Political Criminology

少年法改正論への疑問

2000年5月14日(未発表)


少年法の改正は今国会では廃案の見通しだそうだ。んで、自民党内では少年の訴追年齢の引下げ案を検討中とか.....

しかし、それにしても、なんで少年法の、それも訴追年齢が問題になるのか。

そもそも今回起きている一連の事件(少なくとも人口に膾炙している事件)を見ても、17歳とか18歳、場合によって16歳、と確実に刑事責任を問われ得る年齢だ。にも関わらず、出てきている議論が「刑事責任を問われ得る年齢を16歳から引き下げよう」というのでは、「昨今の状勢に鑑みて」という理由付けにはならない....

ひとつには酒鬼薔薇聖斗事件が色濃く影を落としているのかもしれないが、それにしても、少々あざといやり口だといえよう。牽強付会もいいところだ。

しかし、じゃあそこまでして、一体何のために、という理由を考えようとすると、実はこれが今ひとつよくわからないのである。

「厳罰化への流れ」ということに帰着させるのは、おそらく正しいといえば正しいのだろうが、説明としては乱暴にすぎる。だって、厳罰化=訴追年齢引下げ、というわけにはいかないのだから。他にも不定期刑や少年減軽、少年院内の処遇の問題や、少年に対する保護観察のあり方の問題など、「厳罰化」の枠組みでだって扱う可能性が高い問題はいくらもあるのだ。その中で、どうして訴追年齢なのか。

訴追年齢には、いろいろややこしい問題が取り巻いている。まず刑法が刑事責任年齢としているのが14歳以上。ところが少年法の規定により、14歳、15歳については、訴追ができない。これがどういうことかというと、少年法自体は原則20歳未満までに優先適用されるので、まず事件が起きた場合、対象者が20歳未満であれば全件が家庭裁判所に送致される。その後、家庭裁判所が「刑事処分相当」と認めた16歳以上の少年のみが地方裁判所の手続に移される。まあ、簡単にいえばそういうことだ。14歳と15歳については、刑事責任とは別の保護処分相当性の判断のほうが、いかなる事件であっても優先される。要は、少年法はそういう認識を示しているわけだ。

もとより年齢制限などというものは、この種の犯罪、非行事件とかにピタッとフィットする概念ではない。事件というものはそれぞれが別々のストーリーを持ち、そこには千差万別の「事情」というやつがある。それをわかった上で、あえて年齢で対応を区分するというのが少年法の理念だ。つまり、「無理だってこたあわかってるよ。でも、しかたねーだろ?」というやつである。それを正当化するのは、少年法の第1条に掲げられている「健全育成」だ。ことばはセンスが悪い(と思う)が、この健全育成に込められた視点は、パレンスパトリエ(国親思想)という(こっちのことばのほうがもっとセンスが悪いかも...)。まあ、あえて大雑把にいってしまうと、「子どもってのは社会がみんなで育てていくもんだから、みんなで面倒見てやろうぜ」である。それを制度化する場合に、しかたないから採用した基準が「年齢」だ。

まあ、だからこそ少年法システムはある程度のフレキシビリティ(柔軟性)を年齢制度に関してはもっている。14歳未満は、刑事責任がないし、児童福祉法上の措置が優先される。16歳未満は訴追されない。18歳未満には不定期刑制度と減軽制度が用意されている。20歳を越えても21歳までは少年院に入れておくことができる(医療少年院なら26歳まで)。んでもって、26歳までの刑務所収容者に対しては、Y級という分類がおこなわれ、職業訓練などを積極的におこなったりしている。

少年に対して厳しく接するかどうかは、実は年齢とは直接の関係がない。少年審判自体だって、厳しいっちゃ厳しいのである。「少年非行が増加」、とかよくいわれるが、まずそういう実態が第三のピーク以降は統計的に存在しているということ自体言い難い上に、もうひとつ、少年事件のほとんどが審判不開始ないし不処分で終わっている。つまり、「事前調査や審判の結果」、保護処分に付す必要がなかったということだ。少年審判にもとづく厳しい処分を、あえてしなかったケースがほとんどということだ。

ってことは、一体この訴追年齢引下げってのは何を目指しているのだろう?

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