イラク戦争被害の記録

被害報道日誌(11月20日〜12月24日)


今も続く “ファルージャの大虐殺”−−飢餓、無差別射撃、避難民


12月24日

■ 回復不可能なまでに破壊され廃墟と化したファルージャ。一時帰還した避難民の憤怒、反米・反政府感情の爆発。

[コメント]
 一部住民の帰還が始まったようだ。米軍発表によると、23日には900人の住民が4カ所の検問所を通り市内へと入った。今回の帰還は一時的なものであり、今後本格的な帰還を進めていく計画であることが伝えられている。
 米軍、イラク暫定政権の思惑は明白である。ファルージャの武装勢力を完全に一掃し、1月末の選挙を前までに住民を強制的に帰還、選挙プロセスに参加できる状況をアリバイ的に作り上げることにある。そのために、ファルージャが「平常状態」に戻ったことを、またファルージャにおいても選挙を実施できる状況が整いつつあることを内外にアピールしたいからに他ならない。

市内への帰還を要求するファルージャの難民たち。
(english.aljazeera.netより)
 しかし市内に入った市民は、町、建物、家屋の破壊された現実を突きつけられ、米軍とイラク暫定政権への怒りを新たにしている。一時帰還した市民の声を伝えた記事『ファルージャの帰還民は怒っている。「町には動物すら住めない」』(下に翻訳文掲載)には、ファルージャの惨状を目の当たりにした怒りの声が紹介されている。また国際赤十字委員会(ICRC)の二回目のファルージャ訪問報告を伝える『ファルージャの水道施設は稼働していない』(下に翻訳文掲載)では、たとえ避難民がファルージャに戻ったとしても、住居、インフラが米軍の侵攻によって根こそぎ破壊されており、町で生活することができない最悪の状況が語られている。

 米軍とイラク暫定政権は、ファルージャを徹底的に破壊し、「居住不能」な町に変えてしまったのである。ファルージャを取り巻く状況は悲惨である。様々な報道記事を総合すると、次のような状況が見えてくる。
@ 多くの住民の家屋が破壊され、生活する場所が奪われた。町の60〜70%の家屋が完全に破壊された。
A 生活基盤は破壊されたままである。給水システムは破壊されている。発電所、送電網も破壊されている。現地に入ったICRCは21日、「ファルージャの浄水施設4ヶ所がいまだに稼働していない」と発表した。
B 町の衛生状態は最悪である。いまだに「広くあちこちで死臭がしている」ことが報道されている。
C 医療拠点も破壊されたままである。一ヶ月を越える難民生活を通して、多くの住民の健康状態は悪化している。最も抵抗力のない子供たちの間には、伝染病の流行すら見られている。しかし町にはまともな医療施設はないのである。
D 未だに米軍・イラク暫定政権は、支援活動を妨害している。「米軍兵士とイラク国家警備隊が、諸グループや救援組織が提供する援助物資を妨害したり阻止したりすることもある」。
E 今なお戦闘が継続している。散発的に市内各所で戦闘が行われている。ファルージャは「戦場」なのである。民間人が立ち入ることのできない「戦闘地域」なのである。しかしこのことは、反面から見れば、現地の住民が未だに反米武装レジスタンスを戦い抜いているということを示している。何千人もの膨大な犠牲を出しながらも、未だに屈服・降伏せずに抵抗しているのだ。圧倒的火力で攻める米軍に対抗する意志と誇りとエネルギーにただ感嘆するだけである。

「…占領軍が撤退したとしても人々が帰還できるとは思わない。帰還までに数ヶ月あるいは数年かかりさえするだろう」(アル・ダリ師:『ファルージャは「居住不能」』から)。これがファルージャの置かれている現状である。そして一度は帰還した住民たちが、再び市外に避難しているというのである。
※ファルージャは「居住不能」
 http://www.unobserver.com/layout5.php?id=2049&blz=2
 日本語の翻訳は、益岡賢さんといけだよしこさんのウェブ・ブログ
 http://humphrey.blogtribe.org/entry-e944a4798761722f1b2d266573789b9a.html参照。
※<イラク>ファルージャで住民の帰還始まる
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041224-00000098-mai-int
※イラク、避難中のファルージャ住民が帰宅し始める
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041224-00000617-reu-int


■ファルージャの強制収容所化−米軍による「レジスタンス狩り」。
 はたして正気なのであろうか。米軍はファルージャにレジスタンスが戻ってこないように、「市郊外の『市民処理センター』なるものに住民を通し、DNA鑑定と虹彩スキャンによって身元確認のデータベースを構築する」(ダグラス・スミス『ファルージャ強制収容所』から)計画だという。しかも米軍は、「ファルージャ男性全員を「軍隊式の部隊」に編成し、破壊された街の清掃と再建に強制的に働かせる」(前掲記事)のだという。
 全くあきれた計画である。ファルージャ市民全員を、町という名の監獄に押し込めようというのである。それはナチスドイツによるユダヤ人ゲットーを想起させる。ユダヤ人に“ダビデの星”の印を付けることを強制し、狭い地域に隔離し、次々と収容所に引き立てていったナチスのやり方となんら変わらない。「イラクの自由と民主主義の実現」を掲げるアメリカによる、人間を隷属させるか恐るべき計画が、堂々と計画されているのである。はたしてこのような非人道的な計画が実際に実行されるのかどうかは分からない。しかし、このような計画が浮上すること自体、イラク戦争の非人間的本質を端的に表すものである。
※ファルージャ強制収容所  ダグラス・ラミス
 日本語の翻訳は、益岡賢さんといけだよしこさんのウェブ・ブログ
 http://humphrey.blogtribe.org/entry-9f5f2b7d0f50a4c6fd73188b4295141e.html参照。


■2000人か、6000人か、あるいはそれ以上なのか。未だに判明しないファルージャ市民の犠牲者数。
 米軍とイラク暫定政府による民間人の無差別殺戮、これがファルージャにおける戦争の最大の焦点である。米軍とイラク暫定政権は、2000人の武装勢力を殺害したことを宣言した。その後ファルージャ市内に残って取材したジャーナリストの発言から6000人が殺されたとの情報が流れた。しかし未だにファルージャ市民の犠牲者数は判明していない。戦闘中のファルージャ市内に留まっていた一般市民の数は、多く見積もっても5万人にものぼると見られている。おそらく、数千人単位で般市民が、米軍によって殺害されたと思われる。(ファルージャにける一般市民を標的にした殺戮の個別の実態については、エマン・ハーマスさんの講演記録を参照願いたい。)

 7週間以上にわたる封鎖の間、米軍とイラク暫定政府は、殺戮した民間人の遺体を隠そうとしていたのではないか、そのような重大な疑惑が浮上している。市街を占拠した米軍は、ジャガイモ倉庫を遺体置き場として利用していたらしい。そこに集められた遺体は武装勢力のものだと米軍は主張しているらしいが、しかし、ICRCの二回目の調査時には、その倉庫の中には一切遺体が消し去られていたという。「私たちは血痕が残されたたくさんの部屋を見ました。そこの臭いは、遺体が置かれていたことを示していました」(ICRC職員)。想像するに、民間人殺害の証拠を消し去るために米軍とイラク暫定政権は散乱した遺体を集め、市民、援助団体が立ち入る前に、秘密裏に埋葬、放棄したのではないか。どこに遺体を移動ささせたのか、未だにICRCはその所在を掴んでいないのである。



[翻訳]
★“ファルージャの帰還民は怒っている。「町には動物すら住めない」”
Falluja Returnees Angry, 'City Unfit for Animals'
ファディル・アル・バドラニ  ロイター通信 2004/12/24
http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/L24712064.htm

ファルージャ ―― 金曜日、多くのイラク人がファルージャに戻り、先月の米軍の攻撃の後に残された、瓦礫に埋もれた自分たちの家と崩壊した生活を目の当たりにして、怒り、フラストレーション、憤りを示している。

「私は、町とアル・アンダルスが破壊されているのを見た」と35歳のアリ・マフムド氏は、彼が木曜日に短時間戻ったみた町の地区の様子に言及して語った。その散乱した様子を目撃し、今はここを立ち去ることにするという、

「私の家屋は完全に破壊されてしまった。ここに住み続けるための物は、一切残されていないよ」と、その教師は語った。彼はむしろ、ファルージャ郊外の、過去2ヶ月にわたって家族の暮らしたテントのキャンプに生活するつもりだと付け加えた。

意表をついたクリスマス前日のイラク訪問においてラムズフェルド米国防長官は、ファルージャ近郊の基地を金曜日に訪問したが、町の再建については一切言及しなかった。

海兵隊のジョン・サトラー准将はラムズフェルドに対して、この町での戦闘がどれほど激しいものだったのかを語った。そこでの戦闘の多くは、家対家(house-to-house)、あるいは手対手(hand-to-hand)とさえ言えるほど至近距離のものであった。

「あなたはその扉を通ってくる。それを望んでいるのは誰だったのか?それは私たちだ」とサトラー(准将)は同僚の決意を称賛しながら語った。

保守的な見積もりによっても、米軍の攻撃によって数百の建物が部分的あるいは完全に破壊された。艦載機、戦車、砲撃等による攻撃は11月8日に始まった。武装勢力もまた、仕掛け爆弾によって家屋を爆破した。

ゲリラの拠点となっていた地点から武装勢力を一掃することを狙った攻撃は、一ヶ月以上も前に成功が宣言されたが、複数の場所において戦闘が続いている。米軍機が夜通し、西部地区を空爆したと、住民は語っている。

イラク保健省の当局者は、最大の懸念がファルージャの人々が自分たちの家屋が被った被害の大きさを知ったときに抱くであろう憤慨であると語っている。

金曜日のケースが、まさにそれであった。避難した人々は、ファルージャを支配地にした抵抗勢力とは関係ないことを主張するのに骨を折っている一方、攻撃の結果として彼らの多くは怒り、兵士になっている。

「アラーは、動物が住めないこの町に私たちが戻ることをお望みか?」と、ヤセル・サター氏は破壊された家屋を見ながら語った。

「人間の感性を持たない動物でもここには住めない」と言って、彼は泣いた。

「ファルージャに何を望んでいるのか?これは世紀の大犯罪だ。奴らは、イスラムとムスリムを壊滅しようとしている。しかし、我々の怒りと抵抗は強まるであろう」。

水も、電気もない
援助団体の職員は、攻撃前に20万人の人々がファルージャを逃れたと見ている。そしてその後の7週間を付近の町、村、あるいはテントの難民キャンプで過ごしていると見ている。

攻撃前、その町は約25万人の人口を抱えていた。戦闘の最中、大部分は中心部から離れた地区の約5万人が留まっていたとみられるが、一体どれだけの人々が町に潜んでいたのかは分かっていない。町の中心部は、ゴーストタウンと化した。

イラク暫定政権と米軍は今週、約2千人の家族がファルージャのアンダルス地区へ帰還することを許可すると発表した。その地区は火曜日以降、安全と見られている。

大部分が男性である900人が、市内に入る許可を得る前に、厳重な安全チェックを受けるために移動を始めた。チェックの内容には、再び武装勢力が戻ってこないように、兵士の年齢に達している男性への指紋採取、虹彩スキャンが含まれている。

