イラク戦争被害の記録


被害報道日誌(11月24日〜12月24日)


●12月24日(281日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

イラクにおけるアメリカ占領部隊 (Brian Jones)
http://electroniciraq.net/news/1268.shtml
 15日ラマディでは、フセイン大統領の拘束に抗議する群集に向けて米軍兵士が発砲した。多くの死傷者を出す惨事となった。米軍は各地の民衆の抗議行動を弾圧するために、躊躇すること無く発砲するようになっている。また米軍は今なお大規模な「掃討作戦」をイラク各地で繰り広げている。米軍司令官は自らの戦果を誇示するように、拘束した「反米抵抗勢力」の人数を発表している。しかし、「掃討作戦」にともない多くの民衆が犠牲となっている。米軍は家屋に押し入ろうと扉を破壊、その際イラク人女性が殺された。闇に葬られている虐殺事件が、数多くあるはずである。また多くの無実の民衆が拘束されているはずだ。公然と続けられる米軍の暴挙に、強い憤りを感じる。
 米軍兵士の犠牲も増大している。大規模戦闘終結宣言以降の米軍兵士の死者はついに200人を越えた。フセイン元大統領は拘束されたが、米軍への攻撃は沈静化していない。むしろ強まっている。武力による抵抗運動への弾圧が、アメリカの思惑とは逆にイラク民衆の怒りを買い、さらに抵抗運動を高揚させているのである。その担い手は、メディアが報じているような一部の外国人勢力によるものではない。イラク民衆による反米闘争であり、植民地支配に対するイラク民衆の怒りである。米軍が武力による支配を強化するほど、イラク民衆の抵抗もまた強まるであろう。
 今回、2本の記事を紹介した。紹介記事1“暴徒か?それとも抗議する人々か? 米軍との衝突で18人が殺される”では、米軍による民衆虐殺が各地で繰り広げられる一方で、レジスタンスに苦しめられる米軍が、自らの戦果=「テロリスト」殺害を誇張、時には事件そのものを捏造している点を問題にしている。記者(ロバート・フィスク氏)は、米軍の占領支配がフセイン大統領拘束後も根強い抵抗を受けていることをあらためて指摘している。紹介記事2は、“私たちは死者に敬意を払わなければならない”は、“イラク・ボディ・カウント”のリーダーの一人、ジョン・スロボダ氏によるものである。5月の大規模戦闘終結宣言以降2000人以上のイラク民衆が殺害されたこと、フセイン大統領拘束によってイラク情勢が混沌化し、民間人の犠牲がさらに拡大することへの懸念が述べられている。米軍の戦争犯罪の原点−“イラク民衆の大量殺戮”を追及し続ける必要性を訴えている。

※掃討作戦で女性1人死亡 旧陸軍少将も拘束 12月22日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031222-00000269-kyodo-int
※駐留米軍が2百人以上拘束 イラク掃討 12月22日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031222-00000105-kyodo-int

○記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲
24日
米軍・同盟軍の犠牲  
 サマラ 米軍車列が攻撃を受ける  米兵3人死亡

23日
米軍による掃討作戦  
 バグダット南部  米軍 空爆を含む、大規模な「掃討作戦」(鉄の正義作戦)
 米軍発表  イラク各地で数十人を拘束

22日
米軍・同盟軍の犠牲  
 バグダット 米軍車列が攻撃を受ける   米兵2人死亡 イラク人1人負傷
 (米軍の犠牲は、大規模戦闘終結宣言から202人となる)

21日
米軍による掃討作戦
 ファルージャ,ラワ  米兵が民家に突入しようと爆弾を仕掛ける(ラワ)
           イラク人1人死亡,2人負傷
 米軍発表 ・ラマディ,アンバル州での掃討作戦において96人を拘束
・「スンニ・トライアングルを含む全土で掃討作戦を実施し、200人を越える反米勢力のメンバーを拘束」(マイヤーズ米統合参謀本部議長)

20日
イラク人の犠牲
  キルクーク南方  米軍 警察官を反米武装勢力と間違って発砲 警察官5人死傷

 石油パイプライン 爆破、破壊

19日
イラク人の犠牲
  バグダット   爆発事件 イラク人1人死亡 数人負傷

17日
米軍・同盟軍の犠牲  
 バグダット  米軍部隊攻撃を受ける 米兵1人死亡

イラク人の犠牲
  バグダット  燃料輸送車両が爆発  イラク人に多数の死傷者

15日
イラク人の犠牲
  各地で群集と米軍が衝突  米軍の発砲によりイラク人14人死亡

米軍による掃討作戦
 バグダット北部  米軍発表 「抵抗勢力73人拘束」(サマラ)


○米軍の暴虐  民衆の抗議への発砲
紹介記事1
“暴徒か?それとも抗議する人々か? 米軍との衝突で18人が殺される”
“Insurgents or Protesters? 18 Are Killed in Clashes with US Troops”
 ロバート・フィスク The Independent   2003年12月16日
http://www.ccmep.org/2003_articles/Iraq/121703_insurgents_or_protesters.htm

ワシントンとロンドンがまだサダム・フセインの捕獲に酔いしれている間に、米軍は少なくとも18人のイラク人を、イラクの3つの大都市の路上で射殺した。

バグダッドから75マイル西にあるラマディで撮られた衝撃的なビデオには、武器を持っていないサダム・フセインの支持者たちが米兵から逃れようとしたところ、少し物陰になった所で撃ち殺されるシーンが写っていた。死者18人のうちの11人は、バグダッドの北にあるサマラで米軍に殺された。

すべての殺戮は、米軍のサダムの捕獲に対するスンニ派イスラム教徒らの抗議デモの最中に行われた。この抗議デモは、サマラの近くで月曜の夕方に始まった。最初、武装した兵士が市民らのそばに現れはじめたので、デモを繰り広げていた市民らはバグダッドの北の道路を封鎖した。市民らは−−はじめのうちは−−米軍はイラクの前独裁者ではなくて、サダムの影武者を捕まえたのだと信じていた。しかし数時間後、米軍はサマラで発砲を始め、彼らの歓喜の声は怒号へと変った。

いつもの通りに米軍は、死者18人はすべて「暴徒」で、米軍は3都市のすべてで攻撃を受けていたと主張した。しかしこれはちょうど2週間以上前に、彼らがサマラで54人の「テロリスト」を撃ったと自慢した時と同じ主張である。ジャーナリストらがその時に行った死者に関する調査では、米軍は市街の2つの銀行に政府通貨を輸送する際に待ち伏せされていたのだが、米軍の銃撃による犠牲者のうち確認できたのは9人の一般市民だけあり、その内の一人は子供、他の一人はイランからの巡礼者であったと結論付けている。

米軍はサマラで月曜日、再び待ち伏せされた、今回はゲリラがその仲間に米軍のパトロールが攻撃範囲にいるとの通信を送り届けるために伝書鳩を放していた、このように米軍は語った。米軍の主張によれば、兵士に向けてRPG弾を発砲した2人の射撃手は、学校帰りの子供らを隠れ蓑にしたのだという。米当局の発表では、兵士は「敵の銃撃を鎮圧し、市民には当てなかった」とのことであった。市民が負傷したとの話が一切ない中、この声明は奇妙なものであった。サマラにいる米軍の歩兵中隊長は、11人の「暴徒」が殺されたとその後に語ったが、その証拠は一切示さなかった。市街で銃撃戦が続いている間、ゲリラの死体はただの1つも発見されていない。

ファルージャは別の大量殺戮が行われた現場である。ここでは5人のイラク人、サダム支持の抗議者らがアメリカを支持する市長のオフィスになだれ込んできた。米軍に雇われた警官は身の危険を感じて建物の中に逃げ込んだ。2台のエイブラハム戦車、ブラッドレー兵員輸送車、数百の米兵が建物に向かって進軍した。これらは第82空挺部隊の兵士が指揮しているものと思われる。部隊の兵士は市長の建物からわずかに200メートルの屋上に駐留し続けている。昨晩までのところ、その兵士が殺害に参加したことを示すような兆候は何もない。

米軍は昨日、サダムの捕獲についてさらなる声明を持ち出して、死に関するニュースを覆い隠そうと試みていた。ジャーナリストたちが、「残念ながら記事にはできない話題」のために、バグダッド空港に向かう厳重な監視下に置かれた後、リチャード・マイヤーズ米国統合参謀本部議長は、それはサダム捕獲の軍事的効果があがるまで「しばしば」とられるであろう措置であると認めている。「かつてこの地域で非常に人気があった指導者を捕らえる時、彼を地面に掘った穴の中に見つけた。それは、あなたたちが間違ったチームにいるのだといった極めて強烈な声明なのである。」

しかしながらこの類の声明は、治安が引き続き脅かされていることを曖昧にすることはできなかった。例えばモスルでは、サダム支持のデモの間に、米軍が組織した地方のイラク治安部隊で働く警官の一人が殺され、別の者が負傷した。さらに南部のサダムの故郷であるチクリット近郊では、路上爆弾が3人の米兵を負傷させた。2人は重傷である。占領軍の保安文書---これは一般に公表されなかった---は、過去24時間中だけでバクダッド周辺で30件もの攻撃があったことを示している。

軍事的暴力が強まるこの状況の不穏な新たな動きは、バクダッド北部の路上の検問所において銃を持つ人間−−米軍のために働いている−−が、フードを被りマスクをしていることに表されている。彼ら5人は今、サマラ郊外のチグリス川の橋で車の検問をしている。明らかに、顔を隠さないと誰であるかを特定されてしまうことを恐れているのである。彼らは民兵組織の制服を着用し、彼ら自身が新たに米軍が後押ししている「イラク市民防衛軍(Iraqi Civil Defence Corps)の一員であると言っているが、階級章も部隊章も付けていない。同じようにフードを被った人間が、今ではバグダッドの通りにも現われている。


○民間人犠牲者
紹介記事2
“私たちは死者に敬意を払わなければならない”
占領の結果、何千ものイラク市民は死んでいる。ではなぜ、死者数の公式発表がないのか?
“We must honour the dead”
Thousands of Iraqi civilians have died as a result of the occupation. So why is there no official death toll?

