マリールイズさんの逃避行は悲惨と奇跡に満ちている。やっとの思いで国境まで着いた時、ごった返す人ごみの中で離れ離れの夫と再会できた奇跡。夫はマリールイズさんたちがもう死んでいるだろうと聞いていた。
その後の難民生活も過酷だった。国境を越えても、難民キャンプにはテントも何もなかった。雨季に入り雨が降っても防ぐものもなくただ立っていた。弱っている人から亡くなっていった。
「生理になっても何もないから、体から血が流れるだけ。自分のにおいがたまらなかった」
しかし彼女には再び奇跡が訪れる。日本の友人にファクスを送ろうと並んでいた時に、日本のNGO、AMDA(アムダ)の医師たちと偶然出会い、通訳を頼まれたのだ。赤痢がはやる難民キャンプで、倒れて動けなくなる人、大きな穴にトラックで運び込まれる死体の山…。
「見てはいけないものをあまりにもたくさん見ました」と、彼女は静かに言う。
彼女の子どもたちも赤痢になり一時は危なかったが、AMDAの医師の薬で元気になった。
彼女はその後、連絡した日本の友人たちが奔走して、その年の12月、子どもたちと夫とともに日本へ留学生として来た。