(c)栗原順子
ヘルメットをかぶり、ガイドの北原高子さんと入り口から壕に入る。空気が冷たく、かすかな照明の中、ごつごつした岩肌が見えた。この壕は「松代大本営」と呼ばれる戦跡。アジア太平洋戦争末期、皇居にあった大本営(日本軍最高統帥機関)を移すため、「松代倉庫工事」と称して、極秘に松代町(現・長野市)に建設した地下壕の跡だ。
象山地下壕は行政の一部、舞鶴山は大本営と仮皇居、皆神山は食糧庫の予定だった。1944年秋に工事が始まり、7~8割完成していたが、使用されることなく敗戦。総延長十数キロに及ぶ地下壕の一部が見学できる。 松代大本営の記録と記憶を遺す資料館を創ろうと、2003年に設立されたのが「松代大本営平和祈念館」(以下、祈念館)。学習会や戦跡案内なども行う。北原さんは、長く同館の事務局長を務め、運動を進めてきた。
定年まで高校の国語と音楽の教員を務め、学校では人権や平和問題の担当が多く、研究会などの活動に勤しんだ。 「生徒と一緒に地域の戦跡を調べたり、戦争体験者の話を聞きに行ったりしました。松代の地下壕も、教員仲間で研究している人が多く、地元の高校生たちも保存運動を始め、1986年、祈念館の前身である『松代大本営の保存をすすめる会』が設立され、私も仲間に入りました」
ガイドをする上で大事な視点がある。朝鮮半島からの強制動員を含む6500人ほどの朝鮮人が危険な仕事に従事させられていたこと。地元の人たちは黙って協力させられて理不尽を強いられ、「慰安所」までつくらされたこと。そして、松代大本営を完成させるなどの本土決戦準備のため、沖縄では時間稼ぎのための地上戦で多くの島民が犠牲になり、今もなお苦しみが続いていること、などだ。 「沖縄の犠牲と松代大本営の構築は、戦争末期、鏡の裏表のように深くかかわって進行していました」
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