サミットはなぜいらないのか(小倉利丸)

サミットはなぜいらないのか

小倉利丸

自民党政権は、G7サミットの議長国になることを最大限利用して、これまでの自民党政権がなしえなかった「戦後」の呪縛を解き放つ格好のチャンスを見出そうとしている。

国家安全保障戦略のなかで日本政府は、G7が十分にその機能を果せない国際環境に直面していることを率直に指摘した。私たちにとっては最悪だが、今回の広島サミットはこの危機を逆手にとって政権の思惑を実現しようとする野望に満ちている。

国家安全保障戦略のなかで、現在の日本が「ハイブリッド戦争」の渦中にあり「情報戦」を戦う国家であるということも宣言している。私たちが自覚しておかなければならないのは、情報戦は単なるレトリックではないく、武力行使や武力による威嚇に先行して展開される。政権は明確にこのことを自覚して情報戦を展開していると理解する必要がある。

G7サミットをこうしたハイブリッド戦争のなかに位置づけて理解する必要がある。とくにG7のプロパガンダ機能に注目する必要がある。G7諸国の結束を示す常套句として自由と民主主義という共通の価値観が持ち出される。G7の意思決定のプロセスには民主主義は存在しないし、権力の頂点にいる者達にとっての自由はあっても、その自由は私たちにとっては、問答無用で強制される制度やルールとして襲いかかる災厄である。こうした常套句はプロパガンダそのものだ。

では、気候変動やジェンダー平等などへの配慮はどうなのか。G7各国の政権にとって声明の類いは、自国の国益を反映したものとしてのみ意味をもつ。各国の民衆運動の要求が政権の正統性を揺がしかねない力をもつときにのみ、彼らは自国の有権者を説得するための弁明の手段として気候危機やセクシュアルマイノリティの権利に媚を売るにすぎない。運動が弾圧されたり極右ポピュリズムが台頭すれば容易に方向転換が起きる。日本のように社会運動の力が脆弱な場合、政治の力学はもっぱら政権の利益のみを反映することになる。声明の口当たりのよい言説は大衆運動や市民社会を包摂して権力の正統性を維持する目論見でしかない。

プロパガンダは単なる「偽旗作戦」ではない。必ず、政権が望む方向に制度を構築するための民衆の合意形成の装置として機能することを軽視すべきではない。

G7が情報戦のプロパガンダ機械であるとすると、日本政府の異常なほどの「広島」への執着は何を意味するのか。このG7をきっかけに「広島」あるいは「ヒロシマ」は核廃絶のシンボルとしては機能しなくなるのではないか。むしろ米国の敵国日本を敗北に追いやり連合国を勝利に導いた核兵器の象徴として、つまり、核による戦争の勝利を象徴する場所として、意味の再構築がなされる可能性がある。だから核保有国は平然と広島に入場できるのだ。これが情報戦におけるプロパガンダの意味でもある。

4月中に開催されたずべての大臣級会合で、ロシア・ウクライナ戦争に言及しロシアへの厳しい批判に終始する文言を宣言にもりこんだ。これもまた情報戦、プロパガンダの一環として判断する必要があり、反戦平和運動もまた、このプロパガンダに巻き込まれ利用されない明確な立場、戦争に加担しない立場が求められている。そのためには、G7の声明などは自国民を懐柔し戦争への動員のための情報戦の手段と化していると理解し、G7の欺瞞と対決することを明確に宣言することが民衆の運動にとって重要な役割になると思う。