本多勝一の墓碑銘 朝日の威を借る捏造記者の末路 2

その2:カンボジア報道の改竄

1998.12.07

 『噂の真相』(1998.6)の投稿欄に「本多勝一の捏造のレトリック」が載りました。

 執筆者は、東南アジア研究者の鵜戸口哲尚氏でした。

 要点のみを紹介すると、「畏敬するイギリスの東南アジア研究者M.コールドウェルのカンボジア現地での訃報に接し、カンボジア情勢の真相の調査と究明に全力を賭した彼の無念を少しでも継承すべく、やはり同じ英人研究者D.ボゲット氏と『カンボジアの悲劇』(成甲書房)を編集し」、「ポル・ポト政権下の虐殺に関する報道には数の誇張があり、虐殺キャンペーンに依ってベトナムの介入・侵攻を正当化する議論は問題のすり替え」、「原則は民族自決」などと主張したのに対して、「本多氏と同僚井川一久氏は、私たちを虐殺の擁護者、連合赤軍貼りとレッテルを貼り」、「激しい攻撃を加えてきました」という趣旨です。

 鵜戸口氏は、それ以前にも『人民新聞』(1998.4.15)「私の発言」欄に「再び『カンボジア革命とは何だったのか』を問うべき本多勝一『噂の真相』(4月号)コラムへの回答」を寄せていました。こちらの方が長いので、かつての「論争」を想起こして、さらに具体的な批判をしています。たとえば、次のような「本多勝一の捏造のレトリック」です。

「『噂の真相』の本多の言葉を拾おう。『カンボジア大虐殺めぐる賛否の大論争』という言葉自体の中に三重の欺瞞がある。大虐殺の『大』をめぐって経緯と実態の議論をしたのである。『賛否』というが、誰も賛成などという非常識な馬鹿はいない。大『論争』というが、『論争』が成立するほどには、本多たちには明晰で冷静な思考力も学問的蓄積も備わっていない」

 極め付きの批判は、次のようなものです。

「本多には昔から論議・争点を明確にするだけの『頭脳的資質』が欠けている。思考力に欠けているのである。従って、常に詰まるところ、『見てきた』『行ってきた』『どっちに味方する』という子供じみた論拠しか出せないのである」

 カンボジア「大虐殺」に関する本多勝一氏の「自分の過去の文章改竄」については、すでにこのメ-ルで送りました。鵜戸口氏の批判は私の実感にピッタリです。

 いやはや、これまでにも大手新聞「体育会系」記者には、ろくでなしが多いと感じる機会が、いやというほどあったものの、この「超有名」「市民派」気取りの実物の具体的な実態を知るにつけて、しばし、わが同類なる裸の猿の愚かさと醜さに、宇宙的規模の絶望感を覚えざるを得ないのも、これまた痛切なる事実です。

『噂の真相』で「クズ」「カス」「ヨタ」呼ばわりをされた岩瀬達哉氏も、本多勝一氏を名誉毀損で訴えたとのこと。このところ忙しくて自宅で取っている日経しか見ていないので、提訴情報記事は見逃しましたが、本多勝一問題を特集中の『創』編集長、篠田博之氏が言うのだから、これは「裏を取る」までもなく間違いないのでしょう。

 私の対『週刊金曜日』裁判も、きたる11月29日13時20分から約30分、地裁 713法廷にて口頭弁論、裁判長交替の弁論更新で約10分訴状陳述、問題点を整理し、いよいよ次は原告本人、つまり私自身の「本多勝一糾弾」証言の場の幕開きとなりました。

 できれば、弁慶のように大袈裟な見栄を切って、花道から登場したいものです。(1999.2.26.注記。別途「裁判」HP参照。本人陳述は実現せず結審、判決。)

 金融関係の官庁、大手企業、どぶん、ざぶん、しゃぶしゃぶ、はたまた防衛調達庁のと、いやはや、それにしても、やい、それを報道しては稼ぐ、そこなマスコミ業者!

「役人の子はニギニギをすぐ覚え」などという「役人」だけへの皮肉の、これで「一分」じゃあ、すまされめえ!

 いよう! 音羽屋! ちょ、ちょん、ちょん、ちょん!

 なお、前回の墓碑銘1で、英語の警句をうろ覚えで記したために、文法的には正しいとしても、格言に付き物の省略的表現を間違えていました。正しくは、つぎのようです。(墓碑名1で訂正済み)

 この訂正は別に、本多勝一流「自己文章改竄」への皮肉を意図したものではありません。

 Honesty is the best policy.の格言に従っただけのことです。「忠君愛国」時代に育った私は、このアングロ=サクソン格言を知った当初、「正直」までを「政策」にするエゲツナイ連中という感想を持ちましたが、今では、この方が人類こと裸の猿の本性に適った科学的秩序維持の教訓であろうと考えています。

 以上。


その3:『噂の真相』が追放決定!に進む