クリスティーナ・ロシュコワの写真展『アンビウィッチド』を観て

竹森正孝(自己紹介文は末尾に)

 ロシアで「無人機部隊」の拡充のために「学徒動員」とのニュースが飛び込んできた。報道によれば、すでに今年初めに学生の2%を目標に志願兵を募るよう、大学に通達があったともいう。ウクライナ戦争が「泥沼化」するなか、ロシア社会そのものの混乱もまた底なし状態へと突き進んでいるように思われる。

 4月6日、ロシアの若き写真家クリスティーナ・ロシュコワの写真展『unbewitched/アンビウィッチド』(26年3月20日―4月13日、東京・渋谷・PARCOのParco Museum)を観た。彼女の日本での写真展は2度目だとのことであるが、私は初めてである。

 Unbewitched(脱魔法化)というタイトルは、彼女によれば、魔法にかけられることと、その魔法が解けてしまうこと―世界に魅了されることと同時に失望することを表現したものだという(同名の写真集の自身のあとがき)。「魔法が解かれた、夢から覚めた」という意味にもなるという。かなり独特の表現法をとり、衝撃的ではあるが、観るものを圧倒し、確かに何ごとかを伝える。現在のロシアの圧政下で、自己そのものを表現し続ける意志とそのことのあまりの困難さが、彼女の作品と身の回りに襲い掛かり、表現行為それ自体が自由と生命の危機を避けえないことにつながるという現実の重みがそこにあるからであろう。ダーチャ(別荘と訳されることが多いが、菜園付きの小家屋の場合が多い)を舞台にしたものが中心をなしているが、そこでのバーニャ(家庭サウナ)の楽しみを含め、こうした人々の日々の生活が逃避の場となっていると捉えながらの作品が多く集められている。ここでは、写真そのものではなく、彼女自身について、そしてなぜ今彼女が日本で写真展を行ったのかについて、写真集と写真展の会場でのあいさつ文などを踏まえて、この写真展について多少書き留めておきたい。

 ロシュコワは、写真家ではあるが、大学で哲学(美学)を学んだだけに、作品が訴えるものには深い思想的背景がうかがえる。写真表現だけではないかも知れないが、昨年、彼女はロシアの官憲の手に落ち、起訴された。判決が出る前の今年2月に出国し、今後は海外での活動を予定しているという。

「脱ソビエト」、「脱社会主義」を掲げて、「西欧」水準の現代憲法を制定したはずのロシアで、彼女が何ゆえにこうした作品を出し、権力によりその自由を奪われ、国外に「脱出」せざるをえないような状況が生まれたのか。性的マイノリティが何ゆえに犯罪者扱いを受け、国外への移住を余儀なくされているのか。彼女の作品のモデルになっている友人、知人の多くが、「亡命」したり政治的弾圧を受けたり、あるいは自らの性的指向を隠して暮らしているという。彼女は、嘆きや郷愁、無気力、そして逃避といった感情は、いまのロシアの若い世代に共通する、ごく自然な心の状態だと思うと語っている(写真集あとがきより)。沈黙や逃避が、異議申し立てであって、ある種の抵抗ですらあることになる。

 1993年に制定された現行のロシア連邦憲法(数次の改定がなされており、2020年には大幅な改定がなさた)には、まがりなりにも人権保障の条文があり、第1章の憲法体制の原則、第2章の人権規定、第8章の憲法改正手続き規定の3つの章は、硬性憲法的な性格をもち、その改正にはより厳格な手続きが想定され、それを実施するために必要な手続き法はいまだ制定されていない。保障されている人権規定には、「法の下の平等」、「個人の尊厳」、「良心の自由」に加えて、「思想・言論の自由」、「検閲の禁止」、「芸術等の創作活動と教育の自由」などが含まれる。前半の3つについては非常事態においてもこれを制限することはできないと定められている。ところが、20年改憲は、直接に第2章の人権規定には触れない形で、本来それとは関係のないはずの他の章に新たな規定を持ち込み、実際上の人権制限、人権剝奪の事態を「合法化」した。連邦議会の権限で改正しうるとされる他の章に新たな規定や改正条項を加えることで、実質的に人権制約を可能にする「奇手」が打たれた(レファレンダムならぬ「全ロシア投票」によって権威付けもなされた)。

 本稿に関係する事項で新たに導入されたのは、歴史的に結合した理想と神への信仰の保持が国家の一体性を築きあげたという条項(連邦体制の章)、男性と女性の結合としての結婚制度の擁護を強調した条項(同じ章の連邦と連邦構成主体の共管事項の条文)である。前者はロシア正教を念頭においたもので、ジェンダー・フリーの流れを恐れ、性的マイノリティの存在を否定しようとする現政権の動向に拍車をかけ、後者は同性婚や同性カップルの存在の否認につながっている。

 異端、異論、マイノリティ、社会に迎合しないあらゆる動きや存在が、抑圧的な政治体制にとって不都合であり、排除すべき対象となるのは、許されないことではあるが、ままあることでもある。同質性という圧力(同化の強要)に弱い日本の社会・政治状況を見るにつけ、ロシアの実情はけっして「対岸の火事」ではないのである。(憲法の条文等は、ユーラシア研究所のサイトに掲載の資料を参照されたい)。

 過日、「東京新聞」(2月23日付)にウクライナとロシアの若者対話という記事が掲載された。戦争終結を願い、行動もしている2人の若者が、「ロシア人は戦争のことを真剣に

考えなかった。プーチン大統領の独裁を許し、戦争を止められなかった」と悔やみ、「(ウクライナを)守る力は必要だが、それだけでは解決しない」と市民の対話、政府の外交努力が重要だと訴える。さらに、市民が権力者の主張をうのみにする危うさを知ったとし、「考える力を大切」にし、「自分自身で判断するという『宝物』を絶対に大切にして」ほしい訴えている。

戦争当事国の若者が、ここ日本で交流し、「憎しみより対話を信じて」と語り合う姿は、私たちにとって励ましであり、ここに希望がある。一刻も早く停戦し、ロシアのウクライナからの撤退が実現することを願わざるをえない。

なお、ロシュコワの写真展は、残念ながら、今後の各地での開催予定は今のところないようである。ロシュコワについて、詳しくお知りになりたい方には、以下のサイトの、彼女自身や作品とその背景などについてのインタビュー記事が役立つ。

https://niewmedia.com/specials/2604kristinarozhkova_edsbt_wrnkj/ (4月7日最終閲覧)

<執筆者の自己紹介>

  都立短大、岐阜大学、岐阜市立女子短大の元教員。現在、千住介護福祉専門学校長。旧ソ連、旧ユーゴスラビア、現代ロシアの憲法が研究対象。


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