『NHK腐蝕研究』(2-10)

《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!

電網木村書店 Web無料公開 2003.11.6

第二章 NHK《受信料》帝国護持の論理 10

強奪と強制のNHK流“法の精神”

 本多勝一は、ロングセラー『NHK受信料拒否の論理』のなかで、「受信料を強奪される」という表現から論旨を展開している。これは、まさにそのとおりなのである。NHKの受信料システムは、イギリス流の電波国有理論、つまりは国家による電波強奪とともに出発している。「国有」の電波を使用する「公共独占放送」ゆえに、NHKも、国家機関の強制による契約料・受信料を財源として、成立しえたのである。

 逆の立場をとったアメリカでは、商業放送が広告収入で発達し、のちに公共放送を設立することになるが、この公共放送の財源は連邦政府、州政府、民間機関などの寄付にたよっている。アメリカでは、電波を、国民が申請すれば使用できるものとしたので、その使用による収入確保の道は使用者の自由にまかせられていた。だから、特定の受信者と契約し受信料を集めることも、理屈の上では可能だったのだが、受信料制度は成立しえなかった。

 現在は、電波に特殊な雑音をいれ、この雑音をとりのぞく装置を視聴者に渡すセレクト・テレビという方式の有料システムができているが、この方式の存在そのものが、受信料集めの困難さの証明となっている。

 このように、イギリス(または戦前の日本)とアメリカの歴史的比較は、受信料の性格を考える上で、最も重要である。

 また、NHK受信料不払いの宣言として、「勝手に放送したものを見たからといって、なにも金を払うことはありません」(同前)というのが、受け手側としての最強の論理であろう。

 というのは、まず、放送の受信者に受信料を請求するという行為は、ふつうの商品と貨幣の交換とは、大いに事情を異にしているからである。職業として類似のものをたどれば、大道芸人に近いであろう。この場合も「勝手に」大道で演ずるので、聴衆は投げ銭を強制される立場にはない。どだい「放送」という言葉自体が、「送りっぱなし」の漢語化である。

 元逓信省事務官中村寅吉の回顧によると、「放送」という用語の使用がはじまったのは、第一次世界戦争中の一九一七(大正六)年一月で、ところはインド洋上であるという。そこで日本船三島丸は、イギリス海軍発電らしき送信を受けた。ドイツ軍艦出没中の警告であったが、ふつうはCQ・CQの呼びだしに応答を確認してから送信するものを、緊急の警告であったため、応答を待たずに送ってきた。そこで、通信日誌への記入法を考えた挙句、「送り放しであることから、これを『かくかくの放送を受信した』と表示することにした」(『逓信史話)』)という説明になっている。もちろん、受信料は払っていない。

 「放送」とは、このように、受け手の確認なしに放つものである。社会科学的に厳密な規定をする向きによれば、「ラジオ放送は、じつは、送り手側からの一方通行的な放送用の無線電話」(『現代マスコミ論批判・精神交通論ノート』)だというのだ。

 商業的に考えると、放送にかかる費用は、受け手があってもなくても、同額である。また、新聞や出版物なら、すくなくとも紙代プラスアルファの出費は、出発点で、一点にいくらかかっているという割り算ができる。放送では、こういう商品単価の計算も、出荷時には成り立たないのである。

 その上、発信・受信の当事者がはっきりしている電報でも、相手方も話せる電話でも、料金の負担者は発信人なり掛け手なりになっている。

 NHK受信料支払い拒否者の増大は、こういう自然の原理からしても、当然である。もし、なにがしかの分担金を払う制度が成り立ちうるとすれば、それは物々交換に起源を発する売買システムからはなれて、白紙にもどらなければならない。共同の事業として、NHKを運営するコンセンサスがつくられて、はじめてスッキリとするであろう。ところが、NHKは、あたかも天の岩戸以来の権利であるかのように、当初から送信者の立場に立ちつづけ、一方的に受信料請求の権利を主張しつづけているのである。

 受信者は、しかも、受信機代と受信中の電気料金を負担している。その中にも、不当な独占価格が含まれている。だが、この方は金を出さなければ手にはいらない仕掛けになっているから、高くても我慢せざるをえない。その上、多額の税金もふんだくられているというのに、国営放送まがいのNHKにまで金を出せるか、ということにもなってくる。

 NHK側の論理は、そこで一転して、受信料制度を維持しないと、国営になってしまうが、それではよくないだろうという「オドシ」にかわっていく。

 このあたりの事情を、小中陽太郎が、「二重構造の専制王国NHK」と題して、強烈に皮肉っている。

 「狼が来る、狼が来る、と言って善良な羊を驚かした少年は、まだ許せる。

 もし、狼が、自分で、狼が来る、と言って柵の構築費用をせしめていったら、いったいどういうことになるであろうか。

 NHKの受信料の徴収の論理は、そういうことを思わせる。

 NHKの企業内の人々がこの四面楚歌の中で、いかにして、その論理を構築しているか、それは涙ぐましいほどである」(『創』’73・8)

 もちろん、「論理」だけでは、一般国民を納得させることは出来ない。不払い運動の波は、高まる一方である。そこで、NHK流の国内外交が、早くから展開されてきた。

 話が飛ぶようだが、最近、芸能人の“相姦”などという表現が見受けられる。学校で習わなかった漢語を使いたがるのも、最近の奇妙な風潮なのだが、岩波の『国語辞典』にはこう書いてある。

 《相姦》……肉体関係を持つことが世間一般で禁じられている男女、特に血のつながりのあるものが通じあうこと。「近親――」(用例-筆者注)。

 『広辞苑』はさらに端的で、「男女が不義の私通をすること」としている。

 これに照らすと、芸能人やスポーツ・タレントなどのセックスライフは、相姦関係ではない。むしろ、そういう“擬似インベント”や“ニセ事実”の報道で、庶民をたぶらかし続けているマスコミの事業体の方にこそ、この用語がふさわしいようだ。


第三章 NHK=マスコミ租界《相姦》の構図
(3-1)NHK広報室の黒い水脈とゲッペルス広報室長