ジョン・スロボダ ガーディアン紙 2003年12月19日
http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,3604,1110060,00.html

サダム・フセインは捕獲されたが、それにもかかわらず、イラクにおける民間人の死が、米とイギリスの内政干渉の真のアキレス腱となりうる可能性がある。死体は全土の死体公示所で山積みになっており、信頼できる報道やメディアは、3月19日からの民間人死者数の合計を10,000人近くとしている。

ブッシュ大統領が5月1日に「主要な戦闘の終了」を発表して以降、占領に関連した2,000人を越える死者がバグダッドで生み出されている。この流血がイラク内外で反連合の感情に火をつけ、準軍事的な組織化を助長したり一般のイラク人からの報復行為を誘発している。彼らは米英暫定行政当局(CPA)の軍事支配下で知人や家族を亡くし、節度を失わさせられ過激な手段に駆り立てられたのである。

多くのコメンテーターが、サダムの捕獲が暴力と混乱の増大を招くのではないかと恐れている。サダムの支援になることへの懸念から、アメリカに対する反乱者の攻撃に加わることを自制していた人々は、今やそのような制約を感じなくなるかもしれない。サダムが捕獲されたと発表されてから24時間以内に起こった(複数の)自爆攻撃で30人近くのイラク民間人が殺された。これには警察署に対する単発の攻撃において生じた(過去)最大の死者数も含まれている。

民間人死者に対する当局の反応はずっと、拙劣な言い逃れ、ごまかしといったものである。2003年9月、アダム・イングラム(英国防大臣)は以下に示す不合理な推論を政府の政策として提示した:「我々はイラクの主要な都市を解放するために非常に厳しい交戦規則、精密な誘導兵器と戦術を用い、連合軍が不必要な死傷者を回避するあらゆる可能な措置をとったことに満足している。我々は、それゆえ、イラク人の死傷者について公式の調査を継続する意図はもっていない。」

イギリス同様、ペンタゴンは民間人の死傷者を最小限に抑えることが実際にできると主張しているが、その主張は他の事実、ペンタゴンがクラスター爆弾を使っていることとは相容れない。先週、CPAがイラクの厚生省に対して民間人死者の統計を集めることをやめるよう命じたことが報道された。クダール・アバ博士(イラク厚生大臣)は、そのような調査は不可能であると主張した。「なぜなら病院は、戦争での連合軍の尽力がもたらした死と、イラク人らの間の一般の犯罪によるものや、サダムの残忍な政権がもたらした死を識別することができないからだ。」

ワシントン、ロンドン、バグダッドからのこういった声明は意味をなさない。

第一に、精密さが適用されるべきである。戦争それ自体では適用されていなかったが。軍司令官達は、彼らが戦闘員と非戦闘員の区別をつけられない状況でも爆弾の投下やミサイルの発射を控えることはしなかった。それどころか彼らは、民間人が死ぬことは遺憾ながら避けられないことである、と宣言した。

第ニに、課題が重要なものである場合、「間違い」を犯す可能性があるとしても、実行されるべきだ。一般的な慣行だが、誤差を予測し、調査の結果と一緒に公表することは可能であある。である。9/11の公式死傷者数の合計が最近の修正(下方へ)されたことに関して、ジョナサン・グリーンスパン(ニューヨーク市長コミュニティー援助基金資金の委員)がニューヨークタイムズに寄せたコメントがある。調査者は「死者の正確かつ宗教上神聖な数字の確定に専心したので、相応に時間をかけた。たとえ或る程度の誤った名前や、生存者の名前が多くの死者の名前の中に混じりこんでいることを意味しているとしても、真実の犠牲者の名前を除外してしまうよりは良い、と彼らは判断を下した」というものである。同じ論法はイラクにおいても当てはまる。

第三に、人道主義の点から絶対必要なこととして、死者を確認して名前を挙げていく事は、彼らがどのように死んだかに関係なく行われなければならない。連合軍が主張するような「正当化される」死やあるいは「サダムが引き起こした」死というようないくつかの分類は、それをデータ収集を妨害する弁解に使うことはできない。誰がその死に責任を負っているのかという議論は何年も続くだろうが、それは当面の課題とは無関係である。2003年3月19日以後にイラクで発生した紛争関連の死者は全て、国連の権威なしにイラクを侵略するための、意図的で一方的な米英による決定を通じて、生じたものである。これを行うことにからそしてその後ジュネーブ協定およびハーグ規則の条項の下での「占領当局」の役割を引き受けていることから、米英はこれらの死と彼らがいまどのように扱われているかということに対して、現場で引き金を引いたのが誰であるかに関わらず、責任を負っているのである。

第四に、連合の反応は、すでに独立した機関(ヒューマン・ライツ・ウォッチや地雷勧告グループ(the Mines Advisory Group)を含む)が既に導き出された一連の調査の存在を無視する姿勢である。これらのプロジェクトは、高水準の調査が可能であることを示している。ホワイトハウスと英首相官邸に欠けているのは、手段ではなくて意志なのだ。

戦争の開始以来、イラク・ボディ・カウントは世界中のメディア報道を通じて民間人死者を追跡している。私達は、いくつかの公的機関が、2003年3月19日以来死んだ人々についての記録という義務を完遂するまで、この仕事を継続する意志である。イラク紛争による罪のない犠牲者達は記録され、敬意をはらわれるべきである---そして彼らの親族は賠償を受けるべきである。彼らは私達の政治屋の決定のためにたいへん大きな犠牲をはらわされたのだから。

・ジョン・スロボダはイラク・ボディ・カウントの共同創始者であり、オクスフォード研究グループ(Oxford Research Group)の次期執行理事。



●12月14日(271日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アフガニスタンの東部ガズニ州では6日、米軍の攻撃によって9人の子供が犠牲となったことを伝えた。その後、東部パクティア州のガルデス近郊で5日、民間人8人(子供6人、大人2人)を殺害する事件を米軍が引き起こしていたことが判明した。米軍の「掃討作戦」にともなう犠牲者である。米軍報道官は事件を受け、「民間人の被害を出さないとは保証できない」との声明を発表した。とんでもない暴言である。このような開き直りを、誰が認めることができようか。またジャララバードでは、「掃討作戦」を繰り広げる米軍が産院に押し入り、レジスタンス6人を殺害したという。多くの民間人も巻き込まれているのではないか。今アフガニスタンでは、相次ぐ米軍の「誤爆」=民間人の大量殺戮を受け、反占領軍、反米軍感情がこれまでになく高まっているという。アフガニスタンにおける米軍の民間人殺害、暴挙を許してはならない。今なお続くアフガニスタンにおける米軍の侵略に反対の声を上げていかなければならない。
 米軍はイラク各地において、「掃討作戦」を執拗に繰り広げている。空爆、A-10攻撃機、ヘリによる強襲、重武装兵に襲撃、相変わらず暴虐が繰り返されている。犠牲となっているに違いない多くのイラク民衆に関する情報は断片のみであり、その被害の全体像は伝わってこない。またレジスタンスの攻勢に悩まされている米占領軍は、イスラエル軍のパレスチナ占領支配政策を積極的に採用し始めた。どうやら米軍の「戦術転換」の柱の一つは、イスラエル軍のやり方を模倣したものであるらしい。報復として「疑わしい」拠点を徹底的に空爆する−−攻撃を口実に爆撃を繰り返すイスラエル軍と同じである。「疑わしい」家屋とその近辺の家屋をなぎ倒し、更地にする−−見せしめとして、ブルドーザーで家屋を破壊するイスラエル軍の蛮行と同じである。また、レジスタンスの活動が激しい地域全体を包囲する、包囲した地域住民に認識証を持たせる、等々。以前から指摘されていたように、米−イスラエル双方の軍高官の「交流」は日常的なものであり、米軍へのイスラエル軍“対テロスペシャリスト”の派遣も行われているという。そして米軍への抵抗が根強い地域では、ベトナム戦争時の風景−−「鉄条網」で取り囲まれた“戦略村”−−が見られるようになっているという。そのような無茶苦茶な占領支配が、イラク各地で実行に移されている(紹介記事1:“米軍による凶悪な新戦略、イラクの町を締め付ける”(ニューヨーク・タイムズ)を参照)。またレジスタンスのリーダー殺害を狙い、イスラエル流の暗殺法を米軍が取り入れているという。すでに特殊部隊からなる暗殺班が創設されているらしい(紹介記事2:“イスラエルはイラクにおける米軍の暗殺班を訓練している”(ガーディンアン紙)参照)。米軍を中心とする占領軍による民間人虐殺、暴虐を止めさせなければならない。フセイン元大統領が拘束されても、イラク民衆の占領支配への抵抗は続くであろう。米軍はイラクから、即座に撤退しなければならない。自衛隊のイラク派兵は、無茶苦茶な占領支配を行う米軍への協力、加担である。

