(c)石田郁子
長くイランと日本の映画界をつなぎ、字幕翻訳やプロデューサーとして活躍するショーレ・ゴルパリアンさんを知ったのは、モフセン・マフマルバフ監督の取材を通してだった。そこで、ショーレさんが、故アッバス・キアロスタミ監督からマフマルバフ監督ほか、現在活躍するイラン人監督の映画字幕を一手に引き受けていると知った。 「父が舞台演出家だったことが影響し、またイランには世界中の映画が入っていて、兄とよく映画館に通ったことが今の私の原点です」とショーレさんは言う。
5、6歳の頃、母から読み聞かせしてもらった日本の昔話が日本との出会いだった。日本への関心が高まり、ベールをからだに巻いてキモノ遊びをしたという。大学の翻訳学科で英語と仏語を学んでいた時、テヘランにある日本企業でアルバイトを始めた。そして卒業後の1979年、好奇心で胸を一杯にして日本へ。覚えた日本語が通じないなどカルチャーショックも受けつつ、下宿した日本人の知人の家で、シャワーのように日本語を浴びた。
「その家のお母さんがすごくおしゃべりで(笑)。日本語が話せるようになったのはお母さんのおかげ。80年代の日本(東京)はすごく〈昭和な雰囲気〉でした。〈寅さん〉みたいな日本の庶民の文化や、現代化しすぎていなくて人情がある〈昭和〉な日本を知るようになってますます好きになりました」と言い、「ショーレ、ショーワ」と笑う。
母国では79年にイスラム革命が起こり、イラン・イラク戦争が終わった90年代初頭。海外放送があるNHKに「ペルシャ語できます」と売り込んだのが転機になった。
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