境界について、何ら異議がないとする意思表示である」と強 弁する。島袋氏の右言葉の真意は、「軍用地を返還しない限り、地籍明確化作業には 協力できない」とするところにあることは明確であり、「地図編纂図」に問題がない とするものではない。「地図編纂図」は関係地主の協議(又は談合)により作成する ものであるから、土地の価値に影響を及ぼさなければ容易に地主間において協議を成 立させることができるものであり、島袋氏についても、軍用地が返還されれば容易に 右協議に応じることができるものであるが、同協議は島袋氏の意見を組み入れて行わ れるものでなければならない。しかし、本件「地図編纂図」の作成については、全く 島袋氏の意見が聴取されておらず、この点でも島袋氏は不満である。 (3) 那覇防衛施設局長は、意見書別紙5の二頁の「エ」において、島袋氏が他の 地主と自己の土地の位置・境界について争う様子がないことを理由の一つに上げてい る。これは、全く奇妙な理由づけである。島袋氏の土地は未だ地籍が確定しておらず、 島袋氏には自己の土地の位置・境界を争いようがないのが実態である。那覇防衛施設 局長の右主張は、「島袋氏の土地は特定している」との独自の主張を前提にして、島 袋氏はその土地の位置・境界を争っていないとするものであり、主張自体失当なもの である。  2 嘉手納飛行場内に所在する真栄城玄徳所有の地籍不明地について (一) 「裁決申請土地は特定している」との主張は、「地図編纂図」に基づくもの (1) 真栄城氏は、嘉手納飛行場内の字森根石根原に「三五九番」、「三六一番の 二」、「三六二番」、「三八五番」の四筆の土地を所有しているが、いずれも地籍不 明地である。「三六二番」の土地は宅地でその跡を示す物証を残す土地である。従っ て、現地に則してその位置・境界をかなりの程度特定しうるものであるが、今日まで 真栄城氏を現地に立ち入らせてその所有地の位置・境界を特定させる作業が行われた ことはない。 (2) 真栄城氏は、「地図編纂図」については署名・押印しているが、同地図に基 づいて復元された杭については確認していない。「地図編纂図」の作成にあたっては、 本来真栄城氏の「三六二番」の土地のようにその土地の位置・境界を特定する手掛か りになる物証が存在する土地については、現地に所有者を立ち会わせてそれを参考に して「地図編纂図」を作成すべきであるが、那覇防衛施設局は同手続きを具体的にと らず、図面上だけで「地図編纂図」を作成し、図面上だけで所有者の確認を取ってい る。そのため所有者が現地で想定する土地と図上の土地との間で食い違いが生じてい る。戦後作成された土地所有権申告書及び土地図面は、測量技術、測量器具の不十分 さから復元力を有しないものであるが、土地の形状、配列については十分に信用でき るものであるが、「地図編纂図」においては同資料が十分に考慮されていない。この 点については、第八回公開審理における真栄城氏の具体的な指摘を参照されたい。 真栄城氏は、現地に則して自己の土地の位置・境界が特定されることを強く主張する ものであり、「地図編纂図」に基づく地籍の確定に同意できないものである。 (二) 那覇防衛施設局長の主張に対する反論 (1) 那覇防衛施設局長は、一九九七年一二月一日意見書添付別紙5において、真 栄城氏所有の土地が特定できる理由としてアないしエの四つをあげるが、いずれも理 由にならないものである。「ア」は字界が確定していることを述べるものであり、真 栄城氏の所有地の特定していることを理由づけるものではない。「イ」は真栄城氏以 外の土地所有者が「地図編纂図」及び「現地確認書」に押印していることを述べるも のであるが、すでに詳述したとおり土地所有者全員の確認がないと「調査図」が完成 せず、内閣総理大臣の認証をなしえないものである。従って、真栄城氏以外の土地所 有者が「地図編纂図」及び「現地確認書」に押印していること理由に真栄城氏所有の 土地が特定しているとは言いえないものである。 (2) 「エ」は、真栄城氏は反戦地主会の「返還の見通しのない地籍調査には応じ ない」との総会決議を実践していることを土地特定の理由にあげるが、全く筋違いの ものである。真栄城氏が地籍調査に協力しないのは、一つは地籍調査の内容に不満が 存するからであり、二つは地籍調査が基地提供のための土地の強制使用へと道を開く からである。しかし、真栄城氏が地籍明確化作業に協力しない理由と土地の特定とは、 全く関係のないことである。地籍明確化作業に協力しない理由によって土地が特定し たり、特定しなかったりするものではない。  思うに、那覇防衛施設局長の主張は、地籍明確化は公共の利益に合致するものであ り、その作業に協力しないのは権利の濫用なので、権利濫用者の同意なくして地籍明 確化がなしうるとするところにその要点があると考えられる。  