※米攻撃で子供6人死亡 アフガン、再び巻き添え (12月11日 共同通信)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031211-00000003-kyodo-int
※米軍がアフガンの産院で銃撃戦、6人死亡 (12月12日 ロイター)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031212-00000741-reu-int


○記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲

12日
米軍・同盟軍の犠牲  
 ラマディ  米軍車列が攻撃を受ける   米兵1人死亡 2人負傷
 バビロン  ポーランド軍が攻撃を受ける  兵士2人負傷

11日
米軍・同盟軍の犠牲
 ラマディ  米空挺師団指令部が攻撃を受ける   米兵1人死亡 14人負傷
 バグダット 米軍に同行したタイムズ紙記者2人負傷  兵士2人負傷

10日
政治動向 
 国連   「国連が活動するには危険過ぎる」として、完全撤退した職員の復帰見送りを発表

9日
米軍・同盟軍の犠牲  
 モスル近郊   米軍基地が攻撃を受ける 米兵58人負傷 イラク人3人負傷
 バグダット空港 米軍輸送機が地上からのミサイル攻撃を受ける 

イラク人の犠牲
 サマワ   失業者のデモへオランダ軍発砲  イラク人警官2人負傷

政治動向 
 米国防総省 米国が発注する復興事業180億ドルの元請けを同盟国に限定すると発表

8日
米軍・同盟軍の犠牲  
 モスル近郊   米軍車両銃撃をうける 米兵1人死亡

イラク人の犠牲
 バクバ   道路脇の爆弾が爆発  イラク人警官1人死亡


○米軍の暴虐--イスラエルの戦略(村全体を“鉄条網”で包囲,米軍暗殺部隊の創設)
紹介記事1
 “米軍による凶悪な新戦略、イラクの町を締め上げる
 “Tough New Tactics by U.S. Tighten Grip on Iraq Towns
  by Dexter Wilkins December 7, 2003 by the New York Times
  http://www.ccmep.org/2003_articles/Iraq/120703_tough_ne_tactics_by_us.htm

イラク,アブ・ヒシマ村,12月6日−−イラク人反米活動集団に対するゲリラ戦を強化するともに、米軍兵士は鉄条網で村全体を囲み始めた。

ある場合には、兵士は、攻撃を仕掛けるイラク人に使用されていると思われる建物を破壊している。反米活動家たちが戻ってくることを狙い、兵士はゲリラ容疑者の親類を拘束、連行するようになっている。

11月初旬、米軍は強硬戦略に着手した。敵の砲火によって81人が殺害され、イラク駐留米軍にとって最大の犠牲者を出した一ヶ月、米軍は動き出したのである。米軍が選択した対応は、イスラエルの占領地における対ゲリラ活動の軍事作戦をそのまま繰り返すようなものとして開始された。

現時点では、新しいアプローチが米軍兵士への脅威を軽減することに成功したように見える。しかし、米軍が取り込もうと試みてきた民衆の多くを遠ざけるといった代価を支払っているように見える。今、アブ・ヒシマは静まり返っている。しかしまた、怒りも沸き起こっている。

アブ・ヒシマでは、(村は)米軍部隊への攻撃が繰り返されたため鉄条網で囲われ、イラク民間人は、米軍が守備する検問を通過しなければならず出入のために列を作る。彼らは、英語だけで書かれた身分証を携帯しなければならない。

「もしこの身分証の一つを所持していれば、あなたは通過することができるのだ」と、バグダットから50マイル離れたその村を監視する大隊司令官ナサン・ササマン中佐は正当化しようとした。「身分証を所持していなければ、通過することはできない。」

イラク人は、首を縦に振りつつ車を列に向けた。一方の向こう側では、タリクと名のる一人のイラク人が小さな声で怒っていた。

「私たちとパレスチナ人の間に違いなどないことは明らかだよ」と彼は言った。「サダムが追放された後、このようなものを私たちは求めてこなかったよ。」

イラク人の反米集団が計画を練り攻撃の拠点にしていると疑われる建物を破壊する手法は、ガザ地区やヨルダン川西岸地区においてイスラエルによって数十年もわたって行われてきたものである。イスラエル軍は、テロリスト容疑者の投降を狙い、彼らの親類を拘束している。

イスラエル軍は、ゲリラ活動の温床と見られる村と町を封鎖してきた。その村や町の出入りを制限しようとしたのである。

米軍高官は、イスラエルの戦略を意図的に模倣しているのではないと述べている。しかし、都市部における戦闘のイスラエルの経験をよく学んでいることを認めてきた。戦争に先立ち、イスラエル軍の防衛専門家は米軍司令官に対して、ゲリラ戦と都市部での戦闘の経験を説明してきた。

陸軍の雑誌の7月号の記事に書かれているように、米高官がイスラエルの近年の戦闘から学んだ教訓を聞き取りに行ったと、米陸軍准将は述べている。

「経験は多くの教訓を私たちに教えている。また私たちは、それらの教訓を評価し、注目している。そしてわれわれのコンセプト、ドクトリン、訓練に適正に取り込んでいる。」ミッチェル・A・ベイン准将は、このように書いている。「例えば、最近われわれは事例を集め、都市部における対テロリスト作戦から学ぶためにイスラエルを訪問した」。ベイン准将は、‘United States Army Training and Doctrine Command’におけるドクトリン・コンセプト・戦略の部長である。

当地の米高官は、新しい非情なアプローチはスンニ・トライアングルにおいて米軍兵士が遭遇する軍事的、政治的現実のリアルな正しい認識を反映したものであると語っている。そのエリアはバグダットの北西部であり、米軍兵士に対する攻撃が頻発して起こっている所である。

新しい戦略の基礎には、非情なアプローチのみが反米集団をねじ伏せることができ、新しい戦略がゲリラに懲罰を加えるだけではなく一般のイラク人に協力しないことの代価を知らしめるといった信念があると、米軍は語っている。

「君たちは、アラブ人の心情を理解しなければならない」と、第四歩兵師団の中隊長であるトッド・ブラウン中佐はアブ・ヒシマのゲートの外で立ちながら語った。

イラク駐留米軍司令官であるリカルゴ・サンチェス中将は、11月初旬に強硬戦略を発表した。発表を受け米高官のある者たちは、引き続き起こるであろう事件(現場)は褒められるようなものではないだろうと警告した。

サンチェス中将が本日バグダットで語ったところでは、同盟軍への攻撃、あるいはイラク全土における敵との戦闘は、2週間前の一日40回から一日20回以下へと減少しているという。

「われわれは同盟軍への攻撃回数を大きく押し戻した」と彼は語った。「われわれは、激しくやり返した。われわれは奴らに対して、攻撃のペースを鈍化させている。」

このように、新しい米軍のアプローチは短期的には、イスラエル軍と成功を分かち合っているようだ。イスラエルの高官は、彼らの戦略が自爆攻撃の大惨事の発生を恒常的に防いでいると断言した。

「何もしなければ、彼らはもっと強くなっていただろう」と、エルサレムにあるヘブロン大学の軍事史と軍事戦略に関する教授であるマーチン・ヴァン・クレベルト氏は語った。

人口7000人のアブ・ヒシマにおける問題は10月に始まった。その時スンニ・トライアングルにまたがる米軍は、イスラムの聖なるラマダンの始まりと共に軍事行動を和らげる決断を下したのである。

その他の町と同じくアブ・ヒシマでは、米軍の後退は反米集団による報いを受けなかった。米軍部隊は常に迫撃砲の攻撃を受け、しばしば果樹園周辺を追跡しているのである。

一方では、道路脇に仕掛けられた爆弾の数は急速に増大している。陸軍輸送車は常に、村から数マイル離れた家屋から銃撃が加えられる。

米軍にとってのとどめの一撃が11月17日におとずれた。ゲリラの一団がブラッドレー装甲車両に向けてRPG砲を放ったのである。その砲弾はブラッドレーの装甲を貫き、乗り込んでいたデール・パンコット軍曹を殺害した。

その砲弾は軍曹の肩に入った。ブラッドレーが煙を上げる一方で、第四歩兵師団の第1大隊、第8歩兵隊がアブ・ヒシマを取り囲み、ゲリラの捜索を開始した。兵士は村をレーザーワイヤで囲った。

その翌日、米軍のジェット機が500ポンド爆弾を攻撃に使用された家屋の上に落とした。米軍は8人の家長、村長、警察所長、議員のほとんどを拘束した。

その2週間半後、アブ・ヒシマの町は5マイルにもわたって鉄条網で囲まれた。18〜65歳までの男性は、認識証を所持することを命じられた。村には、一ヶ所の入口と一ヶ所の出口しかない。

