ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか 見えないケア責任を語る言葉を紡ぐために
山根純佳、平山亮 著
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ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか 見えないケア責任を語る言葉を紡ぐために
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社会で女性は「ケアをうまくできる」ことを求められ、男性は長時間労働などで「ケアしない・できない」ことを正当化されてきた。本書は「ケア責任」の男女間不均衡の問題を詳細に分析している。
各国の研究でコロナ禍でテレワークの導入や通勤時間の激減が生じても、男性が家事・育児にかける時間はそれほど変わらないことが明らかになっている。異性愛中心主義的な構造の中で、女性のほうがうまくケアできると前提されることが問題であり、「ケア責任」を個人の道徳的問題に還元するような社会のしくみを変えるべきと著者たちは訴える。
ケアの難しさは、正解が見えない「不確実性」や利用可能な資源がなければ実現できない「実現不可能性」にもある。ゆえに協働してくれる「人」や「時間」などが重要。ケア協働のための時間や人を配置できる社会のしくみ作りや政策に男性も参加が必要との見解に納得。 (う)
国籍のゆらぎ、たしかなわたし 線をひくのはだれか?
木下理仁 編著
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- 国籍のゆらぎ、たしかなわたし 線をひくのはだれか?
- 木下理仁 編著
- 太郎次郎社エディタス2000円+10%
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「国籍」って、なんだろう。国際交流や多文化共生のコーディネーターなどをしてきた編著者と、執筆者5人が往復問答を交わし、執筆者は「国籍」観を一人語りする。ほかに「国籍」という制度についての鼎談も。
権力による「国籍」の正当性を疑問視する安田菜津紀さん。日独「ハーフ」のサンドラ・ヘフェリンさんは「二重国籍」を認めるべきではと問題提起。国籍による「カテゴリー」化と偏見を質すサヘル・ローズさん。他方で長谷川留理華さんは「無国籍」の経験と共に、「国籍」は第2の名、と言う。在日コリアンの金迅野さんは、「国籍」や「在留資格」は状況に応じて国家が恣意的に扱う(永住権取り消しなど)が、実は誰もが自分の中で無意識に線引きしていないか、と問いかける。
線の外にいる人の痛みや、共感へのセンサーを具体的に持つためには。身の回りで起きている差別を自分事にする。情報を鵜呑みにしない。人と直接対話する大切さ―。しっかり受けとめた。 (三)
ネオリベラル・フェミニズムの誕生
キャサリン・ロッテンバーグ 著 河野真太郎 訳
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- ネオリベラル・フェミニズムの誕生
- キャサリン・ロッテンバーグ 著 河野真太郎 訳
- 人文書院2800円+10%
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内閣府の第6次男女共同参画基本計画案が、「多様な幸せ」という、喫緊のジェンダー不公正を前に寝言のような概念を押し出したのはつい先月のこと。場違いに思えるこの「幸福」論がしかし、「フェミニズムの王道」たり得る世界がある。それこそが「ネオリベラル・フェミニズム」の世界だ。
著者はこの新しいフェミニズムを米国の成功した著名な女性たちの記述(『リーン・イン』から「ママ垢」まで)から入念に彫り出し、これが巧妙にネオリベラルな主体へと人々を規律し、支配的なイデオロギーと共謀する権力であることを描き出す。
権利・公正・解放。相当に穏便なフェミニズムでさえ頭の片隅には置いてきた、これらの語彙を持たない非脅威的なフェミニズムは、今やすっかりポピュラーなものとなった。原著の出版から7年、「これもあれもフェミニズム!」と喜ぶ前に「これはどんなフェミニズム?」と問いたい時に有効な説明書、これが本書である。 (こ)