『最高裁長官殺人事件』

第二章 キーワードは蒙疆アヘン

「この先をお話しする前に断わっておきますが、実は私、すでに陣谷さんに呼び出されました」

 絹川は両眉を上げて目をむき、とぼけ顔。一同の顔は反対にサッと引き締まる。

 陣谷益太郎。現職は弁護士であるが、それ以前の最高位は最高検次長だった。絹川にとっては、東京地検特捜部の大先輩である。東京地検特捜部の前身は戦後に設置された隠退蔵事件捜査部であるが、陣谷は、その発足以来の検事だった。当然、その種事件に関しては勘も鋭いし、各分野に特殊な人脈を持っている。

 だが、陣谷の影響力の秘密は裏舞台だけのものではない。日本弁護士連合会、略称〈日弁連〉では副会長であり、常に少数派の落選会長候補でもあるのだが、その少数派がくせものだった。

 東京には地方弁護士会が3つある。老舗の東京弁護士会、そこから分裂した第1弁護士会と第2弁護士会である。そのうち、第1弁護士会は、裁判官や検察官のOBの比重が一番高く、右派の傾向が強い。司法資格を持つ裁判官や検察官は、定年や途中退職ののち、ほとんどが弁護士に転業する。弁護士は弁護士会への加入が義務づけられており、弁護士会への入会から、さらにはお得意の確保まで、先輩の引きによることが多い。勢い、第1弁護士会は、現役の裁判官や検事に対しても根強い影響力を持つ。陣谷は、その第1弁護士会の会長として、日本弁護士連合会の最右翼勢力を代表しているのである。

「アヘン密輸事件のマイクロフィッシュを、日弁連から長期にわたって借り出していたのは、陣谷弁護士でした」と絹川。

「まあ。それで、検察庁の方のコピーはどなたが……」冴子が首を伸ばす。

「それは、のちほどのお楽しみに」絹川は気を持たせる。「で、……私と陣谷さんとの話は、皆さんにも内密にしてくれという段階の極秘事項です。つまり、先頃の防衛庁の機密漏れのときと同じですね。別のハイレベルのマスターズ・ヴォイスです。よろしいですね」

 一同固い顔でうなずくが、誰も驚いているわけではない。いずれ来るべきものが来ただけのことである。相手の力量も承知している。彼らは権力を握ってはいるが、実務的に動く手足は公安調査庁や公安警察のお粗末な事務官僚だけだ。《お庭番》チームには自分たちの方が絶対に主流だという自負があった。

「話のきっかけは、最高裁の図書館に風見さんが行かれた件です。風見さんと影森さんの関係については陣谷さんもご存知です。それで、あれは君らのチームが依頼した仕事か、という質問がありました。私は、一般的に最高裁に関する調査を依頼しただけだろうと答えておきました。それでよろしいですね、影森さん」

「はい。結構です」と智樹。

「その次は、今申し上げた事件の資料を私が請求した件です。あの判例が今度の1件と関係があるのか、という質問がありました。そして、慎重にという要請でした。この件については外部への依頼は避けて欲しい、ともいわれました。私は、陣谷さんの動きが予想以上に早いと思います。情報ルートは当然検察関係ですから、その背景に私は、海老根判事の死因も関係しているとにらんでいます」

「やはり、……自殺じゃない」と冴子。

「はい。大いに疑わしい、ということですが……でも、それは私らの本来の任務とは別でしょう。私らが追及しなければならないのは、最高裁の正面ホールで海老根判事が怪死した原因が、アヘン密輸事件の判例調査にあり、それゆえに、弓畠耕一失踪と関係するのではないかということです」

「はい。分かりました」と冴子。「他殺だとしても誰が犯人かはここでは問わない」

「まあ、自ずと明らかになるでしょうがね」絹川の口調は慎重である。「それよりまず、この事件そのものを知っていただく必要があると思いますね。小山田さんのようには調子良くいきませんが、なんとか要約してみましょう」

 絹川は茶封筒からコピーの束を取り出し、一同に配った。

「これは判決文のマイクロフィッシュを拡大したものです。最初の主文はご覧のとおりの有罪判決です。事件の事実経過の認定を要約しますと、……1945年9月15日の午前10時、米軍が和歌山港から出港した30トン積みの機帆船を臨検したところ、8トンの生アヘンの積荷が発見された。船長が提出した航海日誌によると、同機帆船は朝鮮の釜山で同積荷を積み込み、舞鶴に到着。9月2日午後4時にいったん荷揚げをしたのち、再び同積荷を積み込んで出港。神戸、大阪、和歌山の各港を回り、徳島県の漁港、小松島港に向かうところであった。書類では、生アヘンの出荷人は関東軍で、荷受人は厚生省衛生局になっていたが、関東軍はすでに9月5日に山田総司令官以下がソ連に抑留されて壊滅している。関係者らは上司の命令に従ったまでだと無罪を主張したが、判決では検事の起訴状どおり、全員を麻薬密輸入の罪名で有罪とした。最高3年の懲役などの実刑。立ち会いの警察官も一部に実刑。関係者は全員控訴を断念し、判決は確定した。……結局、占領下ですよ。GHQ相手じゃ万に1つも逆転の可能性はありませんからね」

