(c)落合由利子
不思議なめぐり合わせで、戦場体験の取材を始めた人がいる。ビルマ戦史の研究者、遠藤美幸さんだ。日本航空の客室乗務員をしていた1985年、旧陸軍飛行隊長の男性と機内で知り合い、数年後、ビルマ戦の資料が自宅にどっさり送られてきた。
「びっくりしました。当時私は会社を辞め、子育てしながら大学院でイギリス社会史の勉強中で、日本の戦争のことには知識も関心もなかったのです」
指導教官に「イギリス社会史はいつでもできるから」と背中を押され、2002年から拉孟戦の元兵士を訪ね、聞き取りを始めた。拉孟は中国雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近の標高2000㍍地帯。日本軍が全滅したとされる激烈な戦いから脱出、生き残った兵士たちがいた。 遠藤さんは軍隊の用語、階級などを覚えることから始め、ビルマ戦の2つの戦友会にも食事の手配や配膳などの「お世話係」として関わるようになった。それももう20年になる。
「戦友会?と眉をひそめる友人もいました。酒を飲んで戦場での武勇伝を語り合うイメージですからね。中国での貴重な加害証言は聞いたことがありますが、そうではない大多数の戦場体験者の考えを知るには、戦友会しかないと思ったんです」 最初は存在すら無視された。小さな子どもを預けながら「何やってんだろ、私」と思うこともあったそうだ。ある日、地名がわからず戸惑っている遠藤さんに、元兵士が自分の古い地図を差し出した。戦場に印がついており、亡くなった仲間の名前と日にちがびっしり書き込まれていた。仲間の供養のために集まっているのかもしれないと気づいてドキッとした。
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