「このフェンスは、君たちを守るためにここに設置されている」と鉄条網の前に置かれた看板にはそのように書かれている。「近づいてはならない。越えてはならない。さもなければ、撃たれれることになる。」

米軍は、アワジャやサダム・フセインの生まれ故郷を含むその他の町にもその戦略を採用している。米軍は数週間にわたって、イラク西部の三つの町の封鎖してきた。

「多くの恐怖と暴力、また計画への多大なお金によって、われわれは助けなければならない人々を認識することができると私は考えている」とササマン中佐は語った。

鉄条網からおおよそ数マイル外の家屋への爆撃は、イスラエル軍を真似たもう一つの戦略である。イラクにおいて米軍は、彼らがゲリラの隠れ家になっていると決めつけた多くの家屋をなぎ倒し、爆撃し、使い物にならないようにしている。

ティクリットでは、住民はある家屋が米軍戦車によってなぎ倒されたと指摘した。占領者は既に去ったと彼らは語った。

「私は、米軍がその家を更地にするのを目撃した」と、道路を越えた所に住んでいるアブダラ・アル・アジリは語った。

ティクリット周辺で家屋をなぎ倒していることを米高官は認識している。最近の記者会見においてサンチェス中将は、その戦略がイスラエルの経験に沿ったものとする疑念には取り合わないと説明した。

「そうですね、われわれがしなければならないことは、戦争法規とジュネーブ協定、そしてある建物が主張されているものではなくなり、軍事標的になる場合を定義するこれらの問題点のすべてに立ち戻ることかもしれない」とサンチェス中将は語った。「われわれは、戦争法が適用される場所において低強度戦闘の最中にいることを忘れてはならない。」

アブ・ヒシマでは住民が、一日に15時間も村が閉鎖されることに不平を言っている。朝と夕刻の礼拝のためにモスクに行くことができないのである。門限はガソリンのための列に一日中待つ時間も認められず、夜間にゲートが閉鎖される前に家に帰ることもできないと村民は語った。

しかし村民が語っているように、多くの人々の尊厳が奪われているのである。すべての認識証には、イラク人男性に対して数字が割り当てられている。顔写真を撮った際に(数字が書かれた紙を)持たされるのである。その認識証には、年齢、車種が分かるようになっている。すべて英語で書かれている。

「これは完全な屈辱だ」と、39歳の小学校教師のヤシン・ムスタファは語った。「私たちは籠の中の鳥と同じだ。」

ササマン中佐は、村民がパンコット軍曹を殺した6人を引き渡すまで村を(鉄条網で)包囲し続けると語った。その6人が遠くに逃げ去ったことが分かっているにもかかわらず。

ササマン中佐は、多くのアブ・ハシマの村民を恐れている。村民は、周辺の捜索とレーザーワイヤの責任を彼に負わせているのである。しかしある者たちは、7000人の村民から一部の悪人を見つけだそうとする中佐が負っている仕事の難しさを理解している。

「ササマン中佐、あなたは村に住み込み、村長になるべきだ」と、アリ・アル・タイは検問所の外で中佐に向かって言った。

中佐は笑い、タイ氏は他の訪問者の所へ戻った。

「ササマン中佐は良い人ですよ」と彼は語った。「彼が、鉄条網と検問所を取り除いたらですけどね。そうしたら誰もが彼を好きになるでしょう。」


紹介記事2
 “イスラエルはイラクにおける米軍の暗殺班を訓練している
 “Israel Trains US Assassination Squads in Iraq
  by Julian Borger in Washington Tuesday December 9, 2003
 http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,4815008-103681,00.html

イスラエル人顧問らがイラクにおける攻撃的対ゲリラ活動作戦で米軍の特殊部隊の訓練を手助けしており、それにはゲリラ指導者らに対する暗殺班の活用も含まれると、米軍報道官と陸軍情報筋は昨日語った。

イスラエル国防軍(IDF)はノース・カロライナのフォート・ブラッグに市街戦のスペシャリストを送った。その町は米軍特殊部隊の本拠地である。そして二つの消息筋によると、イスラエル陸軍の“コンサルタント”もイラクを訪れているという。

イラクのスンニ・トライアングルにおいて米軍は、占領地におけるイスラエルの軍事行動に真似た戦略を使用し始めている。それはレーザーワイヤーで居住地の中央を封鎖し、米兵らに対して攻撃がなされた建物を徹底的に破壊するものである。

しかし、来年11月の大統領選挙に先んじてバース党支持者主導のゲリラ活動を鎮圧することを望む中で、イラクにおける秘密の戦争は近日困難になる一方である。

作戦に詳しい消息筋によると、米軍特殊部隊班は既に国境の後方シリアに居り、国境を越える前に、外国人のジハーデスト(聖戦を行う人)を殺害することを試みている。そしてゲリラ指導者らの“中立化”を目指すグループにも向けられてる。

「これは基本的には暗殺計画である。これはまさに、ここで概念的に説明されているである。これは殺害者への攻撃班なのだ」と元米軍情報将校高官は語った。新しい戦略と一層深まったイスラエルとの協力は、中東に一発触発の状況を煽るだけだろうという彼の懸念を付け加えながら。

「これはクレイジーな、常軌を逸したことだ。私たちの現状はこうだ−−私たちは既にアラブ世界においてシャロンと比べられてきた。そして私たちはイスラエル人らを呼び寄せ、暗殺班を結成する事によって、それを正に認めたのだ。」

「彼らはフォート・ブラッグでイスラエル人から訓練を受けている」と、事情によく通じたワシントンの情報筋は語った。

「一部のイスラエル人はイラクにも行った。訓練を行うためではなく、相談するために。」

そのコンサルタントのイラク訪問を、現地の米政府当局者と連絡を取り合っている別の米軍情報筋も認めた。

ペンタゴンは追及に返答しなかった。しかし陸軍の立案者である陸軍准将マイケル・バーンは、7月の軍雑誌への手紙の中でイラクの対ゲリラ活動作戦についてイスラエルとの協力に触れた。

「私たちは、市街地での対テロリスト攻撃作戦から学ばれた教訓を収集するため最近イスラエルへ旅行した」と、陸軍の訓練及び政策統御幹部の副責任者である准将バーンは書いている。

あるイスラエル政府当局者は、IDFは日常的に西岸とガザ地区での経験を米陸軍と分かち合っていると述べた。しかし彼はイラクでの協力に関してコメントすることは出来ないと語っている。

「私たちが活動を行う時、テルアビブに配属している米陸軍は興味を持つ。私は英国軍も同じだと思う。それは同盟諸国を機能させるやり方だ。特殊部隊が私たちの人々のところにやって来て言う、私たちが行った作戦の結果を聞かせろと。」その当局者は言った。

「それはイラクに影響をおよぼすだろうか。それは私たちの関心事では無く、アメリカ人の関心事でも、またはイラクに入り込むための誰かの関心事でもない。それはジハーデストの偏見にちょうど適合するだろう。」

元陸軍情報将校でイラクにおけるペンタゴンの政策の批評家であるラルフ・ピーター大佐は、昨日、可能な限り教訓を学ぶことはまったく悪いことではないと語った。

「私たちが見識のために誰かを頼みにする場合、それは私たちが無分別にそれを受け入れることを意味しない。」ピーター大佐は言った。「しかし私はあなた達が見ている事は新しいリアリズムだと考えている。アメリカ人の傾向は心をすべて得ようと試みることだ。イラクにおいて、私たちが得ることが出来ないほんの一部の心がある。人間の権利の範囲内で、もしあなたがある村々の一つの例を作ったら、それは他の村々の注意を引くだろう。そしてその地域への攻撃は低下するであろう。」

ペンタゴンで集められたエリート兵で編成された新しい対ゲリラ活動の小隊はタスク・フォース121と呼ばれているとニューヨーカー・マガジンは昨日版で伝えた。

その攻撃態勢の背後にいる立案者の一人は、大いに議論を醸す人物であり、彼の役割はイスラム教徒の意見を大いに刺激する可能性がある。その人物はウイリアム・“ジェリー”ボーキン中将である。

