イラク戦争被害の記録


被害報道日誌(2004年1月12日〜2月8日)



●2月8日(327日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 前回米軍隊内における女性兵士のレイプ被害について紹介したが、あまりにひどい状況にラムズフェルド国防長官も6日、性的暴行被害の実態調査と防止策の検討を命じざるをえなかった。米軍女性兵士へのレイプも含め、報告があるだけで88件の性的暴行被害が起きている。被害を訴える女性には上官が圧力をかけて黙らせるという状況下、実際にはもっと多くの被害があるに違いない。
 フセイン拘束にもかかわらず、米軍への攻撃とそれによる米兵死者数はむしろ増大を示している。また、とりわけ人員不足の穴埋めに派遣され今後さらに増員が予定されている陸軍州兵と陸軍予備役兵の死者が増大している。それが米国内で新たな論争の火種になるかも知れない。紹介記事1「イラクで米兵殺害を狙った攻撃が増大」は、1月の米軍への攻撃回数が増えており、月間死者数が昨年5月の大規模戦闘終結宣言以降2番目に多く、米兵が毎日1人以上の割合で殺されていることを伝えている。紹介記事2「米軍死者の多くは予備役兵である」は、殺される米兵の中でも侵略専門部隊ではない予備役の死者が増えていること、冬〜春のローテーションでは予備役兵が占領軍の40%を占め、一旦犠牲者が出始めた場合、彼らの訓練が十分なのかとの議論の口火を切ることになると警告している。
 イラク人は米軍支配による直接的な暴力と抑圧下におかれるだけでなく、失業問題と治安悪化でも苦しめられている。戦争前には犯罪を抑制していた国家機能のすべてが戦争で米英軍によって破壊された結果、公務員は失業し、犯罪は野放しになった。米軍の「治安維持」はこれらの犯罪から市民を守ることには関心がない。紹介記事3「イラク:子供の誘拐が増えている」は、フセイン政権下でほとんど見られなかった子供や女性の営利目的誘拐・殺人が多発し、その背景にマフィアが組織されつつあること、米軍に犯罪防止を訴えても無力に終わることを伝えている。
 ブッシュの言う戦争の大義自体もケイ発言により否定され、支持率は48%と過去最低まで低下した。英国でもブレアへの追及が続いている。米英でイラク侵略の正当性が政治問題として再浮上している中、相変わらず小泉・福田・石破らは進軍ラッパを吹き続けている。自衛隊によるイラク侵略が本格化し始め、それに伴う情報統制・言論弾圧・思想差別が始まっている今、破綻した戦争の大義の問題を反撃の糸口として徹底的に批判し、戦争支持と派兵を決定した小泉政権の責任を追及しなければならない。


記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲
8日
米・同盟軍の犠牲
 マハムディヤ近郊 路上に仕掛けられた爆弾が爆発し米兵1人が死亡。

イラク人の犠牲
 「イラク・ボディー・カウント」が、昨年の開戦以来のイラク民間人の死者が最多で1万79人となり1万人を超えたと発表。最小でも8235人と推定。ロイター通信の発表では、米兵の死者数は8日現在で530人、英兵が57人。

7日
米・同盟軍の犠牲
 スウェイラ 警察署で爆弾が爆発。警察官3人が死亡、11人が負傷。

イラク人の犠牲
 ティクリート近郊 現職のイラク人警官を含む武装勢力が米軍部隊を襲撃、銃撃戦とな
りこの警官が死亡。

6日
米・同盟軍の犠牲
 ラムズフェルド国防長官が、イラクやクウェートに駐留する米軍内で女性兵士に対する性的暴行事件が多発しているとの情報に関し、実態調査と防止策検討を命じる。

5日
米・同盟軍の犠牲
 バグダッド 空港近くの米軍施設が迫撃砲の攻撃を受け、兵士1人が死亡、1人が負傷。

4日
政治動向
 米国務省高官が、国連の勧告があれば6月末のイラクへの主権移譲期限の先送りを検討する意向を表明。
 ラムズフェルド米国防長官が上院軍事委の公聴会で証言し、イラク戦争開戦から間もない時期に「(大量破壊兵器が)どこにあるか知っている」と明言したことについて、「誤りだったかもしれない」と認める。

3日
米・同盟軍の犠牲
 バグダッド 国際空港にロケット弾2発が撃ち込まれる。
 イスカンダリヤ近郊 道路脇で爆発があり、米兵1人が死亡、1人が負傷。

イラク人の犠牲
 サマワ 米軍とみられる車がビルに向けて発砲、市民1人が負傷。

政治動向
 クウェートに陸上自衛隊の本隊第1陣約90人到着。

2日
政治動向
 米国防総省は2日、総額4017億ドル(約42兆4300億円)の2005年度国防予算案を発表。対前年度比264億ドル増。ミサイル防衛関連予算は前年度比13%増額を要求。対テロ戦争、軍のハイテク化名目で大幅増額を要求。
 イラクとアフガニスタンの戦費・復興費に関して戦費・復興費で約400億ドルの2005年度補正予算案を要求すると言われている。国防予算案では、毎年200億ドル規模ずつ増額し、2009年度には4877億ドルに上るとの見込み。

1日
米・同盟軍の犠牲
 バラド 米軍基地にロケット弾が撃ち込まれ、米兵1人死亡、12人負傷。内2人は重傷。

イラク人の犠牲
 カルバラ南西の砂漠地帯 武器庫で爆発。イラク人20人以上が死亡。
 アルビル クルド政党事務所で爆発。67人死亡。267人が負傷。
 バラド 米軍が攻撃にリコプターで反撃し、イラク人男女計16人を拘束。

31日
米・同盟軍の犠牲
 キルクーク南西 道路で爆弾が爆発。米兵3人が死亡。
イラク人の犠牲
 バスラ 路上で爆発物が爆発。NGOのデンマーク人2人とイラク人5人が負傷。
 モスル 警察署前で自動車爆弾が爆発。9人が死亡。44人が負傷。
 バグダッド 爆発が2度発生。少なくとも6人が死亡。


紹介記事1
"イラクで米兵殺害を狙った攻撃が増大"
"Deadly Attacks on Gis on the Rise in iraq"
ロバート バーン AP従軍記者      2004年2月4日
 http://www.ds-osac.org/view.cfm?key=7E455C404B55&type=2B170C1E0A3A0F162820

 サダム・フセインの拘束から2ヶ月近くが過ぎたが、依然、米兵は1日に1人以上の割合で死んでいる。

 45名の米兵が1月に死に、2月の最初の3日間で3人がさらに死んだ。12月13日のサダム拘束がイラクの反米攻撃を弱め、道路脇の爆弾や他の手段による死者を減らすとの希望的観測にもかかわらず、1月の死亡者数は12月より5人上回った。

 米国防総省が1月25日にチグリス川で行方不明になって死んだと思われる2人の扱いを変えるなら、1月の死者数はさらに47名に増える。月別の死者数では侵略による戦闘が毎日続いていた昨年4月以降、2番目に多い。

 最悪は11月で82名が死んだ。10月には43名、9月は30名、8月に35名。

 合わせて528名の米兵が3月に戦争が始まってから死んだ。(木曜日の米国防総省の公式の勘定では525名だ。しかし2月1日の2名、3日の1名を含まれていない。)

 米国防総省の損耗人員報告では、1月の死者のうち39名は敵の攻撃によるものである。23名は軍が"即席の爆発装置"と呼ぶ手製の爆弾で死んだ。

 軍は米軍トラックの走る道路沿いで度々爆発する手製爆弾による脅威を克服しようと、おおいに努力してきた。たいていは離れた場所から送られる信号で爆発するものである。

 その脅威に反撃するため、多くの兵士が追加の装甲を取り付けた高機動装甲車(ハンビー)を使用し、また兵士らは爆弾の金属破片に対して防御力を高めた防御服を着用している。いくつかの車両は、爆弾を爆発させるのに使われる電気信号を妨害する装置を付けたものもある。

 米軍がサダムを故郷の街のティクリート付近で12月3日に拘束したとき、このことが抵抗運動を和らげるとの予想もあった。1月初旬まで、米軍司令官は米軍への攻撃数が減り、攻撃による死者も同時に減ったことを公然と強調していた。

 第82空挺師団指揮官のチャールス・スワナック Jr.少将は1月6日、イラク西部のいわゆるスンニ派三角地帯内の担当地区で行っている対ゲリラ活動について、「峠を越えた」とレポーターに述べた。

 部隊への攻撃数が前月比60%も減ったと彼は言った。

 2週間後、第4歩兵師団の司令官であるレイモンド・オディエルノ少将は、「我々が闘ってきた前体制は屈服した」と宣言した。彼の部隊は反米武力衝突の集中点であるティクリートを含むバグダッドの北の地区を受け持っていた。

 しかし実際は、1月に死者を出した反米攻撃の多くはスワナックとオディエルノの担当地区で起こったものである。例えば1月24日、スワナックの軍で3人の米兵がスンニ派三角地帯のラマディの東にあるカリディアの街で即席爆弾装置による攻撃で殺された。3日後、同じ街の近くで同様な攻撃があり、3人の兵士がさらに殺された。2日後にはその攻撃で重症を負っていた兵士が病院で死んだ。

 1月31日、オディエルノの第4歩兵師団の3人の兵士が、キルクークの町を警護車列での走行中に即席爆弾装置で殺された。

 反米行動の深さと大きさは統計だけでは計りがたい。それは時間と共に変動する。数週間前は多くの米軍司令官が、ゲリラ活動の低下は米軍への攻撃が減少する時期の到来を告げるものである、との希望を抱いているように思われた。

 しかし、それは起きなかった。

 1月9日から16日の8日間に米兵はたった3人しか死なず、そのうち2人は戦闘以外の理由だった。

 しかし2週間後、26人が死んだ。3人を除いて皆、敵からの攻撃による死亡だ。

 イラクでのアメリカ文民行政官であるポール・ブレマーは火曜日、治安は改善されたと依然として信じている、と述べた。

 彼は「サダム・フセインを拘束してから状況は改善している」と言った。

 サダムの拘束から4週間後、イラク国内での米軍への攻撃回数は平均1日18回と、拘束前の4週間の1日23回から減った。

 しかし火曜日、バグダッドにおける米軍の軍事作戦の副責任者であるマーク・キミット准将は、先週の攻撃が1日平均23回に戻ったと記者達に述べた。

 キミットは、米兵が殺されたり負傷したりする限り反米攻撃は危険であり続ける、と述べた。

 「誰も決して家族のもとに行ってあなたの息子や娘が戦闘で死んだと告げる重大な責任を負いたくはない」と彼は言った。「そうだから私は、死者数がゼロになるまで評価は避けたい。そうなったときに初めて私は、評価は優良である、と口にするだろう」。


紹介記事2
"米軍死者の多くは予備役兵である。"
"Most U.S. Iraq Deaths Are Reservists"
ロバート・バーン    2004年1月1日 AP通信
 http://www.miami.com/mld/miamiherald/news/world/7610999.htm

 ワシントン −− イラクでの役割(より一層の戦闘任務を含む)の増大を準備するにつれ、米軍の死者における、既に陸軍州兵と陸軍予備役兵を伴う兵士の割合が増えている。

 AP通信の国防総省の報告に関する記事によると、国防総省が名前を公開した12月のイラクでの死者39名のうち、10名は市民兵士である。その割合は81名が死んだイラク戦争最悪の月である11月の14%から上昇している。12月には実際40名の死者が報告されているが、一人の兵士の名前と所属がまだ公開されていない。

