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47年ぶりに獄中から釈放され、自由になった袴田巖さんのとまどう姿が、姉の秀子さんとの穏やかな日常の積み重ねによって、少しずつ街の風景に溶け込んでいく。その体、言葉、行動をカメラは捉え続ける。 「私が生まれる前の事件だったんです。静岡のテレビ局に就職するまでは知りませんでした」と話す、映画監督の笠井千晶さん。
静岡県で起きたみそ製造会社専務一家4人殺害事件(1966年)の犯人とされ、死刑囚となった巖さんを追った作品、『拳と祈り ― 袴田巖の生涯 ― 』が現在、各地で公開されている。 22年の年月をかけて、笠井さんが撮りたかったもの、伝えたかったことは何だろうか。「真実として、すべてをありのまま撮ってほしい」というのが、秀子さんの望みでもあったそうだ。
笠井さんは大学在学中、ドイツに1年間留学した。そこで移民排斥や人種差別などの理不尽に直面したのが、ジャーナリズムに目を開かれるきっかけとなった。 就職は静岡放送へ。報道記者になって2年目の2002年、「袴田事件」と巖さんの存在を知った。姉の秀子さんを訪ね、読ませてもらった獄中からの手紙は、それまで笠井さんが抱いていた死刑囚のイメージを大きく変えたという。
「自分と関わりのない遠い世界にいる人だと思っていました。でも手紙の内容は私たちがふだん書くような素朴な思いがあふれていたり、家族を気遣う優しい言葉だったり。この手紙を書いた人が、社会から忘れられ、明日をも知れない命でひっそり生きていることに衝撃を受けました」
続きは本紙で...