わたしの雑記帳 番外編
2002年 メキシコ・スタディ・ツアー



PRO NINOS DE LA CALLE     2002.8.23 Photo by S.TAKEDA
ストリートチルドレンのためのデイサービスをおこなっている、NGO「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」(報告その2参照)。

朝食と昼食が出る。スタッフも子どもたちと一緒に食事(私たちもごちそうになった)をする。
毎朝、所長が新聞から星座ごとのその日の運勢を読み上げる。今日は運勢がいい、わるい、と沸き立つ子どもたち。スタッフとの関係も和気藹々(わきあいあい)だ。スタッフの全身から子どもたちへの愛情がにじみ出ているのが感じられる。今回のスタディツアーで、私の大好きなNGOのひとつとなった。
ミュージアムでのアクティビティ。
中央の女性は美術館の専門指導員。
素焼きのオブジェを提供し、絵の具、筆、すべて無料で貸し出ししてくれた。
細かく口出ししたりせずに、見守る。

かつて、絵の具など一度も使ったことなどなかった、絵も描いたことがなかった子どもたちが、今は上手に筆を動かす。
あきることなく、熱心に作品を仕上げた。

できあがった作品はデイセンターの窓際に並べられた。路上に暮らす彼らには、自分の大切なものを保管できる場所がない。


その1 ガブリエラ・ヒメネスの消息 2002/9/1

●ツアーに参加した目的


2002年8月21日(水)から30日(金)まで、ストリートチルドレンを考える会のスタディツアーに参加。私は3年前にも参加しているので今回で2回目。娘は3回目(2回目は2年前に一人で参加)。
再びこのツアーに参加した理由は、初めてづくしの3年前よりは少しは、会を通じてメキシコのストリートチルドレンのことが理解できていると思ったから。もう一度この目で実状を確かめてみたいと思ったから。そして、もうひとつ、昨年2月に会の招聘で来日したガブリエラ・ヒメネスや息子のガブリエルme010214参照)、病気で来られなかったママ・ビッキーにもう一度会いたいと思ったから。

ガブリエラの消息については、ツアーに出かける少し前から聞いていた。幼きシングルマザーの家NGO「カサ・ダヤ」を出たこと。息子のガブリエルの世話を実母に任せているということ。HIVに感染した彼氏とつきあっているらしいこと。
わたしたちより一足先にメキシコを訪れた会のメンバーから、カブリエラからの手紙を手渡された。簡単に訳してもらった手紙の内容では、来日の際の感謝の言葉とわたしたちのことをいつも思っていること、再び会いたいけれど会えないのが残念であることなどが書かれていた。しかし、そこには肝心の「カサ・ダヤ」を出たことや今の自分と息子の状況については何も書かれていなかった。

一度非行に走った子どもたちが、何度も行きつ、戻りつしながら、自らの人生を歩んでいくことは知識として知っている。なかなか平坦な道を歩みきれない。自分自身がとことん実感としてわかるまで、本人が納得するまで、それは繰り返される。周囲はただ見守るしかない。何度でもやり直しがきくのならそれもいいと思う。しかし、世の中には取り返しのつかないこともある。
HIV感染。今の医学段階においては、取り返しのつかないことのひとつだ。そういったリスクを抱えた彼氏と付き合うなとは言わない。ただ、ガブリエラがそのリスクをどこまで承知のうえで付き合っているのかが問題だと思った。ただ一時の感情に押し流されたされただけの結果だとしたら、彼女はきっと恐ろしく後悔をするだろう。そして、息子のガブリエルはどうなるのだろう。
HIV、エイズについて、ガブリエラはどこまで知識をもっているのか、それさえ定かではない。彼との付き合いのなかで、きちんと感染を避けるための措置をとっているのだろうか。
実の兄からの性的虐待に傷つき、自分自身を価値のないものとして、自らを傷つけて生きてきた彼女だけに、ママ・ビッキーの助けを受けて、今度こそ絶対に幸せになってほしいと願っていた。その彼女の未来が閉ざされようとしているかもしれない。心配になった。
ツアー5日目、メキシコ郊外にある「カサ・ダヤ」を私たちは訪れた。ガブリエラの消息がつかめないという話も聞いていたが、連絡がついて、私たちに会いに来てくれるという。


●「カサ・ダヤ」(愛を与える家の意味)創設者・ママ・ビッキーの話

ビッキーさんの説明のなかで、何百年もの歴史のなか何世代にもわたっての風習がメキシコの女性たちを追い込んでいることを聞かされた。
「マチズム」と呼ばれる男性優位社会。建前的には一夫一婦制の社会であっても、現実には一夫多妻で、男性は子どもをあちこちにもうけている。女性が避妊をしようとしても、男性がそれを拒むと女性は言いなりになってしまう。そのため多くの女性がたくさんの子どもをもっている。またカトリックという宗教上、ドラッグや買春は罪にならなくとも、避妊は罪だと思っている人びとも多いという。生まれてくるものは全て産むべきだと考える。

新しい妻に連れ子がいたとしても、前の男性との間に子どもがいるのだから、だったら自分の子どもも産めるだろうと考える。そして別れる時、子どもを女性のもとに残したまま男性は立ち去る。なかには14人もの子どもがいて、すべて違う父親から生まれたという例もあるという。家庭に責任を持たない男性は、もちろん養育費を支払うことなどない。
男性といえど左官や大工などの仕事にしかありつけず、稼ぎも少ないメキシコでは、その少ない稼ぎですら酒代に消えて、家計は女性が家政婦などして支えざる得ないことがままある。
母親が外に働きに出るなかで、幼い頃から女性は家事をさせられる。あるいは家計を助けるために、ものごいや家政婦の仕事に出されたり、場合によっては実の親から買春婦として働くことを強要される。満足に教育も受けられない。中学卒業が大半で、なかには小学校すら満足に出してもらえない少女たちもいる。そのために将来にわたってずっと経済的にも貧しくならざるを得ない。
少女たちにとって辛いことには、義理の父親からの性的虐待、レイプが多い。そして、そんな目にあっても母親は父親を責めることはしない。レイプされたのは娘のせいと考え、ライバル視することすらある。もしくは、仕方がないことだと考える。母親のなかには、娘が義理の父親からレイプされていることを知りながら、娘が家庭にいることを重視し元の環境に戻ってほしいと望むものもいる。そして現在のメキシコでは、児童・未成年者を虐待から守る法律がないという。親の権利が強く、親が主張すればNGOであってもどうしようもない。少女を虐待から守る術がないという。

貧しさゆえに満足な教育を受けられず、教育を受けていないために満足な職につけず、貧困家庭を何世代にもわたって繰り返す。政治は何もしてこなかった。将来にわたって希望が持てない。そんななかで、女性たちは、何事も仕方がないとあきらめ、妥協し、理想を低くしてしまう。
またスペインから征服され、虐げられ抑圧された人びとは上から押しつけられた期間が長かったために「去勢された人びと」とも呼ばれるという。
こうした何世代にもわたる悪循環を断ち切るために、カサ・ダヤでは教育の大切さを重視している。人権をまず知識として理解するために、そして安定した職につくために。もちろん、予算的な問題から満足いくだけの教育を受けさせるまではいっていないというが。
そして虐待で傷ついた少女たちに充分な愛情を注ぐことで、自分自身の人生を楽しむこと、生きることの素晴らしさを教えたいとビッキーさんは願う。ドラッグに耽り、自由気ままに生きていたストリート時代の体験から抜けだしきれない少女たちに対して、ストリートに戻ることより素晴らしい人生を自分自身で手に入れてもらえるようにと力添えをする。カサ・ダヤは少女たち一人ひとりが自分の内部の力で力強く飛び立つための滑走路としての環境を整えることを目指しているという。より優位に立つ第三者として彼らに力を与えてやっているのだとは考えていない。本来、そのひとが持っている力というものを心の底から信じているからこそ、言える言葉だと思う。
過去の虐待への傷に対しては、父親も母親も病んでいる社会の犠牲者であることを理解し、許すように努力するという。忘れてしまうのでもなく、恨むのでもなく、理解することで過去を乗り越えて前に進んでほしいと願う。そのために、セラピーなど様々なプログラムを用意している。