米軍は木曜日、住民帰還の計画は首尾良く実施できたこと、ここ数日間でアンダルス地区へさらに多くの人々が帰還するだろうと発表した。

しかし、帰還民には水も電気もない。攻撃によって基礎的なサービスと通信手段は破壊されてしまった。

イラク政権は、一部損壊の家屋に対して2000ドル、重大な損害に対して4000ドル、完全に破壊された家屋へは1万ドルの補償を実施するであろうと発表した。それらは家屋を建て直すのに必要なわずかな金額に過ぎない。

商店主は、店舗の規模と売上げ金額に応じて1500〜3000ドルを受け取るであろう。しかしこれらは、多くの人々の怒りを癒すのに十分ではない。サター氏は尋ねた。「これが、奴らがファルージャに持ち込んだ自由と民主主義というものなのか?」


★“ファルージャの水道施設は稼働していない。”
Fallujah Water Treatment Not Working
ラウヤ・ラーゲ  AP通信   2004/12/22
 http://www.planetsave.com/ViewStory.asp?ID=5548

バグダッド ―― 先月の米軍を中心とした攻撃と占領支配後、ファルージャ市内の4ヶ所すべての浄水施設はいまだに稼働していないと、赤十字の報道官は水曜日に語った。浄水施設の問題は、避難民の帰還したときの生活を困難にするであろう。

国際赤十字(ICRC)の代表は現地の人道的状況を確認するために、火曜日、二回目となるファルージャ訪問について語った。破壊された町への第一回目の訪問は、12月7日であった。

ファルージャ水道局の責任者は、(訪問した)6人のイラク人である代表団に対して、すべての浄水施設が稼働していないことを伝えたと、ICRCの報道官のアメフド・ラウィ氏は語った。

ラウィ氏は、「その(施設の)大半は、空爆あるいは軍事作戦によって破壊された」、「将来、人々が帰還したときに、町の各所に設置された移動式のタンクによる給水を受けることになるであろう」と語った。

先週、イラク暫定内閣は、武装勢力から町の奪還を狙った米軍を中心とした血塗られた11月の攻撃から避難した市民たちはまもなく帰還するであろうと発表した。

イラク当局の統計によると、30万人のファルージャ居住者の内21万600人が、11月8日の侵攻開始時に避難した。少なくともその中の12万人が近くのアミリア地区に留まっており、約3万5千人がバグダッドにいる。

2000人の一団が、火曜日には西部地区のアンダラスに帰還する予定であると産業省のハジム・アル・ハサニ氏は語った。

ハサニ氏は、武装勢力が再建に向けた取り組みを妨害していると述べた。

「政府職員がファルージャで働くにあたっての障害がいまだにある。……活動は限定されている。町の再建を妨げる問題が、常に生じる地区が残り続けるからだ」と語った。

下水ポンプは今のところ稼働しているとラウィ氏は語った。またさらに、12月7日の訪問後に要求を受けICRCは施設の技術者を提供したことを語った。

第一回目の訪問でICRCの職員は、武装勢力の遺体を埋葬するために送り込まれと米軍が主張していたジャガイモ倉庫を調査することはできなかった。火曜日、(ICRCの)一団が町郊外のその場所を訪問したが、まったく何もないことが判明した。

「私たちは血痕が残されたたくさんの部屋を見ました。そこの臭いは、遺体が置かれていたことを示していました」をラウィ氏は語った。

今のことろ遺体がどこに埋葬されたのかを明確にできないこと、この問題を引き続き調査するとICRCは語った。

ICRCは死亡者総数を確認するためにこの場所の調査を希望していた。米軍は、戦闘によって1200人の武装勢力が死んだと発表している。民間人犠牲者数については、いまだに発表されていない。

(後略)



12月9日

■死体写真が語る米軍の大虐殺:ダール・ジャマイル氏のウェブログより−−「死体が犬に食われている」「頭が吹き飛んでいる」

[コメント]
 ここで紹介するイラクバグダッドで精力的に取材活動を行っているダール・ジャマイル氏の記事は、遺体を埋葬する手伝いをするためにファルージャに行くことを許されたある人が埋葬前に撮った遺体の写真についての記事である。その写真はアルバムになって、避難民が滞在する村で身元照会のために回覧されている。

 まず、私たちはこれらのおぞましい写真の一枚一枚に言葉をなくすだろう。写真には「戦闘員、死体は犬に食われている」「降伏の白旗を抱えている少年の死体」「二人の娘と殺された老人」「一人目の娘」「二人目の娘」「老人、髪の毛が焦げている」「頭を撃ち抜かれた死体」「頭が吹き飛んでいる」「家の中の死体」等々、身元確認のコメントがつけられている。老若男女、道路、家、誰であろうとどこにいようと虐殺の対象になったことを示している。ファルージャからの見聞として、白旗を掲げた無実の市民が撃ち殺された、死体は犬に食われている、家を襲撃して皆殺しにしたなどと伝えられてきた。ここで掲げられた写真は、それらが決して誇張ではなく、まぎれもない真実であることを証明している。写真には犬に食われた遺体がいかに多いことか。しかしそれでも自分の身内を見つけた家族はその写真を分けてもらうという。
 
 第二に、この写真が撮られたのがファルージャの小さな一地域にすぎないということである。ファルージャには途方もない数の死体が散乱していることは想像に難くない。記事では、75人の死体が見つかった、あと少なくとも1925人の死体が見つかるはずだと述べている。アラウィ政権は11月25日、ファルージャの戦闘での死者は2085人ともっともらしく発表した。これから米兵の犠牲者を引いたとしてもおよそ2000人の市民の犠牲があった、まだ1925人残っているはずだ、残りの犠牲者を見せろといっているのである。「1925人」はアラウィ政権によるイラク人無視の大虐殺への弾劾であるとともに、犠牲者の数はそんなものではないという強烈な皮肉が込められている。

 第三に、この記事が書かれたのが12月9日、「ある人」がファルージャに入ったのはその二週間前すなわち11月25日頃である。これは、赤新月社が援助物資をファルージャに届けることを初めて許可された時期でもある。この人は匿名を条件に語っているが、赤新月社のメンバーあるいはそれに関わりのある人物ではないだろうか。
 赤新月社は、ファルージャへの搬入を許可されたわずか数日後には、米軍によって阻止されている。赤新月社はファルージャに入った直後に、6000名の犠牲者がでていることをはじめて公表した。この人物の遺体写真はその決定的証拠である。一旦は赤新月社が入いることを許可した米軍が、被害と犠牲を公表する反米行動に業を煮やし、方針転換したのである。
※ Aid finally reaches Fallujah civilians(11/27)
http://www.aljazeera.com/cgi-bin/news_service/middle_east_full_story.asp?service_id=5853
(被害記録11/27付に翻訳「援助がついにファルージャの一般市民に届く」)
※ US army blocks aid convoy for Falluja(11/30)
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/F0A47D67-7D17-4140-A992-2AEC1CF0624A.htm

 ファルージャの大虐殺は過去のものではない。今も続いている。写真はそれを雄弁に語っている。

(!以下のサイトには残虐な写真があります)
※ダール・ジャマイル氏のウェブログ
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000155.php
※ファルージャ市民の犠牲者の写真
http://dahrjamailiraq.com/gallery/view_album.php?set_albumName=album28&page=1
※紹介記事
http://electroniciraq.net/news/1747.shtml


[翻訳]
★ファルージャの写真
2004年12月9日
ダール・ジャマイル

 ある人が2週間前、遺体を埋める手伝いをするためにファルージャに入ることを軍によって認められた。彼は75体の遺体の写真をとることを許された。遺体が埋葬さる前に写真をとり、その写真を親類・家族に見せ照会しようとしたのである。
 ここにある写真は写真アルバムからのものである。これらの写真は、多くの難民が留まっているファルージャ近郊の小さな村で公に回覧されている。
 その男が、写真をとり遺体を埋めることを認められたのはファルージャのたった1つの小さな地区だけである。彼は、他のいかなる場所を訪れることも認められなかった。見ることが許されなかった少なくとも1925体の他の遺体があると心に留めておくべきである。
 いくつかの写真につけられた情報は家族によって既に照会されたものからである。
 死んだ親類を捜していた家族の一人は、そのアルバムにあった写真を分けてもらった。

 彼は、匿名を条件に、彼が過去数週間に村で目撃したものについて伝えた。
 「人々が川を渡ってファルージャから避難しようとしていたので、米軍は川の上のすべてのボートを銃撃しました。彼らは、すべての羊、人々が飼っていたあらゆる動物を撃ちました。ヘリコプターは、戦闘の間、ファルージャ周辺のすべての村ですべての動物と、動くものすべてを撃ちました。」
 彼は、ファルージャへ通じる道、あるいはファルージャのあらゆる道を誰も通ることができなかった、必ず撃たれるからだ、と語った。「私は皆殺しにされた1組の家族を知っています。道のどこにも、人々に通ってはならないと告げるような標識はありません、だから誰も、通ってはならないなんて思ってもみないのです。英語でもアラビア語でも標識はありません。」



12月2日

■米軍が避難民のファルージャ帰還を実力で阻止。210,600人もの避難民が厳寒のキャンプ生活を余儀なくされている。しかもアラウィ傀儡政府はこの膨大な避難民への援助をやろうとしていない。

[コメント]
 現在、ファルージャ危機最大の問題の一つは、膨大な避難民問題である。以下の翻訳は、ファルージャからの避難民に関する国連のレポートの紹介記事である。ロイター通信が配信した。この記事は、210,600人もの住民がファルージャ市から叩き出され、周辺の砂漠地帯のど真ん中でテント生活を強いられ、援助も来ない中で厳寒の冬を迎えようとしている、と報告している。
※英BBCによればファルージャ周辺にいる避難民は下記の通りである。「ファルージャの入り口で援助機関が手詰まり」(Aid stalemate at the gates of Falluja http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4026931.stm )という記事が国際赤十字の情報として伝えている。
Qarma - 3,500 families 21,000人
Amiriyat Falluja - 3,500 families 21,000人
Albou Issa - 3,500 families 21,000人
Saqlawiyya - 3,000 families 18,000人
Habbaniyya - 1,200 families 7,200人
Amiriya, Baghdad - 1,200 families 7,200人

※なお、家族数は国際赤十字の情報だが、人数は以下に翻訳した記事にある避難民210,600人、3万5千家族から、1家族平均6人を割り出して単純に掛け合わせたものである。これでいけば、上記の地域だけでは10万人に満たない。この倍以上の人々がもっとあちこちに分散して避難しているということになる。

