『最高裁長官殺人事件』

第二章 キーワードは蒙疆アヘン

 目覚めた途端に長崎初雄は昨晩の仕事を思い出した。

「そうだ。あれだ。スクープ、スクープ」

 起き上がって、マンションの入口の新聞受けを開ける。だが、

「なんだ、こりゃ。おい、どういうことだ。こんな馬鹿な……」

 つい大声が出た。大日本新聞の社会面のどこを捜しても、昨夜デスクに渡した奥多摩山中死体発見の見出しがない。そんなはずはないと、もう一度見直すと最下段のベタ記事になっていた。見出しは単に《奥多摩で死体発見》の1行だけである。

 昨夜は締切りギリギリまでがんばって、顔写真がそっくりの西谷禄朗を見つけ出した。しかし、昨夜の追跡はそこまでで、顔が似ているという以上に証拠は得られなかった。記事では個人名をあきらめて、《背広のブランド》から《メーカー判明》《中国残留孤児の可能性》までに止めた。だが、長崎が原稿をデスクに渡してから輪転機が回るまでの間に、なにごとか起きたのだ。朝一番で厚生省に駆けつけて追跡調査をする予定だったのが、不意に足元をさらわれた気分である。カッとなって電話に手を伸ばし、社会部デスク直通のダイヤルを回しかけたが、

〈待てよ。待て、待て。きっと誰かがおれの頭越しに原稿を差し止めたんだ。四の五のいっても元にはもどりっこない。あわてるな。よしっ。おれは知らんぷりして取材を続けてやる。文句があれば、いずれ誰かがなにかいってくる。こちらは、それまで黙って様子を見ていよう〉

 

 同じ日の朝10時。秩父冴子審議官の部屋に《お庭番》チームが集まっていた。

「小山田警視の仕掛け針に、どうやら大物が引っかかったらしいのです。さすが小山田さんですね。最敬礼です」冴子が最上級の賛辞を呈した。「結論を先に申し上げると、昨日、最高裁長官の落とし子と思われる中国残留孤児が死体で発見されました。では、小山田さん、ご報告をお願いします」

「いやなに、定石を踏んだまでのことで」当の小山田は余裕しゃくしゃく。一同に前回の会議以降、弓畠唯彦との会見、《中国》のキーワード、奥多摩山中の遺棄死体発見の経過を報告。ひとしきり例の小山田講談を続けた。「いくつか偶然が重なっていますが、この種の仕事にしてはトントン拍子にことが運んでいます。犯人が単独か複数か、まったく分かりません。しかし、犯人の予想を大きく上回って捜査が進んだことは、間違いないでしょう。普通なら人が踏み込まないブッシュでのサバイバル・ゲームという偶然。携帯用の無線電話機。これだけでも、滅多にない条件です。そして、いわばボランティアの非番巡査と新聞記者が背広のブランド名からガイシャの身元に迫ったというエピソードつきです。おあとは、こちらの仕掛け針からの聞き込みですが、最後がちょっと面白いと思います」