 全体として、戦争が始まった3月以来、米軍の死者の14%は陸軍の州兵か予備役兵である。軍は海兵隊の予備役兵9名、海軍の2名、空軍の1名に対して、68名の陸軍予備役兵が殺された、と報告している。

 12月の市民兵士の死者増大が、そのような傾向の始まりを示すものかどうか判断するのは早すぎる。しかし、アナリストの中には、たとえそれが一時的なものであると判明したとしても、この急増は政治的にも軍事的にも厄介だと言う者もいる。

 「予備役兵にとってはさらなる負担だ」と民間シンクタンクであるブルッキング研究所の防衛アナリスト、マイケル・オーハンロンは述べた。予備役兵が長期に渡る実働任務に召集され、そしてイラクで極度の危険に直面させられるという二重の悩みに対処している時に、「私達は予備役兵の構成員を完全無欠のまま保持するという、危険な博打を打っているのだ」。

 州兵の中の市民兵士はあらゆる重要な軍事作戦において役割を担っている。なぜなら彼らは現役の軍では十分に賄えない技量と供給源を提供するからである。憲兵、数か国語に通じる者、民事の専門家が頻繁に召集されるのは一例である。

 しかし、イラクでの予備役兵の役割はまた直接の戦闘任務に就くことであり、しかも彼らの占める比重は増している。

 現在イラクに駐留している約13万の米軍部隊のうち、約1/4が予備役兵である。軍はこの冬と春のローテーションで少し縮小された派遣部隊と置き換わるが、予備役兵の割合は2倍になり、軍の40%を占めるだろう。新しく配備される軍はノースカロライナ、アーカンソー、ワシントン州の3つの陸軍州兵の戦闘歩兵旅団を含むであろう。オーハンロンは言う。陸軍州兵と陸軍予備役兵がイラクでよく任務を果たすと信じているが、3つの歩兵旅団を使えば、一旦犠牲者が出始めた場合、彼らの訓練が十分なのかとの議論の口火を切ることになるだろう。

 AP通信の国防総省の米軍死者の報告に関する記事は、3月20日に開戦してからイラクで死んだ478名のうち3分の2近くは20代であることも示している。

 最も若い者で18歳だ。全部で7名の18歳の兵士がこれまでに亡くなった。最も年長なのはルイジアナ州オーランドのフロイド・G・ナイテン Jr曹長(55歳)。彼は戦闘以外の理由でイラクからクウェートに向かう警護車列中で8月9日に亡くなった。彼はルイジアナのフォート・ポールを本拠地とする陸軍州兵の一員だった。

 死者は米軍の司令官達の心に重くのしかかっている。しかし、バグダッドを中心とする地域の安定化を任務とする第1機甲師団を指揮するマーチン・デンプシー准将は水曜の記者会見で、間違いなく彼の部隊は犠牲が無駄ではないと信じている、と述べた。

 「何人かの兵士を失った。私にとって自分の兵士たち以上に大切なものは無い」とデンプシーは言った。「しかし兵士達は、我々が遂行中の任務を信じている。だからそのことが夜、私が眠るのを容易にする ―― 容易ということではなく、私が夜に眠りにつくことができるようにする、ということだ」。

 国防総省における出身地の記録によると、どの州でも最低1名はイラクで死者を出している。モンタナ州は最初で唯一の死者が12月22日に出た。国内最大の人口のカリフォルニアでは最も多く52名。テキサスが41名で続く。

 いくつかの州では人口比よりも多くの割合で死者を出している。これにはテキサス州も含まれ、その国の人口に占める割合は7.4%だが、イラクではこれまでの死者全体の8.6%を占めている。その他に人口比以上の損失を出した州にはペンシルベニア、ミシガン、インディアナ、アラバマ,サウスカロライナ、ミシシッピがある。

 人口の最も少ない州であるワイオミング州では4名の人々を失った。イラクでの全米の死者数に占める割合は、ワイオミング州の米国に占める人口比(0.2%)の4倍(0.8%)となる。

 死者に加えて、米軍はイラクでの任務中での負傷者2379名と、事故などの他の原因による負傷者372名を報告している。

 米国だけが犠牲者を出しているのではない。英軍52名、イタリア17名、スペイン8名、ブルガリア5名、タイ2名、デンマーク、ウクライナ、ポーランド各1名がイラクでの死者として報告されている。


紹介記事3
"イラク:子供の誘拐が増えている。"
"Iraq: Child kidnapping on the increase" 
アルジャジーラ・ネット     2004年1月31日
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/EF07B32F-42DE-4007-B6FE-D443A6764C07.htm

2003年4月9日以来、何千人もの子供の誘拐事件がファイルされている。誘拐は占領前にはイラクでまれな犯罪だった。


誘拐された子供は身代金が支払われた後に殺される
 ロンドンを拠点としたイラクの新聞アザマンは土曜、イラクの南東部の町アマラで過去2週間に幼児を含む10人の子供が誘拐されたと報じた。

 誘拐犯はたいてい、誘拐された子供の家族に息子や娘を返して欲しければ身代金をよこせと言う。誘拐された子供は決まって街の近郊の放棄された家か建築中の家に置いていかれる。

 アル・アマラ市の著名な政治家と有力者達が占領軍やイラク警察にこの悲惨な犯罪を止めるためにもっと協力してほしいと要請している。しかしこれまで彼らの努力は何の効果ももたらしていない。

組織化されたマフィア

 「誘拐は子供だけではない。金持ちや女性も誘拐される。誘拐犯は独自に牢獄を持っている。そして犠牲者の家族に彼らと連絡を取り合えるよう衛星電話を買うように強制する。なぜなら、それはイラク警察が追跡できないからだ」と、前警察当局者のノーマン・アハムドはアルジャジーラ・ネットに答えた。

 彼は言った。「過去にはギャングどもは現金や宝石を盗んだ。しかし、今は身代金を要求するほうがより簡単で金になることが分かった。彼らは組織化されてマフィアになった」。

 子供の誘拐犯は1人を自由にするにあたり2万ドル以上を要求する。ほとんどのイラクの親達は子供らを学校に通わせないか、通わせるのであれば家から学校まで護衛して行くのである。



●2月1日(320日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 今回はイラクに駐留する米兵に関する諸問題を紹介したい。
 すでに米兵の死者は500人を越えた。そして3000人を越える兵士達が、ロケット砲、爆弾によって重傷を負い後送されている。イラクにおける米兵の境遇は悲惨であり、また腐敗、堕落したものとなっている。たしかに彼らはイラク民衆に対する"加害者"、弾圧を加える側ではあるが、しかし前線に配備された若き兵士達の多くは、将来の進学のため、生活のために軍務に就いた貧困層出身者でもある。その彼らが、ブッシュ政権の思惑、軍産複合体の利害のために日々戦場で犠牲となり、一方ではますます人間性を奪われ、堕落させられ、残虐性を増しているのである。
 紹介記事1「イラクの米兵にはストレスが蔓延している」では、侵略戦争に動員され、現地にいるいつ帰れるか分からない状況におかれ、常に自分が殺されたり手足を失ったりしかねない事に脅え、また人殺しを続け、周囲のイラク民衆の憎しみを受ける最前線の兵士らが精神的ストレスにて自殺したり次々に後送されている実態に焦点が当てられている。ブッシュ政権と国防総省は決してその全貌を明らかにしようとせず、報道されている数字は過小であると多くの記事が指摘している。これは、イラク戦争でブッシュ政権のために戦地に向かわされた米兵らが、死んだり負傷しても民衆の目から隠されて満足に補償もされていないことと結びついている。
 紹介記事2、3は上記のような非人間的な戦場におかれた兵士らが、その矛先を誰彼かまわずに向け、それは結局弱者を苦しめることを告発するものである。紹介記事2「女性兵士は米兵によるレイプを告発する」は、戦争を進めるために国防総省が軍隊内で行われる人権蹂躙を「黙認」していることを告発する。紹介記事3「米国はイラクで人権を侵害している。役立たない補償金制度」では、米兵らが襲撃を恐れて無差別に市民を巻き込んで殺害し、復讐を恐れるあまり被害者の家族らにさらに侮辱した態度をとる悪循環であるを明らかにしている。
 米兵の現状を直視すべきである。今日の米軍兵士の悲惨な姿は、明日の自衛隊員の姿である。もちろん掃討作戦で血生臭い虐殺と弾圧を行っている米兵と「宿営地」に閉じこもる自衛隊員(日本兵士)は全く同じ状況ではないが、重なる部分が大きいことも明らかである。自衛隊をただちに撤兵させなければならない。

<補足>
 原文が長いため翻訳紹介はできなかったが、ブッシュ政権の唱える「イラク復興」の実態を暴く記事が報道されている。チェイニー副大統領と密接な関係のあるハリバートンなどが「復興ビジネス」を分捕り儲けている事はよく報じられているが、彼らは手抜き工事や割増請求などいかに利益を吸い上げるかばかりに腐心して、まともに「復興」しようなどという姿勢はないことがよく分かる。そればかりではない。この「復興ビジネス」の原資は、これまで「石油プログラム」にてイラク市民の人道支援物資にあてられてきた資金が使われている。彼らは石油利権だけでなく、人道援助資金までも自らの利益に吸い取っているのである。イラクを真に復興させるのであれば、復興を阻害しているアメリカの占領を一刻も早くやめさせなければならない。

(占領株式会社)
Occupation Inc.
Southern Exposure team travels to Iraq; uncovers cost-overruns, unfinished and shoddy work, and growing Iraqi anger at fraud and waste in U.S.-led "reconstruction"
http://www.southernstudies.org/



記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲
1日
イラク人の犠牲
  カルバラ    武器庫で爆発があり、イラク人20以上が死亡。

クルド人の犠牲
  アルビル    クルド人のクルド民主党(KDP)とクルド愛国同盟(PUK)   
          の事務所にほぼ同時に自爆テロがあり、推定100人以上死亡。

31日
米・同盟軍の犠牲
  キルクーク   反米武装勢力が路上に仕掛けた爆弾で米兵3人が死亡。
  バスラ     デンマークのNGOの車が走行中、道路脇に仕掛けられていた爆発
          物が爆発。デンマーク人2人と、イラク人5人が負傷。

イラク人の犠牲
  モスル     警察署付近で自動車爆弾が爆発。9人が死亡、45人が負傷。
  バグダッド   警察高官の自宅駐車場で爆発があり、子供を含む5人が負傷。
          バラディヤート地区の住宅に何者かの砲弾が直撃、住民6人が死亡。

30日
政治動向
  米国防総省が来月発表する2005年度国防予算案の中で、ミサイル防衛予算の前年度比13%大幅増の102億ドルを議会に要求していることが明らかになった。
  ミサイル防衛の初期システムの実戦配備計画のため。また、国防予算案の総額は7%  増の4017億ドル。イラク戦費・復興費で約400億ドルの補正予算案が加われば軍事費はさらに膨らむ。