 記事は幾つかの重要な問題を浮かび上がらせている。何よりもまず第一に、ファルージャ市民は帰還を強く求めているのに、米軍がぞれを実力で阻止しているということである。それは米軍や傀儡政府が言うように、電気・水道・下水やその他の生活基盤が壊滅させられ、数百という規模で建物が完全に破壊されていているからではない。阻む最大の理由は、米軍が言うところの「武装勢力」、実際にはファルージャの住民が帰還すれば、再びこれらの住民達が米軍に向かって復讐の戦いを仕掛けるからである。あれだけの大量殺戮をやったのだ。当然のことである。ファルージャ市民には帰還する権利がある。
 第二に、米軍は未だにファルージャ市内を完全に制圧し切れていないということである。大規模な大量殺戮という意味での攻撃は終わったが、執拗なローラー作戦が続いている。家を襲撃し殺害し拘束する作戦がまだファルージャでは展開されている。非常線が張られ、市内から一般市民が出ることも入ることもできない。米軍は、意外とファルージャ作戦に手こずったため手を引くことができず、12,000人の増派を余儀なくされたのだ。
 第三に、傀儡であるアラウィ政権がファルージャ市内に閉じ込められた住民、避難した住民を救援もせず放置するという政策を計画的に採用しているということである。なぜ暫定政府がファルージャの避難民にすら援助の手を差し伸べないのか。それは現在の暫定政府の首相アラウィも保健省トップも親米的なシーア派で牛耳られており、スンニ派を殲滅と弾圧で黙らせ屈服させることを狙いとしているからである。
※別の記事「ファルージャ包囲の後に無視が来る」(Neglect Follows Siege of Fallujah コモンドリームズ http://www.commondreams.org/headlines04/1201-22.htm)は、次のような内容を報じている。
・暫定政府によるファルージャへの医療支援は全くなされていない。
・8月のナジャフでの支援とは全く様相を異にしている。虐殺・被害・破壊はやりたい放題に放置されている。
・スンニ派地域への被害には援助しないことが暫定政府において政治的に決定されたようだ。
・イラク保健省の大臣はシーア派だ。
・一部の医者は、ファルージャを救うために政府に要請しているがそのときに限って医療支援が認められる。
・イラク赤新月社(IRCS)はファルージャに入ることを認められたが、政府は支援物資を一切提供していない。等々。

 第四に、米軍が「食料援助をやっている」と大々的に宣伝しているものが、実はアメリカン・スナック・フードだというおまけまで付いていることだ。これが寒さと飢え、渇きに苦しむ人々への「人道援助」だというのだ。多くのファルージャ市民が失望し手をつけず置いて返るという。
 米軍とアラウィ政権は、来年1月末の選挙を形だけでも「成功」させるために、厳寒の中に負傷者と難民、子どもや老人、女性たちを放置し、本当に皆殺しにするつもりだ。イラクの人たち、子どもたちの命を守るために非常線・封鎖の即刻の解除、ローラー作戦の中止、米軍の撤退、避難民の帰還、政府と国際社会からの大規模救援が緊急に必要である。
※避難民については、益岡・いけださんらの『ファルージャ2004年4月』ブログにも「米軍のファルージャ攻撃で,210,600人が家を失った(Raed Jarrar)」http://teanotwar.blogtribe.org/entry-6369084949027b37c002378e562a8a4d.html という記事が翻訳されています。


[翻訳]
★「少なくとも20万人がファルージャから避難した、早期帰還の見込みはない」
At Least 200,000 Fled Falluja, No Early Return Seen
Thu Dec 2, 2004 08:19 AM ET  By Luke Baker
http://www.reuters.com/newsArticle.jhtml?type=worldNews&storyID=6977981

バグダッド(ロイター通信)―――アメリカのファルージャ攻撃前に逃げ出した20万人以上もの人々はまだ帰ることができず、イラクが凍てつく季節へと移るさなか、絶望的な状態で援助を必要としている、と最新の国連の緊急レポートは指摘している。

国際移民機関(the International Organization for Migration)がまとめた数字では21万6百人もの、あるいは3万5千家族が、11月8日に開始されたアメリカの攻撃に対してファルージャの周辺の町や村へと避難したという。

これらの人々のほとんどがファルージャ市街の外に残ったままであり、その人口は攻撃が始まる前の時点で25万から30万人とみられていた。

米軍は散発的な戦闘が続いているという理由でファルージャ周辺に非常線を引いたままであり、避難民を戻らせないようにしている。言い分では、人々が家に戻る前に基本的な施設を復旧させておくため、間をあけて帰還させたいとのことだ。

市街のほとんどの地区で電気、水道、下水やその他の基礎的サービスがない状態であり、そして数百という規模で建物が完全に破壊されてしまったため、その復旧の開始は事前に想定されていたよりももっと長くかかりそうだ。

「ファルージャへの帰還問題は数日で片がつくものではなく、数ヶ月かかるものだ。事前に多国籍軍から示唆されていた通りに」と、『緊急作業部会---ファルージャ危機』とのタイトルの、国連によって配布された文章は指摘している。

このリポートは、様々な援助機関によって編集されて今週公表された。そこでは、市街から避難して来た人々のためのキャンプへの接触は、危険と軍事行動が存在するため散発的にしかできない、と述べられている。

「いくつかの場所は援助を受けました、しかし、他の場所では...イラクの保健省でも接触することが難しいと報じられている」とリポートは指摘する。

また新鮮な食物、調理用油の不足について述べられており、寒さに対して深刻な懸念がある、という。

下がる気温

10月以降(家族らがファルージャから非難し始めた時期)、中央イラクの気温は、華氏85度(摂氏30度)程度から華氏35度(摂氏2度)にまで下がっており、一晩中寒い時もしょっちゅうである。

多くの家族はその時着ていた服と2、3の持ち物だけを持ち出して逃げてきており、天気の変化に対する備えがない。「気温が下がっており、防寒具と適切な避難所が緊急に必要であることを強調している」とリポートは述べている。それは1万5千人以上もの家族らが干物、洗剤、冬服、毛布、敷物、ヒーターを必要としている、と詳述している。

イラク鉱工業省は難民キャンプに約8千枚の毛布を11月24日に配布したと公表しているが、分配についての詳細については明らかにされていない。

猛烈な2週間にわたる攻撃の中をファルージャ内に留まって過ごしてきた人々を助けるため、市内にどうにかして入りこんだ唯一のの援助機関はイラク赤新月社である。

赤新月社は、食物や医療品を積んだ3台のトラック、8台の救急車と数人の医者と共に約10日前に到着し、市内中央にある事務所を拠点に仕事をしている。

米軍もまた援助の供給を試みている。ある援助品分配所で、米軍は最近、アメリカン・スナック食品(フローステッド・フレーク、グラノーラ・バー、ベーグル・チップスなど)を困窮した家族らに配った。大半の家族は外国の食品に困惑し、失望してそのまま置き去りにした。

ファルージャへの攻撃は、数ヶ月に渡ってそこに身を隠していた反米勢力を取り除き、1月30日に予定されている選挙の時期にイラク治安部隊を入れるために計画された。

断続的な戦闘は続くものの、米軍はファルージャの反米勢力を打ち負かした。しかし反乱者らが戻ってきて再浸透する恐れがあり、ファルージャとその住民が1月の投票の準備をできるかどうかについては疑念がある。



11月30日

■ 最大の犠牲者は子どもと女性−−米軍は意図的計画的に病院・医療施設を狙い撃ちにし、ファルージャの保健医療システムを壊滅させた。

[コメント]
 今回のファルージャ攻撃に当たっては、11月8日にまず最初に制圧されたのは西部に位置するファルージャ市最大の総合病院であった。この制圧が、死傷者の報道を封殺するため、ファルージャ市民の治療を阻止するためであることについてはすでにこの「被害記録」でも報告した。更に米軍は翌9日には中央保健センターを爆撃し医師や看護婦、患者を多数虐殺した。これも狙い撃ちである。
 そして更に米軍は、卑劣にも、総合病院や中央保健センターに行けなくなった市民が代わりに市内各所に設置した臨時の「診療所」(野戦病院のようなビルの一角を仕切っただけのもの)までをも攻撃し破壊したのである。しらみつぶしの病院の破壊と医療関係者の抹殺−−この執拗さは一体何なのか。ファルージャ市民を皆殺しにすることを作戦の直接的目的にしているとしか考えられない
 こうして市内の病院・診療施設のほとんど全部が攻撃され医師・看護婦・患者もろとも皆殺しの対象にされた。市内に残る負傷した大勢の子ども、女性、老人らは治療も受けられないまま、ただ衰弱し死んでいるだけ。米軍だけではない。アラウィの傀儡政府・保健省も、これを積極的に容認し見て見ぬ振りをし自国民が死んでいくのをただ放置している。否、繰り返し援助に入ろうとする緊急医療支援を阻止しているのである。
 明らかにこれは人道に対する罪であり、ジュネーブ条約違反である。こんな滅茶苦茶な軍事作戦が、国連や各国政府、世界中の大手メディアから大々的な非難も受けずに堂々と今もなお続けられている事実。異常だ。何かが狂っている。
 ここでも持ち出されたのが「テロリスト」の呪文だ。「テロリストに治療はさせない」というのが米軍側の言い分だ。しかしすでに何度も述べたように、抵抗しているのはファルージャ市民である。
※ファルージャの保健医療の破壊については益岡氏らのウェブログの翻訳記事が詳しい。「ファルージャ保健医療のダメージ」マイルズ・シューマン 2004年11月24日http://humphrey.blogtribe.org/entry-3aacc063e995efa95be73d14c69fb42f.html

 以下の翻訳は、イラク全域における医療保険制度の崩壊状況についての概観である。そしてその最大の犠牲者が子ども達なのである。
 ファルージャの出来事は集中的表現である。米軍による意図的組織的な病院・診療所の攻撃・破壊、医療関係者の意図的組織的虐殺は、昨年3月の開戦以降、そして占領下でも「掃討作戦」の名の下にイラク全土で今も続けられている。
−−「200人の子供たちが毎日死んでいる。」
−−「6ヶ月から5歳までの子どもたちの間に深刻な栄養失調が、侵攻以前の4%から侵攻以後には7.7%に増大した」
−−「約40万人のイラクの子どもたちが「消耗」と「衰弱」−−慢性の下痢とタンパク質不足の状況に苦しんでいる」
 イラクの保健医療をめぐる悲劇的な現状は、記事の中にあるこれらの数字に端的に表れている。栄養失調、汚染された水、医療設備と医薬品の不足、病院・医療施設の破壊、医師・看護婦・医療関係者の虐殺等々、中東最高水準だったイラクの保健医療制度は米軍によってことごとく攻撃され破壊され、全国的システムとして完全に崩壊させられた。イラクでは近代医療保険制度が非常に発達していたために、システム全体の崩壊はイラク国民全体にとっての致命的な事態である。これは民族の抹殺に等しい。言うまでもなく第一級の戦争犯罪である。
※「“深刻な危機”にあるイラクの保健医療」Iraq health care 'in deep crisis'(BBC) 30 November, 2004
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4054105.stm


[翻訳]
★「イラク人の保健医療制度の崩壊」 ガリ・ハッサン
The Destruction of Iraq’s Health Care By Ghali Hassan
11/30/04 Information Clearing House ("ICH")
http://www.informationclearinghouse.info/article7393.htm


2004年11月30日 “ICH” −− 米軍によるイラク侵攻・占領以降、イラクにおける保健医療制度は、米政権による計画的な破壊の結果として崩壊している。この崩壊による最も影響を受けやすい犠牲者がイラクの子どもたち、特に5歳以下の子どもたちである。

