熱く、派手に、過激に生きていたい
不器用でおっちょこちょい、物忘れの達人、遅刻の常習犯…そんな一見「ちょっとした」ことが、実は大きな生きづらさにつながることがある。
NPO法人「大人のADD&ADHDの会」の元理事長であり、現在はADHD(注意欠陥多動性障がい)に限らず仕事や生活に困難を抱えている人のための当事者団体MARSの会長を務める白井由佳さんも、こうした困難を抱えてきた一人だ。活動は当事者の女性専門サロンや「お片付け講座」「寝坊遅刻講座」、講演会など多岐にわたる。
白井さんの心に残る、一番最初の記憶は幼稚園の時。
「折り紙をちゃんと折れない、ハサミを持てばギザギザ、のりを使えばべたべた。うわ、嫌だな、自分ってほかの人と違うって気がついて、憂うつでした」
学校では、国語や社会は得意だが算数は苦手だった。問題を読むと頭がコンクリートのように固まる。先生からは、成績にむらがあるのはやる気がないからだと言われた。
「体育も超苦手で恥ずかしいことばかり。私はダメな人間なんだって思うようになった。ただ半面で、実はすごいことができるんじゃないかっていう根拠のない自信もあって、そのギャップに苦しんでいた」
悩みは深いのに周囲からはそう見えない。時に「KY」ではあるが飄々として明るい人と思われてしまっていた。
人との関係で悩むようになるのは、短大を卒業し社会に出て。それから33歳までは、白井さんにとって人間関係の第1段階である、「暗黒の時代」に突入する。
最初に就職した生命保険会社はほどなくして退社。その後、旅行の添乗員や広告代理店勤務、化粧品販売員と職を変えたが、どこでもうまくいかない。
人と一緒にいると、思ったことが言葉にならず、頭が真っ白になった。自信がなく、誰にでもいい顔をして、NOが言えないことにも苦しんだ。
「表面的には明るくて超イイ人。でも心の中は欲求不満で、暗いオーラを放ってたと思う」
その後、結婚をしたが、主婦としての生活はうまくいかず離婚、子育てにも自信が持てず、自分はなぜ生きているのだろうと落ち込んだ。
本屋でADHDの本を見つけたのはこんな時だった。
「ぺらぺらっとめくっただけで、全部自分のことだって。確認したくてたまらず、医者を探しまくって、受診しました」
ウェブサイトを立ち上げたのは、診断から2カ月後のこと。
「海外の本を見ると、仲間づくりをしたり自助団体に入るのがいいと書いてあるけど、当時はなかった。だったら自分で、せめて同じ思いを分かち合える人と出会えたらいいなと」
思い立ったらいてもたってもいられない性格。ウェブサイトは一気に一晩でつくり上げた。
2週間も立たないうちにアクセス数は1日500件を超えた。同じ悩みを抱える人からの書き込みで掲示板はいっぱい。中には自殺したいという深刻なものもあった。当事者だけでなく医師や学校の教師も集まった。
ネットを通じて知り合った人々からの助言もあり、話は一気にNPO立ち上げに進んだ。
続きは本誌で...
しらい ゆか
1966年北海道生まれ。2001年、NPO法人「大人のADD&ADHDの会」設立。09年同会理事を退任、当事者団体MARS会長となる。著書に『ついつい焦ってしまう人たち もっとラクに生きられる処方箋』ほか。
連絡先:白井由佳事務所
eメール info@sirraiyuka.net