米・同盟軍の犠牲
  バグダッド   オランダ大使館にロケット弾攻撃。屋根が炎上。

アフガニスタン
  ガズニ     武器庫付近で爆発、米兵7人が死亡、4人が負傷。1人が行方不明。
  
29日
米・同盟軍の犠牲
  バグバ     遠隔操作爆弾によりパトロール中のイラク保安隊10人負傷。

イラク人の犠牲
  キルクーク   検問所のイラク人保安隊員1人がロケット砲による攻撃で死亡。
  バクバ     路上に仕掛けられた爆発物が爆発。
          パトロール中の保安隊員と住民の計約10人が負傷。

28日
イラク人の犠牲
  バグダッド   イラク暫定内閣の閣僚が滞在中のシャヒーンホテルへの自爆攻撃。
          イラク人3人が死亡、5人以上が負傷。
アフガニスタン
  カブール    英軍基地近くで、タクシーが英軍部隊の車列に突っ込み自爆。
          英兵士1人が死亡、数人が負傷。独軍基地付近でも自爆攻撃で
          外国人5人が負傷。

27日
米・同盟軍の犠牲
  イスカンダリヤ 道路脇に仕掛けられた爆弾で米兵3人が死亡、3人が負傷。
  ハルディヤ   道路脇に仕掛けられた爆弾で米兵3人が死亡、2人が負傷。

イラク人の犠牲
  バグダッド   CNNの車が銃撃され、イラク人運転手と通訳の2人が死亡。
          CNNカメラマン1人が負傷。
  ハルディヤ   爆弾で米兵3人が死亡した後、米兵が銃を乱射。
          イラク人市民2人が死亡。

アフガニスタン
  カブール    自爆攻撃でカナダ兵とアフガン人の2人が死亡、11人が負傷。

26日
米・同盟軍の犠牲
  バグダッド   CPA本部敷地内にロケット弾1発が着弾。負傷者なし。
  ラマディ    自衛隊連絡官用のコンテナハウス輸送中のトレーラーが襲撃を
          受け、ヨルダン人運転手1人が死亡。


紹介記事1
"イラクの米兵にはストレスが蔓延している。
 戦争は終わった。しかし自殺率は高く、軍では深刻な精神病が広がっている。"
 "Stress Epidemic Strikes American Forces in Iraq
 The war's over, but the suicide rate is high and the army is riddled with acute   psychiatric problems."
ペーター・ボーモント Observer/UK 2004年1月25日
http://www.ccmep.org/2004_articles/iraq/012504_epidemic_strikes_american.htm

イラクでの米軍人の最大5人に1人が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいると、精神病理学的な戦争の影響を扱う上級軍医スタッフは言う。

この指摘は、昨年3月の戦闘開始以来、600人以上の米軍の男女従事者が精神医学上の理由でイラクから撤退したという先月の公表に続くものである。

少なくとも22人の米兵が自殺した。その割合は異常に高いと考えられるが、ほとんどは昨年5月1日にジョージ・ブッシュ大統領が主要な戦闘の終息を宣言してからだ。これらの自殺は国防総省に高水準の調査を行わせることになった。その詳細は数週間の内に公表されるだろう。

全体的な自殺の割合は、近年の米軍での平均10万人に10.5〜11人に対し、兵士10万人につき平均13.5人で推移しているが、5月1日以降の期間中に大部分を占めている自殺の発生率は統計学上有意なものである。それはイラク兵役による死者全体の7%を占める。

同じ事が精神的理由による後送にも言えると、専門家は言う。そのような後送の大部分は先の日付以後に起こっている。それはワシントンにあるウォルター・リード軍医療センターで入院患者向け精神医学サービスのチーフを務めるセオドア・ナム大佐による最近の聞取り調査で確認された事実である。彼は、主要な戦闘が行われていた間は後送された精神医学患者は全くなかったと証言した。米軍がイラク兵役中のストレスと精神疾患への対処に今まで例がないほど努力しているにもかかわらず、高いレベルでの精神医学的犠牲者が予想される。

関心の中心はイラクがベトナムの経験を繰り返すかもしれないことだ。そこでは、兵役中の精神医学的問題は2つの世界大戦と較べて低いレベルであったが、後になって非常に高いレベルのPTSDが退役軍人の間で現れることを経験した。

サンディエゴのナバル医療センターで精神病サービスの主任を務めるジェニファー・ベルグ主任によると、そこのスタッフはイラクから帰国した米海兵隊員を診察しているのだが、軍精神科医たちはイラクで軍務につく男女の20%に疾患の発生が予想されると警告している。

ベルグは、既に報告されているいくつかの問題 ―― 自殺や精神上の理由による後送を含む―― は、戦後の事件に関係するのではなく侵攻期間中の経験に関係するものであろうと確信しているが、それにも関わらず彼女は、イラクで軍が現在置かれている軍務の状況が、それら固有の問題を引き起こしていることを認めている。

「戦闘局面の間は本国で十分過ぎるほど支持を受けていたと思います。兵士達もトレーニングを積み、任務に向けて突き進んでいました。しかし、それから状況は変わった。イラクの兵士の間には彼らに対する世間の保護が失われたという感覚があります。そして滞在が長期化するほど、私達が診察する人々のより多くがストレスの症状を訴えるようになります。」

ベルグはイラク軍事作戦における「国家建設局面」での作戦状況が独特な精神上の健康問題を引き起こしており、特に米軍の車両と兵士に絶えず付きまとうレジスタンスによる手製爆弾の恐怖によると考えている。これらの爆弾は5月1日以降の戦闘部隊での主要な死因の一つである。

「戦闘局面と較べて、私達が注目しているのは兵士が毎日経験している慢性ストレスの状況です。それは、危険や退屈・睡眠不足、故郷から遠いとの思い、これらが混ぜ合わさったものです」と、ベルグは言う。「加えて、人々はいつ、何があれば終わりになるのか、もはや確信を持っていない。誰も家に帰れる時を知らない。それに彼らは、助けに来た人々にとても敵意を持たれているような環境で働いている。」

既にベルグのような医師たちが診察してきた症例は、彼女の言うところによると、「典型的な反応であり、戦闘によるストレスの基本的な症状」だ。

精神科医は症状が睡眠障害や動悸、吐き気、下痢といったものから、もっとひどい行動上の障害、例えば健忘症や好戦性、不合理な怒りや疎外感へと発展するのを見てきた。

現在のところまでの個人の慢性ストレスから、医者たちは鬱症状や全般性不安へと発展していくだろうと予測している。これらは内在するトラウマによって悪化させられる可能性がある。最も顕著な例では既に自殺に終わっている。

その内の一人に軍の専門家のジョセフ・スエルがいる。彼は6月16日に鎮痛剤タイレノールの過剰摂取で死ぬ前に、故郷の母に宛てて最後の手紙を書いた。スエルは母親に彼の暮らしている状況、電気も無く、風呂を沸かす水も無いという状況について不満を述べた。もちろん、イラクの狙撃兵に殺される怖れと共に。

彼はクウェートに送られ次いでイラクに回される前の1年間、韓国に配属されている間に、妻と娘がいなくてひどく寂しい思いをしたことについて不満を述べた。彼は特別休暇を与えられた。

彼が戦争に行く準備をしている間、家族から見ても彼が困難に面していることが明白だったし、彼を心配する妻は彼の帰国を保証するよう仲介さえした。

スエルはアメリカのメディアに報じられた数少ない自殺者の1人だ。国防総省は「敵の攻撃以外の理由による死亡者」のどれが自殺によるものなのか、答えるのを拒否している。

軍の精神科医はイラクでの自殺率に困惑し、過去の戦争との比較はあまり意味が無いと述べている。

軍の精神科に受け入れられている知識では、自殺の水準は ―― 戦争中に増加するどころか ―― 戦闘地帯では人々の中に生存本能が発揮されるために減少する。90年代の湾岸戦争全体では米軍要員中でたった2人の自殺者しか記録されていない。イラクでの自殺率について、ベトナムや朝鮮戦争、第2次世界大戦との比較で異常な点は、軍が全て志願者で構成されており、従事する全員が既に精神病理学的な適合性について審査されていることだ。彼らはまた、国防総省を当惑させた90年代後半の軍隊内の自殺ラッシュ以降、戦闘ストレスについても説明を受けており、どんな自殺願望にも立ち向かうよう訓練を受けてもいるのだ。


紹介記事2
 "女性兵士は米兵によるレイプを告発する。
女性達は言う。軍内部では対策もされず、脅されすらしている。"
"Female GIs reporting rapes by U.S. soldiers
 Women say response lacking within military, some even threatened"
マイルス・モフェイト、エミィ・ハーディー Denver Post 2004年1月24日
http://www.ccmep.org/2004_articles/iraq/012404_women_say_response_lacking_withi.htm

イラクで任務につく女性兵士はキャンプの中にいる陰険な敵について告発している。彼女らに性的暴行を加えた同僚の米兵を。

少なくとも37人の女性兵士が、イラクやクウェートや他の海外での戦争任務から帰国した後、性的トラウマのカウンセリングとその他の援助を民間のレイプ危機対策組織に求めてきていると、女性支援団体は言う。

「私達は戦闘地帯で起きた性的暴行に対する軍の反応に非常に注目しています」と、クリスチャン・ハンセンは言った。彼女はコネチカット州に基盤を置くマイルス財団法人の理事で、31人の女性を支援してきたという。

女性達は、入隊したばかりの兵士から上官にいたるまで、貧弱な医療ケアでカウンセリングも不足し、軍当局は不十分にしか犯罪調査を行っていないと告発している。中には暴行を告発した後、処罰すると脅された者もいる。

国防総省は、戦争中の性的暴行の告発数に関する情報を再三要求されたにもかかわらず、回答しなかった。国防総省当局は自分達の軍では性的暴行を黙認しないとだけ繰り返す。

「各階級の指揮官は、性的暴行を防ぎ、被害者を守り、犯罪を犯した者に説明責任を果たさせるために適切な処置をとる義務を負う」。このように国防総省の文書声明は述べている。

連邦議会のメンバーは、暴行の報告に驚かされており、実態を把握していくことを確証する、と述べた。コロラド州ウェイン・アラード上院議員は問題を上院軍事委員会に提起するつもりだと言った。ペンシルベニア州連邦議会メンバーの2人、ジョセフ・ピッツ下院議員とアーレン・スペクター上院議員は先月、ある被害者を家に帰れるよう調停を行った。

メディアが軍の欠陥調査、不適切な被害者への対応、性犯罪を犯した兵士への異常な寛容さといった問題について報じた後、議会の議長は昨年、軍のレイプやドメスティックバイオレンス事件の扱い方について調査すると誓約した。議会公聴が勧告されたが、何も予定されていない。


紹介記事3
"米国はイラクで人権を侵害している。役立たない補償金制度"
"US abuses human rights in Iraq, useless compensation system"
クリス・スパーノス、Electronic Iraq、2004年1月25日
http://electroniciraq.net/news/1347.shtml

最新の報道によれば、イラク駐留米軍は、不当に殺されたり、傷つけられたり、財産を破壊されたことについて補償を求めるイラク人達に対し横柄で残酷な態度をとっている。「イラク占領監視グループ(Iraq Occupation Watch)」と「イラク人権防護協会( The National Association for the Defense of Human Rights in Iraq (NADHRI))」がまとめた報告は、2003年3月1日以来のイラクにおける米軍の行動を酷評し、イラクでのアメリカの補償制度は役に立たないものであると告発している。