 小山田は、厚生省のデータベースに疑問を抱いた理由から、西谷追跡の経過に話を進めた。神泉駅の近くの原島米穀店の話から、再び講談調が盛り上がってきた。

「これまた珍しい例でして、地元の米屋の親爺が何軒かアパートを持っていて、そのついでに道楽半分に不動産屋を始めたんですね。不動産屋は閉まっているが、米屋の奥に明かりを見つけて戸をたたく。かみさんが出てくる。隣の不動産部……というが早いか。はい、うちの主人が……という返事。主人こと有限会社原島米穀店の会長、兼、不動産部の社長はちょうど一杯引っかけていたところだったので、まあ上がってとなり、話好きの親爺が問わず語り。なんと、西谷はただの不動産の客に止まらず、世話好きな親爺こと地元の有力者、町内会会長の飲み仲間だったという話でした。拙者は親爺に、飲みねえ、飲みねえと、相手の酒だから遠慮なく勧める。最初は、なぜ西谷に酒をおごったりしたか、という話から始まります。日本語がうまくしゃべれない西谷が不憫でならなかった。それというのも親爺は昔、兵隊に取られて中国戦線に行っていた。今思えば、命令に従ったまでとはいえ、酷いことをしたもんだ。中国人の民家から食糧を徴発するわ。中国人や朝鮮人を脅かして軍夫に徴用するわ。ろくに飯も食わさずにこき使うわ。……中国人は食べ物に油がはいってないと元気がなくなる。朝鮮人は唐辛子がないと駄目。日本人は味噌汁と醤油。……いずれも何度か繰り返した思い出話に相違ござんせん。そばでは、おかみさんが〈とうさん、また……〉と笑っています。そしてやっとのことで、だからますます、西谷の身の上は他人事とは思えなかった、というところにたどり着く。しかも西谷の肉親捜しは聞くも涙、語るも涙。相手が分かっているのに、まだ会ってもらえない。実は秘密の事情も聞いていた。西谷は、自分の父親が裁判官だと早くから自分に打ち明けていた。いや最高裁判所の、長官のと、ここだけの話、飲んだうえでの打ち明け話が出るわ出るわ」

「ふうん。いきなり金脈を掘り当てたわけですね」

 絹川特捜検事が感嘆しきり。小山田はひと息入れて、

「はい、はい。金脈か、銀脈か、はたまた動脈か、静脈か。弓畠長官失踪事件そのものとの関係は、いまだ定かではなくとも、同時並行に発生した事件なれば、大いに脈があると見込んでよろしかろう。そこで拙者は後ろを振り向き、返す刀で切りつける。長官の息子の唯彦が、これ幸いにも沿線の、井の頭線は永福町に住んでいる。夜分恐れながらと電話にて、これこれしかじか。西谷禄朗の名を出したところ、一瞬沈黙。ともかく駅前の喫茶店にて会うとのこと。ただちに駆けつけ、なにか心当たりはないものか。ジロリ、ジロリと、この目つき。かねてより拙者が抱いたる疑いは、この異母兄の秘密ではないか。いかが、いかがと詰め寄るうちに、唯彦素直に事実を認め……」

「コン、コン……」そのとき、控えの間との間のドアをノックする音が響いた。

「はい」冴子が答えると、秘書の顔がのぞく。

「厚生省から、お客様がお見えです」

「はい。応接室にお通しして……。皆さん、ちょっと待っててください。朝一番に、この件の極秘資料を請求したんです。データベースに入れてなかったものがあるらしいので」

 冴子を待つ間の退屈しのぎに、小山田が芝居気たっぷり、わざとらしくぼやいた。

「拙者がコツコツ足で稼いだ貴重な捜査結果を、巴御前は電話一本で、手にお入れになるのかも知れませんぜ。なんともむごい世の中になったもんじゃござんせんか」

「いやいや、それもこれも、貴殿の努力の金鉱掘りの裏づけあればこそじゃ。その確信あって初めて、冴子姫がデータ寄越せの威しも冴える」

 絹川検事が小山田講談を真似たうえに、〈冴子〉と〈冴える〉を掛けた駄洒落まで入れたので、一同大笑い。そこへ冴子本人がファイル片手にさっそうともどってきた。

「賑やかですこと。なにかまた私の悪口いってたんでしょ。でもね……大当たりですわよ。小山田さんの話とピッタリ重なります。それと、……報道機関が嗅ぎつけるといけませんから、厚生省の西谷禄朗に関するデータはすべて封鎖してもらいました。それで、ええと、…お話は、唯彦氏との会談まででしたね。続けていただけますか」

「こちとらの野暮な情報よりも、その最新のファイルの方が……と、鬼警視がしきりにひがんでいたところだったんですが」と絹川。

「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんですけど……」

 冴子は真顔で、いかにも申しわけなさそうにわびる。

 これにはそれまで黙って聞いていた智樹までがプッと吹き出してしまった。

「ウッファッ、ハッハッハッハッ……。小山田さんの狸芝居に騙されてはいけませんよ。時代遅れの捜査官という三枚目の役どころを自分に振り当てておいて、実は最新技術をチャッカリ身につけているんですから。一体どちらが踊らされてるのか分からなくなっちゃうんですよ」