 間もなく公表されるであろう新たな研究は、生後6ヶ月から5歳までのイラクの子どもたちの間に深刻な栄養失調が、米軍のイラク侵攻以前の4%から侵攻以後には7.7%に増大していることを明らかにしている。言い換えるならば、13年の長期にわたる大量虐殺の経済制裁にもかかわらずイラクの子どもたちは、ジョージ・ブッシュの暴政下よりもサダム・フセイン政権下では、よりまともに生活することができた(当時3.7%)。ジョージ・ブッシュがいなければ、世界は良い暮らしができる、まさにこの事実。

 ノルウェーに拠点をおく“Institute of Applied International Studies”もしくは"Fafo"が、イラク中央統計情報技術局、イラク保健省、国連開発計画(UNDP)と共同で行った研究は、約40万人のイラクの子どもたちが「消耗」と「衰弱」−−慢性の下痢とタンパク質不足の状況に苦しんでいることを明らかにしている。
 最新のUNICEFの報告書では、「1990年の経済制裁押し付け以前では、イラクは中東で最高水準の生活を維持していた」と書かれている。そして今やUNICEFは、「200人の子どもたちが毎日死んでいる。彼らは、栄養失調、きれいな水の欠乏、簡単に治療できる疾病を治療するための医療設備と医薬品の不足によって死んでいる」ことを報告している。UNICEFの報告書は、子どもの死亡数は2003年の戦争開始以来まったく改善されておらず、子どもの死亡率は増加していることを明らかにしている。UNICEFは、イラクでは毎年5歳以下の子ども約6880人が死亡していると見積もっている。生児出産1000人に対して5歳以下の死亡率は125人である。さらに、妊娠期間ならびに出産時におけるイラク人女性の死亡率は、国連人口基金による調査が報告した1989年から2002年の期間の死亡率の3倍にも達した。

 アメリカン・フレンズ・サービス委員会の医療調査団は、何年もの経済制裁が、「そこに住む家族、子どもたちに甚大な影響を及ぼした。疾病により衰弱した若年層を生み出し、外の世界から隔離し、苦痛と不公正の感情をつのらせた」ことを見いだした。この報告で調査団は次のことに言及した。「経済制裁の結果は、子どもたちを最も厳しく襲った。成人は長い困難と欠乏の期間を絶えることができるが、子どもたちの生理的な未成熟さと傷つきやすさは、彼らに抵抗力を与えないのである。子どもたちはより大きな脅威にさらされ、(食料と保健医療の)継続した欠乏状態を生き抜けない。」

 先の国連による報告書は、第一次米国戦争(第一次湾岸戦争)以前は、「イラクには、充実した国民保健医療ネットワークが存在した。プライマリー・ケア・サービスは都市人口のの97%、地方人口の71%の人々に利用できた」。すべてのイラク人は、政府による無料の保健医療を受ける権利を有していた。国連子ども局UNICEFによると、イラクには、1800にものぼるプライマリー・ヘルス・ケア・センターが存在した。

 米英が主導した経済制裁とイラク民衆への戦争は、200万人ものイラク市民を殺した。その三分の一が5歳以下の子どもたちである。イラクの保健医療と教育制度は、故意に破壊の標的にされた。
 米国と国連が課した大量虐殺の経済制裁下、イラクの公的な保健医療制度は、すべての部面において侵食された。化学療法の薬剤、抗生物質、ワクチン等々の生命を救うための医薬品の供給は禁止さるか、あるいは二重政策(dual-use policy)によって遅れさせられた。イラクに輸入が認められた医療設備は、米英によって配送が妨害されるか、積み荷はほとんど常に、不完全で使用できない品質のものであった。

 国連のおきまりの仮面を利用して、「米国は、10年以上にもわたって不可欠な装備の通常の輸入を妨害してきた」と、ジョージ・ワシントン大学のトム・ナジ氏は書いている。イラクの水と保健医療制度への経済制裁の影響に関する研究においてナジ氏は、水を処理するために必要な「設備と薬品ためのわずかばかりの物品輸入を禁止する制裁によって6ヶ月以内にイラクの給水システムの残されたものすべてを計画的に破壊した」ことを見いだした。
 ファルージャへの侵攻の間、米軍は30万人の都市への水と電力を遮断した。米軍機は病院と医療施設を破壊した。米軍は、ファルージャ総合病院を占拠し、軍病院に変えた。このように、ファルージャ市民にどんな保健医療サービスも受けられないようにした。2004年11月9日、米戦闘機は、町の中心部にあるナザル緊急病院を攻撃し、完全に破壊した。35人の患者が殺された。その中には、10歳以下の子どもたち5人が含まれていた。アムネスティ・インターナショナルによると、「2004年11月9日のファルージャの診療施設攻撃によって、20人に上る医療スタッフ(医師と看護婦)、数十人の民間人が殺された」。また空爆は、病院と医薬品倉庫を破壊した。ファルージャの破壊は、人道に対する犯罪である。

 今日現在、ファルージャにおける米軍侵攻による正確な民間人犠牲者数は明らかではない。アラウィ操り人形「政府」の職員によると、「2085人以上」のイラク人が殺されたという。米軍は、ナパーム弾、リン兵器、ジェット燃料等の国際的に禁止された兵器を使用し、国際条約違反である市街地攻撃を行った。これらの兵器は、人体を溶融させる。

 イラク赤新月社は、負傷した民間人への物資供給のために町に入ることを米軍によって妨害された。彼らは、ファルージャ内部とその周辺の保険医療状況について、「破局的である」と語っている。目撃者は、犠牲者の大半が、女性、子ども、14〜60歳までの非武装男性(米軍の攻撃以前に町から出ることを拒絶されたのだ)を含む民間人であると語っている。さらに、多くの子どもたちが飢餓、脱水症、下痢をともなう感染症の大発生によって死んでいる。UNICEFの事務局長であるキャロル・ベラミー氏は、その死は「無実な人々の不当な虐殺」であると語っている。「子どもたちの殺害は犯罪であり、道徳的な侵害である」とベラミー氏は付け加えた。

 Fafoの報告は、米軍占領下におけるイラクの保健医療の破局的な絵図を描いている。「一部のアフリカ諸国の水準である」とノルウェーに拠点を置く研究機関の副所長のジョン・ペダーセン氏はAP通信に語った。「もちろん栄養失調の子どもが一人もあってはならないが、それが7から8%のレベルに達しているので、明らかに懸念される徴候だ」と、彼は付け加えた。

 その報告書は、イラクの状況を悪化させた米軍占領を批判している。当てにならない(停電が頻発する)電力供給は、安全な飲めるよう水を沸かすことを困難にしている。イラクにおける下水システムと水供給システムを含むインフラの破壊は、問題をさらに悪化させており、肝炎のような悪性の疾患の発生を増加させている。イラクにおけるインフラの破壊の結果として、都市部の20%の住民と地方の60%のイラク人は、清潔な水を使用することができない。

 イラク人の資産と資源を売り出すために、米国は最初にそれらを役に立たないようにしなければならない。イラクの保健医療制度を故意に破壊のターゲットにすることは、イラクの非合法な武力征服の一部である。その目的は、まったく明らかである。米系企業へのイラクの資産と資源の安売りである。

 米国は、すべてのイラク人に対して満足できる平等な保健医療を提供することはできない。米国内の保健医療は、驚くべき統計が示しているように先進国中でも最悪のものである。米国は、子どもと妊婦に対して国民皆保険が提供されてない世界の中でも数少ない国の一つである。乳児死亡率、低出生時体重、5歳以下の子どもの死亡数は、西側の工業国や日本と比較して、米国内では最高位に並べられる。

 イラクにおける人道的危機への最良の、永続的な解決策は、米国がイラク民衆への暴力を止め、イラクから軍隊を撤退させることであり、イラクの主権の回復である。米国によって指名された現在の暫定「政府」は、違法である。イラクのインフラと保健医療制度の平和的な復旧を保障するためにも、イラクの主権が回復されなければならない。



11月27日

■ファルージャ攻撃で6000人が殺され、数千家族が取り残されている:イラク赤新月社が公表
"街を移動することは大変困難だった、
なぜなら、いたる所におびただしい数の死体が散乱したからだ"

[コメント]
 援助物資をもってファルージャに入った職員らが見たものは何だったのか−−ここに紹介する記事は、11月27日にアルジャジーラ・ネットに掲載された赤新月社のレポートである。このレポートは、6000人もの住民が米軍によって虐殺された、死体が散乱し街を移動することすら困難だったという赤新月社の評価を明らかにしている。道路を埋め尽くすおびただしい死体を轢いていくことなしには車は走れないのだ。
 しかもこの報告によれば、数千家族はまだ生活物資のないなかで取り残されたままである。負傷の手当を受けられないまま死んでいく、あるいは飢えで衰弱し餓死する危険があることを国際社会に訴えている。赤新月社によるとわずか60人しか援助物資を取りに来なかったという。道路に援助物資をおいて、取りに来た者はすべて撃ち殺すという米軍のやりたい放題の軍事行動のもとで、恐ろしくて外に出られないのだ。

 赤新月社は15日に、現地の人々からの見聞を元に800人が殺されたというという評価をしていた。このレポートの6000人は、何とその約7〜8倍だ。5万人を閉じこめた空爆・侵攻による大量殺戮と、その後も続く“兵糧責め”の下での負傷者の放置、生活物資の欠乏、飢えと病気の蔓延など、前代未聞のジェノサイド作戦の継続によって、今現在も死者の数は膨れあがり、そのまま放置されているのである。
 一方、アラウィ政権は11月25日、ファルージャでの死者は2085人と発表した。自国民(彼はCIAのエージェントとして米国人に成りきっているのかもしれない)を米軍の手を借りて大虐殺し、その虐殺数の多さを戦果として勝ち誇り、さらに「市民に犠牲者はいない」と開き直る異常さはもはや常軌を逸している。

 今回翻訳する見出しのプロパガンダ的な性格について触れておかなくれはならない。米軍としても飢餓と医療援助に苦しむファルージャ市民救済の声が国際社会で広がるのを防がねばならない。そこで「ファルージャ市内にはすでに援助が入ってますよ」という虚構を作り上げることが必要なのだ。そういう角度から見れば、傀儡政府の保健省と連携する赤新月社だけがファルージャ市内に事務所を開設することを認められた意味も読める。国連や国際援助団体でないところがミソなのである。現に11月25日、イラク保健省はバグダッドの全病院に対して、米占領軍の攻撃で負傷したファルージャ住民の受け入れを治安上の理由で禁止する通達を出したと言われている。国民の命と健康を統括するイラク保健省が先頭を切って自国民の命を切り捨て虐殺を容認する異様さ。
 実際、11月30日付のアルジャジーラによれば、未だに米軍は援助物資の市内搬入を阻止している。例外的・アリバイ的に援助物資を市内に搬入させ、「すでに援助済み」の大宣伝をさせた上で、事実上封鎖・包囲を続ける。これが米・アラウィのやり方なのだ。「援助がついにファルージャの一般市民に届く」という見出しは、割り引いて読んでほしい。
※益岡氏らのウェブログより「米軍がファルージャへの支援物資輸送車両をブロック:アルジャジーラ」
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-c79d76f45249a87bb2a1a4c892f9ad72.html