●ガブリエラとの再会
ビッキーさんは、外出予定時間が差し迫っていたにもかかわらず、時間を延長してまで、私たちに説明をし、質問に答えてくれた。
そして丁度、彼女が門を出ようとしたところで、彼を伴ったガブリエラと遭遇した。メキシコ的な抱擁を繰り返すママ・ビッキーとガブリエラ。それからビッキーさんは外出の予定も忘れたように、懇々とガブリエラとその彼氏に話しをしだす。言葉はわからなくとも、その熱意は充分に私たちにも伝わってきた。二人に話しをしたあとは、今度は彼だけに何事かを熱心に話していた。
その彼はつい先頃まで鑑別所に入っていたという。ベタベタと仲のよい二人。
そして二人はHIVの検査を受けて、現在、結果待ちだという。彼のほうはほぼキャリアに間違いないだろうということだったが。一見、元気そうに見える二人。幸せそうなカップル。ガブリエラの顔が少し痩せたにもかかわらず、体型が気になった。もしやと思って聞いてみると、なんと妊娠6カ月だという。お腹のなかには今の彼の赤ちゃんがいる。
「息子のガブリエルはどうしているの?会いたがったのに」と問うと、3人で暮らしているという。今日は母親が面倒をみてくれているという。ただ、言葉を濁しているのが雰囲気で感じられた。本当ではないかもしれない。もしかすると、ガブリエルを母親に預けっぱなしにして、新しい愛に突っ走っているのかもしれない。

妊娠6カ月。このことで、ガブリエラがエイズに対して、何の対策もとっていないことを知らされる。自分やお腹のなかの子どもには感染しないと信じているのかどうか。私自身、エイズに対する知識がさほどあるわけではないが、彼女が感染していたとしたら、お腹の子どもが母子感染する確率は高いだろう。「母乳でなければ少しはリスクを下げられる」とツアーに参加していた誰かが言った。しかし、メキシコで粉ミルクがどれほどの値段するのかは知らないが、それを買い続ける経済的な裏付けがガブリエラとその彼氏に果たしてあるだろうか。鑑別所に入っていたという彼に。そして、元ストリートチルドレンであり、カサ・ダヤを出た彼女に。

メキシコの鉄道車内で、道端で、公園で、ベタベタと身体を寄せ合うカップルをよく見かける。お国柄なのだろう。私たちが訪問した間にも、カサ・ダヤのシングル・マザーに男性からバラの花束が届いた。それをうれしそうに仲間に見せる女性。彼女にも、もちろん子どもがいる。
恋愛中は極めて情熱的なメキシコの男性。そして、自己肯定感が低いストリートチルドレンや元ストリートチルドレンにとって、ドラッグをやってなんでもできる気分になったり、恋人といちゃつくときだけが、自分自身の存在価値を実感できるという。
別のNGOで聞いた話だが、ストリートチルドレンの子どもに対して、「自分に値段をつけるといくらくらいになると思う?」と聞くと、「いくらにもならない」「100ペソ(1200円くらい?)の価値もない」と答えるという。子どもたちに自分自身の価値を自覚してもらうことが一番大切で、かつ難しいことだと、そのNGO職員は言った。それができれば、その子どもは放っておいても成長できる。きちんと自立できるという。

日本にきた時、ガブリエラはまだドラッグを完全にはやめられずにいることをシンポジウムのなかで涙を流しながら告白した。過去の傷を今なお癒しきれていない彼女。自分を大切にしきれず、一時の感情に押し流されてしまう、そんな危うさを持つ20歳にもならない若い母親。息子のガブリエルを愛おしいと話しながらも、男性の愛にすべてを捨てて飛び込もうとする彼女。
彼女には彼女の人生がある。それは誰にもどうすることもできない。しかし、息子のカブリエルにとって、唯一頼るへき母親である。そのガブリエルから母親の命をも奪いかねない。そして、ガブリエル自身にとっても、共に暮らせば、HIV感染のリスクをもたらす。新しい愛が彼女にもたらすものはなんだろうと考えざるを得ない。
子どもができてなお、ストリートから抜け出そうとしない若い父親に見切りをつけて、ガブリエルのためにシングルで生きることを選んだガブリエラ。あのまま路上にいたら、この子の命はないものと思ったと語った。彼と一緒にいたら、自分もガブリエルも幸せになれないと別れることを決心したと語った。だのに今、彼女の選ぼうとしている道は・・・。

彼は、自分自身がHIV感染していることを知りながら彼女を求めたのだろうか。そこに「マチズム」的なエゴはなかっただろうか。ガブリエラに甘えたように寄り添う青年。彼の瞳は暗い。その暗さにガブリエラ母子を引きずりこまないでほしい。
今はせめて、彼女が後悔して泣くことがないように、「こんなはずじゃなかった」と人生を恨むことがないように、それだけを願う。たった数日、寝食をともにしただけの私たちがこれほど哀しい思いをするのだから、ママ・ビッキーの心中は察して余りある。「マチズム」とその悪循環を断ち切るために教育の大切さと愛情を注ぐことの大切さを語るビッキーさんの無念さを思う。

追記:
「共依存」という言葉がある。自分に自信がもてない人間は、誰かに強く必要とされることでしか、自分の価値を確認できないのかもしれない。「自分を愛せない人びと」は、メキシコにも、日本にも共通する。特に若い世代に増えている気がする。人間をモノ扱いしてきた社会のツケだと思う。取り替えのきく部品。お金に換算される命。ヒトとモノとの違いがわからなくなる。人間として生まれてきたことの意味がわからなくなる。命の意味さえわからなくなる。


その2 NGO「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」 2002/9/8

私は今回はじめて、NGO「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」を訪れた。
ストリートチルドレンを支援するNGOにもさまざまなやり方、考え方があるのだと改めて知る。
設立動機、ミッションは、「ストリート暮らしをしている子どもたちに違う人生の選択の架け橋となること」「自分自身の選択・決意を尊重すること」だという。スタディ・ツアーのパンフレットには、「ストリートチルドレンがもつ、たくさんの可能性をのばし、彼らが自尊心を取り戻して、路上生活から抜けだし、新しい生活を始められるように支援する団体」「1993年5月28日設立。スタッフは元「カサ・アリアンサ・メヒコ」で働いていた人など、ストリートチルドレンとのつきあいの長い人びとが中心となっている」とある。
「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」は宿泊施設を持たないかわりにデイ・ケアセンターを持っている。
教育プログラムは3段階になっている。

1.ストリート・エデュケーターによる路上での活動。
「ストリート・エデュケーター」とは「路上の教育者」と訳される。路上に出て、ストリートチルドレンの実態調査を行ったり、衛生面や識字などの教育を行う。そして、最も重要な役割として路上の子どもたちを施設に誘う。
メキシコでは、日本の行政による措置制度のように、保護者のいない、あるいは保護者がめんどうをみられない子どもたちを児童養護施設に収容する制度はない。特に非政府組織であるNGOには、子どもたちに対する強制力はない。子どもたちをどうやって保護するか。ストリート・エデュケーターが一人ひとりの子どもにあって、一本釣りをする地道な仕事だ。

