高嶋教授「百人斬り」公開書簡

@南京大虐殺vsホロコースト神話

1998.4.15. 改訂・増補・所属の城を新設して移動


高嶋 伸欣 様 1998.3.3 木村愛二

前略。ご多忙のところとは存じますが、

 今年の初めから

 URL: http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/にて、

 Alternative Medium by Kimura Aiji;

『メディア批判:木村愛二の「取って換わる国際情報基地」』を構築中です。

 そこへも入れる予定で、以下のような私見を述べます。いわば一般公開の書簡です。

 なお、そこがインターネットの取り柄の一つでもありますので、のちに改訂をほどこした場合には、それを、裁判でいえば「差し替え」の書面としますので、ご了承下さい。

 同封の会報『歴史見直しジャーナル』14号を作成中に、図書館でSAPIO(98.2.25)掲載の貴兄執筆記事「教科書の『抗日プロパガンダ壁画』をめぐって…井沢元彦、藤岡信勝の両氏に三たび、反論する」を拝見しました。私は、この「両氏」を、私の最近の常用語、より具体的にいえば、ワープロの「新語辞典」に「んあかぎょ」で登録した「アカデミー業界」と、「んまぎょ」で登録した「マスコミ業界」の悪質な商売人として軽蔑しています。

 同じSAPIO(98.2.25)で貴兄の記事の前に載っていた井沢氏の文章には、私が目下、告発中の「ヒトラーと協力してパレスチナ強奪を狙った政治的シオニストの捏造による大嘘の謀略」こと、いわゆる「ユダヤ人絶滅計画」について、何も自分では調べずに「歴史的事実」と断定している部分があります。

 私自身も、今から19年前の旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』で、短い文章ですが、同じ誤りを犯しました。その件については、今の今、訳出を終り、最終校正中のロジェ・ガロディ著『偽イスラエル政治神話検証』の「はしがき」で告白し、弁解として、当時は「疑い」情報の入力がなかったと記しました。ずるいようですが、私は、哲学では「人間機械論」と呼ばれる理論に賛成ですから、「疑い」の情報入力がないか、または、「疑いたくなるような体験」をするまでは、たとえば「天動説」を信じていても、その人を非難できないと思います。しかし、『マルコポーロ』廃刊事件以後ともなれば、また拙著『アウシュヴィッツの争点』発表以後ともなれば、事情が違います。最近にも、『マルコポーロ』廃刊事件の話題の主、西岡昌紀氏が、『アウシュヴィッツ/「ガス室」の真実』を発表しました。これらの「疑い」情報を無視する論者は、そのスタンスが「右」であろうと「左」であろうと、これも最近の私の常用語でいえば、すべて言論詐欺師と言う他ありません。

 井沢氏の場合には、ギリシャ語源の「ホロコースト」という言葉を、これも何も自分では調べずに、あの空威張り屋の自称「新聞記者」こと本多勝一並みの社費ふんだん「取材」同様の「聞き込み」によるものか、ユダヤ教独特の宗教用語であるかのように間違えて書いています。しきりに肩を怒らせているばかりで、ヤクザにもなりきれず、ものかきの風「下」にも置けないお粗末至極の見本です。

 しかし、貴兄が「百人斬り競争」批判にこだわるのには、賛成できません。たしか、この件については、過日、出版労連の研究会でお会いした際、私見を述べたはずです。

『歴史見直しジャーナル』4号(97.4.25)で、私は、井沢氏が「本多ガセネタを活用」していると記したのちに、SAPIO(97.5.14)に掲載されていた井沢氏の「百人斬り競争」批判記事を引用しました。井沢氏らの基本姿勢と小細工は大いに批判されるべきですが、この種のマスコミ業界の悪質商売人に名をなさしめ、原稿料を稼がせるきっかけを与えた「本多ガセネタ」報道の「腐れ骨」の方を、先に「斬り」落とすことなしには、毒が総身に回り、真の戦争批判、天皇制大日本帝国の徹底的批判が、世間の反発を買うばかりとなるでしょう。

 中国からの引き揚げの途中で、学校が休みなのを幸いにして国民学校三年生だった私が読みふけったルビ付きの大人の本の中には、吉川英次郎の『三国史』がありました。「泣いて馬謖を斬る」という挿話は、あくまでもお涙頂戴物語の仕立てだとしても、私にとっては大嘘つきの「被告・本多勝一」でしかない相手に使うには相応しくありません。別の表現を求めれば、「獅子身中の虫」を駆逐する勇気なしには、戦いの勝利は望めません。同じことを『孫子』でも強調しています。

