『NHK腐蝕研究』(4-9)

《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!

電網木村書店 Web無料公開 2004.1.5

第四章 NHK《神殿》偽りの歴史 9

日放労よ、どこへ行く

 一方の飯田次男アナはすでに故人。これも小さな死亡記事に、戦後史のひとつの終りを見る想いがした。

 しかし、個人が死んでも、組織が続くという場合がある。飯田のスト破りは、第二組合たる現在の日放労の旗上げで完成した。その時の結成メンバーは、もう何人もいないだろう。上田哲がNHKの職員となったのも一九五四年のこと。あと始末のレッドパージからも四年後。上田には何の組織的責任もない。多くの日放労の組合員は、はるかにそれ以後。過去のいきがかりなど、知る由もない。

 日放労は誕生するや否や、アメリカのお声がかりで作られた総評に加盟し、さらには、世界労連を割って出た国際自由労連に加わった。総評は、その後に戦闘化したり、右翼化したりするが、政治的には、社会党支持を組織決定としたままである。

 日放労が上田「議席」を組織カンパと組織動員で支えるのは、いってみれば結成時のいきがかりそのままなのである。そして、前田会長=橋本自民党広報委員長(当時)ほかの体制は、この日放労と折れ合い、高度成長期をアベックで走り抜けた。といっても、日放労が日本の労働組合のなかで、さほど右寄りというわけでもなかった。“コイの滝のぼり”といわれた受信料収入激増の陰で、労使の対決は緩和される条件があったのだ。

 ただし、上田体制が、“左派封じこめ”をやった事実もはっきりしている。

 話は飛ぶが、自民党の総務委員会で坂本朝一会長を呼びつけては、NHK=上田攻撃の発言が相次いだ際のこと。

 「ところが、である。玉置さん、すっくと立つや、坂本擁護どころか上田氏をかばい始めたというのだ。その弁というのは、

 『社会党の上田議員の実力のお陰で、NHKが代々木の民青に占領されていない。この点を、我々は十分に認識する必要がある』

 というのだそうで、それまでにぎやかにNHK攻撃をぶっていた総務たちも、いっぺんにシュンとなったとか」(『週刊読売』’79・3・4)

 見出しには、「タカ派玉置氏、上田哲氏をかばう」とある。上田議員にとっては予定せざる反共統一戦線の呼びかけ。“有難迷惑”であろう。しかし、一万七千人もいるNHK職員のなかには、民青や共産党のメンバーが何人かいてもおかしくない。そして、上田哲の参院選立侯補に際しては、公示の三日前に、東京都民のNHK職員約五千名の自宅に、ビラを折りこんだ手紙が送られたこともある。その一部分を見てみよう。

 「NHKに働く仲間のみなさんへ/あなたの職場の日本共産党支部より」「われわれの組合・日放労では組合機関による社会党の選挙活動のおしつけがますます強まっています。多くの組合員が、一日組合デーや票よみ活動に動員されているばかりか、全組合員からチェックオフ(天引き)による選挙資金の徴収もされました」「日本共産党への支援を心から訴えます/日本共産党NHK(東京)支部」(『週刊文春』’74・7・8)

 共産党の主張は、「社会党一党支持」の組織決定で組合員をしばるのは、憲法違反というもの。この論争は、いま、総評系の大単産なら、どこでも公然とやられている。それがNHKではたった一度の「手紙」だけで、あとはひっそりというのだから、いじましい。

 すでに述べたように「言論保障制度」が、「受信料制度」に対する日放労の規定なのだが、組合内部の言論の自由は保障されているのだろうか。

 もうひとつの“左派”運動は、一九六八年の「日放労長崎分会」の配転反対闘争であった。アメリカの原子力潜水艦が、横須賀を避け、長崎を寄港地にした。同年一月に「エンタープライズ佐世保入港阻止闘争」があったといえば、想い出す人は多いだろう。その八月に、長崎分会の鈴木分会長と分会員で長崎反戦青年委員会事務局長の久野の両名が、東京転勤の内示を受けた。「東京転勤」という手段がNHKらしいところで、他にも例がある。いかにも余裕しゃくしゃくの押え込み方なのだ。

 上部の日放労九州支部も、この配転を「不当配転」として争い、中央団交でも「地労委あっせん中は発令しない」(『朝日ジャーナル』’68・12・1)と約束させた。

 しかし、結果的には、長崎分会の二十数名が、「長崎分会からは脱退したいが、日放労には残りたい」という連署を提出。九州支部が長崎分会を「統制処分」に付する。鈴木分会長本人も学生時代に「フロント(構改派)でした」(同前)と語っているらしく、当時の組合運動では、いろいろともめたところである。

 ただしこの際、鈴木がすでに一度、分会情宣部長に選出され、「当時のベア闘争について『組合中央のたたかう姿勢は甘い』と機関紙の座談会で批判、統制違反として情宣部長を解任……分会長に立候補、対立候補を四十八対四十二の小差で破って当選」(同前)という経過があったらしい。これも「言論」問題だ。

 また、配転反対闘争の打ち切り以後、日放労の中央機関紙は、「……支援団体である長崎ベ平連が八月十八日福岡市の集会で協会への抗議として受信料不払いを呼びかけるビラをまいたことなどから、組織内問題について日放労を飛び越え、独自の行動をとる支援団体の動きに反発が強くなってきた……」という評価を加えた。

 だが、打ち切り決定前の中央大会では、九州支部の“オブザーバー”発言が許され、「長崎分会は日放労が守らなければならないとしている受信料について不払い運動まで提起した」という批判をしたらしい。

 これはいいすぎで、さきの日放労機関紙のとおり、事実はベ平連がビラをまいただけ。「長崎分会は、そのビラをすぐ回収させ、ベ平連に対しても、今後は受信料不払いを提起しないよう強く申し入れている」というのだ。


(4-10)NHKからの《解雇》と《終身雇用制》が意味するもの