しかし、この主張には、二つの点で誤りがある。  一つは、地籍明確化に協力しない地主には協力しない正当な理由が存する点を見落 としている点である。本件においては、地主が地籍明確化に協力しない理由は、ひつ は土地の位置・境界の特定につき地主の意見を反映しないまま地籍明確化を押し進め られていることであり、もうひとつは地籍明確化を土地強制使用のための前段作業と 位置づけられていることである。土地の位置・境界は、土地所有権の内容をなす重要 な要素であり、所有者の意思を無視して一方的に確定しうるものではないので、前者 には理由がある。又、軍事基地に土地を提供しないことは平和憲法の基本原理・価値 に合致し、正当なものである。従って、後者にも十分な理由がある。  二つは、位置境界明確化法は関係地主全員の同意を地籍明確化の条件としており、 一部の地主の同意のない状態での地籍明確化を規定していない点を無視している点で ある。  以上のように、那覇防衛施設局長の主張は、いずれの点においても理由のない不当 なものである。 (3) 那覇防衛施設局長は、「エ」において、真栄城氏が有銘氏、平安氏と共に地 籍明確化作業により新規に土地が登録される予定の地主につき軍用地料を支払うよう に要請したことを捉えて、真栄城氏は「『地籍明確化作業の過程において土地の復元 が可能となった』事実を認めて、借料の新地籍による支払いを要求したものであり、 反射的に自己の土地の位置、境界について動かないものとなる。」との誠に奇妙な珍 説を主張する。  しかし、先ず事実を確認すると、那覇防衛施設局長が主張する「地籍明確化作業の 過程において土地の復元が可能となった地主への補償に関する確認書」(資料4)に は、真栄城氏及び有銘氏は署名していない。このことは同書面を見れば明らかである。 つまり、那覇防衛施設局長は、右要求行動の際真栄城氏及び有銘氏が同行していたこ とから右のような法的主張を導きだしているものである。何故同行しただけで、同行 者の土地の位置・境界が「反射的に」動かないものとなるのであろうか。余りに酷い こじつけといえる。  次に、右事案は、地籍明確化作業の中で新規登録が予定される地主に対して「賃料」 を支払うように要求し、支払いを確認したものであり、何ら地籍不明地の土地の位置 ・境界を確定・特定したものではない。地籍不明地域内に土地が存したにも関わらず、 戦後の土地所有権申告の際自己の土地所有権の申告をしなかったために軍用地料の支 払いを受けていなかった地主に対し、土地の存在を認め、その土地の軍用地料を支払 うように要求したものに過ぎない。従来、軍用地内に土地が所在することが確認され れば地籍の明確化がなされていなくても「賃料」が支払われてきたものである。従っ て、軍用地料の支払いを要求することと地籍明確化とは同一でなく、新規登録地への 「賃料」の支払いを要求したからといって同要求をした人の土地(本件の場合、平安 氏は他人の要求についての賛同者に過ぎない)が特定をするものではない。  以上のとおり、那覇防衛施設局長の主張は、いずれも理由がない。  3 嘉手納飛行場内に所在する有銘政夫所有の地籍不明地について (一) 「裁決申請土地は特定している」との主張は、「地図編纂図」に基づくもの でもない。 (1) 有銘氏は、嘉手納飛行場内の字森根異伊森原に「二七二番」の土地を所有し ているが、地籍不明地である。  島袋氏や真栄城氏の所有する地籍不明地については、那覇防衛施設局長は地籍明確化 作業の中で作成された「地図編纂図」を根拠に「裁決申請土地の特定」を主張してい るが、有銘氏の所有土地については、同人が「地図編纂図」をも確認していないこと から「地図編纂図」を根拠とすることができないでいる。 (2) 有銘氏が第八回公開審理で具体的に述べたように、地籍明確化作業の中で作 成された「地図編纂図」は十分な根拠を有していない。一九四八年の土地所有権申告 の際に土地調査委員が調査して作成された地図と「地図編纂図」とでは、「二七二番」 の土地の周囲の土地の配列、土地の形状に大きな食い違いがあり、一九四八年の地図 に比較して「地図編纂図」が合理的であることの主張、立証は那覇防衛施設局長から は全く行われていない。有銘氏には「地図編纂図」を確認しない合理的理由が存在す るものである。 (二) 那覇防衛施設局長の主張に対する反論 (1) 那覇防衛施設局長は、一九九七年一二月一日意見書添付別紙5の五頁におい て、裁決申請土地が特定しうるとする理由としてアないしエの四点をあげる。 「ア」は字界が確定していることを述べるだけであり、「イ」は有銘氏以外の土地所 有者が「地図編纂図」及び「現地確認書」に確認していることを述べるだけである。 しかし、すでに詳述したとおり、有銘氏以外の土地所有者がいかに右確認をしても、 それにより有銘氏の所有土地の位置・境界が確定・特定される訳ではない。