10月、米軍は悪魔と戦争をしており、悪魔は“キリスト教徒の軍隊である我々を打ち負かすことを望んでいる”と彼がオレゴンで教会の信徒に語った後、辞職の要求があった。

「彼は能力よりも上のランクに昇進されられてきた」と彼は語った。「一部の将軍たちは戦場には非常に詳しい。しかし、権力の中枢では破滅を招く人々である。」



●12月8日(265日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アフガニスタンのガズニ州で6日、家屋の中庭で遊んでいた子供9人が米軍の機銃掃射によって殺害される痛ましい事件が発生した。このような事件を繰り返す米軍に強い憤りを感じる。米軍は、A-10攻撃機で元司令官なる人物の殺害を狙い攻撃、その際9人の子供が巻き込まれたという。米軍は元司令官の遺体を確認したとしているが、その後この情報がデマであることが明らかになった。地元住民の話では元司令官はかなり以前から現地を離れており、真相は米軍の「誤爆」、誤った情報に基づき子供たちの頭上に銃弾の雨を降らせたらしい。米軍は直後、元司令官の遺体もあったと嘘をつき、自らの責任を回避しようとした。アフガニスタン、イラクで繰り返されている米軍の常套手段である。A-10攻撃機等の強力な兵器を用いた米軍の「掃討作戦」が現在もアフガニスタンでも繰り広げられており、民間人殺害事件が相次いでいる。イラクにとどまらず、国際的な監視の目と批判をアフガニスタンにも向けなければならない。
 日時が経過するにつれ、「サマラの虐殺」の真相が明らかになってきた(翻訳記事参照)。サマラの市街地で、レジスタンスと米軍の間で戦闘があったのは真実らしい。米軍は銀行へ紙幣を輸送中、“少数の”レジスタンスから攻撃を受けパニック状態に陥った。そして数時間にわたって米軍は、戦車砲から小銃、ピストルにいたる様々な火器を乱射した。レジスタンス側はほとんど無傷のまま逃げた可能性も指摘されている。残されたのは民間人の犠牲者だけであり、多くが病院に運び込まれた。そして米軍は、さも勇敢に「ゲリラ」と闘い撃退したかのように宣伝すべく、50人を越える「ゲリラ」を殺害、その大半がサダム・フェダーインであるかのように描き出したらしい。民間人の犠牲を一切無視して。いまだに米軍は、サマラにおける民間人虐殺の責任を認めていない。米軍は今、「スンニ・トライアングル」で激しい「掃討作戦」を繰り広げている。多くの民間人が殺害され、拘束、連行されているに違いない。私たちは、米軍、多国籍軍イラクからの即時撤退を求める。自衛隊がイラクに派遣されるということは、このような殺戮を繰り広げる米軍を支援することである。決して許してはならない。

<関連記事>
※Deaths of Nine Children in US attack Adds to Sense of Fear in Afghanistan: UN  
http://www.commondreams.org/headlines03/1207-02.htm
※<アフガン>子ども9人死亡 米空爆の掃討作戦で犠牲か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031207-00001011-mai-int


○記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲 
7日
米軍・同盟軍の犠牲  
 モスル  米軍車列が攻撃を受ける   米兵1人死亡 2人負傷

6日
政治動向 
 ラムズフェルド国防長官  キルクークを訪問
 (訪問一週間前から、激しい「掃討作戦」をキルクークで繰り広げる)
 ブレマー行政官   反米勢力の攻撃激化の可能性を示唆

イラク人の犠牲
  サマラ   「サマラの虐殺」(30日)の葬儀参列者とイラク人警官が衝突
         イラク人警官1人死亡

アフガニスタンでの民間人犠牲  
  ガズニ州  米軍機A-10 子供9人を殺害

5日
米軍・同盟軍の犠牲  
 バグダット  米軍車列が攻撃を受ける 米兵1人死亡 
                   通行人のイラク人3人死亡

○「サマラの虐殺」の真相
記事紹介
“血まみれの勝利、それとも危険に満ちた幻覚か? サマラでの戦闘の真実”
“A bloody victory or dangerous fantasy?The true story of the battle of Samarra”   The Independnt  By Phil Reeves in Samarra  2003年12月6日
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=470599

米軍が衝撃的な告白−−その諸階級内のある者たちを悩ましている−−を発表してから、おおよそ一週間が経過しようとしている。それは、スンニ派の町サマラにおける銃撃戦の間、米軍部隊が54人を殺害したといった事件である。

公式発表では、4月の米主導のイラク占領以降、最も激しい交戦において、どのようにして、赤と黒のチェックのスカーフと黒いシャツとズボンをまとった数十人ものフェダーイン・ゲリラが部隊を攻撃したのか、そして彼らが敗れ去ったのか、このことを詳細に説明していた。

現場を再び訪れてみると、イラク人民間人や米軍兵士とのインタビュー、多くの証言に基づく戦闘の損害に関する詳細な調査は、いくつかの厄介な、重大な疑問を消し去ることができていない。遺体はどこにあるのか?それは存在したのか?あるいは、この死者総数−ある部分は疑わしいが−は、7人のスペイン情報部員を含む14人の外国人がゲリラに攻撃された悲惨な週末を受け、米軍にとっての良き見出しのニュースを作り出すことを狙ったでっち上げではないのか?

占領軍は皆嘘をついている。また彼らの敵対者たちもそうである。しかし、イラクは特に危険な場所であり、何百万人もの人々は、サダム・フセインは大量破壊兵器を備蓄しているとの嘘の口実に基づいて侵略が仕掛けられたと信じている。

サマラはチグリス河の河畔にある、小さな、怒れるレジスタンス勢力が立てこもる町である。また昨日、金曜礼拝の数分前、シーア派の聖地アリ・アルハディの黄金ドームからそれ程離れていない家屋の上空2、3フィートを2機のアパッチ・ヘリが旋回して、また新たに(住民の怒りに)火を付けた。人々は数時間前、年老いた商店主のアドベル・ラサル・サレィ・アルバッシーが屋根の上で撃たれた事件に怒っていた。親族によると、水槽を修繕しようとしていたとき、彼は米軍狙撃手に撃たれたということであった。

先週の戦闘の詳細は混乱しており、時には警戒心をいだかせるほどである。しかし一つの問題については、彼らは主張を曲げていない。サマラでは8人が殺された。米軍が銃撃を繰り返し、55人が負傷したが。

「もしも54人が殺されたとすると、私たちは知っているはずだ。ここは、まさに部族社会であり、この地区の誰もがお互いのことを知っているのだから」と、ヤハー・マーモウド・アル・アバシーは言った。

懐疑的なのはサマラの人々だけではない。バグダットのある占領当局の高官は怒りながら、「私たちは、このようなことが起こりうると言っただろう・・・・これは正確なものではない」と言った。

日曜日、2台の輸送車が攻撃にさらされたことは疑いない。その車両は、バベル・カブラ通りのアル・ラシードとバンク通りにあるアル・リサラ・モスク向かい側の支店の二ヶ所に新イラク・ディナールを配送していた。両地区ともビルに囲まれており−−約半マイル離れているが−−、凄まじい銃撃を受けた。

米軍は、約100人の兵士、6台の戦車、4台のブラッドレー戦闘車両、4台のハムビーからなる第四歩兵師団の部隊からなり、おおよそ11時にサマラに到着した、と述べている。

それらの部隊に、憲兵隊の2部隊、歩兵隊の4部隊がともなった。輸送車は、両端から街に入ってきた。そして道路脇の爆弾による攻撃を受けた。攻撃はよく計画されたものだったのだろう。

米軍、住民ともに、確実に戦闘が数時間にわたって継続したことでは一致している。ゲリラは、小火器、RPG砲、迫撃砲を使用した。米軍は、エイブラハム戦車の120mm砲、ブラッドレー戦闘車両の25mm機関銃、武装したハムビー、M-16ライフル銃、ピストルを撃ち放った。戦闘が街中に拡大するにつれ、一部の射撃はデタラメなものとなった。

1時30分頃、48歳のファラー・ハミッド・サルマンは、サマラ・医薬品工場の事務所の前にいた。その時、迫撃砲の砲弾が前門付近に着弾した。労働者は交代までの間、その付近で待機していた。30歳半ばの従業員であるアミラ・マーディ・サラーは殺された。

サルマン氏は、通り過ぎる米軍武装車両からの銃弾が受付に撃ち込まれたと語った。そこには少なくとも5発のマシンガンの銃弾の跡がある。別の迫撃砲がその建物のもっと内側に着弾し、25歳のハッサン・シャキール・アル・デュリーに怪我を負わせ、彼はその後死亡した。

戦闘が街中で絶え間なく続き、ゲリラたちが路地を通って素早く動き回っていた時、アブドラ・アミン・アルクルディは現地の病院の前にある小さなモスクの外で倒された。彼と一緒にいた10歳の息子は、脚と腹に怪我を負ったが助かった。もう一人の男性、レイド・アリ・ファデルもそこで死亡した。

それ程遠くない所でビジネスマンのサーレム・モハメッド・アルラマニーは、シーア派のモスクからほんの2、3ヤードしか離れていない彼の家屋を点検していた。その時、米軍が内部を捜索し−彼が言うことには−屋根の上に狙撃兵を登らせた。ここは、銀行に(現金を)配送しようとした者たちが待ち伏せにあった現場の一つだった。銃撃戦が勃発し、ガザル・ジャッダ・アルバジーに怪我を負わせ、71歳の巡礼者ファタ・アッラー・ヒジャジは殺害された。

サマラで起こったのは戦闘であり、しかも大規模なものだった。しかし、その証拠は、犠牲者がゲリラではなくほとんど民間人であり、その数も米軍当局者が語ったものよりも遙かに少ないことを示唆している。

米陸軍はその話題にますます敏感になっている。ジョージ・クリーブ中佐は水曜日インデペンデンス紙に腹立たしげに話しかけた。「私は君たちに一つの事を言うことが出来る−我々は、兵士を信頼する!」彼は半分叫びながら言った。

2003年の12月2日火曜日、バグダッドの北110km(60マイル)のサマラの中心部。銃弾が撃ち込まれたアパートのバルコニーから一人のイラク人男性が見ている。住民は、日曜日、イラク人戦士がたくさん死んだとの米軍の主張に異論を唱えた。また殺されたのは10人以下であり、ほとんどが民間人だったと主張した。