「いやはや、鬼だの狸だの三枚目だの、皆さん勝手なことを……。で、まあ、極秘ファイルも届いたようですし、簡潔に報告を終わらせましょう。ええと……唯彦はあっさりと事実を認めました。やっぱり、西谷禄朗が死んだというニュースはショックだったんでしょう。まるで態度が変わりました。異母兄の存在は知っている。家族全員が知っている、ということでした。それを厚生省は世間に秘密にしてくれた。肉親に特別な事情がある場合には厚生省は秘密を守ることにしていますから、決して最高裁長官を特別扱いしたのでもなく、職権乱用でもありません」

「それで先刻の小山田さんの話……西谷のデータのおかしさは、秘密の部分があったためという説明になりますか」と絹川検事。

 小山田は大きくうなずく。

「そういうことです。だけど本当に隠し切るつもりなら、もっと上手に辻つま合わせしとかないといけませんね。特に母親との関係がむずかしい。中国にいる西谷の母親は、当時でいえば、不義の子として西谷禄朗を生んだ。西谷禄朗はもともと、日本人としての出生届も戸籍登録もなしに、中国人に預けられ育てられた。西谷という仮の日本姓は母親の実家の姓である。禄朗も本人が自分で考えただけの名前で、日本人としての戸籍はまだ宙に浮いたままである。この経過を抜きにして、厚生省引き揚げ援護局はデータベースに西谷禄朗の日本名を入れてしまった。ここがちょっと引っかかったんですね。ま、データがおかしくなくても、私は調べには行ったでしょうが……」

 

 小山田警視は自分でいった〈簡潔に〉という言葉どおり、報告をはしょりにはしょった。だが、西谷の肉親をめぐる事情は、そうそう簡単な説明で飲み込めるものではなかった。

「小山田さん、不義の子だかなんだか知りませんが、もっと詳しく説明してもらわないと、前後の事情が分かりませんよ」絹川がこういい出し、一同ガヤガヤ。

 だが小山田は少しもあわてない。言葉とは裏腹に、実はなにかまだ隠し持っている様子で、悠然と部屋の隅を見やる。そこでは、複写機を使って秩父冴子審議官が先刻の資料をコピーしていた。皆の話を聞きながらの作業だが、冴子もこういう。

「ちょっと待ってください。こちらの方が簡単ですから、最初にこれを見て説明していただいた方が手っ取り早いと思います」素早く数枚のコピーをセットして、一同に配る。「引き揚げ援護局が西谷さんの肉親関係を確認した報告書です」

「はい。はい。こういうこと」小山田はコピーをめくりながら素早く要約する。「劉玉貴こと西谷祿朗の主張に基づいて、援護局は弓畠耕一最高裁長官と連絡を取り、極秘裡に事情聴取及び血液検査を行なった。その結果、両者の親子関係が確認された。一方、禄朗の母親の西谷奈美は満州で嫁ぎ先の北園家から離縁されたため、戸籍を父親の西谷の元にもどしたが、そのご日本では行方不明として戸籍が抹消されている。劉玉貴が日本人であると確認された以上、本人が希望すれば日本国籍を与えなければならない。ところが、弓畠耕一は入籍を認めないから、劉玉貴は母親の西谷姓を希望する。だが、西谷奈美が中国で生きているとなると、手続き上は、こちらの確認と戸籍回復、中国への帰化などの処理を先にしなければならないので、目下、中国当局と折衝中である」

 小山田は、そこでコピーから目を離し、自分の口頭報告にもどった。

「大筋はこういうことですが、このほかにも何人か重要な関係者がいます。まず、中国名王文林こと千歳弥輔です。弓畠唯彦の話では、彼が最初に西谷の存在を知ったのは、訪日調査団の中国側の世話役である王文林の口からです。王文林は高知にいた唯彦に電話をしてきました。王の日本語があまりに流暢なので、唯彦がそういうと、実は元日本人で戦争中に八路軍に身を投じた元日本軍兵士だった」

