わたしの雑記帳



ガブリエラ・サンティアゴ・ヒメネスさん(18歳)と

     息子のガブリエルちゃん(1歳)



6人きょうだいの下から3番目。貧しい母子家庭に育ち、家計を支えるために忙しい母親にかまってもらえない、寂しい子ども時代を送った。麻薬中毒の兄たちに酷使され、性的虐待を受けたために、14歳で家出。路上に2年間暮らした。その際仲間との子どもを妊娠し、ストリートチルドレン支援団体の紹介で『カサ・ダヤ』に入る。現在は、子育てしながら、『ダヤ』の支援で秘書専門学校に通い、自立を目指す。
        (ストリートチルドレンを考える会・チラシより)


2001年2月8日〜17日、
ストリートチルドレンを考える会の招きで、
スタッフと共に来日。

上 東京・地下連絡通路にて
ガブリエラ(母)とガブリエル(息子)

右 東京・浅草寺にて
鳩に驚くガブリエル


2001.2.13. Photo by S.Takeda


2001/2/14 メキシコから来た少女


2000/12/18付けの「わたしの雑記帳」の“児童虐待について”の中でも予告として書いたが、ストリートチルドレンを考える会の招きで2月8日、メキシコのNGO カサ・ダヤ から、スタッフのギジェルミーナ・ゲバラ・ガルシアさんと幼いシングルマザーのガブリエラ・サンティアゴ・ヒメネスさん、1歳3ヶ月の息子のガブリエルちゃんの3人が日本にやってきた。

ギジェルミーナさんには、1999年の夏、ストリートチルドレンを考える会のスタディツアーに、娘と一緒に参加した折りに合っている。2000年の夏、今度は娘ひとりでツアーに参加した際には、娘はカサ・ダヤに泊めてもらった。
2年前には、ガブリエラさんはまだストリートで生活しており、カサ・ダヤにはいなかった。1年前、ツアーのメンバーが訪ねた折りには、彼女はたまたま外出していて施設にはいなかったという。
従って、私をはじめストリートチルドレンを考える会のメンバーのほとんどは、ガブリエラさんと今回が初対面だった。

彼女のことは、会のメンバーであり、写真家の篠田有史氏撮影のシンポジウム用チラシの写真と説明文で、ある程度想像がついていた。
しかし、実際に合った彼女は、写真で受けた印象よりももっと幼く、日本の18歳(チラシには17歳とあったが、日本に来る少し前に誕生日を迎えた)の少女たちとなんら変わりないように見えた。
はにかんだ笑顔に残る幼さ。しかし、彼女の人生は、その笑顔からは想像もつかないくらい重く辛いものだった。

母親はガブリエラさんが幼いときに、暴力を奮う夫と離婚。女手ひとつで、彼女を含めた6人の子どもを育てあげた。メキシコはマチスモといって、男性優位の社会だ。兄たちから家でこき使われ、暴力を受けた。さらに彼女が14歳の時、長兄から性的虐待を受けた。
そのことから逃れるために、彼女はストリートに飛び出した。市場で手伝いをする彼女の周りには、顔見知りのストリートチルドレンたちがたくさんいたから、迷いは少なかったという。

彼女は自分の母親に、兄の性的虐待のことを打ち明けることができなかった。ストリートを探し回って、彼女を何度も家に連れ戻す母親。しかし、兄の態度は変わらない。
悲しみと絶望感に押しつぶされまいとして、麻薬に走ったという。そして、寂しさから肌を寄せ合ったストリートの仲間との間で子どもを妊娠。

ガブリエラさんは妊娠6ヶ月で、薬物中毒になっているところをストリートチルドレンを支援するNGOのスタッフに声をかけられ、カサ・ダヤを紹介されたという。
ここではじめて、子どもを生むことの意味や深い愛情というものを知ったという。カサ・ダヤとは、「愛を与える」という意味だ。
子どもを生むことを決意したガブリエラさんに、彼は「結婚しよう」と言った。しかし、その彼は、相変わらずストリート暮らしを続けている。定職を持たず、シンナーや薬物に依存している。ストリートの暮らしの中では、生まれてくる子どもが幸せになれないと思ったとき、彼女はカサ・ダヤで支援を受けながら自立する道を選んだ。

今でも、辛いことがあったとき薬物に手を出してしまうと、11日の大学生協会館でのシンポジウムのなかで、大粒の泪をこぼしながら、彼女は告白した。
そんな彼女にも夢がある。警察官、あるいは弁護士になること。ストリートにいるとき、警察官からいわれのない暴力を受けた。自分はそうでない警察官を目指したい。ストリートチルドレンを守る警察官になりたいという。あるいは、刑務所に収容される多くのストリートチルドレンのために、彼らを弁護する仕事がしたいという。
カサ・ダヤはあくまで自立支援のためのホームであり、いずれ彼女もここを出て、ひとりで生きていかなければならない。そのための勇気と知恵をカサ・ダヤのスタッフは少女たちに授ける。