3年前のスタディツアーでは、NGO「カサ・アリアンサ・メヒコ」のストリート・エデュケーターと路上に出た。その時に、せっかく路上から子どもたちを施設に誘っても、気ままな習慣が身に付いた彼らは、施設を抜けだしてすぐに路上に戻ってしまうのが彼らの最大の悩みだと聞かされた。施設ではシンナーやドラッグも禁止される。就寝時間、起床時間が決められ、1日のスケジュールが管理される。施設でけんかをしたりするとすぐに路上の仲間が恋しくなる。一時保護施設の鉄柵にしがみついて仲間を呼ぶストリートチルドレンを何度も見かけた。そのために施設には警備員が常駐し、扉には鍵がかけられていた。
ドラッグや仲間の誘惑を断ち切れずに何度も施設と路上を行き来する子どもたちは多い。
また、メキシコシティには様々なNGOがあるため、仲間うちの情報からより待遇のよい施設に子どもたちが行きたがるという話しも聞いたことがある。

多くのNGOではストリート・エデュケーターたちが、必死に子どもたちを施設に誘う。路上にいてはあなたの人生がダメになる。一日も早く、目をさまして、安全で清潔な施設にいらっしゃいと言う。
ところが、この「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」ではすぐにはデイ・ケアセンターに子どもたちを誘うことはしない。最初は自分がストリート・エデュケーターであることさえ隠しているという。
身分証を示して、自分はストリート・エデュケーターだから、安全な人間だから、施設においでと誘う他のNGOに比べて、身分を明かさないということはどういうことなのか。時には、サーカスの人間で、スカウトに来ているとウソまでつく。
「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」では、まず子どもたちと知り合い、信頼関係を築くことを重視する。そのために、サーカスの道具を使ったり、ゲームを使ったりと、さまざまなアクディビティを用意して、子どもたちに近づく。
なじんだ頃合いをみて、デイ・ケアセンターに誘う。それも、けっして無理強いはしない。自分の意思でぜひデイ・センターに来たいという子どもたちだけを対象にする。

2.デイ・ケアセンター
対象は10〜17歳(メキシコでは18歳から大人とみなされる)の毎日ストリートで寝起きしている男子
なぜ男の子なのかの私たちの質問にスタッフが答えてくれた。ストリートチルドレンは圧倒的に男の子が多いこと(最近は、少女も増えているというが)。理由として、女の子は家の中で役割を与えられ、家事手伝いなどのあてにされるが、男の子は物乞いや売り子などして、外で稼いでこいと言われるので外に出やすいという。
今は、場所も人手もないので、男子のみを対象にしているという。

デイ・ケアセンターに通うさいに、子どもたちに3つの約束をさせる。
(1)暴力を振るわない
(2)ドラッグ(シンナーも含む)を使用しない
(3)(アクティビティなどに)積極的に参加する


デイ・ケアセンターは朝9時から4時半まで、土日をのぞいて毎日開いている。
ここではまず、子どもたちに清潔な生活習慣を身につけさせる。9時の開所と同時に子どもたちはシャワーを浴び、洗濯をする。寄付で集めた清潔な衣服を与えていることもあるが、ここに通ってくるストリートチルドレンたちはいずれも、こざっぱりとした身なりをしている。悪臭もない。
そして10時半からスタッフとともに朝食。
私たちが訪れたときは朝食タイムで、スタッフのひとりが新聞から、「星座別その日の運勢」を読み上げていた。

デイ・センターでは様々なアクティビティを用意している。工作やゲーム、スポーツ(サッカーやバスケット、スケートなど)やキャンプ、遠足、映画鑑賞など。また、子ども向けの図書や教科書、地図なども用意されており、読み書きも教える。ビデオや教材を使って、ドラッグの害などについても教える。
子どもたちが楽しいと思う活動を通じて、自分自身の能力や才能にも目覚めるという。
絵の具を生まれから一度も使ったことがない、絵を描くことも知らなかった子どもたちが、徐々に使い方を覚え、作品をつくりあげていくという。
ここでは、子どもたちに「路上にいるより楽しい」と思わせることが重要だという。そのためにスタッフは愛情を込めて子どもたちと接し、共に学び、共に遊ぶ。両親の愛を得られなかった子どもたちのなかには、ベタベタとスタッフにまとわりつく子どももいる。そういった子どもに対して、スタッフは思う存分甘えさせる。スキンシップを大切にする。

3.人生の選択
デイ・ケアセンターは子どもたちにとって通過地点でしかない。1.2.の過程を通じて、やがて子どもたちはストリートではない場所に定住することを望むようになるという。

スタッフは子どもとの話し合いを通じて、
(1)施設の紹介
(2)自分の家に帰る
(3)独立して暮らす

などの人生の選択を手伝う。

スタッフが家庭訪問をして、子どもの親と話し合うこともある。子どもが家に戻ることを望まない場合、他の定住ホームやグループホームなどを有する施設を紹介する。また、特に16、7歳であれば、一緒に目標や計画をたてて、学校や職業訓練を援助して、独立して暮らせるようにすることもあるという。
また、半年から2年の間、フォローアップする。現在も58名の子どもたちと会い、その後を追っているという。


私たち数人のグループはその日、子どもたちのミュージアムでのアクティビティに参加した。
バスでミュージアムへ。芸術作品の鑑賞かと思いきや、職員が指導して、素焼きのろうそくたてに色を塗るという作業を中庭で体験した。素焼きは「命の木」。りんごの木の下にアダムとイブがいて、中央にヘビ。花は7つの罪を現しているという。ヘビにそそのかされて、アダムとイブが知恵の実を食べたこと、そのために7つの罪が生まれたことなどの説明があった。そのあと、絵の具を使って思い思いの色を塗る。
最初は面倒臭がっていた子どもたちも、だんだん夢中になりはじめる。子どもの一人が、スタッフに何事かを注意され、庭のすみにつれていかれた。おそらくは、こっそりとシンナーをやっていて見つかったのだろう。一旦、みんなのそばを離れたその少年もやがて戻ってくるとみんなと一緒に色を塗り始めた。
1時間くらいは経過しただろうか。子どもたちは根気よく、色塗りを続けた。最初は見本どおり塗っていた子どもたちも、それぞれ自分らしさを出していく。全員が課題をやりとげ、誇らしげに作品を見せる少年たち。
最後にミュージアムの職員が全員におやつを出してくれた。
何かに集中してやり遂げた充実感。それがシンナーを吸っている時より楽しいと思えたら、きっと子どもたちはシンナーから立ち直れるのだろう。

できあがった作品はデイ・ケアーセンターの窓際に並べられた。それを見たとき、一人ひとりの少年に、自分自身の作品を飾るべき家もないことを思い知らされた。それでも、ここには少年たちの作品が並べられている。
路上に暮らし、多くのものを持たないストリートチルドレンにとって、自分のものに対する執着はかなり強いことを以前、聞かされた。元ストリートチルドレンの少年が、わたしたちにプレゼントしてくれるつもりだった画用紙に描いた絵をみんなにほめられて、あげたい気持ちはあるのだけれど、惜しくなってしまったときに、元ストリート・エデュケーターだった日本人の女性から聞かされた。このデイ・ケアセンターは、その大切な自分のものを安心して預けることのできる場所でもあるのだと思った。