有銘氏の 所有土地の位置・境界が確定・特定するためには、関係地主全員の確認・同意が必要 である。 (2) 又、「ウ」は有銘氏が反戦地主会の決議を実践していること、「エ」は新規 登録地についての「賃料」の支払いを要請したことを捉えて、裁決申請土地が特定し うる理由とするものであるが、それが理由にならないこじつけであることは、真栄城 氏について述べた(2-ニ-2)とおりである。 (3) 以上のとおり、那覇防衛施設局長の「裁決申請土地は特定しうる」との主張 は、全く理由がないものである。  4 嘉手納飛行場内に所在する芳澤弘明等共有の地籍不明地について (一) 「裁決申請土地を特定しうる」との主張は、「地図編纂図」に基づくもの  芳澤弘明等共有者は、嘉手納飛行場内の字東野理原に「三五一番」の土地を、新崎 盛暉等共有者は同原に「三八一番」の土地を、奥田和男等共有者は同原に「三五〇番」 の土地を各々共有しているが、それらはいずれも地籍不明地である。同土地は前所有 者平安常次から右各共有者に売却されたものである。 (2) 「三五一番」「三八一番」「三五〇番」の各土地につき、地籍明確化作業が 行われていた当時の所有者は右平安氏であるが、同氏は「地図編纂図」を確認したも のの同図に基づく「現地確認書」には押印していない。従って、右各共有地について は未だ「調査図」が作成されておらず、認証手続きも行われていない。 (二) 那覇防衛施設局長の主張に対する反論 (1) 那覇防衛施設局長は、一九九七年一二月一日意見書添付別紙5の三頁におい て、「裁決申請土地を特定しうる」理由としてアないしオの五点をあげる。  しかし、これらの理由がいずれも理由のないこじつけであることはすでに再三詳述 してきたとおりである。 (2) 若干の平安氏特有の事情は、平安氏が新規登録申請地につき「賃料」を支払 うように要請した際に、「地籍明確化作業の過程において土地の復元が可能になった 地主への補償に関する確認書」(資料4)に署名押印していること、平安氏が「押印 を拒否していたのは、土地の収用につながる懸念からであり、位置境界に異議がある ものではない」との記載のある「確認書」(資料6)に署名押印している点くらいで ある。  しかし、右資料4の確認書については、真栄城氏の個所(2−ニ−3)で詳述した とおり、地籍不明地内に新規登録されることとなる土地につき、「賃料」を支払うよ うに防衛施設局(千秋健)、違憲共闘会議(宜保幸男)、反戦地主会(平安常次)の 三者で確認した文書であり、なんら地籍不明地内の新規登録地の位置境界を確認する ものではない。ましてや、平安氏の個人有地につきその位置境界を確定するものでは ない。従って、防衛施設局長の主張は、全くの筋違いのものであり、主張自体失当で ある。  又、資料6の「確認書」については、平安氏が土地を売却して四年ないし六年経過 した後の一九八九年(平成元年)五月一九日に作成されたものであり、平安氏がどの 様な理由から同書面に押印したのかが明らかにされておらず、信憑性につき疑問が存 するものである(平安氏が経済的理由からその所有地を那覇防衛施設局に売却した際 に、買い取りの条件として作成された可能性が高いものである)。  平安氏が「位置境界に異議があるものではない」と述べた趣旨は、「地主間の協議 ・談合により自己の土地の位置境界を定めても差し支えない」ことを述べたものであ り、「地図編纂図」の「三五一番」「三八一番」「三五〇番」の各土地が戦前の同土 地と一致することを確認したものではない。従って、位置境界明確化法に基づき関係 地主の協議・談合により「調査図」を作成し、認証が行われない限り、右「確認書」 により地籍が明確化される訳ではない。右「確認書」は地籍明確化作業の中で必要と される文書ではなく、地籍明確化作業の中で何らの意味を持つものでもないから、裁 決申請土地を特定しうる根拠となるものではない。  5 普天間飛行場内に所在する宮城正雄所有の地籍不明地について (一) 「裁決申請土地を特定しうる」との主張は、「地図編纂図」に基づくもので もない。 (1) 宮城氏は、普天間飛行場内の字宜野湾馬場下原に「九九三番」の土地を、字 大山勢頭原に「二五〇〇番」の土地を所有しているが、いずれも地籍不明地である。 宮城氏は、「地図編纂図」にも「現地確認書」にも押印していない。従って、宮城氏 の土地については、有銘氏の土地と同様に全く地籍を確定する何らの根拠も存しない ものである。 (2) 宮城氏の土地についても、一九四七年頃土地所有権申告がなされているが、 当時の申告図と那覇防衛施設局長が主張する「地図編纂図」とを対比すると、宮城氏 の土地の形状、配列関係が異なっているが、那覇防衛施設局長は「地図編纂図」が土 地所有権申告図より正確だとする何らの根拠も示していない。  