●12月2日(259日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 11月30日、「米軍が侵攻して以来最大規模」といわれる米軍による大虐殺事件が発生した。場所は、「スンニ・トライアングル」の一角のサマラである。米軍は事件直後、「"サダム・フェダーイン"の攻撃を受け反撃」、「武装勢力54人を殺害」、「民間人(犠牲者)に関する情報はない」と発表した。しかしその後、多くの民間人が米軍によって殺害された大虐殺事件であることが明らかになってきた。地元の病院は、イラク人の民間人8人が犠牲となったと主張している。「米軍がヘリコプターなどから無差別に攻撃した」(共同通信)との目撃証言もある。紹介記事の中で触れられているが、市街地のど真ん中で戦車砲をぶっ放したようである。また多くの遺体は発見されていない。一体現場で何があったのか、真相はいまだに定かではない。米軍は真実をねじ曲げ、不都合な事実をひた隠しにしようとしている。米軍は現地での再調査を実施したが、イラク人負傷者と会おうともせずに、発表内容を追認しただけであった。私たちは今回の虐殺事件に強い憤りを感じる。
 「ファルージャの次はサマラ」と言われるほどサマラの地の反米意識が強く、またレジスタンスによる米軍への攻撃が相次いでいた。今回の虐殺事件は偶発的なものではない。米軍にとって、特にサマラのような地では、まわりのすべてが敵に見える。レジスタンスの攻撃が激しくなるにつれ、米軍兵士はますます躊躇なく銃を撃ち放ち、民間人を巻き添えにすることもいとわなくなっている。米軍が占領統治に固執し、武力によるレジスタンス制圧を強化しようとするならば、このような悲劇が幾度も繰り返されるに違いない。私たちは、米軍、同盟軍のイラクからの即時撤退を求める。


○記録−米軍によるイラク民衆の殺戮・拡大する米軍兵士の犠牲

12月2日
政治動向 
 小泉首相  「テロ」に屈することなく自衛隊派遣を進めることを明言

12月1日
米軍・同盟軍の犠牲  
 ハバニア  米軍車列が攻撃を受ける  米軍兵士1人死亡 

11月30日
イラク人犠牲者  
 サマラ  米軍無差別攻撃 多くのイラク民間人が殺害される 
       米軍発表「54人の敵を殺害し、22人を負傷させたと見られる」
        後にこの発表内容に疑問が浮上  実は民間人無差別殺戮事件であった 


○サマラの虐殺 事件の真相に関連して
記事紹介
"「ゲリラ」との激戦という米側の説明をイラク人は否定"
"Iraqis deny US accounts of fierce fight with 'guerrillas'" Independent 2003年12月2日  
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=469253

 イラクの占領者と占領される者との間の最新の戦闘――アメリカ主導の侵攻初段階以降、最も激しい交戦と呼ぶ者もいる――について昨日飛び交った非難と否認は、アリ・アブドゥラ・アミン少年にとっては筋違いなものだった。

 兵士部隊が54人の「攻撃者たち」を殺害したと述べた時、米軍が真実を告げているかどうかには、彼は関心が無かった。「攻撃者たち」とは、スンニ派の町サマラで日曜日、銃撃戦に変貌した米軍車両に対する二度の急襲を仕掛けたイラク人ゲリラの省略表現である。

 そしてまた彼は、武力で対抗しているサダム支持者、バース党支持者、元兵士たち、他の戦士たちに完璧な敗北を米軍が喫している局面では、イラクの病院職員や警察官による否認について怪しむこともなかった。

 イラク当局者たちは、ファトーラ・ヒジャジという名の71歳のイラン人巡礼者を含む8人だけが死んだと語っている。彼らは、彼の炭化したパスポートを来訪者全員に見せていた。その老人は、ティグリス川沿いのかつて平和だった町にある古代の黄金ドームのシーア派モスクを訪れていたと見られる。

 アリ・アブドゥラ・アミンは、これらの事柄のどれにも関心がなかった。病院のベットで汚れた黄色の毛布の下に横たわった時、彼が気にしたのは、包帯をした脚の痛みだった。両足とも銃創から血が染み出ており、お腹の左側には穴があいていた。22歳のいとこであるジャマール・カリムの腕の中で泣きながら、「脚が痛いよう、脚が痛いよう」とその幼い少年はうめいた。

 彼はまた、父親のアブドゥラ・アミン・アルクルディはどこにいるのかと思っていたかもしれない。父親と息子は、近くのモスクの外で撃たれた。そこは、今は大きな固まった血溜まりが痕を残している場所である。その血だまりは父親のものではなかったが。

 イラク人目撃者たちは近くの墓地の壁にある穴を指し示し、米軍は非難されるべきだと口を揃えて言った。それは、エイブラムズ戦車から発射された砲弾の仕業のようだった。米軍は、その戦闘の様子とイラク人死者数の見積もりを支持した。それは54人のイラク人が死んだ、全員戦闘員だった、といったものである。ティクリットの第四歩兵師団司令部の報道官であるゴードン・テイト少佐は、米軍はその「戦闘損害」の評価に関して「自信がある」と強く主張した。

 彼は、「現地の兵士と司令官が数えたのだ」とインデペンデントに述べた。「現地の司令官は皆、戦闘の損害の評価を行う責任がある。その一部に両陣営の死者と負傷者を数えることは含まれている。」

 アリと彼の父親はその網をすり抜けてしまったらしい。少年が寝ている病院はサマラの米陸軍基地からたった10分のところにあり、ジャーナリストたちには簡単に発見されたのだが、彼は「戦闘損害評価」に登場しない。負傷したイラク民間人について質問されるとテイト少佐は、その件については何の情報も持っていないと述べた。

 アメリカはイラク占領軍として、国際法の下、その支配下で生活する民間人たちの安全に責任がある。今週、司令官リカード・サンチェス中将は、兵士たちが戦闘に巻き込まれた場所の再調査訪問を行ったと述べた。しかし、アリの従兄弟ジャマール・カリムは、昨日の午後語ったことだが、一人の米軍当局者も彼や傷ついた少年に会いに来なかったと言った。

 またサマラの病院の情報職員サイード・ハッサン・アリ・アルジャナビも、日曜日にいかなる「連合軍」当局者もその他の負傷者の誰にも会いに来なかったと語った。もし彼らがそうしていたなら、彼の持つ5人の女性を含む負傷者55人のリストを見ることが出来ただろう。これらは全員民間人であり、ある者は軽傷だったが、2.3人は重症だったためにバグダットやティクリットの病院に移されたのだと彼は強調した。

 もし同じ当局者たちがサマラの通りを訪れていたなら、彼ら自身のものとは大きく異なる戦闘の説明もたくさん聞くことが出来ただろう。

 奇襲攻撃は、米軍警察を伴った第66装甲連隊の第1大隊がサマラの東と西側でイラク人から攻撃を受けた午後1時30分に始まったと米軍は述べている。ゲリラたちは迫撃砲、簡易爆発物、携帯式ロケット発射装置、カラシニコフ・ライフル銃を発射した。米軍兵士は、エイブラムズ戦車の120ミリ大砲やブラッドレー戦車の小型25ミリ機関砲、主にM−16ライフル銃や9ミリピストルの小型武器の組み合わせで応戦した。

 米軍は、サダム・フセインのフェダイーン武装集団のメンバーを非難した。これは、一部は死者の衣服を根拠にしているようだ。その衣服は、大勢の若いアラブ人たちの服装のように広まっているのであるが。

 サマラのイラク人たちは違う話を語った。彼らの説明のあるものは簡単に立証できない。しかし、その時、米軍兵士は相手かまわず発砲し、そして彼らの中に制服を着たイラク人戦士はいなかったという点で一致している。イラク人たちからの二、三の詳細な説明は、ゲリラもまた米軍兵士に向けて発砲していた、そして長時間の銃撃戦があったことを認めるものであった。

 あるビジネスマンは、それはイラク人が町の端で米軍兵士を奇襲攻撃した時に始まったと語った。32歳の店主モサナ・モハメッド・バディは、戦闘は米軍部隊が新しいイラク・ディナールを地方銀行へ運んできた時に起こったと言った。米軍兵士の説明と一致する見解である。

 彼はその場所にいたが、通り過ぎるエイブラハムズ戦車からの5mm弾の一斉発射によって破壊されることがないように、妻と子供たちの元に急ぎ戻ろうとした。すぐ後で彼は、父親のティクリット大学副学長モハメッド・バディー博士と一緒になった。

 バディー博士はフェダイーンを「テロリスト」と呼んでいた。しかし、大破し、銃弾であばたのようになった表の部屋に立った時、彼は絶望した。

 「ここの人たちは皆、うんざりして怒っています」と彼は語った。「皆、米軍兵士に町から出ていって欲しいのです。米軍兵士は、私たちの感情と伝統と習慣を尊重しなければなりません。しかし私たちは反対のものを見ています。ここにはアメリカの一般市民から隠された何かがあります。彼らはそれを"タール('Tha'ar)"−復讐−と呼んでいます。それは、もし誰かがあなたの友たちや兄弟を殺したら、あなたは米軍兵士を一人殺すことで恨みをはらさなければならないことを意味するのです。」