素焼きの燭台は、欠けているものがあったり、左右逆のものもあったりして不揃いだった。それでも、一人にひとつ。絵の具もふんだんに使った。場所は本来は、お金を払って入るミュージアム内の緑あふれる中庭。
料金はどうなっているのか。「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」が支払ったのか気になって、聞いてみた。
全部、無料だという。

このNGOは、基本的に他のNGOとよい関係を築く努力をしているという。たとえ細かな点で、方針が異なっていたとしても。宿泊施設を持たない、規模のちいさなNGO「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」は、他のNGOとの協力関係なしには、何もできない。ストリート・エデュケーター同士の情報交換も大切にしているという。
運営資金はすべて寄付に頼る。そのために、教育部門とは別に、財政部門を持っているという。
大半はメキシコ人で、多くのひとから広く、少しずつ資金を集めることをしているという。(NGO「カサ・ダヤ」でもママ・ビッキーが言っていた。大手企業は宣伝効果のある社会的に注目されているところにしか寄付をしたがらない。小さなNGOは小口の寄付をたくさん集めなければならないと言っていた。)
資金を集めるためにイベントを催す。そのパーティで人を集めるときに、寄付を呼びかけるだけでなく、子どもたちへの理解を深めてもらう努力をしているという。
そのことで、たとえば今回のミュジアムの経営者のように、子どもたちのアクティビティとして、こういう企画はどうかと先方から積極的に働きかけてくれるとことが多くあるという。ほかにカンフー・セミナーをしないかという申し出があったり、政府主催のコンクールに出ないかという誘いもあるという。

日本でもNPOにしても、草の根団体にしても、この不況下寄付集めには苦労している。しかし、日本ではお金だけを要求して、団体に対して真の理解を深めてもらう努力はあまりなされていないように思う。ただ金を出すだけ、あるいは人的交流といっても、単なる天下り先にされてしまう。もしくはリストラ前のワンクッション。互いのよさが生かし切れていない。もっと、同じ問題について一緒に考えていく、知恵を出し合うという形の協力があってもいいと思う。

「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」のスタッフはどういうひとがなっているのか。仕事がとてもきつく、給料も安いと聞いているにもかかわらず、みな笑顔が輝いてみえる。子どもたちへの愛情と信念がみえる。他のNGOと比較しても、スタッフのやる気の高さが感じられた。
ほとんどが大卒もしくは修士課程を修了したスタッフで、様々なセラピーの訓練も受けているという。経験が重視され、他のNGOから流れてきたスタッフも多いという。
ストリートチルドレンのために何をどうすれば、一番、彼にとってよいことなのか。試行錯誤していくなかで、ようやく納得のいく場所に辿り着いた。自分たちで考え行動できる場所に辿り着いた。というふうに、私には見えた。大きなNGOは力もあるが、組織の大きさゆえに官僚的になる。同じスタッフの中にも何層もの階層ができ、上には現場の声が届きにくくなる。そんななかで不満を持ち、きつい仕事に耐えきれず辞めていくスタッフも多いと聞く。自分たちのしていることは本当に子どもたちのためにはなっているのか、疑問を抱くひともいる。組織は、資金は、誰のために回っているのか疑問を抱くようになる。そういう話を何人ものNGOスタッフから聞かされてきた。それはメキシコでも、おそらく日本でも共通する問題だろう。

「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」には、ストリートチルドレンのために、従来のやり方にはない方法を模索する人びとの創生期の情熱と勢いがある。
彼らはこの方法で、1997年から今まで204人の子どもたちを路上生活から脱出させた。今年の目標は40人という。

「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」のスタッフと共に、路上の子どもたちに会いにいった体験については、また別の機会に報告したい。


その3 ストリートエデュケーターとともに路上へ 2002/10/4
ストリートエデュケーターとともに路上に出たのは、前回スタディツアーに参加した時と、今回で2回目。
前回はカサアリアンサ・メヒコという別のNGOスタッフと一緒だった。男女ペアで1組。私たちツアーからの参加者が2名と通訳1名。計5名と、けっして大人数では行動しない点では共通する。

カサアリアンサとプロニーニョスとの大きな違いは、ストリートエデュケーターという身分を明かすかどうか。
カサアリアンサのスタッフは首からNGOの職員であること、ストリートエデュケーターの写真つき証明書を首からぶら下げていた。一方で、プロニーニョスでは、ストリートエデュケーターであることを子どもたちに隠している。サーカスの団員で子どもをスカウトに来ているといわば「だまして」、子どもたちに近づく。
また、カサアリアンサでは定期的に同じ場所に通い続けるのに対して、プロニーニョスはある程度通って、子どもたちをデイサービスに誘っても脈がないとわかると、場所を移動する。

どちらのやり方がいいのか、断定できるほどの知識は私にはない。ただ、プロニーニョスのスタッフの多くは、カサアリアンサなど他のNGOから流れてきている。それから今回、いささか残念な話を耳にした。カサアリアンサ・メヒコの新しい所長は行政からの天下りだという。そのために、スタッフも官僚的体質になって、以前からいる熱心なストリートエデュケーターはみな辞めてしまったという。
このことは、別の年度のスタディーツアーに参加したひとからも聞いた。路上の子どもたちに対してカサアリアンサのストリートエデュケーターが、「こんなところにいたらロクでもない」「のたれ死にするだけだ」と脅し、半ば強制的に施設に連れていったという。今回、訪れたカサアリアンサ・メヒコの避難所での様子も3年前とは違っていた。食堂で以前は和気藹々とした雰囲気でおしゃべりも盛んだったのが、食事中の私語が禁じられ、みなそそくさと食事をして、プログラムに参加するために全員がいなくなった。もちろん、私たちが見ることのできるのはほんの一部であり、それをもって全体を論じるわけにはいかないが。

子どもたちと信頼関係ができるまで正体を証さない。それは、さまざまな試行錯誤のうえでの選択に思えた。
ストリートチルドレンと接するうえで、いくつかの注意事項がある。

・モノやお金を与えない
・荷物を最低限にする
・華美な服装をしない
・不用意に近づかない。特にシンナーでラリっている時は要注意
・子どもたちの周囲にいる大人とけんかをしない


貧しい子どもたちを見ると私たちはすぐに、いくらかでもお金をあげたいと思ってしまう。しかし、子どもたちはそのもらった金でシンナーやドラッグを買う。また、お金をもらって生活が成り立つことを覚えれば、ますます路上暮らしから抜け出せなくなる。同じように品物をあげても、お金に代えてしまう。あるいは快適な路上暮らしを覚えてしまう。

荷物は最低限にする。前回はリュックサックにカメラを入れて持っていくこともOKだった。いきなりカメラを向けることは禁じられたが、子どもたちとの関係ができてから、相手の許可をとっての撮影はOKだった。市場にある広場でストリートチルドレンたちとサッカーを楽しんで、そのあと写真を撮った。子どもたちは自分を撮ってくれとねだった。写真を送ってほしいと言われて、会のメンバーが次にメキシコに行ったときに(メキシコは郵便事情が非常に悪い。届かないことがよくある。特に写真は他人が写っているものでもほしがって取ってしまうひとがいるとか。まして相手は居場所の特定できない路上の子どもたちだ)、ストリートエデュケーターを通じて写真を渡してもらった。
今回は、バックも財布もカメラもすべて、事務所に置いていかされた。
メキシコは治安が悪い。そのうえさらに治安の悪い場所に行く。特に混雑する地下鉄やバス、乗り物は要注意で、現地に長年住んでいる日本人やメキシコ人でさえ、警戒して混んでいる車両には乗りたがらない。バッグ等は刃物で切られて、中身を盗まれるという。