「へえっ。そいつは驚きですね」と智樹。

「あら。そんなことはこの資料にはまったく書かれてないわ」冴子が賞賛顔。

「うむっ。これで1本。勝負あった」絹川がおどける。「鬼警視の聞き込み捜査の勝ち。引き揚げ援護局資料の負け」。

「ありがとうございます」小山田は続ける。「おそらく引き揚げ援護局は王の動きをつかんでなかったと思いますよ。水面下の動きですからね。それで、……王こと元日本人千歳弥輔のいうことには、劉玉貴の父親が弓畠耕一であると確信するに至ったが、弓畠耕一は本人に会おうとしないし、極秘の協力にも応じようとしない。厚生省は限界を感じたといっている。しかし自分としては、日本の最高裁長官ともあろう方の対応にいささか怒りを覚えているので、独断でお願いする。貴方の家族にとっては迷惑な話だろうが、劉玉貴とその母親にとっては残酷な悲劇なのだ。貴方も報道機関ではたらく人なのだから、ことの重大さは分かるだろう。腹違いの兄さんのために協力して欲しい、と。……そこまでいわれた唯彦は、まず母親と相談した。海外勤務の妹にも了解を求めた。そのうえで、父親の弓畠耕一本人に迫った。家族は事実をあるがままに受け止める。万一の場合、世間に知れても仕方ないと家族は覚悟している。だから、家族に迷惑をかけたくないという理由はすでになくなっている。極秘の協力には応じてくれ。腹違いの兄を日本人として認知してやってくれ。これで弓畠耕一は渋々ながら極秘の協力に応じた。しかし、いまだに、劉玉貴本人に会おうとはしない」

「ふむっ。そこで呼び出しを」と絹川。

「しかも」小山田は続ける。「まだまだ興味深い関係者がいます。劉玉貴の父親捜しには、訪日以前から日本側に協力者がいまして、それがなんと、劉玉貴の異父兄、種違いの兄、つまり西谷奈美が正式の結婚で生んだ最初の子供だというんです。名前は北園和久といいます。ただし、唯彦に最初に電話してきて王文林への協力を頼んだのは、その奥さんの北園亜登美さんだったというんですね」

「あらっ、女性」と冴子。「もしかして呼び出し電話の主じゃないかしら」

「その可能性は高いですね」と小山田。「弓畠耕一は世間体を気にしている。秘密を握る女性からの呼び出しには弱い」

「大変なご報告でしたね」冴子がねぎらう。「でも、これだけの関係者がいるとなると、まだまだ複雑な背景がありそうですね」

 しばしの沈黙。それを破って智樹が、

「よろしいですか。私も若干、聞き込み捜査をいたしました」

「あらっ。ちょっと意味深な前置きですわね。影森さんが聞き込み捜査とは」と冴子。

「ハハハッ……。それほどのことではありませんが、ともかく、ヒミコに聞いても分からないものですから、弓畠耕一の軍歴を調べに防衛庁の資料室まで行って参りました。幸いなことに、旧軍の人事資料についてはコンピュータ化の方針が昨年から出ていまして、すでに打ち込みが終わり、チェック作業中でした。弓畠耕一は、日米開戦の年の1941年、昭和16年に幹部候補生、見習少尉の法務官として満州で関東軍に入隊。満州ではハルビンに1年ほどいました。その後、熱河省、次いでチャハル省に派遣されて、敗戦まで張家口の司令部勤務です」

