WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

韓国で出版社を立ち上げた

戸田郁子さん

  • 2011.02.25
  • 聞き手:じょうづかさえこ
  • 撮 影:柳銀珪

戸田郁子さん

日韓中をつなぐのが私の仕事

 韓国、中国、日本をつなぐ時代の流れを肌で感じてきた戸田郁子さんは、3年前に韓国で出版社を立ち上げた。翻訳・執筆にも忙しい戸田さんを、ソウル郊外の住居兼事務所に訪ねた。

 戸田さんの初訪韓は、1979年の短大時代。迷彩服で銃を携えた憲兵の姿に驚き、同年代の韓国人が語る「日帝時代」という言葉にショックを受けた。
 「もっと韓国を知りたい」と 韓国留学に踏み出したのは、83年、24歳の時だった。延世(ヨンセ)大学で語学を学び、翌年、「日帝時代の歴史を学びたい」と自ら門を叩いて、高麗(コリョ)大学の学生になった。
 そのころ、韓国の漫画『弓』(晶文社)を翻訳出版。
 「日帝時代に『親日派』と呼ばれた民族の裏切り者を断罪する、朝鮮の青年が主人公です。憎いのは日本人だけではない。同じ民族の中に裏切り者がいたのだという切り口が、印象的でした。人気漫画家がこんな社会派の作品を発表していること、それにタレントも政治に関する自分の意見をはっきり述べる意識の高さに、驚きました」
 80年代後半、大学では毎日のように民主化デモが行われ、催涙弾にむせびながら登校した。
 韓国が軍事独裁政権の暗いイメージを一新したのは、88年のソウルオリンピックのころ。その年に『ふだん着のソウル案内』(晶文社)が出版されたことがきっかけで、「韓国のことを書ける日本人女性」として、新聞社、放送局などから仕事の依頼が殺到した。だが、オリンピックが終わると、潮が引くように仕事が消えた。
 「お祭り騒ぎが終われば、誰も韓国に興味がないのだと思い知らされました

 心に開いた穴を埋めようと、中国語を学びにハルビンへ。しかし、89年6月の天安門事件で、学校は閉鎖された。一人で吉林省の「延辺(えんぺん)朝鮮族自治州」に行ったことが、その後のライフワークへとつながった。
 「朝鮮半島から中国への移住が最も活発だったのは、日帝時代。日本の侵略政策がそこにかかわっています。朝鮮族が、中国政府から少数民族として認められ、自治州を得たのは、抗日戦争を共に闘い、中国建国に貢献したから。日中韓の歴史は、近代以降も深くかかわりを持っているのです」
 韓国に戻り、韓国人写真家と結婚、出産。幼い子を連れて、再びのハルビン暮らし。その後、大学で写真を教える夫と小学生になった息子と共に、6年間を中国で暮らした。
続きは本誌で...


とだ いくこ

1959年生まれ。短大卒業後、3年の会社勤めを経て韓国に留学。韓国に住みながら、通訳・翻訳・執筆業。中国でも通算8年間暮らし、2007年、「図書出版土香」を夫と立ち上げた。最新刊『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)ほか著書多数。

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