今回は前回よりさらに少なく、スタッフ2名とツアーの参加者は1名。プラス通訳1名。贅沢といえば贅沢な人員配備だ。男女ペアのそのスタッフがここ一週間通い続けているという広い道路に面した小さな公園へと行った。
公園には、2匹の大型犬とともに3人ほどの子どもたちが、もう昼近いというのにまだ寝ていた。
夜は危険が多いので、子どもたちはおちおち寝ていられない。また、夏でも夜になるとかなり冷える。そのため、子どもたちは夜起きていて、昼間寝ていたりする。公園に向かう途中でも、すぐ横を車がバンバン通る歩道で、子どもがひとり大の字になって寝ていた。以前、訪れたことのある元ストリートチルドレンの女の子たちの定住ホームで、少女たちは「夜、恐くて寝られなかった」「警官から襲われることもあった」「大人や、同じストリートチルドレンの男の子たちから集団でレイプされた」という話しを涙混じりに話してくれた。

多くの子どもたちが寂しさを紛らわすためか、野良犬と一緒に生活をしている。は子どもたちを守っている。危害を加えようとする大人に対してはキバを剥くという。
また、信心深いこの国の人びとは、路上生活者といえど、宗教画や十字架、ロウソク立てを祭壇を設けて飾っていたりする。ここでも公園の植え込みのなか、木の下に祭壇があった。

その小さな公園には、夫婦らしい路上生活者の大人がいた。彼らの機嫌を損ねると一緒に寝起きしている子どもたちにあらぬことを吹き込んで、NGO職員との仲を割いてしまうという。そのため、彼らとはけんかができないのだという。
私たちが子どもたちとゲームをしたり、話しをしている間、コロコロとアスファルトの上をプラスチックの容器が転がった。一緒に路上暮らししている大人たちが、子どもたちにシンナーを売っている。同じ弱い立場にある大人たちがさらに弱い子どもたちから金をまきあげ、代わりにあきらに身体に害のあるものを提供している。
化粧水のびんくらいの大きさで、わずか10円程度の安さだ。その日、見たのは水溶液状のもの。メキシコでは靴の修理などに使われる接着剤も多様されている。以前、公園で一緒にサッカーをして遊んだ路上の子どもたちはティッシュにシンナーを吸い込ませて、指しゃぶりをするような格好でシンナーを吸っていた。

その日、子どもたちのノリは悪く、ひとりはしばらくは一緒にサーカスのピエロが使うようなディアプロ?というオモチャを回したり、棒を2本のバチのようなもので操る練習をしたりしたが、そのうちあきて、どこかに行ってしまった。シンナーをやっていると集中力や持続力がなくなるという。子どもたちはあきっぽくなる。
その子どもの興味をひくために、スタッフはいろんなことを考える。「山猫ゲーム」という新しいゲームをやった。
紙の盤にいろいろな絵が書いてあって、ひとつひとつに穴があいている。カードをめくって出た絵柄のところに、手持ちのピンを刺していく。山猫のように、反射神経が必要な遊びだ。

私たちと一緒にゲームをした少年は10歳くらいだろうか。片手にシンナーの入った白い容器を持って、容器のふちに鼻をつけて嗅ぎながらゲームをした。最初のうちはカードに反応してピンを刺せていた少年が徐々にだるそうになり、動きが緩慢になって遅れをとるようになる。しかも、だんだんイラついてきて、後からピンを持ってきて、自分が先だと言い張る。
スタッフのひとりが少し馬鹿にした口調で言った。「最初は素早くできたのに、シンナーのせいで頭がぼうっとして働かないからバカになって、ゲームに勝てなくなったんだ」
わざと負けてやったりはしない。ただし、完全にあきらめてしまわないように、それなりのスピードで時々はわざとゆっくりと。そこで悔しいと思わせる、シンナーさえ吸っていなかったら勝てたのにと思わせるのが狙いだとか。少年はそのうち、容器のフタがわりにしていた新聞紙を口に入れた。目がトロンとして酩酊状態だった。
やがてゲームにあきてしまい、「やめる」という。スタッフはあっさり引き下がって、「またね」と言った。

けっして無理強いはしない。しかし、その目には哀しみが見えた。この少年をなんとか救いたいけれど救えない。本人がその気にならなければ、他人の気持ちだけでは救えない、すぐに施設を抜けだして元にもどってしまう。とても非効率的で地道な仕事だ。けれど、スタッフに路上の子どもたちに対する惜しみない愛を感じる。

途中、カサリアンサのスタッフが偶然、同じ場所に現れた。子どもに対する対応がまるで違って見えた。彼らは子どもたちに説教をして返った。
そういえば以前、カサリアンサのスタッフは子どもたちにお菓子を与えていた。ゲームなどに参加すると褒美としてお菓子がもらえる。それ目当てに子どもたちは参加する。
プロニーニョスのスタッフは一緒になって遊ぶだけで、お菓子もモノも与えない。施設にも誘わない。子どもたちのほうから、「連れてって」というのを根気よく待っている。カサリアンサのスタッフが子どもたちと話している間はただそっと見守っていた。

NGO職員同士、縄張り争いのようなことは起きないのかと聞いてみた。時には、互いに知らずにかち合うこともあるという。しかし、プロニーニョスにはデイセンターだけで宿泊施設はない。定住ホームもない。役割がそれぞれ違うのだから、他のNGOとの関係は大切にしたい。子どもたちにとってよりよい場所が選べればいいと話す。また、ストリートエデュケーター同士の情報交換は大切だという。スタッフの人数には限りがある。1日中歩き回っても、探している子どもがみつからないこともある。交通事故にあっていたり、警察にひっぱられたり、どこかよそに移動したり。警察があてにならない国で、NGOの情報が子どもたちを探す唯一の手がかりとなる。
この日も公園のあと、スタッフたちとともに行方がわからなくなった子どもたちの所在を探して、繁華街や雨水の溜まったきたない地下道を歩き回った。
司教がメキシコシティを訪れた時期にあわせて、ストリートチルドレンたちが一掃されたという。少し大きな公園には警官がいっぱいいた。

メキシコでは多くの子どもたちが虐待を逃れて路上暮らしをしている。貧富の差が激しく、一般市民とてけっして裕福ではない。路上の子どもたちと貧しい家庭の子どもたちとの落差は大きくなく、移行しやすい。
親に働いた金を搾取されることない路上の暮らしはある面、気楽だ。一方で、子どもたちは親の愛を求めている。愛されたいのに愛してもらえない。身内からの殴る蹴る、ネグレスト、性的虐待。苦しさを紛らわすために、寒さと飢えを忘れるために、シンナーを含めたドラッグを使用する。
ドラッグで中毒死、無防備なセックス、入れ墨の針の回し使いによるHIV感染、交通量の多いなかでのパフォーマンスで交通事故、ドラッグで酩酊状態になり、メキシコ大地震のあとの廃墟で暮らす子どもが転落死する。
商店から頼まれた警官がアルバイト代わりにストリートチルドレンを暴力をもって排除する。大人たちのあるいは仲間の少年たちによるレイプ。自由と隣あわせに、「死」がある。また、満足な教育を受けたことのない子どもたちは文字さえ読み書きできないまま大人になる。仕事がない。いつまでたっても路上生活から抜け出せない。

