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インタビュー

映画翻訳家、製作者

ショーレ・ゴルパリアンさん

  • 2025.5.25
  • 聞き手…清水さつき
  • 撮影…石田郁子

ショーレ・ゴルパリアンさん

(c)石田郁子

イランと日本をつなぐのが私の仕事

 長くイランと日本の映画界をつなぎ、字幕翻訳やプロデューサーとして活躍するショーレ・ゴルパリアンさんを知ったのは、モフセン・マフマルバフ監督の取材を通してだった。そこで、ショーレさんが、故アッバス・キアロスタミ監督からマフマルバフ監督ほか、現在活躍するイラン人監督の映画字幕を一手に引き受けていると知った。  「父が舞台演出家だったことが影響し、またイランには世界中の映画が入っていて、兄とよく映画館に通ったことが今の私の原点です」とショーレさんは言う。

 

 5、6歳の頃、母から読み聞かせしてもらった日本の昔話が日本との出会いだった。日本への関心が高まり、ベールをからだに巻いてキモノ遊びをしたという。大学の翻訳学科で英語と仏語を学んでいた時、テヘランにある日本企業でアルバイトを始めた。そして卒業後の1979年、好奇心で胸を一杯にして日本へ。覚えた日本語が通じないなどカルチャーショックも受けつつ、下宿した日本人の知人の家で、シャワーのように日本語を浴びた。

 

「その家のお母さんがすごくおしゃべりで(笑)。日本語が話せるようになったのはお母さんのおかげ。80年代の日本(東京)はすごく〈昭和な雰囲気〉でした。〈寅さん〉みたいな日本の庶民の文化や、現代化しすぎていなくて人情がある〈昭和〉な日本を知るようになってますます好きになりました」と言い、「ショーレ、ショーワ」と笑う。

 

母国では79年にイスラム革命が起こり、イラン・イラク戦争が終わった90年代初頭。海外放送があるNHKに「ペルシャ語できます」と売り込んだのが転機になった。

        続きは本紙で...


ショーレ ゴルパリアン

イラン西部ハマダーン生まれ。1979年からの日本在住は数年間の一時帰国を除き40年以上。イランや日本の多くの映画人と仕事を共にした。著書『映画の旅びと イランから日本へ』(みすず書房)では裏話が満載。

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