「アメリカの軍事行動に関連した民間人の死傷者および賠償に関する共同レポート(Joint Report on Civilian Casualties and Claims Related to US Military Operations)」は、手当たり次第の発砲、家宅襲撃、民間人と軍用車両との交通事故、クラスター爆弾により民間人死傷者が発生した事件を調査している。そのレポートは又、補償金制度がどう機能しているか調査している。

ブッシュは、昨年の5月にイラクでの激しい戦闘は終了した、と宣言した。しかしながら前掲のレポートは、「戦後の状況は多くの場合、戦争自体より流血が多い」と主張している。512人に上る米兵が、2004年1月24日時点で死んでいる。AP通信は、ほとんどの死者はブッシュの5月1日の宣言以降に発生したものであると報じている。クリスチャンサイエンス・モニター(Christian Science Monitor)によれば、戦争以降に殺されたイラク人の数についての確かな統計は一切ないが、「イラクにいるほとんどのアナリストが語るところでは、地元の民間人死者数・・・は数千人に達する」。

5月1日以後、アメリカは苦しみを受けたイラク市民らが米軍事当局に補償を求めることができるよう、法制度を創設した。この制度は、米軍が海外で展開した場合に常に用いられているものである。

米軍は、米兵が関わった事件で家族を殺されたり負傷したイラク人からの請求は、それが非戦闘状況下で起こったものに限り、この制度で聞き入れる事になると語った。請求は国外請求法(Foreign Claims Act)によって扱われ、器物損壊、負傷、死亡まで含まれている。これらの事件は5月1日以降、非戦闘状況下で、不法行為や過失によって起こされたものでなければならない。

"ヒューマン・ライツ・ウォッチ"(Human Rights Watch)によれば、米軍は9月半ばまでに5,400件の請求を受けており、そのうち4,148件に裁定が下され、1,874件が却下されている。ニューヨーク・タイムズ紙は、米軍は5月以降の損壊および傷害請求に対し、賠償として200万ドル以上を支払っている、と報じている。

NADHRIの弁護士は軍に補償を求める120ケースを申請している。Occupation Watchは20件を申請しており、80以上を記録している。これらの請求のどれも、補償を受け取っていない。

支払請求をするためには、イラク人は民間軍事作戦センター(Civilian Military Operation Centers(CMOC))まで出向かなければならない。先のレポートは、CMOC事務所でのオフィスであった問題について、広範なリストを文書化している。これらには、国外請求法の手続きのアラビア語での写しがなく、全ての回答が英語で書かれていることや、イラク人女性と対話する女性兵士がいないこと、そして押収された文書、金庫、現金および金が失われる事も含まれている。

このレポートには、メーズン・アントワーヌ・ハンナ・ノラディンの死の概要が1例としてあげられている。この人は32歳の製薬会社販売代表者であった。メーズンは道端でタクシーを待っている際に、軍の銃撃に巻き込まれて殺された。

米軍の部隊は、自軍への攻撃に反撃して道路の200メートルに渡って展開し手当たり次第に発砲しており、この中でメーズンは7回撃たれた。

米部隊はメーズンの父親であるアントワーヌさん(72歳)の許可を得て、法医学検査をするためにメーズンの死体を一緒に空港まで持っていた。アントワーヌさんは息子の死体を家へ持って帰れ---タクシーで---と命ぜられるまで、空港で2時間も待った。アントワーヌさんは、タクシーは彼を乗せてくれないだろうし、空港の近くではタクシーを見つけるのも難しい、と兵士らに拒否した。

議論がされた後、この部隊はメーズンの死体と父親を家まで連れて行くように、との命令を受けた。その部隊は、父親が家に近い交差点で降りてしまった、と主張する。メーズンの父は、家までの残りは死体を運んで行けと言われ、自分は運んでいく事はできないし、部隊が家まで行く事になんの問題もないはずだ、と返答した。彼らは、父親が人間の盾となって車の前を走るという条件で同意した。メーズンの父は家のある街路まで走った。部隊はそれ以上一歩も先へ進む事を拒んだ。メーズンの父は路上にいた数人の知人らと一緒に、メーズンを家まで運んだ。

メーズンのケースについて補償支払請求がされ、家族は2,500ドルの「見舞い金(sympathy money)」を受け取りった。

Occupation Watchの研究員パオラ・ガスパローリのコメントは、「見舞い金」の場合には、米軍当局は「弔意を表していない。彼らは単にこう言うだけだ「我々の部隊は交戦規則を尊重して行動した。しかし我々は、あなた達家族にとってそれが悲劇であったということを理解している。それで、我々は2,500ドルを払おう」。

メーズン事件の再審理が要求されたが、却下された。その事件は終結させられている。

ガスパローリは言う。「彼らが戦闘状況の調査を望まないという事実のため、兵士らの間で罪を免れる者たちが増大している。なぜなら過度な武力行使がされたのか調査もなければ、武力行使が襲撃者を捕まえるのに有用であったかどうかも検分されないからだ。そういうわけで、各部隊は彼らの身に何も起こらない、と知っているのである」。

軍隊が責任を持つよう保つ道筋はあるか?との質問に彼女は答えた。「いいえ、なぜなら[イラク人は]裁判所や法廷には行かないから。そこには裁判官兼弁護士がいる。彼らは軍人で、制服を着て武装している。そしてまさに彼らが事件を受理するか却下するかの責任を持っているのである。弁護士と裁判官が同一人物なのだ」。

彼女の話では、イラク人達にとって、補償請求は「金銭だけの問題ではない。彼らは、請求を受ける事を拒否する姿勢について、また別の侮辱、無礼を加えられたと受け取っている」。

レポートは次の意見にて締めくくられている。「補償制度が作られ運営される手法に、米軍は罪を免れる情況を取り入れてしまっている。尊大で暴力的な振る舞いは処分を免れ継続するだろう」。



●1月25日(313日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 17日にイラク開戦からの米兵の死者数が500に達する一方、イラク・ボディ・カウントの集計によるイラク民間人の犠牲者数は、18日の時点で9856人(MAX)に達した。米軍の家宅捜索、破壊と拘束、検問による交通渋滞、失業、それに加えてレジスタンス攻撃の巻き添えとしての犠牲の増大、米軍の占領がもたらしたありとあらゆる悲惨に、イラク民衆の怒りがますます高まっている。
 18日のCPA本部前での自爆攻撃では31人が死亡、約130人が負傷した。21〜22日にかけての「スンニ派三角地帯」での攻撃では、米兵2人とイラク人7人が死亡した。これらの攻撃では、米兵よりもずっと多くのイラク民間人が巻き添えになっている。警察官はもちろん、CPA勤務のイラク人、米軍施設で調理や清掃の下請けとして働くイラク人が犠牲になっている。また、襲撃現場に偶然居合わせたイラク人も多数犠牲になっている。無実のイラク民衆の犠牲はおおいなる悲劇である。戦争によって職を奪われた多くの人々は、生きていくためにやむをえず米軍関連の仕事に就いているという。武装レジスタンスによる攻撃のあることが分かっていても、生活のために攻撃を怖れながら働いているのである。彼らもまた、米英が無理やり仕掛けたイラク戦争と占領政策の犠牲者である。米英軍のイラクから撤退なしにはイラク民衆の犠牲者はなくならない。
 このような状況下、米英軍の占領支配の一端を担うため、日本から自衛隊先遣隊がサマワに到着した。本隊もクウェートで現在待機中である。サマワではここ数日、ビデオ店での爆発や警察官殺害など事件が相次いでいる。イラク入りする自衛隊はレジスタンス攻撃の新たな標的となるだろう。もし、自衛隊がイラク人を下請けに雇用するならば、それは彼らをも新たな犠牲者候補に加えることになる。
 翻訳記事1"1,000ポンド爆弾と家宅襲撃"では、今なお戦争状態下にあるバグダッドの様子と家宅襲撃を繰り返す米軍に対するイラク民衆の怒りを紹介している。今やバグダッド市内のいたる壁には、"アメリカ人は帰れ!アメリカはイラクから出て行け!"という落書きが書かれているという。
 翻訳記事2"アメリカ人に雇われて働くイラク人は恐れながら生きている"は、米軍に雇用されるイラク人犠牲者に関するものである。イラク民衆を取り巻く悲しい真実である。米英軍を中心とする占領支配は、様々な形で民衆を苦しめているのである。


記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲
25日
米・同盟軍の犠牲
 バイジで米軍車両がロケット弾攻撃を受け、米兵1人が死亡した。

24日
政治動向
 イラクで8カ月にわたり大量破壊兵器を捜索した米調査団のデービッド・ケイ団長=中央情報局(CIA)特別顧問は、「存在するとは思えない」と言明し辞任。

米・同盟軍の犠牲
 ファルージャ 道路脇の爆弾が爆発、米兵2人死亡。
 サマラ   裁判所庁舎前で自動車が爆発。イラク人4人が死亡。米兵7人を含む40人が負傷。
 カルディヤ 爆弾がさく裂し、米兵3人死亡。
 ハルディヤ 米軍の検問所近くで爆弾が爆発、米兵3人死亡、6人負傷。

 サマワ 警察官が撃たれて死亡。政権崩壊後、サマワで警官が殺害されたのは初めて。
 モスル 警官2人が撃たれ、1人が死亡、1人が負傷

 イラク内務省のサミル・ワイリ次官はフセイン政権が崩壊した昨年4月9日以降、殺害されたイラク人警官が「300人近く」に達したことを発表。

23日
政治動向
 航空自衛隊の本隊第1陣がクウェートのムバラク空軍基地に到着

米・同盟軍の犠牲
  カイヤーラ 米軍ヘリが墜落し、米兵2人が死亡。

22日
米・同盟軍の犠牲
 ファルージャ-ラマディ間 イラク警察に対する攻撃。イラク人警察官3人が死亡、5人が負傷。
 サマワ  CD店で爆弾が見つかり、イラク保安隊が処理
 ディワニヤ近郊  スペイン軍警察官1人が銃撃され、重傷。

イラク人の犠牲
  キルクーク 道路脇の爆発物が爆発、イラク人男性1人死亡、3人負傷。

21日
米・同盟軍の犠牲
 バクバ  米軍基地にロケット弾が撃ち込まれる。米兵2人死亡、1人が重傷。

イラク人の犠牲
 ファルージャ イラク人女性らが乗ったミニバスが武装勢力に襲撃される。イラク人 女性4人が死亡、6人が負傷。

20日
政治動向
 モンゴル政府、イラク派遣のモンゴル軍約180人を帰国させ、交代要員として約50人少ない約130人を新たに派遣する方針。イラク国民への人道支援は交代要員の任務から外されるとのこと。

 イラクの4つの都市で直接選挙の実施を要求してイスラム教シーア派の住民ら数千人が参加する大規模なデモ

 サマワ  陸上自衛隊の先遣隊が活動を開始

米・同盟軍の犠牲
 バグダッド CPA本部などがある米軍管理区域にロケット弾攻撃 1人が負傷?

18日
 アフガンでの掃討作戦
 ウルズガン州 米空爆で市民11人死亡 



紹介記事1
"1,000ポンド爆弾と家宅襲撃"
"A 1,000 pound bomb and home raids"
ダール・ジャメイル Electronic Iraq 2004年1月18日
http://electroniciraq.net/news/1335.shtml

昨日私たちは、米軍の警護車隊がバクダッドの北部にて大型の手製爆破装置により攻撃された、とのニュースを得た。アメリカの警護車隊は手製の爆破装置を探索していた。ブラッドレー戦闘車両の真下で大きな爆弾が爆発し、3人の米兵と2人のイラク民兵が殺された。

今朝8時、巨大な爆風が私のホテルを揺さぶり、窓ガラスをガタガタと振動させた。少なくとも1000ポンドの爆発物を積んだ1台の自動車による自爆攻撃がイラク暫定統治当局(CPA)の正面玄関前で行われた。イラク人23名とアメリカ人2名が殺され、最低でも180人が負傷した。

CPAの玄関は砂袋の巨大なバリケード、鉄条網、コンクリートブロック、機関銃といったもので極度に要塞化されている。しかしこの玄関は、とりわけ、敷地内で働くためのセキュリティ・チェックを受けるために多数の人々が列をなして並ぶ場所である。

現在、バグダッド中心部では至る所で新しい検問所が作られ、交通は渋滞し、そして人々は疲弊している。朝霧は消え去り、素敵な太陽が姿を見せている。

こういったことが、私の気分を憂鬱なものにさせる。ここに滞在して今や2か月、私は、暴力、爆弾、混乱そして破壊に飽き飽きしている。私は落胆する前に、こうした中でずっと生きてきたイラクの人々に深い悲しみと尊敬の念を持ってやまない。ありとあらゆる戦争、制裁、残忍な独裁者、そして今は、より残忍でさえある占領。この占領はレジスタンス運動により連日攻撃されているが、この攻撃は、米兵を一人か二人殺しさえすれば、罪のない市民を殺すことを気に掛けないことが明らかである。

このような環境で、人々はどのように日々を暮らし働く事ができるというのか?将来の展望は全くないように見える---アメリカ人とイギリス人達が長期にわたってここに居座る事は誰もがわかっている。そして彼らがここにいる限り、レジスタンス攻撃と共に、自爆攻撃ももちろん続く。

ここに滞在していて私が気づいたことは、比較的静穏な時期というのにはうんざりしたということである;これらは必然的に1つあるいは別の形態の暴力によって引き継がれるのである。レジスタンスの頻度は落ちている、といって自分自身の気持ちをなだめようとする度に、いくつかの攻撃が、ナンセンス、ナンセンス、ナンセンス、とばかりに発生する。今朝のような恐ろしい攻撃が起こり、私に思い出させようとするのである。それは私に、アメリカはなぜこの地にやってきたのか何一つ分かっていない、ということを思い出さようとする。それは、息継ぎができるよう鼻を水面上に維持しようと、必死に泳いでいるようなものである。

私は今日、街を歩き、小さなバス停を通りすぎた。黒いスプレー・ペンキで、壁に書き付けられているのが読めた。

「アメリカ、出て行け!」と。

その間に、バスラ郊外では、英兵2名とイラク警官2名が路脇の爆弾により負傷していた。

一週間の連日の攻撃のうち、これら2つの事件だけが、イラクでCPAが認めたものであるということを心に留めておいていただきたい。他の事件はどうなったのか?何人のイラク人が手製の爆破装置によって殺されたのか?何人の米兵が負傷したのか?こういった報告されない攻撃によって、何人の米兵が生涯残り続けるような負傷に今もくるしめられているのか?彼らが家に戻ったとき、いったいどれだけ政府から補償を受けられるのか?失われた脚に対し、どれだけ払われるというのか?年に8千ドル?

私は、アメリカのインターネット上で主要ニュースを見るたびに当惑させられる――それが報じるイラクからのニュースは、最もひどくて多数の犠牲者がでた爆弾による攻撃か、抗議者が20,000以上いたデモ行動のみに限られているように見受けられる。そこで示されていないものは、何百万ものイラク人がおかれている恐ろしい生活条件、米兵らが日毎に生涯残る障害(肉体的あるいはまた精神的)を受けていること、そしてイラクの若い世代は彼らの国に制裁を行い、爆撃し、侵略し、今現在占領を続けているアメリカとイギリスに対して深い侮蔑の思いを膨らませていること、である。

バグダッドでは連日デモがある――2日前、族長らの大きな集団がCPAのゲート(今朝爆弾で攻撃されたのと同じ所)に向かって行進し、アメリカの監獄からある有力な族長を解放するようデモを行った。

今日、通りで大規模なデモ行進があった。フランスで女性が民族衣装(ヒジャブ)を着用できるよう支援するためのものである。

私たちの何人かが、アメリカ人らがアル・アダミヤ地区の家宅で捜索を行った、との報告を得たので、私達はそれを確認するため競ってバグダッドを突切った。私たちはその捜索にわずかに間に合わなかったが、いつもながらの話は聞けた。

9月23日にその家は襲撃され、31歳および41歳の2名が拘留された。8日後、彼らはレジスタンスに加わらないと約束する声明書にサインを強要され、その後解放された。1か月前にその家は再び捜索され、ドアは蹴破られ家具が壊された。なぜ?アメリカ人は既に無罪の人々を解放している。

家族はあまりにも恐れていて、補償を求めることができない。

昨夜の3時、前述の人の隣の人々に対して捜索が行われた。隣の家まで突き抜ける穴が二つ壁に開けられた。隣に住む小さな子供らは脅えている。その父親は私に語る。

「米兵が一人昨夜私たちのところに来て、私たちの壁まで蹴って穴を開けたことに対して謝罪した。彼は、米兵らはこちらの家が別の家である事を知らなかった、と述べた。兵士は私に、"これが我々の仕事だし、それをしなければならない"と言った。でも私の子供はあまりに脅えされられてしまって、身体の震えを止められないでいる。こんな中で、私達はどうやったら暮らしていけるというのか?」

私は、ある人がこの家から拘留されていったがその後解放された事を聞かされた。別の人が通りの向かいの家から、また別の人が角の所の家から拘留されていった。彼らもまた解放された。私が話をした人(この人からは名前を伏せてくれるように、と頼まれた)は、アメリカ人たちは人々を脅えさせようとしているのではないかと思う、と述べた。

「しかし、彼らは既に私達が無罪であるという事を自分で証明したんだ。なぜ彼らは私たちを脅し続けるのか?」彼は手を振り上げながら話をした。

昨夜捜索された家は完全に破壊されていた。壊された家具、打ち砕かれた窓、裏庭の地面に掘られた穴、投げ散らされたカーペット。

家族らは恐れるあまり家に戻ってこようとしない。いくら数週間前の別の襲撃で拘留された男性がその後解放されているからといっても。

私たちはアル・アダミヤを車で後にし、今では珍しくもない落書きが書き付けられた壁を通り過ぎた。それはバグダッド中でますますありふれたものとなっている。

「アメリカ人は帰れ!!」
「アメリカはイラクから出て行け!!」


紹介記事2
"アメリカ人に雇われて働くイラク人は恐れながら生きている"
"Iraqis Working for Americans Live in Fear"
サバ ジェーゲス AP通信記者 2004年1月22日
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20040122/ap_on_re_mi_ea/iraq_living_in_fear_1

バグダッド、イラク---アスキク・バロージャンは、占領軍に協力するイラク人が反米勢力の標的にされ始めてから、米軍基地で洗濯の仕事をすることに不安を抱えていた。

彼女は水曜日、不安を抱えて生きるよりも辞職する決心をして、バグダッド西50マイルのハバニヤにある米軍基地での仕事のためにミニバスに乗った。途中、彼女と3人の女性達は覆面をして武装したもの達にバスを機銃掃射されて死亡した。5人の女性と男性運転手が負傷した。

「彼女は昨日、もう仕事に行かないことを伝えて給料を要求しに行ったのです」とバロージャンの妹のエイダ・バロージャンはむせび泣いた。

亡くなった4人の女性達は皆アルメニア人かアッシリア人のクリスチャンだった。彼女らは、占領軍と彼らを支持していると見なした市民を攻撃する武装勢力の餌食となった最新のイラク人市民であった。

先週の土曜には、占領軍で働くイラク人や仕事を求めるイラク人が出入りする占領軍本部のゲートにトラックが突っ込み、自爆攻撃で31人が殺された。

バロージャンは半身不随の夫と4人の子供達の生活を支えるためにハバニヤで3週間前に仕事を得たのだ、と親族は語る。

木曜日、彼女の棺は陰気なワンルームアパートに運ばれ、親族が喪に服した。彼女の20歳の娘、アンジェルは悲しみのあまり失神した。

「何故私たちが(アメリカ人と)働いていたのか家を見に来て下さい」ともう一人の娘である25歳のエマ・ハゴブが言った。「私の父は脳梗塞で働けません。私たちは6人で一部屋に住んでいるのです」。

ベラ・イブラヒム(39歳)は水曜日の攻撃で生き残った一人だ。彼女は、彼女らの乗ったバスとバス2台が彼女らの働くバグダッドとハバニヤの間をはしる高速道路の車列を進んでいる時、オペル車が追跡を始めたが、女性達の何人かは眠り込んでいたと証言した。

彼女は、バス2台は加速したがミニバスはついていくことができなかったと言った。オペルがミニバスと並んだとき、顔をチェックの綿でマスクした4人の男がタイヤに向かって撃ち始めた。

「考える暇もなく頭を席の下に隠した」とイブラヒムはバグダッド病院のベッドで言った。「運転手はスピードを出し続け、射撃は続いた。運転手は負傷して道脇にそれた。」

襲撃者らは別の車が近づいているのを見て逃走した、と彼女は語る。「静かになったとき、私はまわりに集まってきた人たちに叫んだ。」

イブラヒムによると、3人の女性が即死し、もう一人は致命傷を負っていた。警官が死者の数を確認した。

イブラヒムはお金が必要でハバニヤで2ヶ月前に働き始めたと言う。イラクでの失業率は50〜60%の間だ。

「もう仕事を続けたくない。怖い。彼らは私達みんなを殺す気だ。」

死者の親族らはアメリカ人のために働く危険を知ったと言う。

「だけどもそれはお金の問題なのです」と姉のソナを亡くした48歳のセイタ・ノウバは言った。「私達に何ができます?彼女は生活費を稼ぎたかっただけなんです。」

襲撃犯に対してノウバはこう言った。「もし彼らが真の男なら、男性を追いかけ、戦車に乗ったアメリカ人と闘ってたでしょう。貧しい女性ではなく。」



●1月18日(306日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米軍による、罪のないイラクの民衆の殺害や非人間的な拷問についての報告が続いている。紹介記事1「目撃者は語る。米兵が車に乗っていた家族を銃撃し、2人を殺害したと。」および紹介記事2「米兵らがイラク人達を撃ったようだ、と米高官は語る。」では、米軍がレジスタンスの攻撃を恐れるあまり、車両に近づいた民間人を無差別に攻撃している事例が続発していると報じている。職を要求するデモと、それに対する米軍・同盟軍の武力による弾圧での死傷者も頻発している。
 アメリカによりアナウンスされていた500人の「囚人の解放」は、初日に60人しか釈放されず、家族らの憤激を買っている。同時に、釈放された人々の口から、米軍による「逮捕」と「拘留」の実態が少しずつ明らかにされている。米軍の家宅捜査で何の証拠もなしに逮捕、拘留され、イラクの法律も国際法も無視した拷問が行われている。紹介記事3「拘留され、棍棒による殴打と感電により昏睡状態にされる」の中で問題にされているように、多くの人々がウソに塗り固められた不当拘留と拷問により無造作に人生を破壊されているのである。
 米軍による市民虐殺にせよ、不当拘留と拷問にせよ、いずれもその責を問われる事はない。駐留米軍はイラクの法律にも国際法にも従わず、なんの歯止めもなしにイラク民衆の人権を踏みにじり、生命を奪っている。イラク民衆は、フセインの人権抑圧を口にしながら自分達の生活も命も踏みにじる米英の軍事占領支配に明確なNOを突きつけているのである。イラク民衆へのこのような抑圧、占領支配を一刻もはやくやめさせなければならない。自衛隊派兵により米英の占領支配の手助けをし、イラク市民の人権抑圧に加担をさせてはいけない。


記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲
18日
 米軍・同盟軍の犠牲  
バクダッド   CPA(暫定当局)本部前にて爆弾が爆発
        イラク人23名死亡 100人程度が負傷
        米兵の死傷者は不明

16日
 イラク人の犠牲   
バクダッド  道路沿いの爆弾を米軍が処理中に爆発
 15歳の少年1人死亡 5人負傷

14日
 米軍・同盟軍の犠牲  
ティクリート  同盟軍に物資運搬中の民間会社KBRの車列に攻撃
          イラク人2名死亡 米国人2名負傷
  バクバ     警察署への攻撃 2名死亡 30人近くが負傷

米軍による掃討作戦  
サマラ    フセイン政権の元幹部を拘束

13日
 イラク人の犠牲   
クート    職、食料を求める400人のデモとウクライナ軍、イラク警察が衝突
         1人負傷
警官4人 ウクライナ兵1人負傷
  サマラ近郊  米軍の銃撃 イラク人8人死亡 26人拘束
  ファルジージャ 米軍による発砲 女性1人 男性3人死亡

 米軍・同盟軍の犠牲  
ハバニヤ    米軍のアパッチ攻撃ヘリが撃墜


紹介記事1
"目撃者は語る。米兵が車に乗っていた家族を銃撃し、2人を殺害したと。"
"G.I.'s Fire on Family in Car, Killing 2, Witnesses Say"

エドワード・ウォン ニューヨークタイムズ 2004年1月13日
http://www.nytimes.com/2004/01/13/international/middleeast/13IRAQ.html?
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バグダッド、イラク、1月12日---月曜の夜、近くで路上爆弾の爆発があった後、米兵らが彼らの警護車隊の後ろを走っていた車のイラク人男性と少年を殺し、その他4名を負傷させた、と目撃者(警察職員で、車に乗っていた家族の親族)は語った。

兵士らは2台の軍用車両からなる警護車隊で移動しており、濃紺色のステーション・ワゴン車に乗っていた家族を銃撃した、それは石油省から300ヤード程離れたパレスチナ通りで爆弾が爆発した後の出来事であった、と目撃者は言う。

家族の運転手(名前はハイダー)は、隣の座席に座っていたムスタファという名の10歳の少年ともども殺された、と家族、隣人と警察職員は証言する。ムスタファの母と2人の兄弟、おばは負傷させられ、地域病院に運び込まれた。

「真実を知りたいですか?」とムハンマド・アリ中尉(家族の女性の一人がアル・キンディー病院に運び込まれた後、数人の同僚と一緒にそこから来たイラク人警官)は述べた。「真実を伝えましょう。アメリカ人がこれをしたのです。こんな話をしたら後で彼らが私を首にするのは分かってます。しかし、それが起こったことです。」

その日だけで、米軍が関与した全国での暴力により、米兵1人と少なくとも9人のイラク人が殺され、そしてイラク人10人とアメリカ兵2名が負傷した。

バグダッドのパレスチナ通りでの暴力の現場にいた兵士は、爆弾が爆発して、濃紺のワゴン車内にいたイラク市民2人が死亡、2人が負傷した、と語っている。ジェイスン・P・ベック隊長(バクダッドの大半を支配している第一機甲師団の報道官)は、その事件の3時間後、彼は報告を受け取っていないと述べた。

その日の早い時間にバグダッドでの路上爆弾により、第一機甲師団の兵士1人が死亡し2名が負傷した、と軍当局者は言った。

バクダッドの西にある街ラマディで、別の路上爆弾が軍の警護車隊の近くで爆発したが、軍はアメリカ人の死傷者は報告されていないと発表した、とAP通信が報じている。その報道では、アメリカ人らが攻撃の後に発砲し、2人のイラク人が殺されたという住民の話を伝えている。

軍はさらに、サマラの南のパイプラインから石油を抜き取っていた密輸出者の約40人のメンバーらの内の7人を兵士らが殺したと発表した。サマラはバクダッドの北60マイルの地点にあり、ゲリラの拠点である。

月曜日の午後9時頃、ゲリラがサドル・シティ(バクダッドの北東にあり220万人のシーア派イスラム教徒が居住している)でゲリラがロケット砲を発射した疑いがある、とベック隊長は言った。その後、反乱者が2つの迫撃砲をチグリス川東岸のバグダッドホテルがある地区に打ち込んだがどこにも命中しなかったようだ、とホテルの守備兵が述べている。

石油省の外での出来事は午後の9時頃、2台の米軍車両がパレスチナ通りの中央を通り過ぎた際に爆弾が爆発して起こった、とその地区に住んでいるフェラス・アリ(42歳)は語った。爆発は、近くの家の窓を粉砕した。

米軍車両は、目撃者によれば被害を受けたようには見えなかったというが、その後、広い道(そこは激しい暴風雨で滑りやすくなっていた)に曲がっていった、と彼らは語った。

兵士らはその後ろを走っていたステーション・ワゴンの家族らに向けて銃撃し始めたと、目撃者であり犠牲者の親族かつ代理人である警察職員のアリは言った。ステーション・ワゴンは爆弾が爆発した場所から200フィートほど過ぎたところの壁に衝突し、そして兵士らはすぐに死体をひきずり出した、と目撃者は証言した。

午後9:20頃、2ダース以上の第一機甲師団の兵士らが現場周辺で、破壊された車や、爆弾が爆発した地面、中央のエリアを調査していた。1人の兵士がリポーターと写真家に、「不愉快な目にあうぞ」とその場から立ち去るようにとの警告をした。数台の装申車がパレスチナ通りに停められ、雨が降り続ける中、いくつかの車線を封鎖した。

近くのアル・キンディー病院では、車の中で負傷した3人が部屋で治療を受けていた。女性の一人は来訪者とパレスチナ人の通訳が近づいていくやいなや、大声で叫びだした。「神がアメリカ人らに災いを与えますよう!」犠牲者の親族である女性は叫んだ。「神が彼らを私達のところに連れてきたみんなに災いを与えますように!」

女性の夫、ムハンマド・アブドゥール・ラーマン(40歳)は、彼の義理の姉妹のスタブラク・アブドゥール・ワハブが車に乗っていた家族の母親であり、彼女は傷の手当てのため神経外科病院へ連れて行かれた、と言った。ムスタファ(殺された子供)は彼女の息子だった。スタブラクの姉妹のヒヤム・アブドゥール・ワハブは、困惑した表情を浮かべながらベッドに座っていた。彼女の額は血で汚れた厚くて白いガーゼの包帯が巻かれていた。

彼女の隣りに、スタブラクの他の子供(少年と少女)は、2人とも傷を負って座っていた。アブドゥール・ラーマン氏の妻は、負傷した家族らに水を渡した。

「ねえ、ムハンマド、ここに来て」と彼女は半狂乱になって言った。「彼女の脚と胸の中に弾丸があるのよ。ひどく出血しているわ。」

アブドゥール・ラーマン氏は来訪者に述べた:「アメリカ人らが彼らを撃ったんだが、見てくれ、今問題なのは彼らを手当てする人が誰もいない事だ。医者も、治療もない。恐ろしいことだ。」

看護婦は、スタブラク・アブドゥール・ワハブはその夜早くにこの同じ病院で喘息の治療を受けていたと証言した。彼女は3人の子供と姉妹と一緒に出て行った。それは彼らがアメリカの警護車隊と出合った時の事だった、と看護婦は付け加えた。

さらに月曜日には、イラクの南部で約400人の抗議者らが職を求めてクート市の政府庁舎に向けて行進するという騒ぎが続いている、とAP通信が報じている。群衆の中の誰かが建物を警護していたウクライナ兵士とイラク人警官に向かって手榴弾を投げつけ、5人が負傷した、と当局者は述べている。その後、ウクライナ兵らが群衆を分散させるために空中へ向けて発砲し、抗議者1名が負傷した、と彼は言った。


紹介記事2
"米兵らがイラク人達を撃ったようだ、と米高官は語る。"
"U.S. officer says American troops likely shot Iraqis"

C・ブリソン・ハル ロイター発 2004年1月13日(火)
http://home.eircom.net/content/reuters/worldnews/2340507?view=Eircomnet

イラク、ティクリット発(ロイター)---米陸軍指揮官は、今月初めにイラク北部にて運転中のイラク人家族らを殺害したことについての責任は米兵側にあるらしいと語った。この事件は地域の緊張を煽っている。

スティーヴ・ラッセル中佐(第四歩兵師団1/22大隊の司令官)は早くより、1月3日に少なくとも3人の人々が重火器の砲火を浴びて死んだ事件に米軍がかかわっている可能性がある、と語っていた。

火曜日の記者らへのコメントで、ラッセルは、アメリカ人らが関与したとのより直接的な証拠があると述べた。

「私は重口径機関銃が使われたという事実を考慮すれば、連合軍が関与したということはありそうだ考えている」とラッセル(彼の部隊はティクリット周辺地区をパトロールする)は語る。

ラッセルは、使用された武器のサイズ(50口径)は、米軍以外にありそうもない、と述べた。その類の銃は普通、2メートル程度の長さがあり、車に乗せなければならず、もしイラク人がそんなものを持っていれば米軍パトロールがすぐに見つけ出している、と彼は言った。

米軍は銃撃で、男性1名、女性1名および子供1人が殺されたと言う。一方、イラク警察は男性2名、女性1名および9歳の子供一人が死んだといっている。生存者は、アメリカの警護車隊が彼らの車に銃撃したとイラク警察に話している。

先週、銃撃を調査していた警察の主任、マッツァー・タハ・アル・ガナイム長官は、攻撃の責任は米兵らにあると彼が「100パーセント」確信している、と述べた。彼の話では、家族らは警護車隊を抜き去ろうとしたところ、銃撃された。

調査(ラッセルはそれを上官に引き継いでおり、現在バクダッドで扱われている)が複雑化しているのは、通常の軍事規則が要求されるため、兵士らが対立的な関係について一切報告していないことである。

「それ以外に事柄を複雑にしているのは、ティクリット周辺の主要な輸送路が、何百もの別々の部隊によって使用されているという事実である」とラッセルは述べた。これは第四歩兵師団の兵員は事件に関与していなかった可能性を残しているということにつながる。

ラッセルは、メディアの関心が寄せられ死という悲劇が発生していることから、十分な調査が行なわれるだろうと確信している、と述べた。彼は、彼の部隊は米軍とイラク当局による調査に協力している、と語っている。