メキシコ・シティにはたくさんのNGOがあるが、ほとんどのNGOが支援するのは18歳(成人)まで。
長く路上にいればいるほど、普通の生活には戻れなくなる。以前に出会った子どもたちが、路上でだんだんとすさんだ生活をしている消息を聞くたびに胸が痛む。
虐待を逃れて路上に逃げてきたばかりの子どもたちの目はまだ希望の光を宿しているそれが何年かするとシンナーやドラッグで目が血走り、人なつっこい笑顔も出なくなる。まるで年老いたひとのような表情。子どもたちが確実に壊されていく。

傷ついた子どもたちには、救いの手もそれが救いであることがわからない。子どもたちは、子どもであるがゆえに目先のやさしさにだまされやすい。自分に対して厳しいものを、それが愛情から出たものであっても敬遠してしまう。そして再び傷つく。何度も傷つけられた子どもたちはひとを信じられなくなる。
たとえ路上であっても仲間と暮らしているうちはまだいい。ひとりになったとき、とことん落ちていく。
ドラッグは子どもたちを分断する役割を果たす。ラリッた状態では通常の人間関係が結べない。会話さえ意味をなさなくなる。だんだんと根気がなくなって投げやりな態度、言動が多くなる。仲間は離れていく。孤独感からさらにドラッグにはまる。行き着く先は「死」。

日本だったら強制収監するだろう。実際に戦後、浮浪児、戦災孤児、引き上げ孤児と呼ばれた子どもたちは強制連行された。ただし、ほんとうに子どもたちのことを思ってではない。治安維持のために、子どもたちを収容する。豊かになった今の日本で目的は人道的なものに変わっただろうか。表面上はそうかもしれない。しかし、その内実は変わっていないのではないか。入れ物、つまり施設は確かにきれいになって、個室をもらえるところも出てきたみたいだが。子どもたちを道具のように考えるこの国で、きちんと人権が守られているか、尊重されているか、疑問を抱く。最近思う。人権とは、ひとが幸せに生きる権利のことではないかと。この世に生まれてきた人にはみな幸せになる権利があるのではないかと思う。その権利を奪ってはいけない。

貧しいメキシコ政府に、国の金を使って路上にあふれる子どもたちをすべて収容することはできない。そこから生まれたのがNGO施設だ。どこも資金には苦労している。しかし、そこには試行錯誤しながらも、ほんとうに子どもたちのためになることは何かを一生懸命に考えて、実行しようとする人びとがいる。

措置制度で収容されて管理される日本の子どもたちと自らの意志で施設を選び迎え入れてくれるスタッフとともに自立の道をさぐるメキシコの子どもたち。徹底的な違いは、子どもたちの意志の尊重。選択権。意見表明権。
子どもたちの安全を考えたら、未来を考えたら、強制的であっても、大人たちがきちんと守り育てるべきだという意見もある。たしかに、子どもの命にかかわる問題だけに、意志だけを尊重してよいものかどうか。
子どもたちにとって、どちらがほんとうに幸せか、私の中でまだ答えは出ない。ほんとうは、そうであってほしい大人たちが子どもたちを説得できなければいけないと思うのだけれど。子どもたちは納得のうえで、自分の意志で自分の幸せを掴むための選択ができるといいのだけれど。

スタディツアーから1カ月が経過。そろそろ思い出して書くことが面倒になり始めている。その気持ちを奮い立たせて、なんとか忘れないうちに、思いつくままとめどなく書いている。メモ書きのようなもので、きちんと文章にはなっていないかもしれない。必要なところだけ読み取ってもらえればと思う。まだ、書き留めておきたいことはたくさんあるけれど、共有したい情報がたくさんあるのだけれど。メキシコの子どもたちのことを心のとどめておくためにも、もう少しこの報告を続けたいと思う。お付き合いいただければ幸いです。


その4 ドラッグ依存症の子どもたちの更正施設「オリン」 2002/12/7
●ドラッグの問題

メキシコではストリートチルドレンの98%以上が、シンナーなどなんらかのドラッグをやっているといわれる。
ドラッグは子どもたちを保護するNGO団体の最大の悩みでもある。私の知る限りのNGOでは、施設内でのドラッグ使用を禁じており、ドラッグの害を教えるプログラムを持っている。
それでも子どもたちは、せっかく施設での生活になじんだ頃、ドラッグの誘惑に勝てず、路上に舞い戻ってしまう。一度は決意してやめていても、仲間とけんかしたり、職員ともめたり、ちょっとしたことがきっかけで、子どもたちはまたドラッグをはじめてしまう。

元カサ・ダヤのガブリエラ・ヒメネスが来日したときも、シンポジウムのなかで、今でも辛いことがあると、ドラッグに逃げてしまう、今だ完全にはやめられないことを涙ながらに告白した。
このツアーで「カサ・ダヤ」を訪れたときにも、様々なセラピーをプログラムに取り入れているとの話から、私がアロマセラピーの活用について質問したところ、ママ・ビッキーは「シンナーなどのドラッグをやっていた子どもたちにとって、強い臭いはシンナーを連想させてしまいます。タブーなんです」と苦笑いしながら教えてくれた。

そのシンナーやドラッグをメキシコやアメリカその他、外国だけの問題だとは、私は思っていない。
大人たちが知らないだけで、日本でも現実には私たちの想像以上に子どもたちの身近にドラッグがあると思っている。当然、使用している子どもたちもたくさんいるのではないか。ただ、未成年でもあり、個人的な問題として、警察もあまり犯罪視していないことから、数値としてあまりあがってこないだけだと思っている(少年犯罪白書などで発表される年間に数人程度の補導人数を実数だとは思っていない)。
そして、時折、ニュースの端々に、その時々で、睡眠薬や咳止め薬、シンナー、幻覚剤、幻覚きのこ、覚せい剤など流行があることを知る。そして意外にも主婦やサラリーマン、子どもたちにまで広がっていたことを知る。
ただ、それも他の多くの問題と同じく、特殊な家庭の特殊な子どもたちの問題として片づけようとする。見たくないものは見ないようにと、耳をふさぎ、目を塞いでいるだけだと思っている。その間にますます問題は深刻化していくだろう。今に日本でも、嫌でも真剣に取り組まざるを得ないときが来ると思っている。

こういう状況も踏まえて、今回のスタディツアーでは、ドラッグの害と各NGOの取り組みについて、しっかりと学んできたいと思っていた。事前に希望を出していたこともあり、ドラッグを子どもたちにやめさせることに正面から取り組んでいるNGOに今回、行けるというので非常に期待していた。

●ドラッグの影響(ここではメキシコのNGO施設職員から聞いた知識を主に書いている)

まず、基本的なこと。ドラッグの種類には、ボンドやシンナーなどのほかガソリン、睡眠薬などの錠剤、コカインやマリファナなど幻覚作用のあるものなどがある。メキシコではシンナーや接着剤が大半をしめるが、最近ではコカインも増えてきたという。

シンナーや接着剤は安価で、街で簡単に手に入る。シンナーは化粧水ビン大の大きさで10円程度。食べ物を買うより安い。子どもたちはティッシュに含ませたり、ビニール袋に入れたりして吸う。同じ様なもので、靴の修理などに使う接着剤がある。これらは学歴が低い、貧しい人たちに多いという。
高学歴の人は、値段は高いがもっと刺激の強いコカインなどにはまりやすいという。パーティなどで知人を通じて手にいれると聞いた。

中毒の段階は4つ。
1.ためす時期   このときからすでに中毒の可能性が生まれる
2.機能的時期  学校に行くなどの最低限の責任を果たすことはできる
3.非機能的時期 学校に行けない、約束を破るなど社会のなかで責任が果たせなくなる
4.依存時期    ないと生きられない

