
(c)前田光代
アジア太平洋戦争中、日本には130カ所もの捕虜収容所があった。14万~16万人の連合国兵士の捕虜のうち、約3万6000人が日本に連行され、炭鉱などで働かされ、3500人以上が亡くなった。空襲で死亡した捕虜の話も聞いて、捕虜をめぐる戦争の実相を知りたく、捕虜問題を調査している「POW(Prisoner of War=戦争捕虜)研究会」(以下、P研)の共同代表の笹本妙子さんに会った。
「「P研の調査では、原爆・空襲・艦砲射撃で死亡した捕虜は104人。他に撃墜され捕らわれたB29等の搭乗員で、東京陸軍刑務所にいた62人が空襲で死亡。日本人囚人は脱出し無事だったのにです。友軍による犠牲者という皮肉…理不尽さ非情さ…これが戦争というものですね」
笹本さんと〝捕虜〟との出会いは、神奈川県横浜市保土ヶ谷の英連邦戦死者墓地。 「引っ越し先の近くで、美しい墓地を見つけました。多くが1942~45年の死亡で、どういう人たちだろうとイギリス人の管理者に聞こうしたのですが、英語に自信がなくできなかったんです」 近所の人も知らず、図書館にも手がかりがなく諦めた。20年後の97年、新聞記事で、そこは捕虜として死亡した英連邦兵士の墓地で、94年から、日本人の呼びかけで慰霊行事が行われていたと知る。
「主催者の一人、青山学院大学教授の雨宮剛さんを訪ね、国内外で日本軍が捕虜に過酷な労働を強いて、虐待・虐殺などどれだけひどいことをしたか聞きました。戦時中、タイの泰緬鉄道建設現場で憲兵隊の通訳として配属され、戦後、贖罪と和解の旅を続けている永瀬隆さんを追ったドキュメンタリー番組も見ました。イギリス人の元捕虜とおぼしき一行が永瀬さんを見る憎悪に満ちた目に、戦争の傷の深さを感じました」
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