土地所有権申告図は、終戦後に部落の人々が鮮明に土地の位置・境界を記憶してい る時期に、未だ部分的に残存する物証を参考にしながら描いたものであり、一般的に 土地の形状・配列については信憑性が高いものである。 (二) 那覇防衛施設局長の主張に対する反論 (1) 那覇防衛施設局長は、一九九七年一二月一日意見書添付別紙5の八頁におい て、「裁決申請土地を特定しうる」理由としてアないしエの四点をあげる。  しかし、これらの理由がいずれも理由のないこじつけであることはすでに再三詳述 してきたとおりである。 (2) 意見書は、再三、他の地主が「地図編纂図」を確認し、同図に基づいて現地 に復元された杭・境界を確認していることを理由の一つにあげる。しかし、ここで注 意しなければならないのは、そこで確認された「杭・境界」というのは、現地に痕跡 を残す土地の境界を確認したというものではなく、那覇防衛施設局が作成した「地図 編纂図」上の土地の位置・境界を現地に復元して現地で「図上の土地」を確認したと いうものであるという点である。つまり、そこでの「確認」の内容は、本来の土地の 位置・境界の「確認」とは内容をことにするのである。  従って、他の地主が現地で「確認した」と強調しても、それは土地の位置・境界を 確定する上で何らの意味も有しないものである。問題の焦点は、「地図編纂図」の正 確性にあるのである。従って、那覇防衛施設局長は、「地図編纂図」の正確性を主張 し、立証しなければならないが、土地の位置・境界の物証がなく、当時の土地の位置 ・境界を記憶する者が殆どいなくなった今日、それは不可能に近く、那覇防衛施設局 長といえどもなしえないことである。そうであるからこそ、関係地主全員による協議 ・談合による地籍明確化作業が行われてきたものである。  繰り返しになるが、この点は極めて重要であるので、再度指摘する。  6 牧港補給地区内に所在する津波善英所有の地籍不明地について (一) 「裁決申請土地を特定しうる」との主張は、「地図編纂図」に基づくもので もない。 (1) 津波氏は、牧港補給地区の字城間嵩下に「一一一二番」の土地を所有してい るが地籍不明地である。  津波氏は、「地図編纂図」にも「現地確認書」にも押印していない。従って、津波 氏の土地については、有銘氏及び宮城氏と同様に全く地籍を確定する何らの根拠も存 しないものである。 (2) 津波氏の土地についても、一九四七年頃土地所有権申告がなされているが、 当時の申告図と那覇防衛施設局長が主張する「地図編纂図」とを対比すると、津波氏 の土地の形状、配列関係が異なっているが、那覇防衛施設局長は「地図編纂図」が土 地所有権申告図より正確だとする何らの根拠も示していない。  土地所有権申告図は、終戦後に部落の人々が鮮明に土地の位置・境界を記憶してい る時期に、未だ部分的に残存する物証を参考にしながら描いたものであり、一般的に 土地の形状・配列については信憑性が高いものである。 (二) 那覇防衛施設局長の主張に対する反論 (1) 那覇防衛施設局長は、一九九七年一二月一日意見書添付別紙5の一〇頁にお いて「裁決申請土地を特定しうる」理由としてアないしカの六点をあげる。  しかし、これらのうち「ア」「イ」「カ」はこれまで述べたのと同様なものであり、 いずれも理由のないものである。 (2) 「ウ」は、津波氏が「地図編纂図」を閲覧しながら義弟の土地(字城間後原) については異議をのべているが、右「一一一二番」の土地については特別異議をいっ ていないと主張するものである。しかし、津波氏が右ロのとおり「地図編纂図」上の 「一一一二番」について疑問・不服を持っていたものである。津波氏は、「地図編纂 図」について確認をしない考えを有していたため、格別その考えを防衛施設局の職員 には述べなかったものであるが、「現地確認」の際には明確に「地籍調査方法に異議 がある」と述べている(意見書添付資料12)。津波氏が積極的に異議を述べないこと が仮にあったからと言って、それが「確認」を意味するものでないことは自明のこと である。 (3) 又「エ」は、津波氏が他の新規登録された土地については「現地確認書」に 押印していることを指摘するものであるが、他の土地について押印したからといって、 津波氏が本件「一一一二番」の土地につき押印すべきであることにならないことは当 たり前のことであり、那覇防衛施設局長の主張は失当である。  以上のとおり、那覇防衛施設局長の主張はいずれも理由がない。


ヤ 前項] [ユ 目次] [次項 モ] 


出典:反戦地主弁護団、テキスト化は仲田。


沖縄県収用委員会・公開審理][沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック