(c)落合由利子
「小さい頃から理不尽なことが嫌いな子どもだったんです。おそらく原点は、年子の妹がいたこと(笑)。産んでって頼んでないし、大して年も変わらないのにお姉ちゃんだから我慢しろって言われる。こんなのおかしい!って憤ってました」 でも自分が感じた「理不尽なこと」には怒れても、まだ自分ごとになっていない「部落問題」には怒れなかった。小学校の卒業式で、両親が身分制に抗う意味で反対する「君が代」を歌う時に着席することは、「家でそうすべきと教え込まれてきたから、しなければいけないことという意識だった。部落差別とたたかえなければ、愛してもらえないんじゃないかと不安があったんです」
子どもの頃から家の外では部落に関する言葉が通じず、「翻訳」が必要だった。学校では同和教育がされず、部落のことは家の一歩外に出たらほとんど誰も知らない。しかし父には、結婚相手に部落の身内とは絶縁するよう言われた結果、音信不通になった妹がおり、近所の企業では就職差別があった。友人らの遊びや何気ない会話に「穢多・非人」や「君が代」が無邪気に出てくる日々。なのに、高校の教員には「東京には部落差別はない」とまで言われた。部落差別の現実を見聞きするにもかかわらず、あたかも「ない」ものとされている社会に理不尽さを感じ、否応なしに自分ごとになっていった。
続きは本紙で...