「大変厳しい判決ですね。その判決を下したのが弓畠耕一判事だったと……」と冴子。

「はい。それも、ほとんど1字1句違わず、検事の起訴状どおりの判決ですね。戦後の冤罪事件には、やはり検事の起訴状どおりの判決が多いんですが、その場合、起訴状の元になっているのは捜査に当たった警察官の捜査報告書や調書ですね。ところが、この事件では警察官も被疑者ですから、そこが違います。米軍のMPの報告書が下敷きになっていると考えられます。しかも事実認定以外に、大変奇抜な法的構成がなされています」

 絹川はコピーをパラパラとめくった。一同の目が再び集中する。ところどころに赤線が引いてあり、欄外になにやらビッシリと書き込みがしてある。

「第1は、なぜ密輸入かという点です。積荷が最初に舞鶴に荷揚げされたのは9月2日午4四時であるが、その日の午前11時に東京湾のミズリー号上で重光外相が降伏書にサインをした。よって、同荷揚げの時点では日本国は朝鮮の統治権を失っており、同荷揚げは通常の国内貨物移動ではなく、外国からの密輸入であると認められる」

「うわあっ……、物凄い論理だわ。まさに歴史の狭間の事件ですね」と冴子。

「第2は、旧刑法の適用です。事件は共同謀議により8月15日以前に発生しているので、本件の処断に当たっては旧刑法の適用が順当である」

「えっ」冴子はさらに驚く。「それじゃ第1と矛盾するじゃありませんか。SFのタイム・パラドックスそこのけですよ。でも、なんでそんなに旧刑法にこだわったんですか」

「旧刑法だと、麻薬の実物を証拠として法廷に提出しなくても、所持し運搬したという自白だけで有罪にできたんです。つまり、生アヘンの現物は米軍が押さえたままで法廷に出さず、無理やりに有罪にする方針だったのでしょうね」

「うん。これは強烈に匂いますね」小山田がギョロリと目をむく。

「アヘンの匂いですか。政治利権の匂いですか」と智樹。

「ええ。政治の匂いもしますが、ただの政治というよりも国際的な謀略の匂いですね」

「失礼」冴子が質す。「先ほど、厚生省衛生局が出てきましたけど、これはアヘンの所轄官庁ということですね」

「そうですが」絹川はまた智樹の顔を見る。「これは影森さんの方がお詳しそうで」

「はい」と智樹。「今でもアヘンGメンは厚生省の仕事でしょ。アヘンとそれから精製されるモルヒネ、ヘロインなどは医薬品ですからね。しかし、歴史的にはなかなかのいわく因縁があります。日本のアヘン政策の始まりは台湾からですが、そのときに漸禁政策を提唱したのが後藤新平です。後藤新平は医者の出身で内務省衛生局にはいり局長、以後、台湾民政長官、初代満鉄総裁、外務・逓信・内務各大臣、東京市長、初代東京放送局理事長という華々しい経歴の持ち主です。あだ名が大風呂敷。今でいうアイデアマンとして知られていますが、台湾に始まるアヘン漸禁政策もその1つです。当時も日本国内ではアヘン厳禁政策でした。国際的にもそうでした。それを、重症患者の治療と反乱の防止を理由にして、台湾では漸禁政策と専売政策にしたのです。実際には漸禁の名の下にアヘン吸飲者をほとんど野放しにして、専売で巨利を博していたようです。この政策を総称してアヘン政策と呼んでいました。日本国内でも内務省衛生局……ここはのちに厚生省として分離しますが、その監督官庁公認の下に、ケシの栽培が奨励されました。このアヘン政策が、台湾から満州へ、蒙疆へ、大東亜共栄圏全体へと広がったわけです。最後にはアヘン販売の収益をいかにして増やすか、という本音丸出しの政策になります」

「相手は植民地人というのがあったのでしょうね」と冴子。

「残念ながら、そういうことです」と智樹。「大体、満州国の歳入予算の15パーセント、蒙疆政権では36パーセントがアヘン専売収入だったそうです。私が知っている例で一番比率が高いのはシンガポールの日本軍の軍政予算ですが、なんと50パーセントがアヘン専売収入だったというんですね。これが、いわゆる大東亜共栄圏の真相ですよ」