米軍が、アメリカの警護車隊に近づいたイラク人らに銃撃を行って非難されるのは、初めてのことではない。

月曜日、地元の人々は、バクダッドにおいて路上爆弾が爆発した後で兵士らが瞬間的にパニックに陥り、米車両の後ろを走っていたイラク人2名を殺害した、と話している。


紹介記事3
"拘留され、棍棒による殴打と感電により昏睡状態にされる。"
Detained, Bludgeoned and Electrocuted into a Coma

ダール・ジャミル Information Clearing House 2004年1月7日
http://www.informationclearinghouse.info/article5482.htm

2004年1月7日(ICH):サディク・ゾーマン・アブラヒム(55歳)は去る昨年の8月にキルクークにて米兵らの家宅襲撃により拘留された。この襲撃では、武器は見つからなかった。彼はキルクークの警察署に連行され、そこでアメリカ人らに尋問され、その後キルクーク空港拘置所へ移された。

彼がティクリット空港の拘置所へ移されたのは、この拘置所からであった。彼はこの拘置所にいた時に、釈放されようとしている人間をなんとか見つけだし、その人に彼がどこにいるかという情報を彼の家族に伝えるよう託した。

アメリカ人らが彼を昏睡状態にして、ティクリットの病院に向けて移送したのは、この場所からだった。

この情報に基づいて家族らは病院を探したが、彼を見つける事はできなかった。その間に、病院当局は彼らに、アブラヒム・サディク・ゾーマンという名の昏睡患者がいることを知らせた。この患者は2日前にアメリカ人らによって連れてこられた。

病院の管理スタッフによれば、アメリカ人によって提供された唯一の情報は誤った名前と、アブラヒム氏は心臓発作を起こした、との医療報告だけであったという。アメリカ人らは彼をどこで発見したのかということも、住所やその他の個人的な情報も一切提供しなかった。

これらの情報とともにアメリカ人らが昏睡状態の男性を置いていったという話は、病院とイラク赤新月社(ここはアブラヒム氏の写真も撮影した)の両方によって文書(記録)にされた。家族が彼を見つける前に、イラク赤新月社は撮影したアブラヒム氏の写真について、市内では彼を知るものが誰もいなかったため、ティクリット郊外に出るバスに公示してもらい、誰かが彼を見分ける事を期待した。

赤新月社撮影の写真では、アブラヒム氏は髪が伸び、髭も剃らず薄汚れた顔で写っている。病院スタッフは彼の髭を剃り、みすぼらしくなっていた外観をきれいにした。

ティクリット病院の医者は診療検査を行った後で家族に対し、アブラヒム氏は重度の頭部外傷、感電や腕への殴打を受けている、と知らせた。心電図は彼の心臓が完全に機能していることを証明した。家族は、彼が回復不能な状態にあり、明らかな拷問による外傷により残りの人生は昏睡したままであろう、と告げられた。

家族は彼をハイサヘ連れて行ったが、そこでのCTスキャンとコンピューターX線断層写真は、彼が絶望的な状態であることを証明した。絶望的にも、家族らが次にアブラヒム氏を連れて行ったバクダッドでは、いくつかの検査により彼の植物状態が恒久的なものであるということが確認された。

今現在、アブラヒム氏は眠ったまま横たわり、彼の目は時々ゆっくりと明滅する天井をむなしく凝視し、いかなる刺激にもなんの反応もみせないまま3ヶ月が過ぎている。

この恐ろしい状況は、多くの疑問を湧き上がらせる。

もしアメリカ人らが彼を拘留していた際に、彼が誰で、どこの人間かわかっていたのなら、なぜ彼らはアブラヒム氏を病院に置いていった時にその情報を提供するのを怠ったのか?

なぜアメリカ人らは、アブラヒム氏が事故にあったということを病院に通知する事を怠ったのか?もし彼が事故にあっていたなら、ということだが。


米軍の拷問の犠牲となったアブラヒム氏
(information clearing house より)
重度の頭部外傷、感電により足の裏にできたやけど、腕の打撲傷はいったいなんと説明するのか?アメリカ人らの証言によって作成された医療報告のように、彼が単に心臓発作を起こしただけというのならば。

家族は、アブラヒム氏がアメリカ人らに拘留される際、彼が完全に健康であったのを見ている。彼はティクリットの病院に置いていかれるまで全期間、彼らの管理下にあった。

銃、爆弾やその他有罪となるような証拠は、アブラヒム氏の拘留時に、彼の家の捜索では一切見つけられなかった。家族は、彼がなぜ拘留されたか分からない、と述べている。

もし本当に最悪のケース、アブラヒム氏はレジスタンスの活動家であったか、あるいはバース党の高官であったとしても、このことは感電させ棍棒で打つ拷問を行って昏睡させるということを正当化するのか??

これは国際法違反ではないのか?

彼は、彼が無罪か有罪か判定する裁判のために(拷問を受けず、精神的にも、肉体的にも通常の状態のまま)維持されているべきだったのではないのか?

今日、サディク・ゾーマン・アブラヒム氏は天井を凝視し、目を広げて横たわったまま、イラクのハイサにいる。

家族は彼の傍らに座っている。CPAから疑問への回答をなんら得られないままに。



●1月12日(300日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米軍による民間人虐殺事件が相次いでいる。13日ファルージャでは、民間人4人を殺害した。犠牲となった民間人は、「米軍と武装勢力との銃撃戦」に巻き込まれたと報じられている。しかし、本質は米軍による虐殺である。米軍は11月以降、"交戦規則"を大きく変更した。攻撃を受けた後に反撃するのではなく、危険を感じたならば即座に銃撃を開始することを兵士に命じた。その結果、多くの民間人が米軍の「誤射」の犠牲となっているのである。おそらく犠牲となった4人の民間人も、米軍の無差別銃撃の犠牲になったに違いない。また11日には、「石油を盗もうとした」イラク人7人を殺害したという。たとえ彼らが石油を盗もうとしていたとしても、この事件は米軍による虐殺である。なぜ彼らが石油を盗むほど困窮しているのか。その一切の原因は、アメリカにあるのではないか。
 フセイン元大統領の拘束後、アメリカの占領支配に対する抵抗はかえって一層強まりを見せている。フセイン拘束と並行して米軍は各地で「掃討作戦」を継続し、「抵抗勢力」の意気をくじくことを期待し「勝利」を印象づけようと目論んでいたが、かえって犠牲に巻き込まれた多くのイラク民衆の憤激を高め、一層アメリカの占領支配への反発と抵抗を呼び起こす結果となっている。米軍の死者は1月に入ってから1日あたり約2名と再び増加している。(下のサイトを参照)
今回の紹介記事の1つめ"イラクでの米軍の死者は500に近づく"では、米軍の「戦後」の犠牲者数がかつてないもので、「湾岸戦争、レバノン、ソマリア、パナマ、グレナダ、コソボ、そしてアフガニスタンと、過去数十年の幾多の局地戦争で米国が失った米兵の数よりも多い」と指摘している。ブッシュ大統領の「主要な戦闘の終結」から10ヶ月経過して逆に戦死者が増加しているという事実こそ、イラクがまさに戦争状態にあるという現実を示すものである。その次の"反逆者による攻撃で35名の米兵が負傷""アメリカは間違った人々を逮捕した"では、アメリカによる「逮捕者」に関する紹介記事である。アメリカは「掃討作戦」と並行して500人の「囚人の解放」を行い「善意に基づく行動」をアピールしたが、記事ではアメリカによる「逮捕」と「拘留」自体が証拠に基づかず、法に基づかず、拷問さえ行われる非人道的なものである事を暴露している。イラクの人々にとって、アメリカによる「逮捕」と「裁判」をサダム政権下のそれと「大して違わない」ものであり、イラクの人々の自由と人権を侵害しているものはアメリカの軍事占領支配であるという告発を行っている。

※<イラク>相次ぐ米軍機攻撃 背後に「反米戦士狩り」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040109-00001062-mai-int


記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲
13日
 イラク人の犠牲   
  ファルージャ  米軍 民間人4人殺害

12日
 米軍・同盟軍の犠牲  
  バグダット  米軍車列が攻撃を受ける  米兵1人死亡

11日
 イラク人の犠牲   
  キルクーク  米軍第4歩兵師団  パイプライン付近の「石油を盗んだ」?イラク   人へ銃撃 7人殺害

10日
 イラク人の犠牲   
  イラク南部アマラ  英軍・イラク警察  イラク人デモ隊に発砲
            イラク人6人死亡 11負傷

9日
 イラク人の犠牲   
  サマラ   オランダ軍 デモ隊に発砲 イラク人2人負傷
  バクバ   シーア派モスクで爆発 4人死亡 39人負傷
  キルクーク 米軍 イラク人警官2人殺害

8日
 米軍・同盟軍の犠牲  
ファルージャ  ヘリが撃墜される 米兵9人死亡
バグダット   輸送機が被弾
 政治動向  
米軍情報  在沖海兵隊3000人2月イラク派兵へ

7日
 米軍・同盟軍の犠牲  
バグダット西方  米軍基地に迫撃砲 米兵35人死傷

6日
 イラク人の犠牲   
ファルージャ  掃討作戦中米軍 民間人夫婦を殺害

3日
 米軍・同盟軍の犠牲  
バグダット南方  パトロール中の米軍 攻撃を受ける  米兵2人死亡 3人負傷
  バラド      米軍車列が攻撃を受ける  米兵1人死亡 3人負傷
2日
 米軍・同盟軍の犠牲  
ファルージャ  ヘリが撃墜される 米兵1人死亡 1人負傷

 米軍による掃討作戦  
バグダット   大規模掃討作戦「アイアン・グリップ」
モスク急襲 32人を拘束

 政治動向  
ブルガリア軍発表  25〜30人がイラク派兵拒否   

31日
 同盟軍の犠牲  
韓国   車両が攻撃を受ける   韓国人1人死亡

 イラク人の犠牲   
バグダット  レストランで爆発  イラク人5人死亡  米・英人25人負傷

30日
 イラク人の犠牲   
バクバ  米軍車列が攻撃を受ける  その際、イラク人1人死亡

29日
 米軍による掃討作戦  
モスル   「掃討作戦」中の米軍と住民が衝突 米兵2人負傷 イラク人3人殺害

28日
 米軍・同盟軍の犠牲  
バグダット 米軍車列が攻撃を受ける   米兵1人死亡 イラク人子供2人死亡

27日
 米軍・同盟軍の犠牲  
カルバラ   駐留軍宿営地への攻撃  タイ軍兵士2人死亡
ブルガリア軍兵士5人死亡
イラク人12人,米軍兵士5人負傷

 イラク人の犠牲 
モスル 車両が攻撃を受ける 米軍兵士がイラク人4人殺害

26日
 米軍・同盟軍の犠牲  
バグダット  車両が攻撃を受ける 米兵1人死亡

25日
 米軍・同盟軍の犠牲  
バクバ    米軍キャンプに迫撃砲   米兵2人死亡 4人負傷
バグダット  CPA本部、ホテルに迫撃砲

24日
 米軍・同盟軍の犠牲  
バグダット  車両が攻撃を受ける 米兵1人死亡
サマラ 車両が攻撃を受ける 米兵3人死亡
バグダット  中心部に迫撃砲

 イラク人の犠牲
  アルビル  爆発事件 イラク人4人死亡 20人負傷

23日
 米軍による掃討作戦
「アイアン・ジャスティス」を開始
バグダット  米軍が空爆を実施(ロイター))
米軍発表 ファルージャ近郊で武装勢力数十人を拘束


紹介記事1
"イラクでの米軍の死者は500に近づく"
"U.S. Military Deaths in Iraq Approach 500"