 飢え、病死、衰弱死、感染症の蔓延等々−−ファルージャは今もなお想像を絶する人道的危機にある。周辺にある難民キャンプも同様である。米軍は軍事作戦を即刻やめ封鎖を解除し撤退すべきである。その上で国際的緊急援助を入れ市民救済に道を開くべきである。そして人権団体を入れ、米軍がファルージャで何をやったのかを調査すべきである。


[翻訳]
★「援助がついにファルージャの一般市民に届く」
Aid finally reaches Fallujah civilians」 ALJAZEERA: INTERNATIONAL ENGLISH EDITION
http://www.aljazeera.com/cgi-bin/news_service/middle_east_full_story.asp?service_id=5853

2004年11月27日

 赤新月社の輸送車はついに、ファルージャの一般市民に届いた。今月のはじめに開始され、都市を制圧することを目標としてほとんど3週間にわたって続いていた米による恐ろしく激しい攻撃後初めてのことである。


戦争で破壊されたファルージャの町に向かうトラックにクウェートで救援物資を積み込む作業者。
 イラクの赤新月社は土曜日(27日)、記者に対して、戦争で滅茶苦茶に破壊されたイラクの都市・ファルージャに対する援助を何とか届けようとしていたと語った。
 しかしながら、6,000人以上の人々が米の攻撃で死んだ可能性があること、そして数千の家族がいまだにひどい状態で援助を必要としていることを、スポークスマンは付け加えた。
 食糧, 水, 薬、毛布そして他の援助物資を運ぶ輸送車はファルージャを移動していると報告されたが、水道や電気はまだ来ていない。
 援助物資を取りに来たのは、たった1つの通り、わずか60人だけだと赤新月社は言った。
 赤新月社の代表サイード・ハキ医師は、市の中心付近に事務所を立ち上げたと語った。
 ハキ医師は記者に、50代半ばのある男性は、過去一ヶ月というもの、水と砂糖だけでしのいできて、赤新月社に助けを求めてきたと言った。
 国連情報ットワークのアイリーンは、同スポークスマンのムハマド・アルヌリに対して、赤新月社が6,000人以上の人々がファルージャの攻撃で死んだ可能性があると推測していることを報告した。
 アルヌリによれば、街を歩き回ることが大変困難だったという。なぜなら、いたる所におびただしい数の死体が散乱していたからだ。
 「死体はどこにでもあり、食糧小包を受け取るとき人々は泣いていた。非常に悲しいことだ。これは人道上の大惨事だ。」とアルヌリは言った。
 病気の発生は報告されなかったものの, 破壊は広範囲にわたっていると、記者は語った。
 ファルージャを避難した住民は2か月間は戻れないだろうとサイド医師は予想する。
 米軍とイラク軍は約3週間前にファルージャに対する大規模な攻撃を始めたが、ファルージャ対する大規模な空爆はその何週間も前から始まっていたのだ。
 水曜日(24日)、ファルージャへ援助物資を輸送した、とトルコの赤新月社は報告した。
 「米軍はファルージャへの軍事作戦を行った。市は人道上の大惨事の様相だった。」と水曜日、赤新月社のバレント・アイ副理事は語った。「200のテント、1000枚の毛布、500の枕, 食糧, 飲料水, 薬及び石鹸などの援助はハブル境界でイラクの赤新月社の役人へ引き渡されるだろう」とアイは付け加えた。

 他の情勢

 その間に、2人の米海兵隊員がファルージャで殺された。ファルージャでは米軍とイラク軍は、激しく恐ろしい攻撃の後に、まだ散発的な抵抗に遭遇している。「2人の海兵隊員が11月25日、掃討作戦の最中にファルージャの中で殺された」と米軍のスポークスマンが言った。11月8日に始まったファルージャにおける米の大規模な軍事行動は過去数日間で徐々に弱まっていた。しかしながら、治安はまだ回復されていない。



11月26日

■毒ガス・化学兵器、ナパーム弾、リン爆弾など国際法で禁止された“非人道兵器”の実験場と化したファルージャ。それだけではない。常軌を逸した米兵による残虐行為、吐き気のするような殺人ゲーム、死体損壊の目撃証言の数々。

●「皮膚を焼き、そのやけどの上に水をかけても、まだ皮膚を焼くのだ。」
●「大きな手術を行なっているのに、兵士たちは医師たちを連れ去ってしまい、残された患者は死んでしまった・」
●「通りで彼らが戦車で負傷した人々を轢くのを見た。」
●「攻囲から脱出するためにユーフラテス川を渡って泳ごうとしていた」人を「岸からライフル銃で撃った。」
●「白旗を持ってそのモスクに行った人々さえ殺された。」
●「遺体をファルージャの近くのユーフラテス川に落としたりもしていた。」
●「彼らは通りで女性と老人を撃った。そして、彼らは、その遺体を運ぼうとした者はだれでも撃った…。」


[コメント]
 米軍が国際法上禁止されている「非人道兵器」を大量に使用しているという目撃証言、証拠がもはや否定できないまでに明らかになってきた。以下に翻訳したジャマイル氏の「イラク通信」が伝えているのは、まさにナパーム弾(あるいは何らかの毒ガス兵器、リン爆弾)だと思われる。
 このジャマイル氏の記事を裏付ける報道がイギリスからも発信された。益岡賢氏が『ファルージャ2004年4月』ブログで紹介されている「米軍はファルージャでナパーム弾を使用」という12月1日付のZnet掲載の記事である。これは11月28日の英デイリー・ミラー紙の政治担当編集者ポール・ジルフェザーの告発記事をベースにしたものである。それによれば、米軍がナパーム弾という化学兵器を使用していることはもはや明らかだとして怒りに満ちた労働党議員たちがブレアーと長時間論争し、議会下院で騒動になっている。英軍は今や直接米軍のファルージャ攻撃を支援しており、その米軍が「禁止兵器」を使っていたとなれば自らもその加担者になる。労働党議員達は、米がナパームの使用を続けるならば英軍を撤退させるべきだと要求している。
 同じ事は日本政府、小泉首相にも当てはまる。サマワに居座り、その軍事的プレゼンスで米軍の軍事占領体制を支えている点で、英軍と自衛隊(日本軍)は変わらないからである。日本でも、米軍によるナパーム弾・化学兵器の使用を追及すべきである。
※「米軍はファルージャでナパーム弾を使用」マイク・ホイットニー 2004年12月1日 ZNet http://humphrey.blogtribe.org/entry-77d9361fbf5e59bcb7d500be70eeaace.html


米軍はファルージャでナパーム・ガス弾を使った!
被害にあい、バグダッドの病院で泣き叫ぶ生後16ヶ月の子供(Aljazeera.comより)
 以下に翻訳したジャマイル氏のレポートで、もう一つ重要なのは、上記に列記した米兵の残虐行為の数々である。これらを一つの全体として捉えればどうなるか。どう表現すればいいのか。まるで生きた人間を虫けら同然に面白半分に殺しまくる殺人ゲームのような状況。もはや米軍と米兵は腐敗し堕落し病んだ“殺人マシーン”と化したとしか思えない。日本政府と自衛隊、それを頭に頂いた私たちもまた、このような吐き気のするような残虐な殺人集団の共犯者に成り下がっているのである。


[翻訳]
★ファルージャで使用された「非通常兵器」
ダール・ジャマイル
ダール・ジャマイルのイラク通信 2004年11月26日
http://www.dahrjamailiraq.com/hard_news/archives/hard_news/000137.php#more

 バグダッド、11月26日(IPS)−−米軍は、ファルージャで民間人に対して毒ガスおよびその他の非通常兵器を使用した、と目撃者からの報告が入った。

 「ファルージャで毒ガスが使用された。」と、ファルージャの35歳の貿易業者アブ・ハマッドは、IPS(インター・プレス・サービス)に述べた。「彼らは、あらゆるものを使用した――戦車、大砲、歩兵隊、毒ガス。ファルージャは徹底的に爆撃された。」

 ハマッドはファルージャのジョラン地区の出身である。その地域は、最も激しい闘いが生じたところである。その地域の他の居住者からも不法な兵器の使用が報告されている。

 ジョラン地区から避難してきた別のファルージャの住民、アブ・サバーはIPSにこう述べた。「彼らは気味の悪い爆弾を使ったんだ。その爆弾はまるでキノコ雲のような煙を吹き上げるんだ。それから、小さな破片が長い煙の尻尾を後ろにくっつけながら空から落ちてくるんだ。」

 彼は、それらの爆弾の破片が大きな炎をあげて爆発して皮膚を焼き、そのやけどの上に水をかけても、まだ皮膚を焼くのだと述べた。ナパーム弾と同様にリンを使った兵器がそのような効果を引き起こすことが知られている。「人々はこれらにひどく苦しめられたんだ。」と彼は述べた。

 一般市民殺害についての身の毛もよだつ報告は、米軍がファルージャの周囲でまだ維持している非常線をかいくぐって外部に伝わっている。

 「ファルージャの医師たちは、患者たちが病院にいるのにアメリカ人によって強制的に追い出されたということを、私につぶさに語ってくれた。」と、バグダッドの病院の33歳の救急車の運転手、メーディ・アブドゥラは述べた。「そこの幾人かの医師たちが私に語ったのだが、彼らが大きな手術を行なっているのに、兵士たちは医師たちを連れ去ってしまい、残された患者は死んでしまったのだ。」

 1週間ほど前にファルージャから逃れたばかりのカセム・モハメッド・アフメドは、町中で米軍兵士によって遂行された多くの残虐行為を目撃したとIPSに語った。

「私は、通りで彼らが戦車で負傷した人々を轢くのを見た。」と彼は述べた。「これは、何度も何度も起こったことだ。」

 ファルージャから2週間前に脱出したアブドゥル・ラザック・イスマイルは、兵士たちが、戦車を使って遺体をサッカー場まで引きずっていって埋めたと述べた。「私は、地面の上に遺体が放置されているのを見た。アメリカの狙撃兵のために、だれも彼らを埋めてやることができなかった。アメリカ人は遺体をファルージャの近くのユーフラテス川に落としたりもしていた。」

 アブ・ハマッドは、人々が攻囲から脱出するためにユーフラテス川を渡って泳ごうとしていたのを見たと述べた。「アメリカ人は岸からライフル銃で彼らを撃った。」「彼らのある者は戦闘員でないことを示すために、頭の上で白旗や白い衣服を掲げていたにもかかわらず、彼らは全員撃たれた。」

 ハマッドは、白旗を持っていた年配の女性が米軍兵士によって撃たれるのを見たと言った。「負傷した人々さえ殺された。アメリカ人は、人々に対して、ファルージャを離れたい者は、あるモスクに来るようにとアナウンスした。それなのに、白旗を持ってそのモスクに行った人々さえ殺された。」