 これは、ジャーナリズムの決まり文句では、暴力の連鎖と呼ばれている。そしてこの車輪はかつてなく益々早まる速度で回転している。



●11月30日(257日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 29日、ティクリート近郊にて日本大使館員2人が犠牲となった。その直後米政府(国務省)は、「このような凶悪な攻撃によって(イラク支援の決意が)弱まることはない」と表明した。動揺する日本政府に対する、派兵断念を認めない米国の意思表明である。事件は、自衛隊が派遣された場合、(日本人の)犠牲者が避けられないことを証明した。年内の陸上部隊に派遣に踏み切るのか、空自を先行派遣するのか、それとも年内派遣はないのか、政府の動きに注目していかなければならない。動揺する政府に対して、派兵を許さない声を上げていくことが求められている。
 イラク駐留軍に海兵隊がさらに追加されることとなった。来年、新たなに海兵隊2万1000人が派兵されることになっていたが、来年のはじめに別に2700〜2800人を投入、イラクにおける軍事支配における海兵隊の依存度を高めようとする動きである。武力統治の強化、抵抗勢力に対する攻撃をさらに強めようとする動きと見られる。「戦術転換」の一環か?監視を強めなければならない。
 イギリスの医療専門家らの活動団体メドアクト(Medact)が11月中旬、「継続する付随的被害:イラクにおける戦争の健康・環境に対するコスト」(http://www.medact.org/tbx/docs/Coll%20Dam%202.pdf)と題する、新たなイラク戦争における被害レポートを発表した。このレポートではそのタイトルに示されているとおり、米英軍によるイラクのインフラ、行政そして環境の破壊が公衆衛生システムの基盤を破壊し今後数世代にも渡って健康上の被害がもたらされることへの懸念を表明している。併せて、米英軍が使用した非人道兵器(クラスター爆弾、劣化ウラン弾)等による被害が続いていることや、占領下で続く暴力の連鎖が社会の不安をまし、自殺やアルコール中毒、暴力を誘発していることを批判している。その内容は、米英軍の戦争責任を追及するものとなっている。ここではメドアクトのレポートを紹介した2本の報道記事を掲載しその概要を紹介した。メドアクトのレポートそのものの翻訳、紹介の作業を進めていきたい。

※米国務省、「イラク支援の決意弱まらず」=邦人殺害
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031130-00000208-jij-int
※<米国防長官>海兵隊のイラク追加派遣を承認
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031127-00001060-mai-int


○記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲 
29日
韓国人の犠牲
 バグダット近郊 韓国民間企業社員襲撃を受ける  2人死亡 2人負傷

29日
日本人・スペイン人の犠牲  
 ティクリート近郊 日本人大使館員2人死亡
 ヒッラ近郊  スペイン情報機関員の車列が攻撃を受ける 7人死亡  

27日
政治動向 
 ブッシュ大統領  イラクを電撃訪問

26日
政治動向 
 海兵隊 来年はじめに2700〜2800人を派兵

25日
米軍・同盟軍の犠牲  
 バグダット CPA本部を狙ったロケット弾攻撃

24日
事件  
 パイプライン 破壊、炎上


○イラク戦争における犠牲者 メドアクトによる新たな評価
記事紹介1
“イラク戦争で21,000〜55,000人が殺される:レポートが推定”
“Iraq war killed 21,000 to 55,000: report estimates”    2003年11月12日
 http://www.theage.com.au/articles/2003/11/12/1068329608373.html

 本日発表されたレポートによれば、21,000〜55,000人程度の人々がイラクでの戦争の直接の結果として死んでおり、その大半はイラクの兵士及び民間人であった。

 メドアクト(Medact:保健専門家らの活動団体)は、ニュース報道や、あらゆるメディアで報道されたイラク市民の死者数を追跡してその数を見積もっているウェブ・サイトから得た人数を足し合わせて、その数字---「試算」とされている---をはじき出したと説明している。

 メドアクトは“イラク・ボディ・カウント”のウェブ・サイトでの見積もりを引用している。それは7,757〜9,565人のイラクの民間人が、戦争が始まった3月から10月20日までの間に殺されているというもので、レポート中にこのデータが掲載されている。

 そこにガーディアン紙の13,500〜45,000人のイラク兵が死んだという、恐らく最小限の数字に近い推定数が加えられている。

 さらにレポートは、10月20日までに死亡が報じられたアメリカおよびイギリスの兵士394人が合計に含まれていると説明している。

 6月時点でのAP通信の調査では、3月20日に戦争が始まってからの一ヶ月でイラクにおける民間人死者は少なくとも3,240人に達することが判明した。これはメドアクトが推計したのよりも短い期間についての数字である。

 この勘定は、民間人死者の全国合計を計算する初めての試みであったが、断片的なものにすぎなかった。そこでAP通信は、数字がもし確定し完全な数字が出たとすると、それは間違いなく格段に大きなものになるだろう、と結論付けていた。

 メドアクトは、マサチューセッツに本拠を置く核戦争防止国際医師会議(International Physicians for the Prevention of Nuclear War)のケンブリッジにあるイギリス支部であり、1985年にノーベル平和賞を受賞している。

 このイギリスの団体は自らのことを「保健専門家らによる組織で、戦争、貧困および環境悪化による健康への影響に光を照らし行動をとるために存在している」と記述している。

 レポートは(一部はイギリスのチャリティーのオックスファム(Oxfam)により資金提供されている)、戦争がイラクの健康状態と国土の環境に与えた衝撃は計量するのは困難ではあるが、とてつもなく巨大なものである、と述べている。

 「戦争がもたらす健康や環境上への結果は、数年経ってから実感されるようになるだろう」と、メドアクト代表のジューン・クラウンは言った。

 「継続する付随的被害:イラクにおける戦争の健康・環境に対するコスト 2003年」(Continuing Collateral Damage: the Health and Environmental Costs of War on Iraq 2003)と題されたこのレポートは、戦争とその後の不安定が、既に貧弱な状態にイラク人たちの健康状態を悪化させたと述べている。

 水道および衛生システムの損傷により、多くのものが不潔な水を飲むことを強いられ疾病の蔓延の原因となった、とレポートは指摘する。

 電力の喪失はワクチン注射を冷蔵保存できないことを意味し、そのために210,000人の幼児が予防接種を受けていない、とレポートはユニセフからの引用を行っている。

 暴力が死と負傷者を発生させ続けており、また医療サービスの利用を制限している、とランセット・メディカル・ジャーナルの引用が付け加えられている。レポートは、戦争の健康への影響を計量することは不可能であるが、しかし多数の要因が病気を増加させるものであり、このことからイラク人たちの健康状態が悪化しているとの結論を確実に下せる、と述べている。

 それはさらに、戦争による心理的な余波も重要だと述べ、有志連合の爆撃キャンペーンがとてつもない不安を生み出し、これが精神障害の増加に結びつくことに注意を促している。

 また自殺、薬、アルコール中毒、社会・家庭内暴力も増加するだろうと指摘している。
レポートはまた、戦争がイラクで既に深刻な環境問題を悪化させたと述べている。

 電力不足によりポンプが作動させられないことから下水が汚染され、油井火災や燃えている塹壕からの煙が大気汚染と土壌の汚濁を引き起こしたと述べている。

 爆撃や膨大な数の軍用車両の移動が生態系を悪化させ、不発弾は多数の地域にばら撒かれたままであるとレポートは付け加え、また原子力発電所の略奪が放射能汚染に結びついたと述べている。
- AP通信


記事紹介2
“イラクは「深刻な健康状態の危機に直面する」 ”
“Iraq 'faces severe health crisis'” Tuesday, 11 November, 2003,
 http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3259489.stm

 レポートによれば、イラクに住む人々は戦争の結果として、数世代に渡ってより健康状態が劣悪になっていくかもしれない。

 医療チャリティーのメドアクト(Medact)は、今年の戦闘が予防接種プログラムをずたずたにし、そして給水設備を破壊してしまったため、疾病のレベルが増大していると言う。

 環境の質の低下と油田火災の煙がイラクの人々に対する健康上の問題として付け加わっている、とメドアクトは報告している。

 公衆衛生サービスの崩壊に伴い、イラクにおいて不安定な状況が持続していることが問題を悪化させている。

死者数
 「継続する付随的被害:イラクにおける戦争の健康・環境に対するコスト 2003年」(Continuing Collateral Damage: the Health and Environmental Costs of War on Iraq 2003)と題されたレポートは、22,000人から55,000人程度の人々---主としてイラクの兵士及び民間人---が戦争の直接的な結果として死んだとの見積りをしている。

 それは地雷や不発弾が人々を殺したり手足を失わせ続けていると指摘している。

 レポートは、戦闘とその余波が、社会の内で最も弱い人々---女性、子供および老人ら---にリスクを負わせている、と述べている。

 戦闘がはじまって以降、100万人の子供の内4分の1がはしかの予防接種を受けていない。予防接種キャンペーンは再開しているが、これらの子供達が注射をしてもらったかどうかは確認できないままである。

 サバヤ・ファルーク博士(チャリティのレポートの執筆者)はBBCに語っている:「主要には継続中の暴力と安全性の喪失が、公衆衛生サービスの崩壊に加えて、公衆衛生に大きなリスクを持ち込んでいる。」

 「母親の死亡率増加が報告されており、急性の栄養失調も昨年で4%から8%へとほぼ2倍になっている。また、飲料水で媒介される病気やワクチンで予防可能な疾病が増加している。」