「シンガポールでは特に華僑を相当酷い目に合わせたそうですね」と絹川。

「はい。華僑が国府軍にカンパをしていたので、その報復と称して何万人も虐殺しています。辻政信が陸軍参謀本部名の命令を出したんです。そのうえで強制的な〈奉納金〉を割り当てるわ、鉱山で酷使するわ、酷いもんです。しかもアヘンに関しては〈南洋華僑〉の人口統計をもとにして、その3パーセントは中毒患者になる可能性があるという〈需給計画〉まで立案しているのです。シンガポールでは、広島に落とされた原爆を〈神様の贈り物〉としてたたえたというんですが、無理もありません」

「先刻のお話では、そのアヘンの供給地が蒙疆だったとか」と冴子。

「はい。最初はイラン、イラク、インドあたりからの輸入が多かったようですが、太平洋戦争が始まると、輸入が途絶します。だから、蒙疆の位置づけが急速に高まるのです。当時すでに日本の海外進出先では直接的にせよ間接的にせよ、アヘン商売と関係のない日本人の方が珍しいくらいだったんですよ。アヘン専売の特権はほとんど日本人が握っていました。北は満州、南は青島を根拠地にして、中国の奥地にも密売の小売店が進出しています。日本人か日本国籍を持つ朝鮮人か台湾人を1人雇っていれば日の丸の旗を掲げることができる。それだけで治外法権が成立しました。中国の官憲は手出しができなかったんですね。それで、日の丸の旗が日本の国旗だということを知らない中国人は、これをアヘン屋の商標だと思い込んでいたらしいんです。時折、国旗凌辱事件として外交問題に発展する騒ぎが起こる。調べてみると、そういう笑い話だったというんです」

「そうですね。今の日本人には想像を絶する世界です」と絹川。「日本の膨脹政策の中でも最もダーティーな部分ですね」

「それで……」冴子が話をもどす。「その8トンの生アヘンというのは、どれくらいのお値段なんですか」

「うむ。やはり女性の観察の鋭さ、ですかな」絹川はいかにも嬉しそうに微笑む。「実は、そのご質問を予期しまして一応調べたのですが、数字の桁が違い過ぎるんで困ってしまいました。敗戦直後の隠退蔵事件捜査部の記録に基づいて計算すると、末端価格が1兆円にもなるんですが、これは大き過ぎると思いますね。一般会計の決算でいうと、敗戦の翌年の1946年、昭和21年が1152億円。1947年が2058億円です。いくら未曾有のインフレ時代だったとはいえ、日本の国家財政より1桁大きい数字というのはね、ちょっと信じがたいでしょ」

「いずれにしても大変なお値段ですこと。とても私には手が出ませんわ。オホホホホッ……」

「しかしですね、麻薬ほど末端価格がはね上がるものはありませんよ」と智樹。「当時は中国の国共内戦を控えていましたからね。アヘンは中国で国府軍が地方軍閥を味方につけるために使われたかもしれません。そのためならば、国府軍を後押ししていたアメリカ側は金に糸目をつけずに買い漁ったでしょう。戦後のアメリカの財力は今の借金だらけの状態とは大違いですからね。世界中の金塊を独り占めにしていたわけでしょ。そういう財力にまかせて麻薬まで使った対アジア政策のどん詰まりがヴェトナム戦争で、最近では自分の国が麻薬漬けになってしまいました」

「ともかく、8トンの生アヘンが想像を絶する巨額な資金源だったことは確かです」と絹川。

「これは奪い合いになっても不思議ではありませんよ。内務官僚以外に、軍の特務機関の動きもあって当然です。そもそもは関東軍の荷物ですからね。そして、本日の超々極秘の裏話の最後に……」絹川はまだまだ材料を握っている風情で、お馴染みの細い右手をくねらせた。「問題の当時の事件を担当し、SFそこのけの奇想天外な起訴状を作成した和歌山地検検事、そして現在は……先ほど問題になった検察庁のマイクロフィッシュを借り出したままの人物ですが……皆さん良くご存知の方なんです」

 一同、固唾を飲む。

「先の検事総長、先の法務大臣、現憲政党幹事長……」

「まさか」冴子が喉を詰まらせる。「清倉誠吾さんが……」

 絹川はまず黙ってうなずいた後、

「しかも、この弓畠耕一、清倉誠吾という、のちに司法界の最高位を極める2人の元陸軍法務官が、和歌山で一方は裁判官、一方は検事として配置されたのは、事件が起きた直後のことなんです」右手の人差し指でゆっくりと一同を掃射しながら、重々しく脅す。「はい。ですから各々方、かなり危険な人脈に接近しているわけですぞ。私の見るところ、陣谷さんの態度も尋常ではありませんでした」

「でも」最後に冴子がつぶやいた。「なぜこの事件に海老根判事が興味を抱いたのかしら」