
(c)前田光代
この4月、本紙編集部に写真展「沖縄から〈沖縄〉へ 1969‐79」の案内が届いた。チラシに載る写真の、てらいのないまっすぐな視線が気になり、松村久美さんの写真展へ。会場では、沖縄復帰運動で「基地撤去」と書かれたプラカードを持つ女子学生や明日ベトナムへ飛ぶという着飾った黒人兵たちなど、被写体のまなざしに心揺さぶられた。 改めて松村さんに会った。写真集『この先の島じまへ 1969‐1980 沖縄』を出版したばかりだった。
高校生の松村さんはイタリア映画好きが高じてイタリア語の通訳志望だったが、知人の「女は手に職を付けなさい」という助言に押され、東京写真短期大学(現・東京工芸大学)に進む。そこで入った「報道写真研究室」で、指導教授から報道写真や世の中の移ろいを記録することをこんこんと教えられた。ここでの学びが松村さんの原点になった。
卒業後、沖縄・竹富島の「種子取祭」の写真に目を見張った。初めて見る衣装、神に祈りをささげる姿…。これを見たいと68年秋に沖縄へ。この時には沖縄の現実を何も知らなかった。
「着いた翌日、観光バスのガイドさんの基地あるがゆえの政治的解説に驚いていたら、ラジオから嘉手納基地に米軍のB52が墜落したニュースが流れて。ここは戦場なんだ! 私はあまりにも沖縄を知らなすぎる!」と、翌69年6月に沖縄に移住してしまう。「とにかく体が先に動く。考えは後から」と笑う。 元指導教授の計らいでグラフ誌の身分証を入手。載ったら1㌻2万円の約束で、沖縄での撮影が始まった。身分証のおかげで基地にも入れた。
続きは本紙で...