データの収集
 イラクの人々の健康に起こっている事柄の測定は、非常に困難であることが分かっているとレポートは述べている。

 国連や多くの援助機関はイラクでの存在感は最低限わずかしかなく、このため公衆衛生政策を始めるのに必要なだけのデータを収集することができない。

 結論としてレポートは、占領軍は平和維持および人道主義的側面、復興作業過程において国連が中心的役割を果たせるようにせよ、との勧告を行っている。

 メドアクトはイギリスに本拠を置く保健専門家らのグループであり、戦争、貧困および環境悪化による健康への影響に光を照らすことを目標とし、それらを根絶するための活動を行っている。



●11月24日(251日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米軍は、空港艦載機を含む航空戦力の大規模投入、精密誘導兵器の使用、等々、「大規模戦闘終結」宣言後封じてきたこれらの戦力を再び大動員し、大規模掃討作戦−“アイアン・ハンマー”,“アイビー・サイクロンU”−に乗り出した。この作戦が大量殺戮兵器を動員した攻撃であり多くのイラク民間人を巻き込んでいること、このことを私たちは可能な限りフォローしてきた。そして今、強化されたレジスタンスへの攻撃が決して一過性のものではなく、戦術転換の始まり−戦力の大規模投入、大量殺戮兵器の使用の拡大−を意味していることに、私たは特別の注意を払う必要がある。国防省は19日、「クルミを割るのに大きなハンマーを使う」、「これは戦争だ」(スワナック司令官)と宣言し、大規模兵力の使用を正当化した。ブッシュ大統領もまた、「敵が戦術を変えたので我々も対応を変えた」ことを明確にした。
 
占領統治政策の破綻と攻撃強化
 「戦術転換」がもたらすであろう結果に、私たちは監視の目を強めなければならない。米軍はレジスタンスの殲滅を目指し、火力をエスカレートさせている。空爆の強化、さらにはA10、AC130等の攻撃的な兵器の大量投入、「掃討作戦」の強化が図られている。その結果、戦争時に繰り広げられたような大規模な惨劇−無差別攻撃と民間人の大量殺戮−が繰り返されれるかもしれない。また攻撃のエスカレートにともないレジスタンス側からの攻撃もより激しくなり、多くの民間人を巻き込むことになろう。
 同時に、「戦術転換」が決して米軍優性の下で進められたのではないことを忘れてはならない。一連の攻撃強化が、厖大な兵力を抱えながらも実質上「イラクで敗北」を余儀なくされている状況下での、米軍による「ゲリラ勢力に対するメッセージ」であることも確かである。ここでも紹介したように、ある軍事外交専門家は今回の「掃討作戦」を「ハンマーでハエを叩くようなもの」と形容しその戦術的な誤りを指摘している。しかし、敗色が濃厚になったベトナム戦争の末期において米軍がやみくもに襲撃を繰り広げ、農民、民間人の犠牲を拡大させていったことを忘れてはならない。
 今なお多くのイラク民衆が日々犠牲になっているが、その根源は米による占領統治支配、米・多国籍軍の駐留にある。その根本問題を解決しなければイラクに平和は訪れない。


※戦争時の戦術へ転換した米軍−強化される対ゲリラ行動の一環として、重爆弾の使用を再開
U.S. Military Returns to War Tactics −Resumed Use of Heavy Munitions Part of Intensified Counterinsurgency
  http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A5040-2003Nov21.html
 この記事は、相次ぐヘリコプター撃墜に象徴される強化されたレジスタンスの攻勢を受け米軍が対「ゲリラ」戦術を転換したことに注目した記事である。空爆、砲撃、ヘリを用いた「掃討作戦」が「ゲリラ勢力へのメッセージ」、すなわち“米軍は容赦しないぞ”といった恫喝の意味を含みつつも、使用されている兵器が格段にエスカレートしていることを指摘している。また「戦術転換」が住民からの反発を招いていることを紹介している。
※<イラク>米軍の作戦に米国内で疑問の声 泥沼化を懸念 (毎日新聞)11月22日
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031123-00000027-mai-int


○記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲 
22日
米軍・同盟軍の犠牲 
 バグダット 民間航空機(DHLの輸送機)にロケット弾 被弾
イラク人犠牲者
 バクバ,ハンバニサアド  警察署前で爆発  イラク人18人死亡

21日
米軍・同盟軍の犠牲
 バグダット パレスチナホテル、シェラトンホテル、石油省へロケット弾
イラク人犠牲者
 バグダット  酒店に手榴弾 イラク人24人死傷

20日
米軍・同盟軍の犠牲
 ラマディ  道路に仕掛けられた爆弾によって 米兵士1人死亡 2人負傷 
 バクバ   第四歩兵師団兵士1人死亡
イラク人犠牲者
 キルクーク  「自爆テロ」  イラク人3人死亡、少なくとも6人負傷
政治動向 
 第一機甲師団司令官(デンプシー准将)
 ・「アイアン・ハンマー」掃討作戦の結果、米軍に対するゲリラ攻撃は70%も減ったと発表。 

19日
米軍の攻撃
 北部・中部への大規模空爆(キルクーク周辺、バクバ)
 ・ペルシャ湾の空母(エンタープライズ)艦載機による空爆
 ・米第四歩兵師団によるティクリット攻撃
 ・第一機甲師団によるバグダット「掃討作戦」
イラク人犠牲者
 ラマディ  自動車爆弾  子供を含む7人死亡
政治動向 
 ブッシュ大統領  訪英  大規模な反戦デモに迎えられる


○「掃討作戦」に関する報道
紹介記事
“米軍、イラクにおいて夜間攻撃を再開”
“US resumes night strikes in Iraq”  Aljazeera.net  November 20th, 2003
 http://english.aljazeera.net/NR/exeres/DA271053-1C31-44ED-9A70-95CE005050B9.htm

“アイアン・ハンマー”、“アイビーサイクロンU”作戦の一環として米占領軍は、イラクの抵抗する戦士たちを追い続けている。


ブッシュは、米兵179人の命を奪った抵抗勢力を根こそぎにすることを誓った。(Aljazeera.net)
米海軍の戦闘機は水曜日、湾岸の航空母艦からイラク北部上空に出撃し、武装した戦士たちの潜伏場所と疑われる場所に重兵器で猛攻撃を加えた。

米大統領ジョージ・ブッシュは、「殺し屋と暗殺者の一団を前にして撤退するために」同盟国は高額を支払い2500万人もの人々を解放したのではないと語り、反乱軍によって犠牲が拡大しているにもかかわらずイラクから撤退することはないと断言した。

米陸軍の報道官は、最近の攻撃は作戦“アイアン・ハンマー”と“アイビー・サイクロンU”からなっていると語った。この作戦行動は、6ヶ月あまりで179名の米兵士を殺害した、増加するレジスタンスの攻撃に対抗することを目的にここ10日間実施されている。

爆弾が落とされた。
米航空母艦エンタープライズから飛び立ったジェット機が、キルクーク北部の町の付近の標的に1000ポンドの爆弾を投下したと米陸軍は述べた。

他の戦闘機は2000ポンド爆弾をバクバ周辺に投下した。バグダットの北、約65キロの反対勢力が強い町である。サダム・フセインの故郷の町であるティクリットでは第四歩兵師団が、野戦砲、戦車、ヘルファイア・ミサイル[米陸軍・海兵隊のヘリコプターから発射されるレーザー誘導式対戦車ミサイル]で標的を攻撃した。


ティクリット:アイビー・サイクロン作戦の一環として破壊されたターゲット。(Aljazeera.net)
バグダットでは第一機甲師団が、(抵抗運動の)戦士たちによって使用されていたと見られる場所への夜間攻撃−軍事作戦を続行した。闇の帳が落ちた首都中で爆発音がこだました。

バスラのアルジャジーラ特派員は、水曜日に巨大な爆発がアル・アシャール地区を揺さぶったが何の損害も報告されなかったと語った。爆破物によって引き起こされたその事件は、「イスラム教アル・タリヤー機構」(the Organisation of Islamic al-Taliyaa)を標的にしていた。

また、バスラにおいて陸軍部隊が攻撃に従軍していた際に一人の英国兵士が負傷した。その事件を追ってみたところ、英国軍は攻撃現場に至る全ての道路を閉鎖していた。

1000万の報奨金
米当局は、米兵に対するいくつかの攻撃の背後で直接関与したと非難されているサダムの副官のトップであるイザト・イブラヒムのティクリットにある家屋を破壊したことを認めた。

(その家屋が)衛星誘導ミサイルによって破壊された時、その建物にイブラヒムあるいは他の誰かがいたかどうかははっきりしていなかった。

イラクにおける米主導の行政当局の報道官は、イブラヒムの拘束もしくは殺害に繋がる情報に対する1000万ドルの報奨金を発表した。

「今週我々は、彼の拘束もしくは殺害に繋がる情報に対する1000万ドルの報酬を宣伝するために、イラク全土での情報キャンペーンに着手するであろう」と報道官ダン・セノールは言った。



●10月1日〜11月19日

●9月1日〜9月21日

●7月28日〜8月20日

●5月14日〜7月21日

●4月15日〜5月10日

●3月20日〜4月14日