 別のファルージャの住民ハリル(40歳)は、民間人が間に合わせの白旗を上げた時に撃たれたのを見たとIPSに語った。「彼らは通りで女性と老人を撃った。そして、彼らは、その遺体を運ぼうとした者はだれでも撃った…。ファルージャの苦しみはあまりにも大きすぎる。もうなにもかもほとんど終わりだ。」

 避難民は今度は別な災いを被っていると彼は言う。「それはこのキャンプでのめちゃくちゃな生活だ。」と、ハリルは言った。「私たちの暮らしはまるで犬のようだ。子どもたちは着るものも十分ではない。」

 バグダッドにおけるイラク赤新月社のスポークスマン、アブデル・ハミド・サリムがIPSに述べたところによると、彼らの救援チームのいずれもファルージャに入ることが許されず、また、避難民が都市に戻ることを許されるには少なくとも、もう2週間かかるだろうと軍が言ったそうである。

 「ファルージャではまだ激しい戦闘が行われている。」とサリムは述べた。「そして、アメリカ人は、私たちが中に入って人々を助けることを許さないだろう。」

 ファルージャの周辺およびバグダッド中の多くのキャンプでは、避難民は十分な食物も衣服も仮住まいもなく生活している。救援グループは、ファルージャの外の仮の避難場所に、少なくとも1万5000家族の避難民がいると見積もっている。

2004年11月26日午前6時35分にダール・ジャメイルにより公表。


[翻訳]
★「米国がファルージャでナパーム・ガスを使用か?──目撃者」
U.S. uses napalm gas in Fallujah ? Witnesses
11/28/2004 9:00:00 PM GMT
http://www.aljazeera.com/cgi-bin/news_service/middle_east_full_story.asp?service_id=5875

イラクのファルージャ市で、米軍が民間人に対して、使用を禁じられたナパーム・ガスや他の非合法の武器を、密かに使用していると目撃者が報告した。

ファルージャの住民は、ナパーム弾による攻撃、人体を溶かすようなポリスチレンとジェット燃料の有毒な混合物によって、罪のない民間人が殺されたと報告した。

今月初めにファルージャでの米国の攻撃が始まってから、ナパーム・ガスが使用されたことを証明する「溶けた」身体についての報告が行われてきた。

「有毒ガスがファルージャで使用された」35歳のファルージャ住民、アブ・ハマド(Abu Hammad)は言った。「奴らはすべてを使用した──戦車、大砲、歩兵、有毒ガス。ファルージャは爆撃で平らにならされてしまった。」ハマドは、最も激しい攻撃のうちのいくつかが目撃されたファルージャのジョラン地区に住んでいた。

その地区の他の住民達も、禁じられた武器が使用されていると言った。アブ・サバ(Abu Sabah)は言った。「奴らは、キノコ雲のような煙を上げる気味の悪い爆弾を使用した‥‥その後、煙の長い尾を引きながら小さな破片が空から落ちてきた。」

彼は、これらの奇妙な爆弾の破片は爆発して大きな炎を上げ、水をかけても皮膚を焼くほどだったと言った。

リン兵器とナパーム・ガスは、そのような効果を持つことが知られている。「人々は、これに非常に苦められた」とアブ・サバは言った。

ファルージャは「ほとんど消えた」

先週ファルージャから避難したカセム・モハメド・アフメド(Kassem Mohammed Ahmed)は、破壊し尽くされた市内で、米軍の犯した多くの残虐行為を目撃したと語った。「私は、奴らが道で、負傷した人々を戦車で踏みつぶしていくのを見た。」と彼は言った。「何度も何度もあった。」

別のファルージャ住民カリル(Khalil、40歳)は、「ファルージャはあまりにひどく傷つき、今やほとんど消えてしまった」と言った。彼は、難民は今悲惨な状況だと付け加えた。「このキャンプに住んでいることは惨事だ」と、カリルは言った。「我々は犬のような生活で、子供たちには服が足りない。」

ファルージャ周辺とバグダッドの多くの難民キャンプで、人々は十分な食糧、衣類、雨露をしのぐ場所もなく暮らしている。救援グループは、15,000組を超える難民の家族が、ファルージャ郊外の一時避難所にいると推測している。

ナパームの使用について火の粉を浴びるブレア

土曜日、労働党の下院議員たちは、首相にファルージャでの致死性ガスの使用について、議員と面会するよう要求した。

ハリファックスの労働党下院議員アリス・マホンは言った。「私は、下院議員になぜこうしたことが起こっているのかを説明する緊急声明を出すよう、ブレア氏に要求している。『我々はイラクでこの恐ろしい兵器が使われていることを知っていたか。』という問いに答えることが求められている。」

怒り狂った批判者達は、米国が世界で最も殺傷力の強い兵器の使用をやめないなら、イラクから英軍を撤退させると米国を脅すようブレアに要求した。

ベトナムでの裸の負傷した少女の写真が世界に衝撃を与えた後に、国連は1980年に民間人に対するナパーム・ガスの使用を禁じた。

条約を支持しなかった米国は、この致死性の兵器をいまだ使用している、世界でただ1つの国だ。



11月24日

■米軍による民間人殺戮の最も残忍な形態−−子ども・女性・老人を無差別に撃ち殺す“ランダム・シューティング”=無差別銃撃。それを“義務付ける”海兵隊の「交戦規則」

[コメント]
・米軍当局者がファルージャの「制圧」「占領」を宣言してから10日が経過した。ところが10日経った現在も未だに市内では戦闘が継続している。最近の作戦行動で海兵隊2人が犠牲になったと報じられているように(US troops killed in Falluja sweep:BBC)、戦闘は散発的ながらもモグラたたきのような都市ゲリラ戦の様相を示している。
・町を逃れた人々からの多くの証言が伝えられるようになってきた。負傷した住民を治療させないために、また死傷者数を世界のメディアから隠蔽するために最初に病院を計画的に攻撃し破壊したこと、空爆の途方もなく甚大な被害、食糧・飲料水を絶つことによって住民を飢餓状態に追い込んでいること等々、米軍はファルージャの市民に対する皆殺し計画を続けている。
※「US troops killed in Falluja sweep」BBC
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4044235.stm
※「首都南方でも掃討作戦 米英軍など5000人投入」(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041124-00000165-kyodo-int
※“証言:ファルージャを去る” Eyewitness: Farewell to Falluja
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4038805.stm
日本語訳 「Falluja, April 2004 - the book」
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-649f5e43e30f92849f584855d291909d.html

・そんな中、米軍は、抵抗する住民を言葉の真の意味で根絶やしにするまで殺し続けるつもりだ。モスクや建物の屋根や屋上を「要塞」化し、各所に狙撃兵を配置し、武装レジスタンス・民間人の区別なく無差別に銃撃しているのだ。それが“ランダム・シューティング”=無差別銃撃である。
・非武装の民間人に対する“ランダム・シューティング”=無差別銃撃−−これはイラク占領下における米軍の戦争犯罪の最大の特徴の一つである。今回のファルージャ侵攻でも、それが最大の特徴になっており、そして大規模な殺戮と破壊が終わった現在、包囲され病死と餓死を無理強いされている市内に残されたファルージャ住民にとって最も危険なものとなっている。

・ここでは2本の記事を紹介し、米狙撃兵による無差別銃撃によってたくさんの民間人が犠牲になっている事実を明らかにしたい。
−−まず最初に「ニューヨーク・タイムズ」紙11月20日付の記事「ファルージャのある家族−−ちょっとしたドライブが死の旅に変わる」の翻訳。
−−次に、英「インデペンデント」紙11月24日付の記事「証言:米軍は非武装の民間人を殺害した」の抄訳。
・これらの記事には、米兵が民間人を無差別に殺害することが、米海兵隊の明確な「交戦規則」によって行われていることが明らかにされている。より安全な場所に避難するためにわずか15分ほど車で移動しようとしていた家族が、米軍の狙撃兵の狙い撃ちの餌食にされ、車に弾丸を雨あられと浴びせられ虐殺されたのである。狙撃された者には子供や女性、老人がたくさんいる。
・海兵隊の兵士達はその「交戦規則」に従って、「民間人の車両で、海兵隊のいる方向に向かって無許可で移動してくるものは」自爆攻撃の脅威「を持つ恐れがある」との口実を付けて銃を撃ちまくっているのである。そこでは「可能な場合は、民間人および民間の財産を容赦する」というような言い訳の条文は無意味だ。動く者を見れば銃撃し射殺する。生身の人間を的にした実弾演習。もはや単なる残忍な殺し屋である。
・なぜここに紹介された家族は「死の旅」に出たのか。ここに今現在のファルージャの人道的危機が端的に現れている。すなわち残された住民は、食糧や水、医薬品の欠如に駆り立てられ、生きるためには「より安全な場所」を求めて移動せざるを得なくなっているのだ。そして皮肉にもこの「安全な場所」への移動が、まさに無差別銃撃にさらされる「危険な旅」となっているのである。ファルージャ市民皆殺しの一つの形態である。


[翻訳]
★「ファルージャのある家族−−ちょっとしたドライブが死の旅に変わる」
For One Family in Falluja, a Simple Drive Turns Deadly」By EDWARD WONG November 20, 2004 http://www.nytimes.com/2004/11/20/international/middleeast/20family.html