 私自身は長期争議の中で、(決して私が言い出しっぺではありませんが)「敵と戦うのは簡単だ。味方と戦う方がずっと難しい」という主旨の内輪の経験談に耳を傾け、深く頷く争議団員が実に多かったという情景を胸に刻んでいます。

「獅子身中の虫」は少し威張り過ぎの感じですが、英語にも次の裏表二つの諺があります。

 Better an open enemy than a false friend.

 Worse a false friend than an open enemy.

 近く、さる2月24日に裁判所に出した陳述書の全文(上記のURLには「『週刊金曜日』本多勝一批判・徹底検証」の目次で入力済み)を手直しの上で送ります。

 また、「本多ガセネタ」報道を『諸君!』誌上で批判した鈴木明さんは、私とは同じ民放の東京放送で調査部にいた誠実な人ですが、この秋には、この10年ほどを費やして調べた「中国で公開されている南京事件の中国語文献のみ」を整理し、それを総まとめに論じた新著を発表するそうです。鈴木さんの話によると、日本の「南京事件」論者は、ほとんどが中国の原典に当たっていないのだそうです。また新たな議論が起きるでしょう。

 ガロディ裁判については、さる2月28日(土曜日)の朝日新聞夕刊に、「ユダヤ人虐殺に疑義/哲学者に罰金刑/パリの裁判所」という1段3行ゴシック文字見出しのベタ記事が載りました。同じくゴシック文字の[パリ28日大野博人]に続く短い記事全文は次の通りです。

「パリの軽罪裁判所は27日、著作の中でナチスによるユダヤ人虐殺に疑義を呈したとして哲学者のロジェ・ガロディ氏に対して、罰金12万フラン(約 250万円)の判決を言い渡した。

 この著作は、その内容自体よりも、貧しい人たちの救済活動を続け、『フランスの良心』とも呼ばれているピエール神父が推薦したことから、国民の間に大きな戸惑いと物議を引き起こした。

 ガロディは共産主義からカトリックへと転向し、さらにイスラム教へと改宗した哲学者。アラブ諸国の知識人やイスラム教徒の間では英雄視されている」

 上記の内、「共産主義からカトリックへと転向」は誤りで、「(ソ連は社会主義でないと主張し始めた結果として)共産党から除名、(宗教者としては)プロテスタントからカトリックへと転向」とすべきところですし、私も会った本人自身は、昔の政治的信念に忠実だと語っているので、一応、朝日新聞の広報室に電話しておきました。パリ支局の「大野博人」記者には、私がパリで、日本の大手メディアの支局回りをした際、直接会って詳しい状況を話し、資料を渡しました。結局、誰もパリ地裁の取材には現われず、日本人は私一人でしたし、上記の記事にもガロディの著作そのものを読んだ気配は見えませんが、最後の、「アラブ諸国の知識人やイスラム教徒の間では英雄視されている」という部分には、私の「争議団」式の直接「オルグ」の効果が少しは現われたのかなと感じています。

 そこで再び、「百人斬り」に話を戻すと、この「罰金」刑を受けたガロディの著作の中に、「百人斬り」「ガセネタ報道」処理の上で参考になる実例があります。ガロディは、いわゆる「反ユダヤ主義」の論者が必ず使う『シオンの長老の議定書』に触れ、こう強調しています。

「この種の卑しむべき探偵小説的偽造文書は、生憎なことに、かなり利用されてしまった。特に、いくつかのアラブ諸国での利用に関しては、私は、早くから批判を加えている。この誤った利用によって、シオニストとイスラエル、および彼らの国際的な圧力団体は、彼らの中東政策に対するすべての批判を、偽造者の仕業と同一視する機会を得たのであり、それによって、さらに非難を強めることができたのである」

 私は、最近のアラブ諸国の動きに、このガロディの批判の効果の現われを見ています。

 高嶋さんの賢明な決断を期待します。


 以上の公開書簡について、返事が届き次第、続けて掲載する予定ですが、4月15日現在、まだ返事はいただいておりません。


南京大虐殺vsホロコースト神話の城へ戻る