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インタビュー

夫婦同姓規定は違憲と提訴

塚本協子さん

  • 2011.03.05
  • 聞き手:岡田真紀
  • 撮 影:落合由利子

塚本協子さん

私の名前は私の存在そのものです

 「私は塚本協子で生き、塚本協子で逝きたい。ただそれだけなの」
 塚本協子さんは、民法750条の夫婦同姓規定は個人の尊厳や両性の平等を定めた憲法に反するとして、他の4人の原告とともに国家賠償を求める訴訟を起こした。75歳の塚本さんが訴訟を決意したその根源にある思いは、この言葉である。

 塚本さんが生まれたのは、1935年。国民学校の4年生で敗戦を迎えた。
 「8月15日、みんな泣いておられたけど、私はうれしかった。なんかしらんけど、いっぺんに明るくなった。自由が日本国土全部にしみこんでいく感じだった」
 自由、平等を掲げる戦後の民主主義教育を少女は体全体で受け止めた。中学校は始業時間と終業時間が決まっているだけで、他には何も規則はない。貧しい時代で制服もなかった。高校時代はサルトルやカミュ、ボーヴォワールなどの実存主義や、ナチスに対するレジスタンス文学を読みふけり、友と語り合う。弁護士の中島通子さんは幼なじみで高校の同級生。ひとりの人間として職業をもち自立して生きていくことは、塚本さんにとっても、周りの女子高校生にとっても当たり前のことだった。
 けれども、塚本さんが生まれ育ったのは、祖父が強い権力をもち、家父長制が貫かれていた家庭だった。塚本さんの父親は長男だったが、彼女の生後2カ月で亡くなり、塚本さんの姉も早世し、塚本家のただ一人の直系である協子さんは、祖父からは「あんま」(跡取り)と呼ばれ、家を継ぐという重荷が課せられていた。
 高校卒業を控えたある日、母親が改まった様子で協子さんを呼んだ。「あなたには許婚(いいなずけ)がいる。卒業したらすぐに結婚しなさい」と言うのだ。「こんな自由な時代に許婚なんてとんでもない。私は大学に行きたい」と塚本さんは反発。母親を説き伏せ、大学に進んで歴史を学んだ。幼いころから「家」の重さを感じていたことから、日本における家父長制の成立を卒論のテーマにした。
続きは本誌で...


つかもと きょうこ

1935年富山県生まれ。富山大学で歴史を学び、私立女子高で歴史を教える。2002年「ななの会(選択的夫婦別姓の会・富山)」を結成、10年7月まで代表。11年2月夫婦同姓違憲訴訟を起こす。

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