 イラク、バグダッド、11月19日---運転は15分もかからないだろう。瓦礫が散らばったファルージャの数ブロックををすばやく横切っていけば。元気なサハル・ムハマンド・アブドゥラ(23歳)と彼女の家族はモスク近くの家まで、無事に行けるだろうと思われた。
 しかし、目的地まで数百フィートというところで、家族らは海兵隊の一群に遭遇してしまった。彼らはモスクの屋根に狙撃兵、機関銃を配置して、それを簡易な要塞へと変貌させていた。彼らは、家族が乗っている灰色の自動車を発見した。車は少しずつ進んでいた。
 弾丸が雨あられと浴びせられた。数分後、アブドゥラの母親はガラスの破片が飛び散った後部座席で血まみれになって倒れ、死んだ。アブドゥラは背中を撃たれ、母親の膝元に崩れ落ちた。他の家族3人は軽傷を負った。
 家族の旅はそこで終了した。そしてもっと長い旅が始まったのだった。
 「全然眠れない日があるの」とアブドゥラはバグダッドの病院のベッドで話をしてくれた。「いったい何が私達の身にふりかかったのか、とずっと考えている。」彼女の家族は、母親が死んだことをまだ彼女に伝えていない。
 アブドゥラは2時間話をしてくれた。その間中、痛みに身じろぎをさせていた。赤紫のガウンを羽織って、彼女は時々ベッドから乗り出していたストローで水を飲んでいた。ファルージャから数週間前に逃げ出していた従兄弟と叔母が、彼女の涙にティッシュを押し当てたりと世話をしていた。
 11月12日にアブドゥラの家族に降りかかったことは、1週間にわたるファルージャへの攻撃の間に負傷させられたり殺されたりしたと報道された市民たちの、ほんの1事例にすぎない。中立のグループであっても、死傷者を数えるために都市に入ることはできない。一方、バグダッドの国際赤十字は800人もの民間人が死んだようだ、と見積もっている。
 ジョン.F.サトラー中将(第一海兵隊遠征部隊の指揮官)は木曜日、民間人が死んだかどうかはわからない、と言った。
 第一大隊第8海兵隊のB部隊の海兵隊らは、11月12日の午前をそのモスクで、反米勢力の攻撃をかわしながら過ごしていたという。彼らは「民間人の車両で、海兵隊のいる方向に向かって無許可で移動してくるものは」自爆攻撃の脅威「を持つ恐れがある」との交戦規則に従って任務を遂行していた。同じ規則では「可能な場合は、民間人および民間の財産を容赦する」ように海兵隊員に命じている。
 アブドゥラの家族らは、ナザル近郊の家からほんの数ブロックのところにあるアブデュル・アジーズ・モスクを米軍が襲撃したことに全然気づいていなかった。そして、戦いはいたるところで猛威をふるっていた、と彼女は話す。
 アメリカの装甲車隊が11月8日にファルージャへ最初に展開した時、彼らは潜伏した。家族らは侵略が終わるのを待とうと決めていた、と彼女はいう。途中で終了した4月の攻撃の際にも生き残ることができたのだから、とその理由を語った。 v今回の攻撃も前のときより悪くなるということはないだろう、と彼らは考えていた。
 アブドゥラの父は数年前に死んでいる。彼女の兄弟は今年アメリカ兵に拘束されている。たまたま彼が、路傍爆弾の爆発地点の近くにいたためだという。それで、アブドゥラと母親のハルダ・イスマイル・カリフだけが残されていた。
 3人の男性が、略奪者から護るために彼女らの家に滞在していた。アブドゥラの叔父、アブドゥラ・イスマイル・カリフ、その息子のアッラ・ムハマンド、そして隣人の若者ムハマンド・アドゥル・ラティーフイスマーイールの3人である。街を空襲が連打した時には、5人は身を寄せ合ってコーランを読んだ。
 「互いに気を鎮めようと、そして神が私達に用意していたものを受け入れようと、試みていました」とアブドゥラは話す。「ファルージャが無事であるように、爆撃から守られるようにと神に懇願していました。」
 電気と水は止められていた。しかし一家は水を蓄えており、ラマダンが明ける毎晩に料理するための基本的な食糧を貯蔵していた。
 「私たちは食べ物を用意した。でも誰も食べる事ができませんでした。みんな打ちひしがれていたからです。」とアブドゥラは言う。
 カラシニコフ銃やロケット弾を持ったムジャヒディン達が建物から建物へとすばやく移動していた。爆発は日毎に、より大きくより重くなった。1個の爆弾がアブデュル・アジーズ・モスクの尖塔を破壊し、別の爆弾が近くの家を破壊して、アブドゥラの家の窓は割れた。
 アブドゥラは「私たちは爆撃には慣れてしまっていた」と言う。「でもその時に私たちは、「もし負傷したら、誰が手当てをしてくれるだろう?」と思ったのです。それで私たちは、もし怪我をしても人々に私たちの世話をしてもらえる場所へ行こう、と決めたのです。」
そのためには、数ブロック離れたカリフの家まで車で行くことが必要であった。
 家族は、イラク政府が夜間外出禁止令を課していることを知っていた。誰であろうと路上で動いている者は撃たれる可能性があった。しかし彼らは、外にはムジャヒディンしか見かけず、米兵は見当たらなかった。それに加え、「もし撃たれたら、殉教者となるだろうと私たちは考えていた。」とアブドゥラは言う。
 11月12日午後2時30分、5人は衣類、食料の入ったバッグを詰め込んで車に乗り込んだ。叔父が運転をした。隣人のラティーフは助手席に座り、窓から外に白いタオルを掲げていた、とアブドゥラは話す。砲火が近くですごい音を立てて、そして次第に弱まっていった。
 「私たちは隣の家々のブロックで何が起こっていたのか、何もわかっていなかった」とアブドゥラはいう。「私たちは思いました。「こんな状況は見たことが無い。」路上に破片がばらまかれていて、自動車はかろうじて進むことができる状態でした。」
 モスクのそばの角を曲がった時に、彼らは初めて海兵隊を見つけた。屋根の上にうずくまって、銃を外に向けていたのだ。戦車がモスクの外壁に大きな穴を開けて通り抜けていた。
 カリフは、殺されないようにと方向転換した。海兵隊が銃撃を始めた、とアブドゥラは話す。「母親の膝元に倒れこんで叫びだした」と彼女は言う。
 2人の若者は、軽傷を負い、通りの端にある家へと駆け込んだ。カリフは運転席からよろめきながら出た。上着の左側は血でずぶ濡れになっていた。彼は白いタオルを掲げながらモスクの方へと歩いた。
 主祈祷室で、疲弊した海兵隊員らの間で、彼らの部隊が民間人を撃ってしまったぞ、という言葉が飛び交った。海兵隊は夜明けにモスクを制圧し、午前中はゲリラ攻撃を撃退して過ごしていた。何人かの海兵隊員とイラク兵らが、ニューヨーク・タイムズの記者と写真家を連れて、死傷者を調べるために外にでた。
 「撃たないで、撃たないで!」カリフはアラビア語で叫んだ。「家族が一緒です。自動車の中には女性がいます。」
 「彼を撃って」と2人のイラク兵が言った。
 兵は近寄らせなかったので、カリフは角のところまで退いた。兵士らは、M-1エイブラムス戦車を前にして彼に向かっていった。南の方向から、カラシニコフ銃とロケット弾をもったゲリラが数回発砲して姿を消した。
 アブドゥラの従兄弟と隣人は隠れていた場所から、両手を高くあげて出てきた。イラク兵らは彼らを地面へ押し倒し、犬を呼んだ、とアブドゥラはいう。機関銃を持った反米活動家が、頭を吹き飛ばされて車の近くで横たわっていた;彼がいつ殺されたのかはわからなかった。
 イラク人の通訳が後部座席からアブドゥルを引き出した。
 「彼らに言ったわ「母親を連れ出して、もし死んでいたとしても」と彼女は語った。
 海兵隊の将校が車をのぞきこみ、母親はもう息をしていない、と言った。誰も通訳するものはいなかった。兵士らは他の者たちを、荒廃したモスクの中の管理人部屋に連れていった。そこで彼らは衛生兵の手当てを受けた。
 衛生兵らは、アブドゥラの背中から弾丸を、衣服を脱がせることなしに取り除こうとした。
 「モスクの状態を目の当たりにした時、自分の痛みは忘れてしまいました」とアブドゥラはいう。「アメリカ人らがコーランが沢山入った箱に腰掛けているのが見えたんです。その瞬間、私は彼らにつかみかかって殺してやる、と思いました。そんな場面を目撃するくらいなら、車の中で血を流しながらいた方がよかったでしょう。」
 「アメリカ人らは私に同情的だったかもしれません」彼女はいう「でも、彼らは他の人々を虐殺しました。」
 海兵隊は負傷者をファルージャ市外の病院へ連れて行った。彼らはそこから救急車でバグダッドへ運ばれた。
 カリフと息子はその後回復し、ファルージャ近くの村に親類の状態を確認するために出かけた、とアブドゥルは話す。彼女は、回復したら叔母と一緒にバグダッドに留まるつもりだという。
 語り終えると、彼女は窓の方を向いてチグリス川越しに街を凝視していた。褪せていく午後の光の中で大気が霞んでいた。
 「毎晩、母親の夢を見ます」と彼女は言う。「私たちは家にいた。でも彼女は大丈夫じゃなかった。彼女は青ざめていて、そして彼女の痕跡は何も無かったの。」

デクスター・フィルキンスとアシュレー・ギルバートソンがファルージャよりこの記事に寄与


[抄訳]
★「証言:米軍は非武装の民間人を殺害した」
Witnesses say US forces killed unarmed civilians」By Kim Sengupta in Baghdad 24 November 2004 http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=586045

ファルージャにおける米軍の広範な蛮行(暴虐)の証言が、町を逃れてきた人々から聞かれるようになっている。その証言には、非武装の民間人が殺され、攻撃に際して病院が狙われたことなどが含まれている。

インディペンデント紙とのインタビューの中で彼らは、空爆や砲撃による死と同数の子供を含む多くの人々が狙撃兵によって殺されたこと、米軍は負傷した民間人への治療行為の要求を幾度も拒否してきたことを語っている。

レジスタンスが支配する地域を攻撃するため兵力を集めている最中、幾つかの殺害が発生した。また少なくとも一つのケースにおいては、生後三ヶ月の赤ん坊を含む7人家族が殺された。米軍当局はその責任を認め、補償を申し出ている。

ファルージャからの避難民は、(米軍の)暴虐(extreme violence)の状況について語っている。米軍から去るように言われながらも町に残された民間人は、武装勢力に協力しているように見られているようである。軍事活動に従事できる年齢の男性は、特に標的にされている。しかし、わずか4歳の子供や女性、老人が殺されたとの証言もある。

米軍当局は、武装勢力の協力者を、偽情報を広めているとして非難してきた。そしてファルージャの人々が負傷者数と攻撃に先だって行われた空爆による損害を誇張していることを主張してきた。

先週の海兵隊による負傷したイラク人戦闘員射殺事件の調査している米軍は、いかなる暴行に対する訴えも調査されるであろうと語っている。いまだに彼らは、民間人の死者と負傷者は武装勢力による犠牲者であると主張している。

しかしながら異なる情報源からの暴虐と殺害の訴えは、一貫したパターンに従っているようである。4日前にファルージャからバグダッドに到着したアッバス医師は、米軍によって空爆された町中の診療所に勤務しいていた。彼は、少なくとも5人の患者が殺害されたと主張している。

その医師は、(医療施設の)位置を確認しており軍事行動を控えるとしてきた米軍当局の確約にもかかわらず攻撃されたと語った。

28歳のアッバス医師は、「治療中の5人の患者がいたが殺された。私たちは、なぜこの診療所が狙われたのか理解できない。さらに町の外側にあるファルージャ中央病院からの私たちの同僚は米軍に対して、私たちへの攻撃は回避されるはずではなかったのかと語っていた」と述べた。

「それから、私自身とその他の職員は負傷した人々を助けようと、家から家へと行き来した。その多くが目の前で死んだ。私たちには、薬も、手術ができるような設備もなかったからだ。私たちはファルージャ病院の医師たちと接触し、いかほどまでにファルージャの状況が悲惨なものであったのかを伝えた。私たちは彼らに、さらにひどい負傷者を運び出し、薬とさらに多くの医師を派遣すること求めた。彼らは実行しようと試みたが、米軍によって阻止されたと語っていた」。

「私たちが最も懸念していることは、米軍狙撃兵によって殺された多くの人々です。犠牲者は男性だけではなく女性もいるし、中には子供もいます。私が目撃した最年少は4歳の少年でした。そのほとんどが、頭、胸、首を撃たれたことによって死にました」。

アジズ・ラハディ・テライブさんの家族は、ファルージャ攻撃が始まる以前に殺された。彼は親族も元へ訪ねるために、ラマディに向かっていた。その時米軍のハンビーが彼の車を銃撃し、ユーフラテス川の支流に突っ込んだのである。