シンナーなどのドラッグの具体的な影響としては、
骨が溶けるため歯がボロボロになったり、身長が伸びない。
(とくにマリファナ・コカインは)心臓・血管に害を及ぼす。
ショック死することもある。
怒りっぽくなったり、根気が続かなくなる。
やめたときに鬱状態になる。不安感。
神経をやられる。
幻覚や幻聴、皮膚のうえを虫がはいずり回るような感覚がする。
フラッシュバックしてやめたときに突然、影響が出ることもある。
脳細胞が破壊されて知恵遅れになる。廃人になることもある。
いずれにしても、吸い続ければ死ぬしかない、という。

●「オリン」の方針とスタッフ

施設名は「オリン」。古いメキシコの言葉で、変化、変身を意味する。

ここでは13歳から17歳の男子のストリートチルドレンを対象としている。(近頃では女子のストリートチルドレンも増えたが、全体的に男子が多い)
施設は普通のNGOのグルーブホームと変わらない雰囲気だった。高い塀があるわけでも、想像していた病院のような雰囲気でもなかった。部屋は2段ベットのある8人部屋でカギはない。
そこで出会った少年たちに凶暴な雰囲気はなく、いわゆる普通のストリートチルドレンと変わらない。

それもそのはずで、スタッフの説明から、この施設の子どもたちはドラッグ中毒で手がつけられず治療のために無理矢理連れてこられた子どもたちではないということを知る。
施設の方針は、「来るもの拒まず、去るもの追わず」。自らの意思で、ドラッグをやめたいと思って、自分でやってきた子どもたちばかりだという。自分の意思を大切にする。
そこで思い出すのが、「子どもの権利条約」。日本の教育に最も欠けているもの。子どもの自己決定権。
ここでは条件として、自分の意思を見せなくてはならないという。誰かが強制するのではなく、律するのは自分自身。それは考えようによっては高いハードルとなる。実際に自ら望んでここに来たものの規律が辛くて出ていくものも多い、何度もやってきては途中で挫折する子どももいる。

このやり方が果たしていいのかどうか、正直なところ、私にはわからない。
多くの子どもたちが家族からの虐待や遺棄で路上暮らしをしている。子どもたちは心に深い傷を持っているこの社会状況のなかで、彼らがドラッグに逃げること、はまるには、それなりの理由がある。それだけに周囲の大人から無理矢理にではなく、自ら選んでドラッグをやめようとしてこの施設に来る子どもがいること自体が驚きだった。
ただし、そういう意思のある子どもたちは、ストリートチルドレンのなかのほんの一握りに過ぎないだろう。そのほかのもっと多くの、親にさえ見放されて自分自身を大切にすることすら知らない子どもたちを放っておいていいのだろうか。その子どもたちの心と体が蝕まれていくのを、ただ黙って見過ごしていていいものかどうか。
本人の意思決定とはいっても、そこに自分で選択できるだけの正しい知識なり、自己肯定感なりがなければ、本当に選んだことにはならないのではないか。

一方で、メキシコのような厳しい経済状況下、政府の援助を受けないNGOならばなおさら、資源には限りがある。すべての子どもたちを救うことはできないならば、まずは自らを救う意思のある子どもたちから救うのは、順当なことのようにも思える。また、NGO職員の苦労、ようやく路上からすくい上げた子どもたちがあっさりと元の生活へと自ら戻ってしまうことのむなしさ、やるせなさを考えれば、より効率のよい方法をとるのもやむを得ないかと思ってしまう。

ただ、とても残念なことに、私自身は自分の目で見たオリンのスタッフのなかに、救ってやる側の人間の傲慢さみたいなものも強く感じてしまった。
スタディツアーでは短期間に、いくつものNGOを訪問する。それだけにスタッフの子どもに接する態度、考え方の差が見えやすい。プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェの子どもたちのためにスタッフが真剣に悩み、模索しながらも共に歩んでいこうとする姿勢とはあまりにも雰囲気が違う。子どもたちを管理しようとする、コントロールしようとする大人の目を強く感じる。もちろん、ドラッグをやめさせるためには、生半可な同情心だけではやっていけない。厳しさが必要になるのだろうが。

●「オリン」のプログラム

プログラムは主に4段階あるという。
第1段階 いわゆる「毒ぬき」の時期。毒の浸透を医師が脳波などを調べて健診・検査しをする。
第2段階 半閉鎖プログラム。

2−1 1カ月 外出できない。
    その間に子どもたちは治療を続けられる意思を示さなければならない。

2−2 個人的な接触・コンタクト。
    自分のことを知り、自分に必要なことは何か、自分が満足することは何かを考える。

2−3 グループコンタクト
    社会化の過程。子どもが社会に慣れる。社会が子どもに慣れる。
    自分が育ったサークル以外の社会にも接触する。
第3段階 統合。外の世界との統合。
職業訓練など。
第4段階 個人の必要性。独立の準備。

1〜4までの段階を各1カ月ずつ、4〜6カ月間をこのプログラムにかける。ただし、子どもがすぐに家に帰りたい場合、1〜2週間で終わらせる。
また、最終的に条件が整い、子どもが望んでいる場合は、家族との再統合を行う。

子どもに関わるスタッフには、コーディネーター、ソーシャルワーカー(書類なども作成)、アドバイザー(活動の監視)、ライフプランナー(生活企画。一人ひとりに人生の設計を立てる手伝い)、カウンセラー、看護婦、などがいる。

また、施設では子どもたちに暇を与えない。時間があるとドラッグをやることばかり考えるようになるので、アクティビティを常に計画し、考える時間を与えない。
朝6時の起床から始まって、シャワー、ベッドメーキング、清掃(割り当てがある)。清潔にすることや規則正しい生活を身につけさせる。路上できままな暮らしに慣れ親しんだ子どもたちには特に辛い。
また、「朝のであい」と称する朝礼では一人ひとりが自分を振り返って治療のことや、心の準備について言い合う。その他こと細かく、一日のプログラムが決められている。

具体的には子どもたちをドラッグから開放する主なプログラムとして、次のようなものがある。
1.グループ参加型。アルコール依存症、予防などで効果をあげている。

2.教育支援、教育的活動、教育を提供。これは特に子どもたちに重要。

3.リクレーション。持っているエネルギーを出させる。
 スポーツやグループ作業、芸術などセラピー的作業。

3.個人カウンセリング。話をすることで意識化する。

また、特にストリートチルドレンたちには、外のドラッグがあって楽しい世界から、施設内でドラッグがなくても楽しく暮らせることを体験してほしいという。
子どもたちにドラッグの害などを教えるためには、難しいことばではなく、ビデオなどの教材をつかってビジュアル化する工夫をしている。

そしてここで少し特異なのが、宗教教育。
ストリートチルドレンの多くは親に虐待されてきた。だからこそ、彼らには魂の足りない面のケアとして親以上の存在、人間を超越する存在=「神」が必要だという。親に愛される実感を持てなかった彼らに、神の愛を説くことで、神に愛される存在、価値ある自分を認めさせるという。
瞑想を取り入れるのも、孤独のなかで、自分の魂、神とめぐりあう機会だという。