ロバート・H・レイド AP通信 2004年1月9日(金)
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&cid=514&e=14&u=/ap/20040109/ap_on_re_mi_ea/iraq_rising_toll_4

バグダッド、イラク

 昨年3月の戦争開始以降イラクで死亡した米軍の数は500人に近づいている。これは湾岸戦争、レバノン、ソマリア、パナマ、グレナダ、コソボ、そしてアフガニスタンと、過去数十年の幾多の局地戦争で米国が失った米兵の数よりも多い。

 これまでにイラクの戦闘は494名もの米軍従事者の命を奪った。その中にはファルージャ近くで撃墜されたと思われるブラックホーク救急ヘリの墜落で木曜日に死亡した9名も含まれる。大半の死者は ―― 戦闘・非戦闘によるもの併せて ―― 5月1日にブッシュ大統領が主要な戦闘の終結を宣言して以降に発生した。

既にイラクで失われたアメリカ人の命は1991年の第一次湾岸戦争での総死者を上回っている。そのときは315名のアメリカ人がクウェートからサダム・フセインの軍を撤退させる作戦中に命を落とした。その数字は軍隊の集結と戦争自体の期間中に被った戦闘中、非戦闘中の死亡を含む。

99名の米兵がアフガニスタンで進行中の作戦で殺されている。そのうちで敵の攻撃によって殺された人数は1/3未満である。

3月20日にイラク戦争が始まって以来のアメリカ人の戦闘による死者数(最低でも333名)は、1898―1899年の米西戦争中の作戦行動におけるアメリカ側の死者385名に近づいている。

米国政府当局はイラクの反乱者による攻撃のほとんどを軍事的に重要ではないとして退け、ブッシュ政権は強硬にイラクでのアメリカの役割を擁護する。ブッシュは11月にロンドンを滞在中、「イラクでの民主主義の確立に失敗すれば、イラクの人々を悲劇に投げ戻し、あの国を我々を破壊したいと望むテロリスト達の手に渡してしまう」と演説した。

 イラクの死傷者数はアメリカの過去の戦闘でのぞっとする流血と比較すれば小さい。第二次世界大戦のバルジの戦いでは1ヶ月で約19、000人の米兵が死に、世界大戦全体で29万人の米国の兵士や水兵、飛行士、海兵隊員が戦闘で殺された。

アメリカ人の血が最も流された南北戦争では北軍・南軍合わせて62万人と見積もられるアメリカ人が死んだ。58、000人以上の米軍人が、ベトナムで戦闘及び非戦闘の原因で命を落とした。

 しかしながら、イラクでの軍事作戦から10ヶ月後に死者数が増加しているのは驚くべきことだ。特に遠い見知らぬ国での戦闘で息子や娘が死んでいくのを伝統的に喜ばない国民の国で。

米国は、ムハメッド・ファラ・アイディード将軍に忠実な軍を擁する首都モガディシュでの戦闘で18人の米兵が殺されて、ソマリアでの国際平和維持活動への参加を中断した。

ロナルド・レーガン元大統領は1983年のベイルート空港でトラックに爆弾を積んだ自爆攻撃により241人の海兵隊や軍関係者を殺された後に米平和維持軍をレバノンから撤退させた。

1973年に終結したベトナム戦争への参戦後、歴代米大統領は明確な目的や圧倒的な勝利の見込みなしに米国軍を投入して海外の土地での戦闘を長引かせるということを嫌った。

 しかしながら、外国での軍事行動に対する米国の反感は1983年のグレナダや1989年のパナマのように一連の早く終結して比較的痛みの少ない作戦を経て薄れていった。グレナダでは戦闘・非戦闘併せてたった16名、パナマでは21名しか死ななかった。

湾岸戦争ではパイロットは数千ヤード離れたところから発射して一見重大なリスクを負わずに遠距離から目標に当てることができる正確なハイテク兵器が姿を現した。

四半世紀近くに渡る残忍なベトナム、朝鮮、その他の半ば忘れ去られた遠い戦場での記憶が無い後の世代にとっては、戦争は、最も良い装置を持つ者が勝者になる、生きるか死ぬかのコンピューターゲームのようにきれいなものになったように見えた。

1999年のコソボ作戦ではアメリカとNATOはユーゴスラビアを激しく空爆して降伏させた。そこではアメリカは一人の軍関係者の死者も出さなかった。アフガニスタンのタリバンの支配者とアルカイダの同盟は、アフガン北部同盟が地上戦のほとんどを行う一方でアメリカは空から精密爆弾を落とし、約1ヶ月の戦闘の後崩壊した。

 しかし、イラクの戦闘は違った種類の戦争であることが明らかになった。主要な戦闘が終わっても、ほとんどのアメリカ人犠牲者は道脇に仕掛けられた爆弾や迫撃砲、小火器といったローテク兵器によって生み出されてきた。


紹介記事2
"反逆者による攻撃で35名の米兵が負傷"
"Rebels injure 35 US soldiers in attack"

アンドリュー・バンコンブ ワシントン
インディペンデント紙 2004年1月8日
http://news.independent.co.uk/world/americas/story.jsp?story=479094

 国防総省は、反乱者がバグダッド西の米軍基地を迫撃砲で攻撃し、少なくとも35名の米兵が昨日負傷したと発表した。

声明によると、攻撃はサイツ兵站基地として知られるキャンプで現地時間午後6時45分に起きた。第3支援部隊の第541補修大隊の兵士が被害にあった。事件についてそれ以上詳細は分からない。

 「負傷した兵士は最初に手当てを受け、さらに治療を受けるためにその場所から避難させられた」と声明は述べている。

攻撃はイラクでの米軍行政官が勾留キャンプに拘束されている500人以上の囚人を解放すると告げたときに起きた。米軍は、解放は人権に基づく善意の行動であると言っているが、他の人々はそれらの囚人と攻撃とを結びつける証拠は何も無いと述べている。

軍当局者の一人は解放を待っている典型的な囚人像について、米の襲撃で網にかかった人であるが、その襲撃では「もっと危険な人物ら」が逮捕されおそらくは武器も押収されていると述べた。

これらの囚人の解放は、イラクの地域指導者の第一要求であった。ポール・ブレマー米軍行政官による声明では囚人の解放は恩赦であるとし、イラク人へ和解のプロセスが始まったとのメッセージを送りたいと述べている。

一方で、サダムの逮捕であると称する画像がアメリカ市民のウェブサイトに登場した。国防総省はいまだそれらを確証していない。

イギリス政府が昨年の5月1日からイラク人家族に補償として8,125ポンド払っていたことも浮かび上がった。国防大臣はそれが、英軍兵士が関係した事件で死んだ3人のイラク人の家族に支払われたと正式に認めた。その中には勾留中に拷問を受けて殺されたと言う肉親も含まれている。


紹介記事3
"アメリカは間違った人々を逮捕したと、イラク人の家族らは主張
サダム政権の多くの実際の罪人を自由にした一方、「最重要の指名手配者」は拷問されたとアメリカ人を非難"
"US has got wrong men, Iraqi families claim
Americans accused of letting many real culprits of Saddam's regime go free, while 'most wanted' were tortured"

ルーク・ハーディング
ガーディアン 2004年1月1日
http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,4827613-103550,00.html

サダム政権の崩壊以降にアメリカによって捕まえられた年長のイラク人の家族達が、昨夜、陳情を行った。彼らの親族は政権の重要なメンバーと間違えられたのであり、何人かは拘留中に拷問を受けた、と。

ガーディアン紙とのインタビューで家族らは、彼らの親族は8ヶ月もの間、罪もなく拘留され、身内のものとの連絡は赤十字の手紙を通してしか行えない、と語る。

彼らが公平な裁判を受けることは不可能とは言わなくても大変困難な事でしょう、なぜならアメリカは彼らが弁護士と面会することを拒絶しているのだから、と家族らは付け加えた。

米軍は、排除したイラク政権の「55人の最重要の指名手配者」達 ―― サダム・フセインを含む ―― アメリカは彼らを一揃いのトランプカードに飾り立てた ―― のうち、これまでに42人を捕らえるか殺害するかしている。

しかしながら昨夜、その親族達は、55人のうちの多くはサダム時代の残虐行為に加担してはおらず、一方で他の実際に責を負うべき人々が実際にはアメリカの注意から逃れている、と主張した。

囚人らは「警護抑留者」と分類され、現在、バグダッド国際空港内にある警護レベルの高いアメリカ軍刑務所にいると考えられている。

さらに親族らは、状況は現在では改善したが、米軍は最初の数日の尋問において何人もの囚人に対し拷問を行ったと主張している。

マホメッド・アル・ファイサル(その父親サード・ファイサルはイラクの前モスクワ大使)は昨日、彼が拘留によって受けた苦しみについて語った。

彼の父---リストの55番で、スペードの3---は30年間外交官として国外にいたが、戦争が起こる数日前にサダムにより罷免され、代わりにバース党の指揮官にされた。

米軍は7ヶ月前に彼を、その甥と一緒に逮捕した。

「彼らを尋問した人物はレバノンから来た。彼は私のいとこに、私の父親との関係について質問した。彼らはいとこを2週間拘留し続けた。いとこは目隠しされ、手錠をかけられ、光のない暗い部屋に閉じ込められた。そこは非常に暑かった。彼らは、父達に腕を上げさせ、失神するまで何時間もそのままの姿勢でいさせるという拷問を行った。」

彼は付け加える:「私のいとこは、隣の部屋から悲鳴があがるのを聞いた。彼は、これが実際のものか、あるいはテープの音かどうかは分からなかった。」

ペンタゴンは、米主導のイラク侵略以降に逮捕した5,000人のイラク人囚人に対し、睡眠剥奪という手法を用いることを許可しているにも関わらず、拷問はしていない、と否定する。

昨晩、バディ・アリフ・イザット(バグダッドの上級弁護士で最重要指名手配者55人の20番目に該当)は、続いて解放された拘留者の少なくとも1人は、アメリカによる拘留中にひどく殴打されたと主張した。

「彼らは、彼を腕を持ち上げた姿勢のまま、小さな暗い部屋の中に閉じ込めた。彼らが眠っている時に、米兵がやってきて囚人達を蹴りはじめた」と彼は証言する。

イザット氏(サダムの娘達から彼女らの父の保護について相談するため連絡を受けた人物)は、「最重要の指名手配者」のうちで弁護士との連絡が許されたものは一人もいない、と語った。

彼はイラクにおけるブッシュ政権のトップであるポール・ブレマーと論争を起こしたが、返答を得ることはできなかった。

「こういった類の裁判は、サダムの下でのイラクの裁判と大して違いがない」と弁護士は批判した。

囚人から出された手紙のいくつかは、10月に起こった赤十字社バクダッド支部への爆弾攻撃(これは赤十字社にイラク国外への撤収を強いた)の後、行方知らずになった、と彼は付け加えている。



●11月24日〜12月24日

●10月1日〜11月19日

●9月1日〜9月21日

●7月28日〜8月20日

●5月14日〜7月21日

●4月15日〜5月10日

●3月20日〜4月14日