シンポジウムの中で、カサ・ダヤのスタッフ、ギジェルミーナさんが言っていた。
「みな、どうしてそうなかったのか、責めるだけで支援の手を伸ばそうとはしないのです」「彼や彼女らを責めることが、いったい何になるのでしょう」と。
同じことをこの日本でも、私自身感じていた。

今回のイベントを前に、TOKYO地球市民フェスタ2001のNGO広場で、イベントのチラシを配っていたときのことだ。年輩の女性から、「なぜ、このような状況下で子どもなんか生むのか」と質問を受けた。メキシコの状況、貧困、弱いものに出るひずみ。家庭内虐待や義父からのレイプ、路上で警察官をはじめとする大人たちから受ける暴力やレイプ、愛情とぬくもりを求めての仲間とのセックス。無知と結果を考えないセックスの結果、路上で次世代のストリートチルドレンが多く生まれ続けていること。メキシコでは、法律的に堕胎は認められているが、宗教的には抵抗感が強いこと。など簡単に、私にわかる範囲内で話した。

それに対して彼女は、「キリスト教では堕胎は認めていなくても、フリーのセックスは認めているのか」と聞いた。そして、「子どもができるとわかっていて、セックスをしたのだから、当然の結果だ」とも。まるで吐き捨てるように。
「宗教のことは、私にはよくわからない。でも、それは日本でも同じでしょう」と私は返した。若いひとが、いつも結果を考えてセックスするとは限らない。どんなに高い教育を受けていて、知識はあったとしても。あげく、妊娠しては堕胎している。あるいは、子どもが生まれても、親に預けっぱなしだったり、虐待したり・・・。
ましてメキシコでは、路上では、セックスに関して、仲間内のいい加減な情報はどんどん流れるが、正しい知識は得られにくい。避妊具を買うお金も堕胎するお金もない。今日を生きることだけで精一杯の彼らに、明日のことを考えて行動しろとは言えない。というようなことを、いささか興奮気味にしゃべった。

同じように別の女性からも、「妊娠した少女たちを支援していったい何になるの?」「かわいそうだけでいいのか」「もっと根本的な対策を立てるべきだ」と言われた。こうした援助も必要だが、根本的な解決がより大事だというニュアンスではなく、ママ・ビッキーのやっていることは意味がないと言っているように、私には聞こえた。

次々と生み出されるストリートチルドレン。確かに、彼ら、彼女らを出さない社会をつくることが一番大切なことだろう。しかし、だからといって、今、現実にいるストリートチルドレンたちを見捨てていいということにはならないと思う。彼らは自分たちの責任でストリートチルドレンになったわけでなく、ならざるを得ない状況を抱えさせられたのだから。大人社会の手によって。
それは単に、その国の政府が解決すればよいということではなく、地球規模で考えていかなければならない問題だろう。そのためのNGO広場ではなかったのか。
まして日本は、他国を踏み台にして経済発展を遂げた国だ。十分に国際的責任があると思う。

一般のひとより、こうした問題に強い関心と深い理解を持っているはずのNGO組織のメンバーから出た言葉だっただけに、そして、最後まで理解してもらえなかったことに、私は少なからずショックを受けた。
児童虐待にしてもそうだ。「親が悪い」と非難することは簡単だ。しかし、責めたところでいったい何になるのだろう。追いつめて、苦しめて、行き場をなくして、事態をもっとひどくするだけだ。
教育的な意味では、「べき論」も必要だろう。しかし、現実に目の前にある問題に対しては、無力であるだけでなく、有害でさえある。

今回、ガブリエラさんとガブリエルちゃんは、我が家に一泊した。日本の、できれば父親のいる家庭も体験させたいというのが、会の意向だった。
彼女は、ストリートにいたと思えないほど、礼儀正しく、清潔感があって、そして何より、息子に惜しみない愛情を注いでいた。ガブリエラさんが、愛おしそうに息子の頬に口づけすると、ガブリエルちゃんもこれ以上ないというほどの素敵な満面の笑顔で応える。
細かいことを教えられなくとも、電車に乗るとき、食事をするとき、きちんとマナーを心得ている。ゴミもけっしてポイ捨てになんかしない。自分の思いを言葉にして、きちんと相手に伝えることができる。ごく自然に、他人を思いやることもできる。
そんな彼女を見ていると、カサ・ダヤのママ・ビッキーの教育方針が、スタッフの日ごろの努力が見えてくる。

今回、ガブリエラさんから、多くのことを教えられた。
どんなに辛いことがあっても、生きるということ。夢を持ち、その夢に向かって努力するということ。一時の感情に押し流されることなく、自分自身を大切に自分の生き方を選択していくということ。子どもに対する溢れる愛情が、子どもだけでなく、母親をも幸せにするということ。わが子を愛することのできるひとは、それだけで大きな喜びを得ているということだと、そしてその逆は、母子、どちらにとっても辛く、不幸なことなのだろうと・・・。

短い滞在を終えて、17日には再び、メキシコに帰ってしまう。しかし、彼女たちのことをけっして忘れない。日本に来てくれてありがとう。ムーチョス グラッシャース。
できればまた、会いに行きたい。

今回のシンポジウムの内容やホームステイ、観光など、詳しくは、プラッサ14号にて報告したいと思います。乞うご期待!

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