(c)落合由利子
沖縄の本土復帰翌年の1973年、ひとりの女性が八重山諸島に伝わる衣・食・住や祭祀、年中行事をまとめた『八重山生活誌』が、第1回伊波普猷賞を受賞した。著者は宮城文(1891~1990年)。口伝えの八重山文化を初めて記録し、80歳をすぎて700ページに及ぶ大著を出版したのだった。 それから半世紀。文の料理を通じて八重山の今を伝えるのが、吉江眞理子さんだ。昨年は文の受賞から50年目の記念の年。長く絶版だった『八重山生活誌』の電子版発行にともない、12月から毎月『八重山生活誌 宮城文が伝える味』を沖縄タイムスで連載している。
「今や会って話を聞くこともできない文ですが、書き遺された記録には、ぽろりと文の『うむい』(思い)がこぼれている箇所があり、文と対話しているように感じることがあります」
吉江さんが雑誌の取材で初めて写真家と竹富島を訪れたのは、89年。行く先々で導かれた先が聖なる場所=御嶽だった。ある御嶽では足裏から電流のようなものが流れ、手を合わせて祈るとスッと消えた。 「宿の人が『挨拶するよう、神様に呼ばれたんだよ』と。それから引き寄せられるように」 竹富島、来間島、与那国島などに、本土から来て島の男性と結婚した女性を訪ね、機内誌に「南の島のラブストーリーズ」を執筆。雑誌で書けなかった軋轢や挫折も追加取材して、単行本『ヤマト嫁 沖縄に恋した女たち』にまとめた。 その後、終戦直後に石垣島で結成された音楽バンドのメンバーの恋物語から、ハンセン病問題へとたどり着き、『島唄の奇跡 白百合が奏でる恋物語、そしてハンセン病』を著した。
沖縄タイムスの連載は、首里で八重山料理「潭亭」を営む文の孫、宮城信博さん(故人)と妻の礼子さんとの26年前の出会いに端を発する。連載では吉江さんが文の人生を綴り、礼子さんがその味を再現、オリジナル料理も紹介している。
続きは本紙で...