「ちゃんちゃこう……」と冴子。

 智樹は資料のコピーを裏返し、大きな字で〈張家口〉と書く。

「張家口はチャハル省の省都で、地図でいうと北京の北東の方角です」

「どんなところですか」冴子がさらに聞く。

「この熱河省とかチャハル省とかは大変な場所なんです」と智樹。「熱河省の占領は1933年の国際連盟脱退と同時。チャハル省は1937年の盧溝橋事件と同時。ともに関東軍が満州に続いて、軍中央の制止を振り切って占領した地帯です。熱河作戦、チャハル作戦と呼ばれていますが、両者ともに主な狙いは現地のアヘンを押さえることにあったといわれています。〈アヘンのマーケットを握ったものが中国を制する〉というのが当時の日本軍の高級参謀の認識でした。アヘンは地方軍閥などとの取り引きにも使われたんですね。チャハル作戦では異例なことに、関東軍参謀長であった東条英機中将が、特別編成のチャハル派遣兵団の兵団長として指揮に当たりました。現地には蒙古人を中心としたいくつかのカイライ政権が樹立されていますが、張家口に蒙堯連合委員会が置かれたので、蒙堯政権と通称されています」

「もうきょう……」と冴子。

「蒙古の蒙に、新疆の疆です」と智樹。「大体でいうと、内蒙古といわれている地域です。蒙堯政権は歴史的には第2の満州国という位置づけになっていますが、今の日本の教科書にはまったく載っていません。いわゆる大東亜戦争の秘史の中でも一番知られていない真っ暗闇の部分ですね。日本は南京カイライ政権の汪兆銘・周仏海との会談でも、蒙疆地域には高度の〈防共〉の必要性があるからという理由をつけて〈自治〉を認めさせました。当時の中国で〈自治〉というのは日本軍の軍政支配と考えて差し支えありませんね。ところが〈防共〉の名に隠れていた本音の狙いは、蒙疆一帯のケシ栽培を押さえることでした。日本軍の占領下で、蒙疆では従来を上回る大規模なケシ栽培、アヘンの増産が行なわれ、いわゆる大東亜共栄圏全体に対して供給されました。大体は陸軍の特務機関を中心とする謀略的な仕事ですが、日本政府は興亜院という中央機関まで設置して利害の調整に当たりました。蒙疆政権の首都に当たる張家口には興亜院の蒙疆連絡部が置かれていました。張家口は、いわばアヘン謀略の中心地ですよ。抗日ゲリラの活動も盛んだったようです」

 しばしの沈黙。なんといっても半世紀も前の話である。ところが、

「アヘン……ね。うっふん」今度は絹川が突然の咳払いで沈黙を破った。「もしかすると、その線があるのかもしれませんぞ」

「えっ。なんですか、その……アヘンの線というのは」冴子がびっくり。

「はい」と絹川。「前回の打ち合わせで、最高裁の正面ホールで飛び下り自殺したという高裁判事の件があったでしょ。図書館員の態度がおかしかったと……。内々に探ってみました。最高裁の警備課長が昔馴染みの元刑事でしたので、使用済みの閲覧請求カードの束をこっそり持ち出してもらったんです」絹川は一同の顔を見回し、再び、おもむろに咳払いをした。「うっふん。海老根判事は死亡したその日に、ある事件の判決文の閲覧を請求していました。最高裁には主要な事件の判決文をマイクロフィッシュに縮小したものがあるんですが、事件番号を見ると、敗戦直後に和歌山地裁で扱われた事件です。そこで私がそのマイクロフィッシュを請求してみると、弓畠耕一の名前で数年前から貸し出されたままになっていました。これはおかしいと思って、検察庁のマイクロフィッシュを捜しました。同じコピーが検察庁と日弁連にも備えてあるんです。しかし、検察庁のコピーも、さらには日弁連のコピーも長期貸し出し中でした。最後の手段は出版元の法曹協会です。さすがに出版元のコピーは無事でした。……和歌山地裁の事件は、戦後のアヘン密輸入に関するものでした。注目すべきことに判決文の末尾には、裁判長裁判官として弓畠耕一の署名がありました」

「えっ……。和歌山地裁で、弓畠耕一裁判長ですか」と小山田。

「はい。先ほどの小山田さんのご報告の中にも、和歌山がありましたね。大阪にいた頃、弓畠家を訪問した和歌山の検察庁の誰か、そして、アメリカ人らしい白人……」

 絹川の細い右手が宙をくねり始めた。一同の目はすでにお馴染みの右手の動きを根元までたどると、絹川のへの字に結んだ唇に集中していった。