テライブさんは逃げたが、残りの家族を救うことができなかった。死んだ者は、26歳の妻のアーラムさん、息子たち7歳オマー君と3歳のバラット君、そして娘のザイナブちゃんであった。また従兄弟である26歳のロクヤブさん、彼の3歳の息子ファーディ君、3ヶ月の娘ファラーちゃんもまた殺された。

商人であるテライブさんは、次のように語っている。「追い抜いたハンビー(複数)は、車列の中で私たちの車を停止させた。一人の米兵が、前に行くように合図した。しかし追い抜こうとすると、別のハンビーから撃ってきた。私は側頭部を撃たれた。私の妻、長男は首を撃たれた。私は、彼らはその時に死んだと思っている。私の目の前には血が溢れていた。車をコントロールできず、川に転落した。なんとか這い出し、救出しようとした。しかし何もできずに、車は沈んでいった」。

「米軍は警察に、すべてが過ちであった事を認めた。そして私は補償を得た。しかし、私の家族はどうなるのか。妻は死んでしまった。一緒に殺されていれば…」。

教師である46歳のラヒム・アブダラさんは、通りにいる者すべてが米軍の敵と見なされると語った。「私は叔父の家に行こうとし、アドバイス通りに白い上着を振ったよ。そしたら奴らは、私を狙い撃ちしてきた。撃たれた2人を目撃したよ。彼らは、本当に普通の人々だった。生き残る唯一の道は閉じこもることであり、砲弾が家に命中しないことを祈るだけだよ」。


11月20日

■ “市民5万人の餓死の危機”−−避難を許されず、食糧・水・電気・医薬品の援助も阻止され、市内でただ餓死することを強要される閉じ込められた市民。かかる未曾有の人道的危機を一切報道しないメディアの犯罪。

[コメント]
 米軍によるファルージャ「制圧」が宣言され、戦闘が全面的に終結したかのように報じられている。ファルージャ関係の報道がマスコミからピタッとなくなり、あたかも米軍の作戦行動が終了し、周辺地域に拡大した紛争、来年の選挙の成否に関心が移っているようだ。しかしファルージャの危機はますます深刻化している。これを報道しないメディアはもはや犯罪的という他ない。
 ファルージャの現状を伝える以下に紹介する記事「戦争は終わった。しかし平和はこない……そして殺戮は今も続いている」は、米軍の襲撃を避けて一歩も外に出られず食糧も水も電気もない市内に閉じ込められた市民が、飢えに苦しみながら潜むようにして暮らす状況を伝えている。特に男性は、米軍の「掃討作戦」のターゲットになっており、命を奪われないためにも隠れ続けなければならない。女性ですら搬送された食料を取りに行こうとして米軍の狙撃兵から銃撃される事件も多発している。

 ファルージャに関して、私たちが今最も懸念する事態は少なくとも3つある。
−−目下の最大の問題は、ファルージャに閉じ込められた最低5万人に及ぶ女性・子供を含む市民の餓死の危機である。米軍は「武装勢力壊滅」なる口実で市民もろともの絶滅を狙い、未だに市内への自由なアクセスを阻止している。米軍は「援助は自分たちがやっている」「国連の援助は必要ない」と赤新月社、国際赤十字その他の緊急援助、食料、医薬品の搬入を拒否しているのである。電気・水はずっと遮断されている。

−−第二の問題は、今なおファルージャで続く、米軍・イラク国軍による「残党狩り」「掃討作戦」と称する“形を変えた虐殺”である。16日付で米のニュースで一斉に流された米海兵隊によるイラク人捕虜虐殺映像は、単にこのごく一部にすぎない。 

−−第三にファルージャ市内から避難した大量の避難民の「人道的危機」である。米軍とその傀儡は、ファルージャの郊外各所の砂漠地帯に、膨大な“難民キャンプ”を作ったのだ。そしてそこへの緊急援助もほとんどなされていない。
※「ファルージャ/プノンペン」(壊れる前に…2004.11.20 http://eunheui.cocolog-nifty.com/)が「Escape from Fallujah: refugees flood nearby towns」 英インディペンデント紙の18日付けの記事を紹介している。「ファルージャの30万人の人口のうち、102,000人が Amiriyah に、50,000万人がバグダッドに、21,600人が Karma に、18,000人が Nieamiyah に、12,000人が Habbaniyah に避難している」「ユニセフ等の見解として、アミリーヤではテント等の収容設備が全く足りていないこと、ハバニーヤでは水が足りないことを挙げている。ハバニーヤは武装勢力が近隣にいるため、援助団体が近づくことも難しいとされている。政府は、赤新月社が被害を誇張して発表していると非難しており、政府が今まで以上に援助に非協力的になることを恐れ、援助団体は状況の公表に慎重にならざるを得ない状態だとも書かれている。ハバニーヤの状況が極度に悪化していることはイラク軍側も認めている。」と。
※「Escape from Fallujah: refugees flood nearby towns」By Kim Sengupta in Babil 18 November 2004 http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=584025

 そのような中、米政府・イラク政府は、ファルージャへの100億円を超える「復興援助」を実施する計画を発表した。これが米政府とその傀儡であるアラウィらの「神経」である。30万都市を虐殺し廃墟にしておいて「慈悲をくれてやる」と言うのである。これほどファルージャ市民、イラク民衆を愚弄する卑劣な行為はない。「殺した後に人道支援」「破壊した後に復興」−−ベクテル、ハリバートン、KBRその他、米系の土建多国籍企業、復興ビジネスのボロ儲けの手段にしようとしているのである。(自衛隊をサマワに居座わらせ日本企業もおこぼれに預かろうとしている)
 いずれにしても、未曾有の「5万人市民の餓死の危機」が迫っているのに、米軍が殺戮行為を今も継続しており地元住民が犠牲者を次々と埋葬しているのに、札束をちらつかせ、今度は買収によって黙らそうとするこのやり方自体、許し難い異常な行為である。
※参考 Red Cross hits out at Iraq abuses
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4027163.stm
この日本語訳は「Falluja, April 2004 - the book」のサイトにある。
http://humphrey.blogtribe.org/entry-a9eb8b756c721a2a6bda8fbadc137f86.html


[抄訳]
★「戦争は終わった。しかし平和はこない……そして殺戮は今も続いている」
 イラク人ジャーナリスト−アッバス・アーメド氏は、恐怖と窮状を語った。ファルージャの破壊された町からの体験取材。
“The war is over, but there is no peace ... and the killings go on”
The Iraqi journalist Abbas Ahmed Ibrahim tells of the horror and hardship in a first-hand account from the devastated city of Fallujah The Independent 20 November 2004
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=584773

ファルージャは今、奇妙な時がおとずれている。戦争は終了したと言われている。しかし、平和はこない。毎日、銃声が響いている。いまだに殺戮が繰り広げられている。町に残った人々はほとんどおらず、各所には、破壊された建物が残されただけである。

恐怖の臭気がいまだに漂っている。私たちはそれが何か、よく理解している。それは死体からの臭いである。すでに埋葬されたが、臭いが消え去ることはない。長期間にわたって私たちとともにあったその臭い。米軍は、武装勢力をすでに掃討したと発表しているが、ここ数日、彼らは同じ言葉を繰り返している。そしてここの住民は問う。「奴らが掃討している残っている人々とは誰のことなんだ」と。米軍兵士がモスクにおいて負傷した捕虜を殺害した同じことを、私たちは聞いている。しかしそのニュースは、外部にいる人々の中で繰り返されている。出歩くこと、何が続いているのかを確認することは不可能である。

私は好んでファルージャにいるわけではない。しかし脱出するのが恐ろしいのである。私は36歳である。米軍は、脱出しようとした15歳から45歳のすべての男性を拘束している。彼らは、民間人はファルージャを脱出しようとしたが、その後ろにいるすべての男性たちはムジャヒディンに違いないと語っている。

スカーフで顔を覆い、米軍部隊と共に行動するイラク人の男性たちがいる。内通者である。奴らが、お前は武装勢力だと認定すると、私たちが無実であっても、それを明らかにする猶予は与えられない。このような最低な輩、あるいは部族の怨恨を持つ連中はいる。誰が私たちを告発するかなど、分かりようもないのだ。

私が隠れいている理由は、ここに残っているその他の男性たちと同じ理由である。私の家を守るためである。私がアミリアに妻と両親らを避難させた時、彼らは私に、自分たちと一緒にいることを懇願した。しかし私は聞き入れなかった。今私は、それがどれほどの誤りだったのが分かった。親戚の所に身を寄せているが、自宅はおそらく破壊されたであろう。米軍は町に侵攻し、空から、地上から各所を撃ちまくった。私がいた家も、機関銃で銃撃された。その時、日中、夜間を問わず戦闘が行われた。砲弾と爆弾が各所を揺らした。それは、休みなく続いたように感じられた。今では停止している。しかし、米軍が家宅捜査を起こっている時、多くの破壊が行われた。今や私たちのように、ファルージャに取り残された民間人はわずかである。人々は外に出ることができず、いったい何人の人々がいるのか分からない。私たちは小グループでとどまり、通りをさらに越えて外に出るこなどできない。それはあまりにも危険なのだ。私は、従兄弟の家族が無事なのかどうか、分からない。日常生活では、車でたった10分程の距離にいるにもかかわらず。ここにとどまった家族は、(身内の誰かが)負傷したか、拘束されたか、あるいは殺されたのである。

ここの状況は最悪である。しかし、長期にわたり悪化した状況が続いており、日常生活がどのようなものであったのか、忘れてしまうほどである。電力も、水もない。残された食料もほとんどなく、医薬品すらもない。私の知り合いは、重病を患っている。それは汚染された水によるものである。しかし治療を施すことはできない。

私は赤新月社とその他の支援団体に対して、食料と医薬品を町に運び入れるように求めてきた。しかしイラク暫定政府首相アラウィの命令によって、それは停止されたままである。このことに人々は、さらに怒りをかき立てられている。自国民に敵対し、アメリカ寄りの立場を彼が取っていることを人々に示している。

米軍は食料と医薬品を提供するために中心部を占拠したと語っている。彼らはまた、今やファルージャの病院は、一週間以上も前から再開されたと語っている。

これは真実だろう。しかし問題は、その地点に行くことが非常に危険である点である。米軍に拘束され、おそらく殺害されることだろう。家族のために食料を取りに行こうと試みた女性二人が銃撃された。米軍兵士は、ムジャヒディンが撃ったと主張している。大部分の人々は、それは米軍自らがやったことだと確信している。しかし私は、そうだとは思わない。ムジャヒディンかもしれない。しかし、米軍がファルージャを支配したとしたなら、なぜこのようなことが起こるのか。

きたる数日間、私たちに何が起こるのかは分からない。私は、自分の家族全員がが無事であるとの知らせを聞いた。最大の悩みが取り去られたのだ。その他の民間人がファルージャに戻り始める時、より安全になるであろう。




●6月29日〜11月17日

●3月28日〜5月28日

●2月14日〜3月14日

●2004年1月12日〜2月8日

●11月24日〜12月24日

●10月1日〜11月19日

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