●プログラムの見学

私たち(といっても、ツアーでは相手に与える影響も考えて、原則少人数で動くため、今回も参加者2名と通訳1名の計3名)が行ったとき、部屋には5〜6人の少年たちが集められていて、聖書の話が長々とされた。
途中であきてくる子どもたち。その子どもたちにスタッフは、お前たちがあきっぽいのはドラッグのせいだという。(ドラッグをやっていなくても同じようにあきると思うのだが・・・)特に奇跡について、私たちの身にも毎日、奇跡が起こっている、細胞が生まれ変わっているのだという。また、奇跡を信じる強い心が奇跡を生むということを、神から与えられた翼で空を飛べた人間が、ふと不安になって、奇跡を疑い始めた瞬間、空から落ちていったという例をもって話された。同じように、ドラッグをやめられるという奇跡を信じなければ、やめることはできないという。

スタッフが子どもたちに課題を与えた。「これから自分がやろうと思うことを考えて、5つあげなさい」という。
君たちの頭のなかで、ドラッグがジョキジョキと考えを切っているから、考えることは大変かもしれない。しかし、人間には考える力がある。同じ生命であっても植物は考えることができない。ドラッグを続けると植物と同じになるという。

ただし、ゆっくりと考える時間は与えない。うまく答えられないとそこで誘導が始まる。こういうことを考えてみてはどうか。彼女のこととか、生活のこと、仕事をみつけることとかでもいいという。
そこで少年が、恋人をつくりたいという。そうすると、ドラッグをやっているようでは彼女になってくれる子はいないという。学校に行きたいとか、きちんとした仕事につきたいと言う。すると、今のままでは何をやっても根気が続かない、ドラッグを体から抜くのが先決だという。友だちを大事にしたいという。すると、ドラッグをやっていると約束が守れないから友だちは作れないという。ドラッグをやめたいというと、それはやめられないんじゃない、やめたくないだけなんだという。
また、ある少年は、自分のことばかり考えていていいのかと問われて、家族や誰かの役にたてるような人間になりたいという。すると今の自分のことも満足にできない状態で他人のために役に立てるのかという。

結局、何を言っても責められる材料になる。結論として、だからドラッグをやめなければいけないと思わせたいのはわかる。しかも、他人から言われるのではなく、自分から言うように仕向けられる。それが狙いなのだろう。しかし、聞いていて私自身はとても嫌な気がした。責める側と責められる側、そこに強者と弱者の立場の上下を感じる。

やがて少年たちはスタッフの期待に添うような答えを一生懸命に考えて紡ぎ出す。そうするとスタッフは満足気にうなずく。一方で、反抗的な態度をとる少年に対しては語調からして攻撃的になる。別のスタッフが、その態度はなんだと言ってどつく。ニコリともしない。根気がないのもドラッグのせいだという。
そこに、この子どもたちのためにという「愛」は感じられない。違う考えを許さない、押しつけを感じる。しかも、単なる押しつけではなく、自分たちの口から言わせるところに、そのことにまるでスタッフが疑問を感じないところに、不快感を感じる。

最後に瞑想に入った。ワシになって空を飛ぶイメージ。想像力が大切だという。変化した自分の姿を思い描きなさいという。でも、その変化した姿はきっと、好き勝手なものではダメなのだろう、そのスタッフが頭に描くものと同じものを描かなければならないのだろう。個人の意思、選択を尊重するといいながら、まるで本人の意思であるかのように騙して、考え方をもコントロールしようとしているように思えた。

これは何もここだけの話ではなく、おそらくカウンセリングとはこういう形のものなのだろう。私自身、いじめに関するある講習会で、こういう形でコントロールされることに、理由もわからずただ不快感を感じて、それから少しずつカウンセリングへの疑問を抱くようになった。

ドラッグから抜け出そうとする彼らにとってこれがどうなのかはわからない。何の疑問も持たず、ひたすらスタッフをキラキラとした目で見つめる純粋な少年もいた。反発する子どももいた。素直な少年はおそらく、ドラッグから抜け出しやすく、そうでない少年は挫折するかもしれない。何が一番、彼らにとっていいことなのか、私のなかではまだ答えは見えない。

●ぺドロの体験談

しかし、ここでも思わぬ貴重な収穫があった。ドラッグ依存症から立ち直ろうとしているひとりの少年と直接話をすることができたことだ。それも彼のほうから、私たちに興味を示し声をかけてくれた。質問にもいろいろと答えてくれた。

名前はペドロ。17歳。小さいときに養子にもらわれたが、養父母からぶたれたりの虐待をされて、12歳で路上に出た。親を忘れるために、ドラッグと名のつくものは一通り全部やったという。自分でやめようと思った理由は、ひどい中毒症状が出て、このままでは自分は死ぬ、もしくは廃人になる、ダメになると思い、ドラッグをやめようと決心して自らの意思でここに来たという。ここまでの話を彼は、けっしてすらすらと話してくれたわけではなく、私たちがこれ以上、尋ねることをためらうほど、辛そうに話してくれた。彼はきっとドラッグをやっていて、死ぬほどの目にあった、地獄をみたにちがいない。体じゅうを虫が這いずりまわるような感覚には耐えられないといった。

その彼が、私たちに静かに自分のことを話してきかせてくれている。語ることでさらに、決意を固めているのだろうと感じられた。そのことの奇跡。厳しい環境にありながら、彼の志の高さ、自分を捨ててしまわずに強く行きようとする姿勢に、尊敬の念さえ抱く。子どものもつ力、可能性を信じさせてくれるに充分だった。

彼のこれからの道のりもけっして平坦とはいかないだろう。「オリン」はドラッグ更正のための施設であり、半年後にはプログラムは終了する。その先、彼はどうするのか。再び、路上に舞い戻ってしまうのか、それとも、自立のための施設に入るのか。ここで彼の17歳という年齢が壁になる。多くの国でそうであるときくが、メキシコでも18歳は大人とみなされる。多くのNGO施設で、18歳になると出なければならない。いわば彼は最後のチャンスにかけていた。

将来はどうするの?私の質問に「今は、少し家に帰って、働きたい」という。メキシコの経済状況はきびしい。ストリートチルドレンを長くやっていて、当然、学校には行っていない。文字の読み書きですらできるかどうか疑わしい。まともな仕事が見つかるかどうか。そしてそれがうまくいかなかったときに、彼は再び、ドラッグに逃げ込んでしまうのだろうか。ペドロは今、人生の岐路に立っているのだろう。彼のドラッグをやめたいという決意は本物のだと思う。そのあとをいかに誰かが彼を支えてやれるかで、彼の運命が決まってしまう。親に頼れないペドロにとって、支えてくれるひとはおそらく、NGO職員になるだろう。
オリンは別の大きなNGO組織に所属している。その連携が命綱となるだろう。

●NGOから得たもの

このNGOに対する批判はいろいろとある。しかし、政府があてにできない国で、その役割の大きさを認めざるを得ない。もっとNGOの活動について知りたい。彼らの有するプログラムについても知りたい。

ストリートチルドレンを考える会では、スタディツアーのときに、それまでの会の活動で得た資金を寄付してくる。
現地で実際に見た活動が、次の年にそれぞれの金額を決める際に意見として反映される。会がメキシコで独自に活動できる媒体を持たない以上、私たちの活動はストリートチルドレンを支えるNGOを支えることが使命となる。そのことに今も疑問はない。
ただ、メキシコのスタディツアーにたった2回参加するなかで、私たちは与えることばかりでなく、むしろ与えられることのほうが大きいのではないかと気づかされる。共通の課題に気づかされる。そしてその課題に正面から取り組んでいる人びとの知恵は侮りがたい。知恵と財産を共有して、なんとか子どもたちの明るい未来に貢献できないものかと思う。ここでの私のささやかな報告も何かのヒントになればと願う。




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